15話:砂漠の残影
転移術式特有の浮遊感を抜け、暗闇の中に跳ばされたカイはまず腕の中にソフィアがいることを五感で確認した。
次いで、少女が暗視術式を紡いだことで、暗闇に沈む遺跡地下の姿がぼんやりと浮かび上がってきた。
「これは……教会というよりも砦だな」
思わず、感嘆の息を吐いた。
暗い視界に映ったのは、地下の岩盤をそのまま利用した緩く湾曲した防壁と深い堀、軍団の整列場所と思しき広場、そして防壁という殻に守られるようにして縦の楕円を描く教会。
喩えるなら、巨大な岩の卵。
教会というにはあまりに物々しい造りをしていることから、籠城戦も想定した防衛施設であることが窺える。
(要塞としての役割が主だったのか?)
カイは訝しみつつ、感覚を開いて周囲を探る。
当然というべきか、人の気配はない。
地下深くに建てられたこの場所には上層部の転移装置からしか来られないのだろう。
「ソフィア、カイ!! ふたりとも無事か!?」
その時、半ば予想通り、背後に唐突に声と気配が生じた。
目を向けずともわかる。クルスとイリスだ。
「大丈夫だ」
「突然転移したからビックリしたわよ」
「すみません」
謝りつつ、ソフィアが二人にも同じように暗視の術式をかけると、目の前に悠然と鎮座する巨大施設に二人は揃って驚きの声をあげた。
「これはまた随分とおっきいわね」
「千年前には地下深くにこれ程の建造物を作る技術があったのか……」
「どうする、クルス? 研究ギルドを待つのか?」
カイの問いに、暗闇の中でクルスはかぶりを振った。
「何があるか分からない。まずは俺達だけで探索し、安全を確保する。
ヴァネッサ教官にも許可を得ている」
「それじゃ、久しぶりに遺跡探索と洒落込みましょうか」
「はい!!」
イリスとソフィアが好奇心に目を輝かせる中、一行は濠と防壁を超え、教会内部へと足を踏み入れた。
砦のようだと感じたカイの第一印象は間違っていなかった。
教会内部はいくつかの大部屋と寝泊用の無数の小部屋を広い通路でつないで構成されており、規律された集団生活を連想させる。
壁や天井には装飾の類は見られず、ひたすら無機質で機能的な土色の壁と通路が続き、いくつもの長大な円柱が天井を頑強に支え、質実剛健といった造り手の気風があらわれている。
壁には継ぎ目がなく――地下深くという場所を考えれば他に方法はないのだが――この施設が魔法で造られたのがわかる。
「……どうやら、かなり突貫で造ったみたいね」
「わかるのか?」
使用された形跡がみられない内部に警戒を滲ませつつクルスが問いを返す。
壁の材質を調べていたイリスが「たぶんね」と前置きして推論を告げた。
「本来はこの土色の壁の上に耐腐食用の塗料を塗るの。地中なら材料が足りないことはないでしょう?」
「たしかに。防衛用にしては罠や防犯設備の類もみられないしな」
「地下の密閉空間なのに呼吸はできるし、造りかけって訳じゃないと思うけど……」
殺風景な通路を歩きながら二人は頭を悩ませた。
此処が防衛施設なら警戒装置のひとつでも設置してしかるべきであろう。
しかし、教会内部は罠や魔物はおろか、襲撃への備えというものが欠片もみられない。
一方で、此処は岩盤の中にあるというのに大気があり、埃や虫などはみられず、寒々しいほどの清潔感がある。
自然にこうなることはない。何かしらの対策が施されているがとみるべきだ。
「どうにもチグハグね。ソフィアは何か分かった?」
疑問に答えは出ず、イリスは傍らでこの地下教会を精査しているソフィアに水を向けた。
「……おそらくですが、この施設はひとりの手で、ひとつの魔法でつくられたものだと考えられます」
「この規模と精度をひとりで? 魔術士の契約神のお国柄かしらね」
「いえ、施設に残る魔力の感じからしてかなり無理をしたようです。
おそらく、本来は複数人で発動する魔法を単独で行使したのでしょう」
複数人で詠唱する魔法を単独で行使することは不可能ではない。
現にソフィアも一部の二重詠唱をひとりで行使することが出来る。
「成程ね。それで所々が杜撰なつくりになってるのね」
とはいえ、この施設を造る魔法をソフィアが出来るかといえば首を横に振らねばならないだろう。
たとえ、ソフィアと同等のウィザードが複数人でいたとしてもだ。
たしかに、ソフィアの能力ならば、地下深くに空間を作り、この施設と同じ大きさの岩山を建てることはできる。少し無理すれば建物のような形にすることもできるだろう。
