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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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18話:狂える大地

 暗黒地帯中心部、地平線の果てまで魔力結晶で埋め尽くされたその地に突如として轟音が響き渡った。

 次いで、体が浮き上がるほどの激震が大地を揺らす。

 震源は誰の目にも明らかであった。

 “熱砂の四刃”(ゼフィクト・ガズル)、山に匹敵する黒鋼の巨体が頽れたのだ。


 無残にも半身を削り取られた大蠍は内にある巨大な核を晒している。

 紫電をまき散らし、残る片側の足を蠢かせてはいるが、立ち上がる様子はない。既に半死半生の境に落ちている。

 それは本来有り得ないことだ。精霊級――人間で言う所の英霊にあたる大蠍は半身が砕かれた程度の傷ならば即座に再生する程の賦活能力を具えている。

 その能力が発揮されていない――否、“破壊”されているのだ。


 傷口から血と内臓物が零れ、大蠍の黒瞳が憤怒に燃える。

 視線の先には巌のような男、赤黒の短髪の下に、感情の失せた黒瞳を見せるガイウスがいた。

 狂える刃金は一瞬前に己が削り砕いた相手に興味すら抱かず、静かに無銘を背の鞘へと納めた。


 そんな対照的な両者の間に、やる気のない乾いた拍手の音が響いた。


「さすがは武神級だね。古の聖獣をこうも容易く下すなんて」


 ローブで顔を隠した青年がぞんざいに手を叩きながら告げる。

 口元に浮かぶ笑みは嘲笑か称賛か、余人には窺い知れない。

 大砂漠から大蠍の巨体を転移させるのは、古代種であっても無視できない消耗があってしかるべきだが、その青年――ニグレドは平然としている。


「この茶番は何だ?」

「何って聞いてなかったのかい?」

「……」

「聞き流してたのか。まあいいか。これは呪術の最終行程だよ。

 ――こいつで呪術にかかっていない魔物は最後なのさ」

「出来損ないの(まじな)いに何の意味がある?」


 ガイウスは自身の心臓を指さす。

 呪術は強烈な狂気を齎すが、男はその程度で狂うような精神はしていない。

 その裡に宿る強烈な憤怒と狂奔が、狂気すら塗り潰しているのだ。


「……言ってくれるね」


 自身の半生を投じた秘術を虚仮にされ、呪術士はローブの下で小さく舌打ちした。


「魔神謹製の呪術を撥ね退けたのはお前と……あとひとりだけだよ。

 元よりこの術は聖獣(こいつら)に掛けることを念頭に作ってある。

 古の戦争の後に生まれた魔物はどいつも罹患しているだろう?」

「――ッ」

「クク、そう睨まないでほしいな。

 訊いたのはそっちだし、そもそも魔物に掛けているのは魔神本体だよ」


 空間ごと押し潰すような殺気を受けて、ニグレドは殊更に肩を竦めた。

 意趣返しに成功した満足感に口元が厭らしく歪む。

 ガイウスが何故、神を破壊しようとしているのかニグレドは知らない。知る気もない。

 ただ、魔物への強烈な憤怒と憎悪を見れば、自ずと理由は察せられる。


 ガイウスはそれ以上は何も言わず神殿前へと戻っていった。

 その背に蔑みの一瞥をくれて、ニグレドは大蠍へと向き直り、腰を折って慇懃無礼に一礼した。


「御機嫌如何かな、貶められし神の従者よ。

 その心臓に祝福を。魔神(カミ)に最も近いこの場所で、最大濃度の呪詛を叩き込んであげよう。精々暴れ回ってくれ。


 ――いざ狂え、古の聖獣よ、我は対価に強大なる魂の根源を捧げん」


 詠唱と共に、ニグレドは懐から取り出した黒い魔力結晶を砕いた。

