21話:終わりの始まり
ギルド連盟本部、大会議室。
広々とした空間の中、壁際にずらりと配下の職員が並び、中央の円卓には各国支部長の四人が思い思いの姿勢で席についていた。
ひとりは微笑み、ひとりは苛立ち混じりに机を指で叩き、ひとりは色眼鏡の奥で値踏みするように、そして最後のひとり、赤国支部長ベガ・ダイシーは挑戦的な笑みを浮かべて会議に臨んでいた。
「……本気なのだな?」
苛立ちをなんとか収めて、白国支部長セレナ・D・オルソーニは口火を切った。
常から遊びのない厳しい視線を存分に放つ切れ長の瞳には、しかし、今は珍しく若干の困惑が浮かんでいた。
「アルカンシェルを一級ギルドに格上げ。それはいい。功績を考えれば妥当な所だ。これから先を考えても損にはならん選択だろう。だが――」
「この時期に二代目本部長の選定ってのは腑に落ちねえな」
セレナの言葉を引き継いだのは青国支部長クウラ・ウルハだ。
日に焼けた船乗りは疑いの視線で発案者であるベガを睨みつける。
「人類連合軍の旗頭が必要なら赤国皇帝を担ぎ出せばいい。あの戦狂いなら喜んで戦場に駆けていくだろうさ」
「レーヴェに請えば、そうなるだろうな」
ベガは事もなげに告げる。その笑みは崩れない。
皇帝と彼が懇意であることは周知の事実なのだ。
「我々がここまでやってこれたのは本部長を頂かず、4人の支部長が牽制しあい、分裂していたからではないのか?」
「連盟が国という頸木を離れてひとつになったら、どこの国も黙ってねえぞ?」
「何か意図があるのでしたら、お話してはいただけないでしょうか」
支部長二人の攻勢に、にわかに険悪になる雰囲気を察して緑国支部長クィーニィ・ハーヴェストが笑みのままやんわりと折衷案を出す。
エルフの彼女はある程度はベガの狙いを察していたが、それでも常人では計りきれない思考を持つこの男がどこまで“駒を進める”気なのかはわからなかった。
「……そうだな」
ベガは顔に張り付けていた笑みを消し、この男にしては珍しいほど真剣な表情を見せた。
緊迫感すら漂わせるベガに、壁際に侍る者たちも一時手を止めて耳をそばだてる。
「オレはこのときの為に支部長になり、幾年の歳月をかけた。兵器を、人を、あらゆる戦力を用意した」
「戦乱の導に対抗する為か?」
「いいや、その先にある――魔神に対抗する為だ」
ベガは初代本部長アルバート・リヒトシュタインの残したギルド連盟の意味を理解していた。
冒険者を擁する組織と大陸通信網、それらの存在する意味を正しく理解していた。
果たして、この場にベガの言葉の意味を真に理解できた者はいるだろうか。
この男は魔神と勝負する為にチェスの指し手から歴史の舞台へと上がったのだ。
何の手がかりもなしに、魔神はおろか、戦乱の導の存在が公になる前から、ギルド連盟の存在という一事をして魔神の存在を読み切ったのだ。
先見の明という言葉ですら男を評するには足りないだろう。
「初代本部長は自分以外では魔神を封印することができないことに気付いていた。
故に、自分が失敗した時の為に、あるいは、いつか魔神の封印が解けた時の為にギルド連盟を残したと考えられる」
「……現状を省みるに、荒唐無稽とも言い切れんか」
ウルハは呟き、色眼鏡の奥の視線でベガに先を促した。
「オレ達が為すべきことは魔神の封印が解けた時にこそある。
……黒神は大陸が沈むと予測していたという。そうさせないのがギルド連盟の存在意義だ」
「戦争になるのですね?」
「なるだろうな。大陸全部を巻き込む大戦争だ」
悲しげに尋ねたクィーニィとは対照的に、ベガは頬を吊りあげて楽しげに笑った。
ギルド連盟は国同士の戦争には加担せず、不干渉を貫く。それ故に戦乱の時代も生きてこられた。存在を許されていた。
だが、今度は違う。ギルド連盟が各国を巻き込み、魔神と戦うのだ。
そして、その為には、連盟としての確かな旗頭が必要なのだ。
「しかし、それもあくまで封印に失敗した時のことだろう?」
「ああ、既に学園側から打診されている。
ローザ・B・ルベリアはアルカンシェルにこの大陸を救わせる気のようだ」
「二百年前に初代本部長がされたように、ですか?」
「そうだ」
「ですが、それは……」
アルカンシェルの面々と面識のあるクーニィは心配げに俯く。
長寿のエルフにとっては二十歳前後の彼らは赤子に等しい。心配にもなろう。
その心情は方向性こそ違えど、向かいに座るセレナも同様のようであった。
「我らはあくまで補佐か。歯がゆいものだな、運命に選ばれなかったというのは」
「オルソーニ支部長……」
「代われるのならそうしてやりたい。そうは思わんか、クィーニィ?