しかし、そこにさらに防塵機能や転移術式まで仕込むのは不可能に近い。
錬金術士ならそういった設備を追加することが出来るが、それは完全に此方側の世界に固定された物質を加工するからだ。
この地下教会にはそのように後から手を加えられた様子はない。全て魔法で一体的に形成されている。
それは喩えるなら、落ちてくる隕石に文字を書き込むような作業だ。
そこまで精密な指定をするには人間の感応力では到底足りないし、そんな細かい指定が出来るほど長く向こう側――元素の世界への接続を保つことも出来ない。
そんなことができるのは最早、此方側――物質の世界の存在ではない。
(おそらく、霊人というのは――)
「ソフィア、そろそろ先に行くぞ」
「あ、はい!!」
ある種の予感を胸にソフィアはクルス達の後を追いかけた。
◇
その後も探索は淡々と進み、一行は各部屋の探索を終えて最奥に到着した。
其処には暗闇の中でも荘厳さを失っていない礼拝堂と思しき空間が広がっている。
ちょっとした広場ほどある床と奥の祭壇には黒神の御座を示す“凍りついた炎”の紋章が刻まれている。
現在の五柱を纏めて祀っている教会では見られない古い形式のものだ。
喪われた紋様の刻まれた祈りの場と祭壇。
大陸辺境の地下深くにありながら、この場所は今は亡き黒国を偲ぶ雰囲気を湛えている。
「……何もないみたいね?」
「待ってください。なにか気配が――」
首をかしげつつ礼拝堂に足を踏み入れようとしたイリスをソフィアが止める。
その視線は礼拝堂の奥の闇に注がれている。
そして――
『匪賊が何用だ? 此処は黒神様へ祈る神聖なる場である。疾く去ね』
どこからか響いた声と共に闇の中に黒い炎が灯った。
一行が警戒態勢に入る中、炎は少しずつ勢いを増していき、徐々に手足を形作っていく。
『拙は黒神ケリオスに従いし非天の霊人、賜りし名はアセビ。
もう一度だけ警告する。神に背きし者どもよ、疾く去ね!!』
そして、黒炎は完全な人型となった。
小太刀を手に、全身を黒装束で、顔を無地の仮面で隠した小柄な影。
僅かにかすれた影にして炎なるその姿こそ、肉体を捨て魂だけの存在となった黒神の眷族、霊人である。
「誤解です。我々はこの場所の調査に来ただけ。この場の静謐を乱すつもりはありません」
『偽りを申すな!! ならば何故、悪神の匂いがするのだ!?』
「悪神? 一体なにを――」
『我らが神と、我らが王がその身を犠牲に封印した呪いが何故、表に出ている!?』
「呪い? ……まさか」
全員の視線がカイに向く。
視線を受けて、カイは悔いるような表情で目を閉じた。
「すまない。当時の黒国といえば古代種との戦争の最前線。
その生き残りならば、こうなることも考えておくべきだった」
『もしや封印に失敗したのか!?
否、否!! 王は天命を果たされた。なれば、腐れ古代種共の仕業か!!』
狂乱するアセビの影が色濃くなる。その身を帯状の魔力が覆っていく。
アセビがこの千二百年をどのように生きたかは不明だが、それだけの時を過ごせば魔力の質が変容するには十分であろう。
「あー、凄い勢いで話が通じないわね」
「魂が暴走しているようです。
霊人は肉体を持たない眷族のようですが……」
「肉体のない剥き出しの精神体だから、感情の激発がそのまま暴走に繋がっちゃうのね。肉体を捨てるのも善し悪しね」
「……ひとまず、止める」
カイは暴走するアセビに向けて一歩踏み出した。
「カイ?」
「尻ぬぐいは自分でする
それに、あれは俺達の源流だ。挑んでみたくもある」
アセビの持つ刀は反りのない直刀、旧い造りだ。
薄口で、柄、鍔、刀身が一体成型されているのが見て取れる。
刀身の長さはアセビの肩先から手首辺りまで、主兵装としてはやや短い印象を受ける。
だが、アセビの構えを見てカイは理解した。
膝を深く撓め、地に伏せるような突撃姿勢。
柄を噛むかの如く逆手で口元に寄せた直刀は狼牙に似る。
(おそらくは剣林弾雨を掻い潜って踏み込む為の構え。成程、まさしく源流だ)
構えを見れば戦法もわかる。
不退転の構え。背に魔術士を守るが故に、前に進むことしか許されない原初の侍の姿。
死と戦いの神である黒神の眷族にふさわしい姿であろう。
秘匿技術“雷切”が対古代種の為に生み出されたように、サムライの本分は彼らが戦乱の中で作り上げたものといっても過言ではないのだ。
