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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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幕間:赤薔薇

 皇都郊外に立つその屋敷は一年中咲いている真紅のバラの数々から、巷で赤薔薇の屋敷と呼ばれている。

 十二使徒第一位、ネロ・S・ブルーブラッドの屋敷である。


 白国貴族の等級として“S”という位はネロひとりしか戴いていない。一等級の教皇家から数えて十九等級、最低位と言い換えてもいい。

 当然のように拝領もしていない。自由にできるのはこの屋敷ひとつだけ。従者のひとりも付けていない。一代限りの低位騎士でさえ村のひとつ、従者のひとりは与えられているのに、である。

 白国建国の当初から教皇の影として手腕を発揮してきた男に対してあまりの冷遇であろう。


 しかし、現在の地位はネロが望んでそう取り計らわせたもの。偏に些事雑事にかかずらうのを避けるためである。

 治世にも国の発展にもネロは興味なかった。白国の再興に手を貸したのも、教皇――白神の末裔たちが『他者を率いること』でその真価を発揮すると知ったからに過ぎない。

 その能力が最大効率で発揮されるカタチを与えるために、戦乱によって荒廃した国土を白国の前国王から簒奪し、代わりに教皇を据えただけのこと。

 結果的に見れば多くのヒトとセリアンを救ったが、同時に人間同士の戦乱の時代を過熱させた側面もある。

 全ては試み、探究の果てを目指す為のモノでしかなかった。

 だが――


「魔人を任じる我がこのザマか」


 精緻な紋様の施された椅子に腰かけたままネロは自嘲する。

 古代種最高の頭脳“黒の完成者”(ネロ・リマチューア)と呼ばれたその身が、今や指一本動かせない程の消耗に苛まれている。

 およそ本体と同等の能力を持つ分け身の生成、喪失、そして何よりも武神の“破壊”の業は分け身を通じてネロ本体の魂に著しい損傷を与えていた。


 回復には百年はかかるだろう。右腕に至ってはガイウスに斬り落とされた影響で今後動くようになる見込みもない。

 肉体という鎧がなく、魔力と魂の一部によって構成された分け身に対して、破壊と破戒を業とするガイウスはまさしく天敵であった。


「ぬかった。否、分け身で戦乱の導に対応しようとした怠慢のツケ、か」


 正確に言えば、テスラの方が一枚上手だったと言えよう。

 戦乱の導の中で戦略的に動ける者は古代種とガイウスのみ。

 魔物は数こそ多いものの、知能という面では著しく低い。魔神の影響を受けて狂化していることもそれに拍車をかけている。

 それでもテスラはこの局面までガイウスを温存し、ネロに痛撃を与えてみせたのだ。

 実質的に、ネロは魔神を巡るこの盤面から退場したに等しい。


「……ガイウス、四人目の武神“破戒無式”か」


 あらゆる加護、戒めを破壊し、神の定めた式に嵌まらぬ天衣無縫。

 その名の示す通りの絶人。紛うことなきテスラの切り札であろう。


 本来、武神は生きながらに神に至った者として祀られ、信仰されるに値する者だ。

 少なくとも、遥かな昔、ネロが戯れに治癒術式を教え、後に武神級に至った“白神”はそうだった。

 直接はネロも見たことがないが、赤神や黒神にまだ肉体があった時も同様の筈だ。


 だが、その三人、あるいは三柱というべきか、とガイウスの方向性はあまりに違いすぎる。

 ガイウスの破壊の神技は精霊や精神体――詰まる所、神に対して最大の効果を発揮する権能だ。

 であるならば、あの武神が何を望んで神域に至ったのかも自ずと窺い知れる。


 ――あの男はその手で神を破壊する為にテスラの魔神召喚に協力している


 狂っている。これ以上なくガイウスという男は狂っている。

 だが、狂っているからこそあの男は神域に届いたのだろう、とネロは思う。


 魂とは非物質的な精神の結晶だ。

 それは目に見えず、聞こえず、触れることもできない。

 ただ、人間の魂に内在する“可能性”――無数の選択肢を選べるという膨大なチカラだ――を唯一つの道に収束させた時、人間は変わる。文字通り、魂の領域から。

 故に、苦悩と試練こそがヒトを神へと押し上げる。ネロはそう結論付けていた。


「随分と伊達な姿になったな、ネロ」


 すぐ傍で呆れの混じった声が響いた。

 じろりと視線を巡らせれば、古ぼけた道衣を纏った老人、十二使徒の第十位イアル・ワンが忍び寄っていた。