 直後、ゼフィクト・ガズルが絶叫をあげた。

 発声器官を持たない大蠍が、その理さえ覆すほどの痛みと憎悪につんざくような声をあげ、のたうちまわっているのだ。


 絶叫は一刻近くも続いた。

 声が止んだ後には、その瞳を狂の真紅に染めあげた大蠍が残っていた。

 魔神の呪いを受けて歪に再生していく大蠍を前に、ニグレドは己が施術の出来に満足げに頷いた。


「これで、私の役目も終わりか」


 呟く己が言葉に青年の表情から笑みが抜け落ちる。



「――考え直す気はないんだね、ニグレド?」



 その背に、いつの間にか現れていたテスラの分け身が声をかけた。

 ニグレドは侮蔑の態度も隠さずに振り向いた。頭を下げることは、もうない。


「計画も大詰め。私はもう必要ない。なら、私は私の目的を果たすだけだ」

「そんなにボクが神に至るのが気に食わないのかい?」

「……さてね。私からは何とも」


 ニグレドは肩を竦めて嘯く。

 その顔に笑みはなく、真紅の瞳には底冷えするような嫉妬だけがある。


 青き血の定めは絶対。

 古の時代、全員が同格であった古代種は契約を絶対視していた。

 1対1では必ず引き分けになるという古代種の性質は人数で劣れば敗北するという単純な事実を導いたからだ。戦乱の導にも同様の定めが残っている――唯一人、神域へと至ったテスラを除いて。

 彼らはこの千年、魔神を復活させ、古代種を再興させる、その為に生きて、時に人類に狩られてきた。

 二百年前にテスラが加わり、今では同族も三人だけとなったが、最初の定めは変わっていない。

 ニグレドの血にも戒律が刻まれている。一度として逆らったことはない――今日までは。


「お前には視えているんだろう、私の望みもね」

「……そうだ。ボクには視えている。だからこそ止めるんだ」


 テスラの眼差しはどこか悲しげにみえた。

 錯覚だとニグレドは断じて、吐き捨てた。

 痛みを介してしかテスラは他者を認識できない――そこに心の痛みが入るかをニグレドは知らない。

 だから、きっとそれは錯覚なのだ。


「……キミの望みは決して果たされない」

「ッ!! 囀るな、成り損ない。それを決めるのは私自身だ!!

 玉座から動けぬそのザマで見ているがいい。私はお前を越えてみせる!!」


 強い否定の言葉と共に、ニグレドだったものが徐々に黒い泥に変わっていく。

 命の分身。ニグレドの本体は既にここにはいない。

 ニグレドはテスラを主として戴くことを受け入れられず、テスラもまた離反を止める言を持たない。

 この離反は遥か昔に確定していた事だ。テスラもそれを理解していた。


 故に、少女はそっと金の瞳を伏せた――今生の別れを惜しむように。


「さよなら、ニグレド・ダルグロス。ボクはキミのこと嫌いじゃなかったよ」

「……私はお前のそういうところが嫌いだったよ、テスラ、歪なる王」


 交わることのない互いの声は、永遠に続く曇天の空に消えていった。



 ◇



 クラウスから依頼を受けてから数日後、カイは街道から外れた平原を一人進んでいた。

 周囲に遮るものはなく、時を経た焼け跡に生えた低い下草だけが風に吹かれて葉擦れの音を立てている。

 男は心の裡で蠢く憎悪と悔恨を抑え、目を閉じて己の鼓動に集中する。


 ――規則的な鼓動の中に別の疼きが混ざっている。


(勘違いではない、か)


 この焼けた村跡に来た時から呪いに微かに反応がある。

 幸か不幸か、呪いが進行していることで極僅かな共鳴も捉えられるようになっている。

 禁呪が反応を寄越す事象は二通りしかない。

 すなわち同じ禁呪をかけられた者か、古代種の誰かがいる場合、そのどちらかだ。


(いるのは古代種か?)


