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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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16話:鼓動

 ふと気が付くと、カイは水平線まで続く蒼海の上にいた。

 足元は全て透けるような海。一瞬、沈むことを危惧したが、暫くして理解した。


 これは夢だ。


 現実の海は穏やかにみえて、常に大きなうねりを秘めている。

 この海のように全てが同じ方向に静かに流れていくことなど有り得ない。


 現実の海は一見して美しいが、その内には多くの生命が生きて、死んでいる。

 この海のようにどこまでも澄み渡り、何の生き物もいない場所ではない。


(夢か。……夢なのだな?)


 本能は夢だと判断しているが、思考はやや懐疑的だ。

 カイは元来、殆ど夢を見ない性質である。見るにしても過去の再生が主だ。

 さらに、ここ十年は眠るという行為を拒否していたこともあり、このような夢らしい夢には困惑が先に立つ。


 とはいえ、夢ならば、あとは心の持ちようだ。

 多少気後れしつつも海上にそっと足をのせる。


 水面に立つのは少し不思議な気分であった。

 きっとこの夢は自分の夢ではないのだろう。そう思った。

 こんなにも穏やかな世界が己の内にあるとは考えられない。

 己の内にあるのが寒風の吹き荒ぶ荒野であることをカイは知っている。


「……海か」


 その澄んだ蒼さに想起されるのはひとりの少女のことだった。

 念じれば出てくるのではないかと思ったが、現実で顔を合わせた時にきまずくなる気がしたのでやめた。


 だが、代わりとばかりに一羽の蝶がひらひらとカイの前を横切っていった。

 目の覚めるような鮮やかな蒼色の翅がうつくしい蝶だ。

 ある種の蝶は集団で海を渡るというが、果たしてこのような姿だっただろうか。

 カイは疑問に思いつつも何処かへ向かう蝶の後をなんとはなしに追いかけた。



 暫く蝶に付いて水面を歩いていると、不思議な場面に遭遇した。


(なんだ……?)