知らず、カイの口元が闘争の笑みに歪んだ。
人類の歴史上、最も長く、最も凄惨な戦いを駆け抜けた剣と相対しているのだ。
一人の剣士としてこれほど心躍る戦いもない。
カイはゆっくりと腰のガーベラを抜いた。
とるべき構えは正眼以外にない。剣線を外せば即座に此方の頸を食い千切りに来る。
視ればわかる。相手は自分と同じく速度と必殺に特化した攻性存在。
互いの攻撃力を考えれば防御力はないに等しく、長々と続ければ二人とも死ぬ。
彼我の距離は僅かに十歩。サムライ同士では一瞬の間だ。
(命に届く前に、一撃で意識を刈り取る)
そう心を決めた直後、アセビが突撃を開始した。
此方の隙のない構えを前にしても、一切の後退の螺子を外している。
暗闇の中、闇よりもさらに昏い黒炎が奔る。
速い。ただひたすらに速い。カイに勝るとも劣らない速度だ。
だが、小太刀を逆手に構えたアセビに対し、ガーベラを正眼に構えたカイの方が遥かに間合いを広く取っている。
その差を衝かない理由はない。
自己の間合いに踏み込まれると同時、カイは猛然とガーベラを斬り下ろした。
応じるように、アセビも地面を這うような姿勢のまま牙を持ち上げる。
激突――の音は響かなかった。
(軽い? ――ッ!?)
羽毛を斬ったような手応えにカイは反射的に剣を戻す。
見れば、アセビは直刀から手を離し、鍔迫り合いの下を潜るようにして左の貫手を放っていた。
(この鉄火場で無手術、狙いは心臓、踏み込みが深い、避けきれない)
戦闘本能が咆える。思考と反射が同時に答えを出す。
カイは咄嗟に右の肘と膝を上下に撃ち込み、貫手を挟むようにして食い止めた。
アスラの体を構成する黒炎に温度はなく、ぞっとするような冷たい感触だけがある。
『――ッ!? まだだ!!』
直刀が床に落ちる。
寸前、アセビの足袋を履いた足が小太刀を掴み逆袈裟に斬りあげた。
剣を囮にしての無手術。無手からの剣戟への流れるような移行。
明らかに戦場で鍛えられた乱戦武術。
培われた戦闘経験はおそらくカイよりも遥かに多い。
だが、カイとてそう簡単に負けはしない。
貫手を止める為にかち上げたその右足は既に踏みこみに転化されている。
流儀“無間絶影”
至近距離から二段階加速したその身は地面に焼け焦げた轍を残しつつ、互いが密着する程に深く踏み込む。
アセビは反射的に膝を曲げて斬脚の軌道を内に曲げるが、遅い。
カイは迫る斬撃に背中を見せるように体を捻り、腰を落とすことで体重を打撃力に変換。
生まれた威力を肩、肘、手首を通じて伝導させ、目の前の仮面に威力の終点たるガーベラの柄頭を勢いよく叩き込む。
鋭く短い打撃音が響く。
衝撃が向こう側に抜ける打徹の感触に会心の手応えを確信する。
アセビは吹き飛ぶことすら許されず、一点に収束した一撃が過たずその意識を刈り取った。
五分ほどしてアセビはがばりと起き上がった。
反射的に罅の入った仮面に手をやり、暫くして、小さく息を吐いた。
『……剣ごと叩き斬るつもりだったのだがな』
「不朽銀と至高白銀を重ねた剣だ。そうそう断てるものではない」
カイは背の銀剣を見せる。銀剣を包む鉄鞘には一筋の斬線が走っている。
侍が一撃を加えた時、同時にアセビの斬脚も届いていた。
しかし、中途で軌道を変更した一刀では銀剣を断つことはできなかったのだ。
『不覚。拙もまだまだか』
「……落ち着いたか?」
『ああ、すまなかった。まさか呪いを受けても正気を保っている者がいるとは思いもよらなかったのだ。
汝の技は拙らと同じ武技であった。同門に随分と無礼な振舞いをした』
「気にするな。ひとまず事情を説明する」
そうして、一通りの説明を受けたアセビは思わず天を仰いだ。
「千二百年……拙らが御国を去ってからそんなに経っていたのか。
それに国自体がなくなったとは……ああ、王よ、黒神様よ――」
「……」
古代種やエルフといるとつい忘れてしまうが、千二百年前と言えば文字や語調も今とは細部が異なる。
アセビの古風とも思える語調も当時は一般的なものだったのかもしれない。
時の流れはこの暗い地の底にアセビを置き去りにしていったのだ。
『しかし、幸いなるかな。黒国の魔技と剣技、喪われてはおらなんだ』
「喪われるどころか海を渡って東方にまで伝播しているぞ」
『おお!! ウルハの同胞はやり遂げたのだな!!』