 思考を巡らせる。前者である可能性は低い。

 禁呪“不死不知火”は発動すれば目に映る人間を殺し尽くす。おそらくは全てを殺し尽くした瞬間に本人も死ぬようにできている。

 確信がある。これを抑えこむことが出来たのは自分とガイウスだけだ。それ以外の呪いを起こした人間は例外なく全て死んでいる。

 アウディチ領の時のように呪術を起こさず、本人ごと潜伏させている可能性もないではないが、あれは他者への支配と強化――つまりは“洗脳”を特化能力とするアルベドが傍にいなければ不可能だろう。滅びた村跡でそんな手のかかることをする理由がない。


 となると後者、古代種の内の誰かが近くにいるとみるべきだろう。

 テスラではない。呪いを感知できる状況であの神たる感触を逃すことはありえない。

 残るは二人、ニグレド・ダルグロスかアルベド・ディミスト。心臓の共鳴だけでは判別はつかない。

 それでも、カイは確信していた、

 依頼の通り、この先にいるのはニグレド・ダルグロスだと。


(対策は万全とはいえないが)


 歩みを止めぬまま、胸元を見下ろす。

 封呪の宝玉(ナルエスペル)への魔力の充填は此処に来るまでにソフィアに施してもらっている。

 外部から(・ ・ ・ ・)の強制発動は防げるだろうと、ヴァネッサのお墨付きもある。

 現状、これ以上の対策はない。無論、完全ではないが、千載一遇の機会を逃す気はない。

 決定的な場面で狂わされる位なら、周囲に人間のいない此処で相手の手札を切らせた方がまだマシだ。

 仮に、不死不知火が起こされても、ニグレドだけは逃がさない。

 “神殺し”に届く前にここで一度命を賭けねばならない。


 たとえ、その代償に何を喪おうとも奴を斬る、それだけを心に決める。


(狙いは……俺か)