 視界に捉えたのは、巨大な影に対し、剣を掲げて相対する黒衣の男。

 カイのいる位置からでは丁度背になっていて剣士の顔は見えない。

 両者に大きな動きはない。一枚の絵画のような印象的な場面だ。


 巨大な影はじわじわと周囲を侵食しているが、どうにも動きが鈍い。

 対する黒衣は剣を構えたまま何かを待っているように見える。

 ふと目を凝らすと、剣士の背にはうっすらと“もうひとり”の姿も視えた。

 薄ぼんやりとした姿は輪郭が捉えきれないが、おそらくは女性だろうとカイはあたりをつけた。


 数拍の後に状況が動いた。

 おそらくは剣士か、彼に寄り添う人影が“何か”を発動したのだろう。

 剣士の全身を蔦のような金色の刻印が覆い尽した。


 そして、突如として対峙する両者が(・ ・ ・)凍りついていく。


 巨大な影がつんざくような絶叫をあげた。ひどく耳障りな音だ。

 怒り、憎しみ、存在を否定される悲痛。そのどれでもあり、どれでもない。

 理解できない、してはならない。カイは本能的にそう感じた。

 疑問ばかりが生まれていく中、凍結の波動は凄まじい勢いで離れて見ていたカイの足元まで迫ってきた。


 そうして、全てが氷の中に――――。



 ◇



 カラカラと車輪の回る音が耳をくすぐり、断続的な振動が体を揺らす。

 学園へと帰る道すがら、一行はクティークスの牽く馬車に載っていた。

 大砂漠から学園までは大陸の半分を横断する道行だが、往路と同様に転移で最寄りの街まで跳んだため所要時間は十日とかかっていない。

 むしろ、転移陣に魔力を充填する方が時間がかかった程だ。


 馬車に揺られるクルス達の表情には多少の疲労と大きな安堵が宿っている。

 環境的にはこの世の地獄であった大砂漠から温暖な気候の内陸地である白国に帰ってきたことで体力精神ともに余裕が戻ってきたのだ。

 広めに作られた馬車の中には落ち着いた空気が漂い、クルスは溜まった書類を読み耽り、イリスは砂漠の陽光で痛んだソフィアの髪の手入れをしている。

 そして、如何なる心境の変化か、カイはソフィアの膝枕で眠っていた。

 自発的に眠りについたのはいつ以来か本人にも分からなかった。おそらく十年ではきかないだろう。


「ソフィアの膝でしか眠れないなんて贅沢ねー」


 一通りの手入れを終えたイリスがぼやきつつソフィアの金の髪に白紐を結い直す。

 腰の辺りまで伸ばしたソフィアの髪はそのままだと戦闘の邪魔になるため、纏める必要がある。

 髪形はイリスの気分によって変わるが、今日はくるりと纏めてシニヨンにしていた。


「よく寝てるわね。馬車も結構揺れてるのに」

「ふふ、そうですね」


 ソフィアは小さく微笑み、カイの額にかかる前髪を軽く払う。男の寝顔が僅かに穏やかになった。

 しかし、死んだように眠るという表現があるが、まさしくこのような状態を言うのだろう。

 じっと見ていても胸や腹が隆起することがなく、呼吸が読めないのだ。


「……ちょっと羨ましいな」

「代わりますか?」

「心惹かれるけど今回はやめとくわ。だってこんなに――」


 慈愛の瞳でカイの寝顔を見ながらイリスはそっと男の頬に触れた。

 やや低い体温、日に焼けた肌、固くて柔らかい不思議な感触が返ってくる。

 と、丁度その時、カイの目がぱちりと開いた。

 反射的にイリスは離れていた。頬が熱くなるのを自覚する。

 眠っている相手なら気にならないが、起きているとなるとどうにも照れがあった。


「……俺は、眠っていたのか」


 カイはすぐ目の前にあるソフィアの顔を見て自己の状況を察した。

 何故おかしそうに笑っているのかは分からなかった。視界外でわたわたと慌てるイリスにも気付かなかった。

 多少は改善したが未だ朴念仁のそしりは免れないだろう。


「おはようございます。どこか痛かったりしませんか?」

「ああ、問題ない」


 後頭部に感じてる柔らかな感触と花のような香りを振りきり、カイは上半身を起こした。

 全身にやや倦怠感を感じるが、寝起きというのは本来こういう感じではなかったかと幼少の頃の記憶を思い返して判断した。

 それよりも問題は今しがた見た夢だ。


「ソフィアは黒神をみたことがあるか?」

「いえ、ない……とおもいます」


 カイの唐突な問いかけに、ソフィアは宙を見つめて自身の記憶を思い返し、暫くしてかぶりを振った。

 先日の地下教会で出会ったアセビが言い残した「契約の際に」という言葉は気になるが、そもそもソフィアは生まれついてのウィザードである。記憶などあろうはずがない。


「カイはお会いしたことがあるんですか?」

「……実力は確かに武神級だった」


 カイは脳裡に無地の仮面を被り、神剣を腰に佩いた男の姿を思い浮かべた。

 口煩い男だったが剣の腕は本物だった。今の自分でも果たして届くかどうか怪しい。

 それに、思い返してみればアセビと男が被っていた仮面はよく似ている。

 先の夢で見た後姿もあの男の若い頃か何かではないだろうか。


「たしか……神樹の中や解呪実験の際にお会いしたという方ですね」

「そうだ。ガイウスが四人目だというのなら俺の出会ったアレは……」


 カイは言い淀んだ。面と向かって黒神だろうと訊いた訳ではないからだ。

 だが、アレは剣士と言った。後輩と言われた。

 直接の契約こそしていないが、カイと(なにがし)かの神の間にはサムライという括りの他に繋がりはない。

 赤神ということはない。赤神はその名の通りの燃えるような赤髪を子孫まで受け継がせている。アレは黒髪だった。

 同様に緑神ということもない。かの神は神樹より生じた自然神である。


 なにより、己が剣の腕を読み間違えることはない。

 あの男の技量はガイウスに勝るとも劣らず、そして、自分と同じ――アセビの言を借りれば同門の武だった。紛うことなきサムライの剣だ。

 これら全ての事由があの男が武神――黒神であることを証明している。

 ……証明しているのだが、アセビ曰く黒神は女性だという。

 そこに齟齬がある。


「確かにおかしいのだ。アレは紛うことなき剣士だった。魔法が使えるようではなかった。

 無論、魔術士の神だからといって魔法が使えなければならないと言う訳ではないが……」

「いえ、黒神さまは魔法を使える筈です。契約を通じてわたしはその御力を感じます」


 その一点だけはソフィアは断言した。己が感性を疑ってはウィザードは生きていけない。

 とはいえ、カイ達に武神について詳しい知識がある訳ではない。

 歴史の生き証人であるネロから情報を得て尚、知識は不足している。


 武神はガイウスを含めるとしても歴史上四人しかいないとされている。

 五色の神の内、緑神と青神は元は自然そのものであったとされ、武神という段階を経ずに神として存在しているという。

 逆に、現在確認されている武神の内の三人、すなわち赤神、白神、黒神は神代というべき遥か過去の人物であるが、人間であった頃の記録がいくつかの詩と教会に伝わる伝説に残っている。


