10話:野営地にて
魔物の襲撃を乗り切り、血の臭いから逃れるように移動を再開してからさらに一刻が経った。
周囲は既に夜闇に染まっており、一行はひとまず野営の準備に入る。街道から少し外れた小川の近くに馬車を円状に配置し、壁にすることで夜風を凌ぐ。
その中央に焚火を熾し、馬に水と食事を与えて休ませ、いくつかテントを建てる。交代で夜警に出る上、馬車の中でも半数は寝られるので数は少なめだ。
「んー。後ろから来たってことはどっかの森に居たのが釣られてきたのかな?」
「かもしれないですね」
野営準備とは別に、イリスはアイゼンブルートのレンジャーたちと共に周囲の警戒と魔物除けの罠や鳴子などの警報装置を張り巡らせていた。
視界の遮られる夜間ではこういった装置による補助が重要だ。当然、設置の際には魔物がどこから来るのかが問題になる。
普通に考えれば、魔物は暗黒地帯のある北から来る確率が最も高い。
だが、今日の襲撃は別方向からあった。方角で言えばほぼ南に当たる。地図を見ればそちらにはいくつか森が点在しているのが見てとれる。
そこに魔物側の斥候が潜んでいた、あるいは迂回してきた、ということだろうか。
少なくともリノセロスが暗黒地帯に近い場所でなければ遭遇することのない強さの魔物であることは確かだ。
「うーん……なんかいいように使われてる気がするわねー」
それらを鑑みるに、魔物側の斥候を釣るという赤国のギルド連盟支部長の策は成功しているとみるべきだろう。しかし、輸送と護衛と斥候排除に加えて商人の監査までやらせるというのはどうなのだろうか。
糸で吊った鳴子を木々の間に渡しながら、一回頭の中見てみたいわねーとイリスがぼやく。
向こうで同様の作業をしていたレンジャーの女性からいろんな意味でびっくりしますよ、と返されて少し反応に困った。
ひとまず苦笑を返しておく。
考えてみればアイゼンブルートはギルド連盟から直接依頼を受けているのだ。実際に支部長クラスに会ったこともあるのだろう。
「赤国支部長ってそんなに凄い人なの?」
「そうですね。隊長やユキカゼ副隊長は“怖い人”だって言っていました。私もそう思います」
「……へえ、怖い、ねえ」
強いでなく怖い。邪推したくなる表現だ。
何故だかその内会ってしまうような気がしたが、まだギルド結成からひと月しか経っていないのにそんなことはないだろうと、イリスはその予感を頭の隅に追いやった。
◇
その後、さっさと馬車に引っ込んだ商人達とは別に、両ギルドは焚火を囲んでパンとスープだけの味気ないが暖かい食事を済まし、夜警の順番を決めて解散となった。
基本的に女性陣は馬車内、男性陣はテントで休むようになっている。
ギルド内で共同生活を行っている以上、互いの裸に驚くような時期はとうに過ぎている。依頼中に男女別に着替える余裕がないことも多い。
だが、それでも装備を緩め、睡眠と言う最も無防備な状態にある女性を外に寝かすのは風紀上よろしくない。
特に今回はギルド合同だ。相手のギルドの異性といきずりの関係に持ち込もうとする者もいない訳ではないだろう。激しい戦闘の後で気が昂っている者もいる。
アンジールは夜警の順番と組み合わせにかなり頭を捻った。
そうして割り振りも決まって多くが寝静まった夜半、クルスは焚火に当たりながら今日の戦闘を思い返していた。
復習は日課と言ってもよく、やらずに寝ようとしても気になって眠れないのだ。青年の頑張り過ぎの一面である。
ギルドの他のメンバーは皆既に就寝している。
夜警の順番の済んだイリスはソフィアと共に向こうの馬車内で休んでおり、その馬車の車輪に寄り掛かるようにして刀を抱いたカイが座って目を閉じている。
侍は本当に横になる気はないようだ。それどころか休みながら“瞑想”も行っていた。カイならば寝ながら訓練できても不思議ではないが、それで本当に休めているのかは甚だ疑問だ。