 この場所を戦場に選んだのは己を釣る為だろうとカイはみる。

 同時に、それこそがこの先にいる相手がニグレドだという確信を抱かせる理由でもあった。


 焼け焦げたその村跡はかつて、カイが父ジン・イズルハを斬った場所であった。


「……ッ」


 極力、平静を保つ。つけいる隙を許してはならない。

 カイは囮だ。罠を張って待ち受けているであろうニグレドに対する餌だ。

 クルス、ソフィア、イリスは数キロ離れた場所に潜み、ソーニャとクラウスは遊撃として周辺一帯の狩りだしを行っている。


 罠と分かっていてもカイが単独でいる瞬間をニグレドが逃す筈がない。現状からして、それこそが呪術士の狙いなのだから。

 ニグレドが釣れ次第、転移で全戦力を集中し、討滅し、呪いの起動したカイを抑える。そういう作戦だ。


 カイはただ無心で焼け野原を進んでいく。

 心臓が鈍い痛みを発する。呪いの所為ではない。精神的外傷に由来するものだ。

 受け入れた、乗り越えたと思っていても、悲嘆が、悔恨が尽きたという訳ではない。


「……チィ」


 思わず、舌打ちをひとつ。

 喪われた筈の嗅覚は今や幻痛の如く焼け焦げた骨肉の匂いを再生している。

 もう二年も経っているのだ。そんなものは残っていない筈なのに。

 それでもカイは歩みを止めない。


 囮になることを進言したのは他ならぬカイだ。

 カイは古代種を、ニグレドを軽視していない。

 初手で呪いを起こされ、狂わされる、その可能性を無視するわけにはいかなかった。


 それ故に、カイは一人でニグレドに相対し、見極めなければならない。

 呪術を起こされたのならその為の手を打つ。呪いを防げたのならそのままニグレドを討つ。やるべきことは決まっている。

 だというのに――


 ふと気が付くと、目の前に男が立っていた。


 コート状の軽鎧を纏った大柄な体、顔に走る無数の刀傷、自分とよく似た括った黒髪と黒瞳。

 男の顔には人形のように表情が無い。生気も感じられない。

 だが、その姿はカイの記憶にある姿と寸分違わなかった。


「――これがお前のやり方か、ニグレド・ダルグロスッ!!」


 怒りが、憎しみが、咆哮となり、絶叫となって喉から迸る。

 カイは感情のままにガーベラを抜き放ち、目の前の父親の姿をした何かへと斬りかかった。



 ◇



 時は少しだけ遡る。


 カイのいる位置から数キロ後方にクルス達は潜んでいた。

 古代種の探知能力は少なく見積もってイリスと同等。故に、彼女でも探知の届かない距離から追跡せねば意味がない。

 だが、こちらにはソフィアがいる。

 カイの心と深く繋がっているソフィアならば、どれだけ距離を離していても侍の異常を感知することが出来る。

 転移陣も既に準備が完了している。いつでも攻勢に移ることが可能だ。

 それでも、息を殺し、じりじりと時が過ぎるのを待つのは精神を削る苦行に等しい。


「……曇ってきたわね」


 空を見上げてイリスが告げた。

 朝の内は晴れていた空がいつの間にか厚い雲に覆われている。

 幸い雨は降りそうにないが、霧がでている。

 この調子だとしばらくは太陽を拝むことはできないだろう。


「風が強くなっている。弓を射る時は気を付けろ」

「りょーかい」


 目を閉じて読心に集中するソフィアに代わって、イリスは応えを返し頬を拭った。

 肌を濡らす霧が煩わしいが、潜伏中に火を焚く訳にはいかない。


 その時、ふと熟れ過ぎた果実のような甘いにおいを嗅いだ。


「ッ!! ――くるッ!!」


 イリスは素早く反応した。

 即座に立ち上がり、盲目のアースを構え、気配探知を全開に、敵の姿を探す。


 刹那、しゃらんと鎖の連なる瀟洒な音が三人の耳の奥を擽った。


 そして、その女は霧の中から現れた。


 白磁の肌、腰まで届く黒髪と同色のドレス、細い両腕から地面へと垂らされた銀鎖。

 艶然と微笑む紫の唇と真紅の瞳はまるで男を狂わせる為に形作られたような魔性の美貌。

 なによりも、額に象嵌された蒼い魔力結晶(サードアイ)が鮮烈な印象を残す。


「アルベド・ディミスト……ッ!!」


 盾を構えつつ、クルスは内心の驚きを奥歯を噛んで殺した。

 カイの予想が外れたのかとも考えたが、すぐにそれを打ち消す。

 これまで、古代種は常に単独で行動していた。その実力を考えれば、何をするにしても一人で十分だからだろう。

 故に、その可能性を無意識に排除していた。後悔と共にそれを理解する。


 敵は二人がかりだ。おそらくカイの許にはニグレドがいる。


「主様は仰いました。ニグレドの試みは失敗すると」


 アルベドが袖を揺らし、軽やかに指を鳴らすと、周囲に漂う霧が急速に黒く染まっていく。

 応じて、クルス達は強烈な倦怠感に襲われた。

 呼吸の度に肺が爛れ、気を抜けば意識を失いかねない。


「彼が主様の障害になることはない。

 でしたら、その過程を利用して他の障害を排除するのが賢明だと思いませんか?」


 アルベドは科を作り、妖艶な笑みを浮かべた。

 おそらくニグレドはこちらの感情すら読み切って事を起こしたのだろうと女は思う。数千年に渡る付き合いだったのだ。互いにその程度は読める。

 介入するか否か、揺らいでいた天秤を一方に傾けたのは感情(ソレ)だった。この瞬間まで確定していなかった未来は予知ですら捉えることはできないだろう。 


(兄さん、カイもニグレドに接触したようです)