 とはいえ、白神の元になった人物に治癒術式を手解きしたネロですら、武神になるには“苦悩と試練”を必要とすることしかわからないという。

 このご時世、苦悩も試練も掃いて捨てるほどある。

 端的に言って、打つ手がない。現状はヴァネッサの解読待ちの状態である。


「なら、黒神とはいったい――」


 その時、カイの心臓がどくんと不吉な鼓動を鳴らした。


 表情が凍る。背筋を嫌な汗が流れる。数瞬、呼吸も止まっていた。

 傍で見ていたソフィアが怪訝な表情でカイの肩に触れる。


「カイ、どうかしましたか?」

「いや、久しぶりに眠ったから感覚が戸惑っているだけだ。

 ……黒神についてはひとまず置く。これ以上は何を言っても憶測にしかならん」


 何気ない仕草でソフィアの手から逃れつつ、カイは動揺する心を隠した。


 今まで目を逸らしてきた。考えないようにしてきた。

 個々人の持つ魔力はその魂より発せられる命の証明だ。

 魔力のない生命は存在しない。

 ならば、魔力の全てを呪術に喰われている己はいつまで生きていられるのか。


 今まで眠ることのなかった――呪術を受けてからの二年間、気絶した時ですら一瞬たりとも身体制御を手放さなかった為に気付かなかった。

 日々強まっていく呪い。気を緩めれば心臓が止まる所まで悪化している。


 この体の限界はきっと遠くない。



 ◇



 馬車に揺られること二刻、一行は久しぶりにルベリア学園に戻ってきた。

 暗黒地帯へ向かい、そのまま遺跡調査に加わったことで、結局、一月以上学園から離れていたことになる。

 とはいえ、学園も増加の一途を辿る魔物討伐依頼を消化する為、講義を一時停止して学生と教官を動員しているという。

 冒険者の機動力と国軍に次ぐ統率力を持つ学園はとにかく数をこなすという場面に強い。

 あるいは、ローザはこうなることを予見して現在の学園を創設したのかもしれない。


「妙に騒がしいな?」


 白薔薇の正門を越えたあたりでカイが眉を顰めた。

 学園内、特に商店街のあたりに歓声と熱気がある。

 常とは異なる熱気だ。依頼をこなす時の殺気だった雰囲気ではないように感じる。


「お祭りのようですね」


 慌ただしく通り過ぎる人々の心の表層を読み取ったソフィアが告げる。


「祭り? こんな時期にか?」

「こんな時期だからこそだろう。不安にばかり思っていても仕方あるまい。

 戦うのは俺達の仕事。民達が心穏やかに過ごせるならば、それでいい」


 首を傾げるカイとは対照的にクルスはどこか安堵する気持ちがあった。

 なまじ学園には情報が集まるので不安になり、気を揉む者も多いだろう。


「あー、それに、ここ最近の依頼の増加の件もあるわ」

「それの何が問題なのか?」

「学園側は仲介料で儲け過ぎて貨幣が溜まりに溜まってるから、それを放出しないといけないのよ」

「成程、学園規模で祭りを開くなら商人ギルドに手配を頼むだろうしな」


 同時に、商人ギルドならば手元で貨幣を死蔵することなどしない。

 銭は回すもの、というのが彼らの理念である。


 そうして、一行は祭りに騒ぐ学生たちを横目に馬と馬車を厩舎に預け、そこで待っていた懐かしい人物に再会した。


「師匠!!」

「ミハエル、先に着いていたか」


 明るい茶色の髪を揺らして元気に駆け寄ってきた少年はミハエル・L・ディメテル。

 クルスとソフィアの遠縁であり、カイの弟子でもある。

 先日十一歳を迎え、成長期に入ったのか、以前より背が伸びている。


「暫く見ないうちに大きくなったな」

「うん、そのうち師匠だって抜いてみせるよ!!」

「……祖父(オーヴィル)をみる限り可能性はありそうだ」

「でしょ!! 最近は膝が痛くてしょうがないんだ」


