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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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3話:魔人は語りて

「リボン替えたんですね」


 病室に柔らかな夕日が差し込む。

 着替えを畳んでいたイリスは労わるような声に振り向き、ベッドに上体を起こしたソフィアに微笑みかけた。

 イリスの雪のような白髪を頭の後ろで括っているのは先日買ったばかりの白紐だ。


「うん、あの子も休ませてあげたかったから」

「もう10年も経ったのですね。とても早かったような気もします」

「そうよね。あ、コレはみんなのもあるから」

「ほんとですか!!」


 お揃いなのが嬉しいのだろうか。

 ぱあっと明るい表情になった少女に苦笑しつつ、イリスは金色の髪をひと房とって懐から取り出した白紐を結った。

 結び目を小さな蝶結びにすると美しい金色によく映える。


「ありがとうございます、イリス」


 小さな蝶にそっと触れてソフィアはにこりと微笑んだ。

 その笑みに僅かな寂しさが含まれていることにイリスは気付いた。

 ルベドとの戦闘からの十日間、ソフィアは施療院に入院したまま眠っていた。目覚めたのはつい先日だ。

 傷が治ってもこんこんと眠っていたソフィアに、皆、随分と気を揉んだ。


 だが、ソフィアが眠っている間も世界は巡り続けていた。

 クルスはリーダーとして各種手続きや交渉に赴き、その合間にヴェルジオンの領地経営の補佐もしなければならず、随分と多忙であった。それでも毎日見舞いに来ていたのはクルスらしいと言えるが。

 ソフィアの快復を確認してカイも発った。戦乱の導に対抗する為に。真実、彼なりに仲間の為を想っての行動だろう。

 その結果、この場にはソフィアとイリスしかいない。それもまた紛れもない事実であった。


(ホントに寂しがり屋になっちゃったわね)