「ッ!! ――行け、ソフィア。カイを頼む」

「……ご武運を」


 戦闘に入れば離脱する時間はない。ソフィアは即座に転移陣を起動して跳ぶ。

 クルスはカイの生存を選んだ。賭けに近い判断ではあろう。

 三対一でも古代種相手では勝てるとは言い切れない。だが、攻撃能力の低いアルベド相手なら二対一でも善戦できる。

 なにより、呪術を起こされたカイとアルベドを会わせることだけは絶対に避けねばならない。カイを洗脳されれば盤面が詰む。


 一方で、ニグレド相手に長時間カイを一人にしておくのも危険だ。元より、その為の転移強襲の策だったのだ。

 もしも、呪術が起こされているのなら、ソフィアが必要になる。

 予定とは異なるが、現状採り得る最善といっていい。


 だが、それはアルベドの狙い通りでもあった。


「アルカンシェルは攻撃力、殲滅力をあちらの二人に依存している。

 ――故に、あなた達二人では私を殺しきれない」


 アルベドが再度指を鳴らすと、霧の中から虚ろな表情をした戦士がぞろぞろと現れた。

 武装を見る限りは傭兵の類だろうか。霧に紛れて総数は掴めない。

 古代種の手配書は傭兵間にも回っていた筈だが、ギルド連盟のような強固な組織的統括を受けていない傭兵ではどうしても漏れが出てしまう。


「持久戦ならば私の霧も十分に効くのではないですか?」

「ッ!!」


 この会話も焦りを誘発させる為のもの。時間は向こうに有利に働くばかりなのだ。クルス達の意識は刻一刻とアルベドに侵食されている。

 可及的速やかに敵戦力を削り、離脱し、カイ達と合流する。クルスは心を決めた。

 元よりこの戦場はニグレドを討滅する為のもの。それを思い出す。


「クルス、とにかく数を減らすわよ」

「ああ!!」


 クルスは障壁を展開して前衛に立つ。

 一見して傭兵達の実力は決して高くない。常ならばクルスとイリスの二人でも容易く薙ぎ払える程度の存在だ。

 アルベドがいなければこの場もそうなっていたであろう。


「ロードの原型として一手お見せいたします。

 ――畏れによりて、魂を下す、惑え(ルフト)


 無論、そんな甘い見通しが通る筈がない。

 笑みを消さぬまま、アルベドが踊るように両手を振るう。

 袖から飛び出したのは二対二条の鎖の蛇。

 金属音を高らかに鳴らして女の周囲を踊るそれは彼我を分かつ結界。

 アルベドに勝つ気はない。ただ、二人を此処に足止めする為の堅守の構えだ。


「――貴殿らを隷属せし吾が威令を発す“兵たちよ、狂い舞え”」

『――――アアアアアアアァアアアアッ!!』


 虚ろな意識に狂乱を上書きされた傭兵達が突撃を開始する。

 しかし――


「――舞え、飛翔精(フィルギア)