 そう言って溌剌と笑う弟子を小突きつつ、一行は一足先に学園に戻っているヴァネッサの下へと向かった。


 カイは道すがらミハエルに暗黒地帯に向かってからの顛末を説明する。

 ミハエルは聞き手に徹しつつ、驚くやら呆れるやら顔色を白黒させながら一通りを聞き終えて、ぽつりと零した。


「……僕くらいの女の子が戦争に駆り出されてたんだ」


 それは優しさであると同時に私情である。

 脳裡には幼い恋人の姿を思い浮かべているのだろう。

 少年の表情には僅かに苦いものが混じっている。


 ソフィアが視た限り、霊人(アスラ)となった者は成長が停止する。

 アセビが千年以上もあの場所に留まっていられたのもそのためだ。

 自然の摂理に反する眷族を生み出さねばならなかった辺りに、古の戦争の悲惨さが表れている。


「……そういう時代だったとしか言えないな」

「もしかしたら、これからそうなるかもしれないわね」


 イリスの呟きは誰も否定できない予測であった。

 魔物の増加、戦乱の導の蠢動、魔神の復活。

 その時が訪れるのはそう遠くではない。

 誰もがそれを理解していた。



 ◇



「石碑の解読結果が出た」


 一行が研究室を訪れて、開口一番にヴァネッサは告げた。

 部屋の中には淀んだ空気が漂い、ハーフエルフの目の下には濃いクマが浮かび、そこら中の床に研究員が転がっている。

 不眠不休で解読を進めたのだろう。

 クルス達は黙って先を促すと、ヴァネッサは震えを堪えるように大きく息吸って、口開いた。



「結論から言う。


 ――魔神が復活した時、この大陸は沈み、全ての生物は滅びる


 少なくとも、千二百年前、黒神はそう予測して、だから、戦った」



 淡々と告げられた言葉に、一行は無意識に息を呑んでいた。


「……」


 カイは秘かに奥歯を噛み締める。

 魔神、魔物の神を謳うのならその程度はやってみせるだろうという予測はあった。死の荒野と化した暗黒地帯もこの目で見ている。

 テスラはそのようなことは言っていなかったが、そのことにも驚きはなかった。

 騙されたとも思わなかった。心のどこかで理解していたからだ。

 大陸全てだろうと、あるいはそれ以上を犠牲にしようと、テスラにとっては許容できる犠牲なのだ。

 魂の果てに行き着いてしまった者にとって他者とは塵芥程の価値もない。

 位階の違いは象と蟻の違いを生む。象に蟻を踏まずに生きよ、というのは酷であろう。


 だが、その結果として象が無数の蟻に纏わりつかれ、噛み殺されたとしても、それは自然の摂理だ。

 これはそういう話なのだ。


「各国、ギルド連盟には既に報告している。あなた達にも追って依頼が下ると思う」

「……黒国の王墓については何かわかりましたか?」


 悼むように目を閉じたカイに代わり、クルスが尋ねる。

 魔神によって齎される被害も今は置く。やるべきことに変わりはないからだ。


 クルス達にはアセビとの約束がある。王の墓前に彼女の忠義を伝えると。

 加えて言えば、王の墓には魔神の目撃者がいる可能性がある。アスラは下命を果たすまで消えることはないからだ。

 尤も、魂を喰らうという魔神の前では不老たる性質もどれだけ働いたかは怪しいものではあるのだが。


「……詳しい場所は分からない、今でもちゃんと残っているかどうかも。

 でも、有力な情報。学園が捜索隊を組んでくれると思う」

「まあ、遺跡の発見は専門家に任せた方がいいわよね」


 仕方がないと、イリスは肩を竦めた。

 アルカンシェルの専門はあくまで戦闘だ。どこにあるかもわからない遺跡を見つけるために暗黒地帯を探索するというのも、できないではないだろうが、もっと効率的に行える人材が確実にいる。