 気や気配に関して、拳聖の熟達は大陸十指に数えられる。

 本気で隠行を決められれば、屋敷という自己の領域下とはいえ現在のネロの状態では察知することはできないだろう。


「我を殺しに来たのか、イアル?」

「見舞いに来た、とは思わないのか?」

「馬鹿を言うな。貴様とは百年以上の付き合いだ。考えていることも自ずと分かる」

「……たしかに、今の貴方ならこの老いぼれでも弑することもできよう」


 まだその気はないと言外に告げて、イアルはネロと相対した。


「ひとつ、問いたい」

「聞こう」

「結局、貴方は我々をどうしたかったのだ?」

「……」


 子煩悩め、心中で毒づき、次いでネロは顔を顰めた。

 イアルの行動がカイを想うが故の行動だと己もわかってしまったからだ。

 いつか己を殺させる為に集めた十二使徒。

 だが、その中でカイだけが異種であることにイアルもまた気付いたのだ。


「……貴様は生に飽いたことはないか?」

「この身は定命、寝食を捨ててもいずれは限界となる。不老たる貴方とは違う」

「我は飽いた」


 それは絶望的な空虚さを伴った一言であった。


「我が生存に全力を尽くせば、戦乱の導が何をしようが我だけは生き残れる。

 この大陸が沈もうとも己だけを生かす術がある。古代種としての特化部位である思考能力はそう結論付けている」

「それは……」


 それは一種の不老不死ではないか。

 ネロと初めて会った時にはなかった豊かな髭の下でイアルは声を震わせた。


「では、貴方が千二百年前、古代種を裏切ったのは――」

「魔神では我を殺せぬという結論が出たからだ。

 魔神は魂を取り込むことに特化した神性だ。囚われたものは魔神の一部となるだけ。――それは死ではない」


 ネロの顔には自嘲の笑みが浮かんでいた。

 魔人は自分でも、自身の殺し方が分からないのだ。

 生に飽いても自殺することすらできない道化。古代種の中でも一等歪んだ男の成れの果てであった。


「我は生きようとしてはならぬ。この身に宿る生き汚さに縋って生き延びれば、それは血袋が這いずり回っているのと何も変わらぬ。

 ――我は、我の死を探さねばならない」

「それが、カイだったのか」

「そして、ガイウスでもある。あの二振りなら我を殺せる。貴様にはできん」

「……」


 これみよがしな嘲りに、イアルは無言で拳を構えた。

 この死にたがりを殺せるか、己に問う。

 相手は指一本動かせない重体。この拳を七発入れれば、その内にある命も尽きる。

 だが、と本能が思考に反対する。肉体と命は壊せてもネロの魂には届かない。

 脳ではなく、思考能力(・ ・ ・ ・)とネロは言った。ネロの特化部位は肉体的な素養ではないのだ。


「成程、貴方の本体とも言うべき思考能力(モノ)は彼岸の世界に在るのか」


 神と精霊のおわす元素の世界、魔力を通じて奇跡を齎す彼岸の世界。

 其処にネロの真実の姿がある。

 あるいは、その特性故に魔神召喚の要とされたのか。

 無論、そんな体のいい生贄にこの男が応じる筈がない。裏切りは必然だったのだろう。


「貴方がカイを刃金として鍛えたのは、彼岸にある己を斬らせる為か」

「そうだ。奴はきっと届く。ゲンハを斬り、己が変質に気付いた筈だ。

 選択の時はすぐそこまで近付いている」

「…………回答、感謝する、第一位」


 ここにはもう用はない。イアルは静かに踵を返した。

 その背にネロが皮肉気な声音で問うた。


「どうした、やらんのか?」

「師としてすべきことがまだ残っている。ここで博打を打つことはできない」

「……フン」


 ネロは踵を打ち鳴らし、椅子の下に展開していた魔法陣を消した。

 長い長い瞑想の果てに、イアルは己が召喚した精霊と融合する術を身につけている。

 成功確率は極僅かだが、弱体化した今のネロ相手ならば、その本体を召喚し取り込み、すり潰すことが可能であった。

 精霊とネロの本体は共に彼岸の世界に存在している点で類似性を有しているからだ。

 元より、百年以上の昔に異国の森の奥からイアルを連れ出したのはその方法で己を殺せるのではないかと考えてのことだったのだ。


 そして、これが最後の機会だったのだろう。


 人間の枠を踏み越えて生きるイアルでも、ネロを殺せる域には届かなかった。

 だが、その技は弟子に受け継がれている。いつかは届く。


 離れていく二人に言葉はなく、赤い薔薇の咲き誇る屋敷には静寂が戻っていた。




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