 刹那、宙を舞う二条の光が矢継ぎ早に矢を放ち、先頭を走る傭兵達の脳天を撃ち抜いた。

 先陣を潰されて傭兵達の動きが本能的に鈍る。


「どきなさい、アルベド・ディミスト。仲間が待ってるの」


 膨大な魔力と共に紫色のサードアイを輝かせるイリスは押し殺した怒りを秘めて告げる。

 燃えるような真紅の視線を受けて、アルベドの肉感的な唇が嘲るように歪んだ。


「……父親を情に絆して殺したくらいで古代種を凌駕したおつもりですか?」

「父さんの死に様をアンタにどうこう言われる筋合いはないわ」

「親殺しの娘がぬけぬけと」

「アンタだって、私と会った時に父さん(ルベド)の娘だって気付いてたんじゃないの?」

「……んふ」


 アルベドは明言せず、ただ含みのある笑みを浮かべた。

 今なら分かる。イリスがアルベドに感じる共感。

 それはこの身に流れる青い血が齎すものに他ならない。


 ルベドの“理由”にアルベドが気付かなかった筈がない。

 彼女がルベドにイリスの存在を伝えなかったのは人間に再び情が移る危険性を考慮したからだろう。


「お互いさまよね。でも、それはアンタを許す理由にはならない」

「それこそ此方の台詞。ルベドの娘とて容赦はしませんわ」

「上等ッ!!」


 互いに言葉が尽きる。


 次の瞬間、アルベド率いる狂乱の戦士とクルス達は激突した。



 ◇



「だああ!! 鬱陶しい!!」


 気合一閃、クラウスが振り抜いた槍が無数の泥人形(クレイゴーレム)を薙ぎ払う。

 手には双槍、空中には四槍、計六本の槍が連携し、泥人形を撃破する様はひとつの群れに等しい。


「ソーニャ、そっちはどうだ!?」

「……かなりまずい」


 クラウスと背中合わせに構えたソーニャは矛を振り回して間合いを確保し、片っ端から雷撃魔法を落としつつ、疲労の混じる声を返した。

 口調を取り繕う余裕もない。


 端的に言って、二人は今、追い込まれていた。

 視線の先では、無数の土気色のゴーレムが不定形の泥体を揺らしながら接近している。

 二メートル大の、人間の命を原材料にした自律型だ。術者から離れていても簡単な命令はこなせるのだろう。

 物理攻撃に耐性があり、耐久力も高い。しかも倒すたびに飛び散る泥飛沫の一滴一滴に武器と肉体を錆びさせ、腐らせる毒が含まれている。


 とはいえ、言ってしまえばそれだけだ。毒錆も武器を犠牲にするか、遠距離から仕留めれば問題ない。

 そも魔獣級にも届かないゴーレムの百や二百で使徒二人を止められるものではないのだ。――百や二百程度であるならば、だが。


「ったく、どんだけいるんだよ……」


 クラウスは槍を止めぬまま、呆れたように呟いた。

 視界を埋め尽くすクレイゴーレムの数はおそらくは万に届く。

 千年以上もの間、ニグレドがせっせと溜めてきた命だ。

 先日の皇都近郊での古代種の反応もこれの仕込みだったのだろう。


 泥人形の侵攻速度は遅い。だが、真っ直ぐにカイの居る方向に向かっている。

 ここで止めなければ、カイの負担になり、ニグレドに利することは確実だろう。

 『英雄は数で殺せ』、古来より行われてきた邪道にして正攻法である。

 そして、戦場の外縁部にいる自分達にこれだけの数を差し向けたニグレドが、中心にいるカイに対して何らの手立ても講じていない筈がない。

 クラウスはここが分水嶺だと直感した。


「ソーニャ、心技使え。埒が明かねえ。殺した数は足りてるだろ」

「でも、そうしたら兄さんの援護が――」

「ここで時間食ってる方が無駄だ。先輩の援護にはオレが行く」

「――ッ」


 ソーニャは知らず口ごもった。それはごく単純な役割分担だ。

 多数を相手にするならば少女の方が上で、単体を相手にするならばクラウスの方が卓越している。

 ならば、泥人形は自分が引き受け、ニグレド相手には少年が向かうのが合理的だ。

 その理をソーニャは三秒かけて呑み込んだ。


「わかった。兄さんを見殺しにしたら許さないから」

「任せろ」


 短い言葉と共にクラウスは泥人形に背を向けて駆け出した。

 ソーニャの近くにいては巻き込まれるのだ。

 矛を地面に突き立てた少女は既に全魔力を解放している。


「――生まれよ、大雷、火雷、黒雷、柝雷


 ――集いて出でよ、若雷、土雷、鳴雷、伏雷」


 詠唱と共に、迸る魔力が空を掻き曇らせ、暗雲と共に雷気となって大気を灼く。

 それこそは聖性保持者に宿る莫大な魔力の全てを破壊力に変換して放つ絶対の一。


「嘆きよ、降り注げ、天泣(セレイン)――八ノ雷神(レギオンボルト)!!」


 そして、曇天を切り裂くように巨大な八つの雷が解き放たれた。



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