どのような半生を送って来たのかは詳しく聞いていないが、自分達と居る時くらい、もう少し気を抜いて貰いたいとクルスは思う。
他のメンバーが聞いていたらお前が言うなと突っ込まれることを騎士は自覚していない。
「よ、お疲れさん」
「ああ、そちらも」
復習も一段落し、しばらく物思いに耽っていると、アンジールと斧を背負った青年がやってきた。どうやら夜間警戒の帰りのようだ。交代は既にしているらしく、体を暖めてから寝床に就くのだろう。
「どっこらっしょと。……あー、今日は大変だったな」
「ああ。遭遇戦だったが被害が軽微で済んだのは幸いだ」
「ソフィア嬢の治癒も助かった。ウチの奴も礼を言ってたぜ」
「こちらも助けられている。お互い様だ」
斜向かいに座り頭を下げるアンジールにつられてクルスも頭を下げた。
向こうから小さく息を呑む気配がした。貴族が普通に頭を下げたことにアンジール達は驚くが、こういう奴も居るのかと納得して戸惑いを消した。
「どうかしたか?」
「いや、何でもない。……クルス、お前からみて今日の戦闘はどうだった?」
「そうだな……やはりファイターが多いというのが新鮮だったな」
「お、そうかい?」
アルカンシェルには居ないファイターだが、冒険者全体で見れば最も契約者の多いクラスだ。それはファイターの“なり易さ”と汎用性の高さにある。
同じ前衛でも全身鎧と盾を持つことがほぼ必須なナイトや、スキル云々前に『刀気解放』に対応している希少な武器を用意しなければならないサムライと比べて、ファイターには装備への縛りがない。
武器も剣や斧、槍から、鎖付き鉄球、変則的ながら弓にまで対応している。全ての武器を扱えると謳われる赤神の加護の神髄である。
また、防具も同様に、モンクの道衣やクレリックのローブのような制限はない。完全に本人の自由だ。
その間口の広さによって、迷うならばファイターになっておこうといった風潮が冒険者にはあるのだ。
それは間違いではない。
ファイターにはナイトやサムライのような技に当たる技能はない。剣と弓に共通する技などないからだ。
代わりに基本四種と呼ばれる自己強化技能で己を高め、あらゆる場面に対応するのだ。
敏捷を強化する早駆け
筋力を強化する豪力
防御とスタミナを強化する強靭
投擲能力と集中力を高める貫通
誰でも持っているような僅かな魔力でこれらの術式は発動できる。
習得難度は低いのでファイターならば四種とも確実に、別クラスでも一、二種は覚えられる。無論、込める魔力を増やしたり、効率を上げたりすることも可能だ。
高位のファイターの豪力による攻撃力はサムライに迫り、強靭による防御力はナイトに比肩しうる。
そして、自由度が高いということは個性を際立たせることが可能であると同時に、“他者に合わせる”、いわゆる平均化も可能だということだ。
集団戦闘を旨とする軍の前衛においてファイターが最も歓迎されるのはその為だ。
今日の戦闘においてもアイゼンブルートは互いに連携し、効率よく魔物を仕留めていた。
技能の効果時間が短いことすら臨機応変に切り替えられる長所にしていた。
アイゼンブルートはギルドであると同時に、軍に入る前の訓練機関となっているのだ。
「そっちもよくやってくれた。四人とも個人戦力では学園でも指折りだろう」
「カイに比べれば俺はまだまだ未熟だ」
「比較対象がアレだと思うがな……」
アンジールが視線を座るカイのいる方に投げかける。視線に反応したのか、侍の刀を抱く指がピクリと動いた。
青年は何も言わず視線をクルスに戻した。
「……ガンバレ」
「ああ、善処する」
「おう……じゃなくて!! 不朽銀の騎士だって居るだけで安心感があるぜ。自信持てよ」