「それから、これを」


 ヴァネッサはふらつきながらカイの前に立って懐から小さな宝玉を取り出した。

 魔力結晶を精錬して作ったと思しき白色の魔道具。

 黒い魔力結晶の研究成果、カイにかけられた呪術の分析、レムディースの大図書館で閲覧した禁書、砂漠の遺跡に残された情報、それらを解析した成果がこの宝玉だ。


“封呪の宝玉”(ナルエスペル)と名付けた。呪術の進行を抑える効果がある。

 内部に魔力を溜めることが出来るから仲間の誰かに定期的に溜めてもらって」

「ん? 定期的に、溜める?」


 ヴァネッサが何気なく告げた言葉にイリスがこてんと首を傾げた。


「外部から何度も魔力を溜められるって……それ大発明じゃないですか!?」


 次いで、一行の中で最も魔導発明に詳しいミハエルが驚愕の叫びをあげた。


 魔力を溜める機構というのは昔から研究されていたが、手詰まりだった分野でもある。

 魔力結晶が同様の性質を持つ為に設計自体は容易であった。

 しかし、加工した魔力結晶は内部に溜めた魔力を解放すると消滅してしまう。逆に魔力を通すように加工すると今度は内部に魔力を溜められなくなる。

 故に、今まで魔力結晶の利用方法は点か線かの二択だけであった。

 例を挙げれば、使い捨ての魔道具は前者、杖や魔法の触媒は後者である。


「す、すごい。これがあれば時代が変わるよ!!」

「落ち着け、ミハエル」


 年相応にはしゃぐミハエルをカイは苦笑しつつも抑えた。


「大丈夫。呪術を抑える術式しか作れないから……まだ」


 ヴァネッサもひと仕事をやりきった達成感に小さく笑みを浮かべていたが、次に瞬間にはいつもの無表情に戻った。


「……けれど、現に呪術を起こしてしまったら許容量を超えると思う。

 貴重な素材を使ったから一個しかない。気を付けて」

「了解した」


 カイは受け取った宝玉を胸にかける。

 宝玉は仄かな輝きと共に侍の胸部に刻まれた封印刻印と同調する。

 僅かに鼓動が安定した気がする。

 現状では気休めでしかないかもしれないが、あるとないとでは精神的にも大きな違いがある。


「……これ、僕も聞いてよかったの? なんだか凄い場面に遭遇しちゃった気がするんだけど」

「学園ではよくあることだ。それに、お前もアルカンシェルの一員だからな」


 冷静さを取り戻したミハエルの肩をクルスは軽く叩いた。

 実際、アルベドが狙うなら自衛力の面からみてミハエルかソフィアだろうと騎士は予想していた。

 そのため、ソフィアがひとりで出歩くことはないし、ミハエルにも信頼できる護衛をつけさせている。


「こっちの用事はこれで終わり。カイ・イズルハは何かあったら来て」


 言うべき事を言い切った所で限界だったのか、ヴァネッサはふらふらと奥の仮眠室に消えた。

 クルス達はその背にもう一度頭を下げて研究室を後にした。


 一歩外に出れば、祭りの熱気が肌を叩く。

 騒がしいほどの歓喜の熱に、一行は誰にともなく安堵の息を吐いた。


「それじゃしばらくは自由行動ね。夜に集合しましょう」

「……俺は少し出る。ソフィア、付き合ってくれ」

「はい!!」


 カイの言葉にソフィアが元気良く返事を返す。

 今度は事前に言っていたらしく、少女の顔に驚きはなかった。


「じゃあ、僕も――」

「ミハエル、ちょっといいかしら?」

「し、師匠とソフィアお姉ちゃんの邪魔はしないよ、イリスお姉ちゃん」

「そうじゃないわ。相談したいことがあるの。えっと、クルス?」


 イリスは僅かに苦笑しつつ、難しい顔で佇んでいるクルスに視線を向けた。

 堅物騎士にしてみれば先程の話を聞いて素直に休日を楽しむ気にはなれないだろうとの気遣いであった。


「アンタも来る?」

「……いや、俺も少し出る。学園内にはいるから何かあれば風声で呼んでくれ」

「そう、あまり気負っちゃだめよ?」

「大丈夫だ。答えは出す」

「それが気負ってるって言うのよ」


 イリスは肩を竦めつつ、雑踏の中に消えていくクルスを見送った。

 状況は刻々と変わっている。一切合財を巻き込む戦乱がすぐそこまでやってきている。

 悩めるのはきっと今だけなのだ。



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