貴族とは、族長とは、必要な時に命を捨てる為に地位を与えられた者だ。……であるのに、大陸の危機だというのに、この命には捨てる価値すらないなど、お笑い草もいい所だ」
「さて、それはどうかな?」
セレナの懊悩を笑ってはぐらかし、ベガは言葉を紡ぐ。
“盤上の魔王”の目には何が映っているのか。余人にはうかがい知れない。
だが、おそらくこの瞬間こそをベガは望んでいたのなら、この男の内に溜めこまれた企みの全ても遠からず詳らかになるだろう。
「運命が選んだのはひとりだけ。だが、人は己が手で運命を掴むことが出来る。
少なくとも、オレはそう信じている。それこそが人に与えられた可能性なのだと、な。……会議を続けるぞ」
◇
白国教皇直属の特務、十二使徒は終身制である。
つまりは死ぬまで使徒であり続けることを課せられている。
老いても戦う。死ぬまで戦う。使徒とはそういう存在なのだ。
故に、その死後を司る場所もまた用意されている。
十二使徒に情は不要。だが、死した後はもう使徒ではないのだ。
だから、あるいは、その死を悼む場所が必要なのだろう。
カイは立ち並ぶ白く小さな墓標の間を抜けながらそんなことを考えていた。
荘厳さはなく、飾り気もない、ただ白いだけの墓標の群れ。
皇都の郊外にひっそりと建てられたその墓地は、そこに眠る者たちの功績を考えればあまりにも質素であった。
だが、それでいいのだろうとカイは思う。
彼らは十分に戦った。死ぬまで戦った。誇るまでもなく、知る者は誰もが心に刻んでいる。
知らぬ者は知らなくてよいのだ。彼らの安寧の為に使徒たちは戦ったのだから。
与えられる名誉は少なく、危険ばかりが一生付きまとう使徒の最後の安住の地。
この物言わぬ墓標こそが彼らがこの大陸を守ってきた確かな証なのだ。
今ならわかる。対人戦闘を禁じられた対魔、対災部隊。
第一位ネロは魔神とその信奉者たる古代種――その中にはネロ本人も含まれている――と戦う為に十二使徒を結成したのだ。
「……」
カイは規則的に並ぶ英雄たちの墓の間を静謐を乱さぬように静かに歩く。
墓は古い者から先に、新しい者は奥に建てられている。
故に、最奥にあるのは慣れ親しんだ名前の墓だった。
忠勇にして必勝の騎士、ここに眠る
――ジン・イズルハ
「……父さん」
傭兵から近衛騎士、そして十二使徒へと駆け登った男のあっけない終わりがそこにあった。
父らしい簡潔さだとカイは思った。本人にしてみれば名前すら不要だと言うのかもしれないが、最低限は必要であろう。
カイは、父の意を汲んだであろうエルザマリアにただただ感謝した。
この墓は本来、息子である自分が建てるべきものだったのだ。
墓碑にはただ名前と端的な霊句だけが刻まれている。
生没年は刻まれていない。戦場で死ぬことを半ば義務付けられている使徒はもとより没年を刻まないのが慣例だ。
それは同時に、いつか帰ってくるかもしれないという儚い願いの結実でもある。
「……」
父の墓が建てられているだろうとは察していた。
ただ、参る気にはなれなかった。
数少ない遺品だけが葬られている棺は遺体の欠片も入っていない伽藍堂でしかないからだ。
なにより――なによりも、斬ったのはこの手なのだ。
子が親を斬っておいて、どの面さげて参ればいいのか、そう思っていた。
いつかは来なければならないとわかっていてもきっかけがなかった、今までは。
機会は遂に訪れた。カイは今日ここに来なければならなかった。
ニグレド・ダルグロスを倒し、カイはようやくあの日にケジメをつけられたのだ。
死者は何も語らない。誓うのは己自身だ。
かつてより少しだけ蒼みの混じった黒瞳にはもう揺れはない。
真っ直ぐに墓碑を見つめている。
「父さんの銀剣は然るべき形へ。“無銘”は――」
続く言葉は思い浮かばなかった。
奪われた剣を取り戻したところで意味はない。父はもういないのだ。
ならば、斬る。斬るしかない。
剣とその使い手――あの武神、ガイウスを。
それだけが亡くした者への手向け。
死者に対して生者が出来る唯一の慰め。
「いずれ自分もここに至る。それまでは……」
鞘に納めたままのガーベラを墓の前に捧げ置く。
根元から折れた刀には既に刀身はおろか魂の欠片もない。
菊一文字則宗は死んだ。一点の曇りもない忠義を尽くして、その最期まで。
「預かっていてください。いつか、必ず取りにいく」
生きてか、死んでかはわからない。知る気もない。
けれど、誓ったのだ。この身は価値を示す。
父を斬って生き延びたこの身の価値を、必ず示す。
外套を翻し、カイは父の墓に背を向ける。振り返ることはもうなかった。
入口では仲間達が待っていた。心配そうな顔ぶれに軽く手を振って無事を示す。
この身は敵を知った。
大陸を沈め、古の魔神の復活を望む者。
無銘の剣を手に、神の破壊を望む者。
そして、呪術と魔物の元凶たる魔神。
――全て、斬る、この手で。
誓いを胸にカイは白亜の墓地を後にした。
四章:天の風 完
あとがきは活動報告にて。