 誰もいなくなった訳ではない。ただ、少し離れているだけだ。

 だが、イリスは怖かった。自分の知らぬ内に仲間が失われるかもしれないという怖れが心の震えを呼ぶのだ。

 それでも、少女は唾を飲み込むことで恐怖を飲み干し、腹に力を込めた。

 喪失の恐怖は今までもなかったわけではない。曖昧模糊としていたそれが目の前で父親が失われたことで明確な形を持ったのだ。

 ならば、恐怖に負ける訳にはいかない。かつてのように鈍感でいられないなら克服するまでのこと。

 少なくとも、カイはそうしている。クルスもまた乗り越えたのだろう。二人に置いていかれることをイリスは望まない。

 心を確と決めて、イリスはソフィアを抱きしめ、頬を合わせた。

 かつてのように共鳴を拒絶することはもうない。心の全てを詳らかにする。


「ごめんなさい、イリス。心配させてしまいましたね」

「いいのよ。仲間だもの」


 もう従者ではない。だが、イリスは彼らと共にいることを決めたのだ。これから何があっても共にいると覚悟したのだ。

 その想いを感じて、ソフィアも抱き返す細腕に力が篭った。


「……傷残らなくてよかったわね」


 抱きしめた際にふと目に入った白い首筋を見て、イリスは言った。

 簡素な平服から覗くソフィアの肩口には傷痕は残っていない。


「嫁入り前の体だもの。大事にしなきゃ駄目よ」

「それはイリスも同じです」


 茶目っ気のある笑みを返されてイリスは咄嗟に返答に窮した。

 脳裡に浮かんだ相手の姿を打ち消すのはもう手遅れだろう。

 イリスは観念したようにゆっくりと息を吐き、言葉を紡いだ。


「……ソフィアはカイのどこが好きなの?」

「全部です」

「気の利かないところや朴念仁なところも?」

「それらはカイのやさしさを損なうものではありません」

「ふふ、そうかもしれないわね」


 フォローになっているようでなっていない言葉に思わず微苦笑してしまう。

 兄ほどではないがそれでもソフィアの愛は随分と広い。相手も相手なので傍から見ていると色々と心配になる。


「でも、もっと触れてほしいとは思います」

「……それ他の人の前では言っちゃ駄目よ」


 首を傾げたソフィアは、ややあってイリスの心から伝わってきた感情から己の発言の意味を悟って赤面した。

 今度こそイリスは声をあげて笑った。

 わだかまりなく繋がる心があたたかい。

 そして、そのぬくもりを皆で分けあえることは少女にとって幸福であった。



 ◇



 白国皇都アルヴィスの中央部には教皇宮を含む国家と白神信仰の枢要部が存在する。

 防衛上の観点から生誕祭などの催し物の時期を除いて一般人の立ち入りが禁止された場所だ。

 夕闇の中でも荘厳さを保つ大聖堂や教皇のおわす塔、そして巡回する近衛騎士たち。

 どこか懐かしさを感じる景色の中をカイは夕日が伸ばした影同士を縫うようにして進んでいた。

 許可は取っていない。どこまで“戦乱の導”の手が及んでいるか分からない以上、自分がここにいることを知る人間は少ないに越したことはない。

 これ以上、彼らに妨害される訳にはいかないのだ。


(警備に従事している近衛には悪いが……)


 カイも十二使徒に推挙される前は近衛であった。故に、彼らが夜警においてどこを周り、何に気を付けているかはわかる。

 自分がいた時から巡回にも多少の変更があっただろうが、建造物の位置が変わらない以上、基礎となる部分は変えようがない。

 彼らに屋根の影や軒下、建物の隙間など警備の死角を正確について侵入するカイをみつけろというのは酷な話だ。


 他国でいうところの特務にあたる十二使徒は存在自体が抑止力である。

 それ故、使徒は訓練施設を兼ねる皇都近郊の直轄地の他に教皇の住む塔の傍にも拠点をひとつ有しており、常に二人は詰めている。

 原則、対人戦闘が禁じられている関係から直接の警護は第二位(アレックス)が近衛騎士に行わせているが、どの使徒も反撃や教皇の守護まで禁じられている訳ではない。

 目に見える抑止力としての近衛騎士と教皇を至近で守る十二使徒。二つの守りが皇都にはあるのだ。


(……第二位には気付かれたか)


 気配は殺せても、獣人(セリアン)の中でも一等鼻の効く男は誤魔化せなかったようだ。

 侵入禁止区域に入った時に戦斧で頭を割られるような殺気を感じた。

 それでも向かってくる様子がないのは好きにしろということか、あるいは――


(此方の行動ははじめから織り込み済みか?)