「そう言って貰えると励みになるな」
「けど、ミスリルなんてそうそうねえよな。実家から持って来たやつかい? お貴族サマだもんな」
戦闘後で気が昂っているのか、斧を持った青年が口を滑らせた。一瞬しまったという顔をしたが訂正する気はないようだ。
貴族も千差万別だ。良君もいるし暗君もいる。青年にとっては暗君なのだろう。
いきなりの暴言にアンジールの顔が険しくなり、俄かに怒気を発する。
「おい、その言い草はなんだ。依頼中だぞ」
「構わない、アンジール。貴族とはそういうものだ」
「いや、そうは言うがな……」
「それに彼の言うことも尤もだ。俺は実家から武器と防具一式を持ち込んで入学した。楽をしたというのは確かだ」
「……んだよ。やっぱり――」
「ただ、持ち込んだアイアン一式は半年で使い切ってしまった。これはギルドを組む前に遺跡探索で見つけたミスリル塊を打って貰ったものだ」
「……は?」
嫌味を言っていた青年だけでなくアンジールも揃って口をポカンと開けている。
アイアン一式は、国軍でも採用されている騎士や戦士の制式装備でもある鍛鉄製の全身鎧だ。アイゼンブルート内にも愛用者がいる。値段の割に軽くて丈夫なのをウリにしている。
鎧というのは部位毎に交換できる為に長持ちしやすいが、それでも耐久寿命はある。
消耗の激しい関節部や内部のクロースアーマーをどれだけ代えても、いつかは新調した方が安くつく日が来る。
目の前の青年は半年でそうなったと言うのだ。
「どんな無茶をしたんだよ……」
「ナイトなら大なり小なりそういうものだと思うが?」
攻撃を引き付ければそれだけダメージを受ける率が上がるのは自明の理だ。ナイトにとって盾も鎧もダメージを肩代わりしてくれる大事な『消耗品』だろう。
「ウチのナイトは二年同じ鎧を使ってるぜ」
「ふむ、では俺の未熟だろうな。確かにこの鎧は半年以上持っている。このペースなら一年は持つだろう」
「不朽銀が一年ってどんだけハードなんだよ……」
呆れたようにファイターが溜息をつく。いきり立っていた自分がちっぽけに思えてきたのだ。
冷静に考えれば目の前の騎士が自分よりも高位であることにも気付けた。
貴族だからといっても位階は誤魔化せない。それは、位階で劣る自分以上の鍛錬や死線を乗り越えてきたということに他ならないのだ。
今日の戦闘もマグレなどではなかったのだ。
そんなこっちの気を知ってか知らずか、貴族である以上に騎士である青年は何か苦い顔をして口を開く。
「いや、不朽銀とて無敵ではない。実際、カイはこの間、不朽銀の篭手を叩き切ったと言っていた」
「……三週間程前にどっかの学生貴族の私兵が軒並み両腕骨折で施療院に運ばれたって聞いたが、まさかな……」
「オレも聞いたな、それ。本人はロードの癖に小便ちびって気絶したんだろ」
「あいつ等そこまでしたのか!?」
アンジールの補足に今度はクルスが驚いた。ちょっかいかけられたから、少し痛めつけて脅しつけておいたとしか聞いていなかったのだ。
「マジでそれなのか!! すげえ、ちょっと聞いてくるわ!!」
青年が喜び勇んで走って行った。目の前の騎士は見直しても、貴族全体はそうという訳にはいかないのだろう。
走り去っていく背に溜息をつきながらアンジールは再び頭を下げた。
「すまねえ。教育がなってなかった」
「いや、本当にいいのだ。腹に溜めておかれるより、よほど気が楽だ」
こちらには読心のできるソフィアも居るのだ。何らかの形で解消できたのなら言うことはない。
それに自分とていつかは家を継ぐのだ。そういった負の感情にも相対しなければならない日が来るだろう。
「こっちの状況も“悪くない”。その調子で明日も頼む」
「……ああ、勿論だ」
何があっても、誰であっても護りきってみせる。
声に出さずクルスはそう誓った。