仮面に隠されてこそいるがアセビが心底喜んでいることは言葉の端々から伝わった。
時の経過を認識していなかったことからしても、アセビの精神年齢は低いのかもしれないとカイは考えた。
『うむ、うむ。事情は諒解した。拙が知っていることはお教えしよう』
「呪いと魔神……あなたの言う所の悪神について知りたいんだけど?」
『……拙ら王の供回りも詳しくは知らなんだ。古代種が利用していた神で、敵だ。
警告を残した石碑が上層階にあったであろう。あれに記した以上の事はわからぬ』
「あー、やっぱり解読待ちなのね」
がくりと肩を落とすイリスを見て、アセビは気まずげに罅の入った仮面を爪で掻いた。
問答無用で襲いかかった負い目もあるのだろう。
暫くの間、うんうんと唸りながら、アスラの戦士はなんとか記憶を引っ張り出した。
『拙は武官であるが、石碑の文は任された文章から一言一句違えておらん。内容については信頼してくれてかまわない。
……付け加えるなら、かの悪神は魂を喰らう。奴の生み出した赤眼に殺された者は魂を奪われる。同胞が霊人に変ずることができなかったことから判明したことだ』
「赤眼、統率個体の事かしら? あれって魔神が生み出していたのね」
「封印されている魔神が直接生み出しているとは考えにくい。
戦乱の導に何らかの技術があるとみるべきだ」
その時、それまで沈黙していたソフィアがおずおずと問いを紡いだ。
「では、“神の封印”については何かご存知ではありませんか?」
『……拙らは“封印”となる黒神様と王を手助けする為、各地に神殿を建立した。
当時、封印が何であるかを詳しく聞く時間もなく国を去らねばならなかったのだ。
その後、御二方が、如何にして封印となったかは見ておらなんだ』
「……そうですか」
我知らず、ソフィアはしゅんと項垂れていた。
自分が選ばれた理由でも、封印の機構でもいい。
何か納得できる理由があればと、無意識の内に望んでいたのだ。
『すまない』
「いえ、アセビさんのせいではありません」
「……とにかく、千二百年前、黒神こそが魔神の封印という法を作り上げたのね」
(あるいは、それが黒神の没落の原因か)
神ならば、神を抑える法も作れるだろうとクルスは思考する。
だが、古代種曰く、魔神はこの世界の神ではないという。ならば、元は世界になかったものを封印する代償とは如何ほどのものか。
そして、何故、アセビたちは初代の封印が行われる前に、各地に教会を建てるという方法を実行していたのか。
(認識のズレだな。どうにもアセビ殿の言は随分と黒神が近くにいたように感じさせる)
「アセビ、ひとつ問いたい」
クルスの心中の疑問に呼応するようにカイが問いを発した。
男の気配にはどこか張り詰めた、あるいは緊張感のようなものがある。
「黒神は男か?」
『いいや、女性であらせられるよ』
「……やはり、そうか」
「黒神に直にお会いしたことがあるのか!?」
納得したように頷くカイとは対照的に、クルスは驚愕の表情を浮かべていた。
神の御姿を視たことのある者がこの大陸にいるとは思ってもいなかったのだ。
『ああ、いや、汝らとて契約の際に……む、そろそろ限界のようだ』
「え、アセビ……さん?」
『すまぬ。先の無礼を灌ぐ意味でも、汝らの手助けをしたいのだが……』
見れば、悔いるようにぼやくアセビの体が徐々に薄れている。
アスラは黒神の“力ある言葉”によって魂の散逸を拒絶した存在である。
同時に、命じられたことを成し遂げれば、その身を縛る言霊はなくなり原初の海へと逝くのが定めである。
『ひとつ、言伝を願いたい』
徐々に燃え尽きていく体を無念そうに見下ろしていたアセビが顔をあげた。
『同胞が王の墓所を守っている筈だ。
拙らの中でも一等、忠に篤い者だ。千年程度で朽ちることはない。
悪神に国土は汚染されてしまったが、それでも彼奴ならば墓所を守り抜いてる。
――どうか、アセビは王命を果たしたと、王の墓前にお伝え願いたい』
「必ず」
『かたじけない』
その時、カイの一撃で罅の入っていた仮面が限界に達したのか、遂に真っ二つに割れ落ちた。
仮面の下にあったのはまだ年若い純朴そうな少女の顔であった。
『――さらば』
少女は悲しげに、しかし、後に残す者たちを気遣うように微笑んだ。
そうして、その姿は燃え尽きる蝋燭のように一瞬だけ輝きを増し、原初の海へと消えていった。