 常は皇都近郊の屋敷にいるネロが今日に限って教皇宮にいるというのも怪しい話だ。

 あるいは、ルベド・セルヴリムとの交戦をギルド連盟に報告した時点でこうなることは予想しておくべきだったのかもしれない。


 ネロの居る場所は気配を探らずともわかった。いくつかある塔の内、大聖堂にほど近い場所にあるひとつの最上階だ。

 慣れ親しんだ精霊級の重圧が離れていても伝わる。

 カイは抜かりなく目的の塔に辿り着くと、僅かな壁の取っ掛かりを踏んで壁面を垂直に駆け登る。

 足場さえあればその足に不可能はない。

 ここから先は時間をかけられない。誰かに気付かれる前に速度で以て踏破する。

 三十秒とかからずに塔を登りきったカイはそのまま窓を切り裂いてネロの部屋に押し入った。


「腕を上げたな、カイ・イズルハ」


 差し込む夕日以外に光源のない無機質な部屋の中、ネロ・S・ブルーブラッドは優雅に足を組んで椅子に座っていた。

 生誕祭の時と変わらない――きっとこの数千年の間変わっていない冷やかな目つきと怪しく光る額のサードアイ。

 口元に浮かぶ笑みは如何な意味を持っているのか。

 存分に待ち構えられていた。だが、カイがやることに変わりはない。


「ネロ、お前は隠し事が多すぎる」

「だったらどうだというのだ、馬鹿弟子?」

「洗いざらい話してもらう。命のひとつふたつは覚悟しろ」

「貴様の脳髄に覚えきれるだけの空きがあるのか怪しいものだがな」


 不敵な笑みのままに言葉を投げ合う間もネロは警戒する素振りすら見せない。

 否、元よりネロには警戒を解く瞬間というのはない。カイを常在戦場のカタチに鍛えたのはこの男なのだ。

 カイはガーベラの切っ先を師に突きつけた。元より舌戦で勝てるとは思ってはいない。

 故に、力尽くで聞き出す他はない――筈だった。


「戯れはそこまでにしてください、使徒ネロ」


 だが、その企みは思わぬ乱入者によって水泡に帰した。

 カイが踏み込む前に透き通った声が部屋に響く。

 同時に、じわりと空間が歪んで月光のような銀の髪と白銀の法衣が翻る。

 現れたのは、傍らに隠し身を解いた第五位(ジョセフ)を侍らせた教皇エルザマリア・A・イヴリーズその人であった。

 咎めるような銀の瞳が真っ直ぐにカイを射抜く。


「“予知”、第三位の差し金か。面倒なことをしてくれる」

「剣を納めてください、使徒カイ。“慈愛”の担い手たる私の前で諍いは許しませんよ」


 たしかに教皇の手足たる使徒がその意から外れる訳にはいかない。

 剣の代わりとばかりにカイはその黒瞳でネロを睨みつける。

 身を斬るような視線を受けて、魔人は優雅に肩を竦めてみせた。


「教皇の前で刃傷沙汰を起こす訳にもいくまい。師弟の語らいはまたの機会であるな。それまでに魔力を取り戻しておけ」

「どの口が。次は斬る」

「その苛立ちは仲間の為か?」

「……」


 渋々と刀を納めていたカイの動きが一瞬止まった。

 あまりに不器用な弟子の姿にネロは喉の奥でくつくつと笑う。

 カイは何か言い返そうとして、赤い眼の奥に手のかかる子供をみるような光があるのを見て取って口を噤んだ。


「どこまでもお前らしいな、馬鹿弟子。話は聞いている。まさか我ら古代種が子を為すとはな」

「……ルベド・セルヴリムとは親しかったのか?」


 若干のためらいと共にその言葉は放たれた。今更訊いても何も意味のない問いだ。カイもそれは理解している。

 それでも、この手にはまだ命を断った感触が残っている。ならば、知らずに済ますわけにはいかなかった。

 果たして、ネロは過去を思い返すように瞼を閉じた。


「死を悼む程度には、な。奴は古代種の中ではまだ未来が見えていた。……そして、ヒトを認めていた奇特な奴でもあった。今思えば、あ奴ならヒトとの間に子を為しても不思議ではなかった」


 小さく吐かれた息は数千年を生きた同族に贈った哀悼だったのだろうか。

 常の冷笑は失せて、魔人にしては珍しく真摯な響きをもつ言葉が放たれる。


 カイが「話を進めていいか?」と傍らの女教皇に視線で問うと、魔人の珍しい様子に驚いていた彼女は驚きのままに頷き、慌てて一歩退いた。

 エルザマリアが落ち着くのを待って、侍の視線がネロへと向き直る。


「俺は“戦乱の導”の主、最後の古代種を名乗る者に会った」

「ほう、やはり古代種は尽きたのか。名は何と?」

「“テスラ”、黒髪に金色の瞳をした十代半ばの外見をした女だ。かつて古代種が召喚しようとした“魔神”を御することが目的だと言っていた」

「成程。……魔神、魔物の神(・ ・ ・ ・)か。よく言ったものだ」


 ややあって、すっと開かれた真紅の瞳には何の感情も浮かんでいない。

 切り裂かれたままの窓から微かに夜の風が入り込み、魔人の髪を揺らす。


「元来、古代種は人間の原型種族(アーキタイプ)と言われているが、それだけではない。もっと原始的な存在だ。すなわち、大地を母に、魔力を父として発生するこの世界の写し身だと我は考えている」


 古代種とは何か、何故存在するのか。それはネロが生涯を賭けて探究している命題だ。

 答えはまだ出ていない。


「だが、古代種は敗北した」

「そうだ。千二百年前、他種族連合との戦争において古代種は神を殺す神、“魔神”を召喚する儀式を行い、失敗した」

「失敗したのはお前が裏切ったからだったな?」

「そうだ。最後まで残っていた古代種四十八人のうち、我が最も召喚術式への理解が高かった」


 魔人は皮肉気に、そしてどこか寂しげに口元を歪めた。

 古代種の能力に優劣はないが適性はある。ルベドが弓に優れていたように、ネロは術式の構築に優れている。

 だが、儀式の大きな部分を担っていたにも関わらず、この男は数千年を共に生きた仲間を裏切り、ニンゲン側についたのだ。

 そこにどのような葛藤があったのかカイにはわからない。ネロもまた口にはしない。


「儀式は失敗し、不完全な魔神は封じられた。後のない古代種の多くは人間の恐怖する姿――竜種へと変質した。その多くも狩り殺され、今残っているのは弱体化した第二世代以降だ」

「俺が使徒の入団試験で竜種の討伐を課されたのは同族を殺させる為か?」

「元同族だ。竜種は古代種だった時よりも遥かに弱体化しているが、代わりに生殖能力を得ている。多少は間引いておかねば危険であろう。……それにサードアイを持つ者を殺す予行にもなる」


 いつか自分を殺す為に。声に出さずネロはそう断じた。

 師の死にたがり癖にカイは不快気に目を細めたがそれを詰りはしなかった。無言で先を促す。


「ルベド達は数少ない人型を保てた者らだが、その中に“少女の姿”をしている者はいない」

「新たに生まれたのだろう? 本人も戦後に生まれたと言っていた」

「であろうな。人間が増えるにつれ古代種の発生頻度は年々低下していた。我の観測した低下率のままならば、ここ千二百年の間に生まれたのは其奴だけであろう」

「それで? お前は何を知っている? テスラと会ったことすらないお前が」

「たしかに。我は其奴と会ったことはない。だが、“廻る者(テスラ)”の名には覚えがある」

「何?」

「記録が残っている。テスラという名の人物は二百年前、ギルド連盟の設立に関わった存在であり、そして――」



「初代本部長アルバート・リヒトシュタインの死亡と同時期に側近たちを殺して行方を晦ましている」



 この側近殺しが初代以降の本部長がいない原因の大きな部分でもある、とネロは続ける。

 思わず、カイは眉を顰めた。


「……同一人物か?」

「我はそう考える。二百年前の時点で疑念はあった。足取りも途絶えていたのでな」


 その事実はカイの中にそれなりに大きな衝撃をもたらした。

 あの少女型の古代種が今、己が所属しているギルド連盟の設立に関わっていたとは予想だにしなかった。


「側近を殺した奴の記録がよく残っていたな」

「テスラ自身も本部長の直属であったし、功績が大きすぎる。隠しきれなかったのであろう」

「……功績」


 そこまで言われてようやくカイは気付いた。

 テスラの功績。古代種でなければ為し得なかった事業。未だギルド連盟が占有することで莫大な利益を上げているひとつの設備。


「“大陸通信網”か。成程、お前の仕業かと思っていたが」

「白国の外には我の手もそうそう及ばんよ」


 ギルドの連絡経路や都市間転移術式を支えているのが大陸通信網である。

 膨大な魔力を必要とするものの、国家の垣根を越えて大陸の端から端まで人やモノや情報を伝えることを可能にしたこの技術はこのパルセルト大陸史上最大の発明と言われている。


 だが、その原理はギルド連盟初代本部長にして稀代の発明家であるアルバート・リヒトシュタインの死と共に失伝している。

 わかっているのは、通信術式“風声”を応用した刻印術式の一種であるということと、同じものを作るには大陸中のウィザードを犠牲にする覚悟がいる程の高負荷かつ大規模なものであるということだけだ。

 だが、テスラなら――古代種ならおそらくはその負荷にも耐えられたのだろう。

 それでも、四大国すべてを繋ぐほどの距離と精度、そして最低でも二百年は保つ術式を大陸に(・ ・ ・)刻む(・ ・)には古代種とはいえ小さくない出費であった筈だ。

 文字通り命を懸けて人間に与してきたテスラが何故今になって反目したのか。

 カイは脳裡に少女の顔を思い浮かべる。

 恨みや憎しみではない。そうするべきだからするだけ。

 同類だからこそわかる。アレはそういう存在だ。


「待ってください。本部長直属でギルド連盟の設立に関わっていたということは――」


 それまで黙っていたエルザマリアが慌てたように口をはさんだ。

 ギルド連盟の設立は二百年前。普通なら現存しているのはエルフくらいのものだ。

 だが、女教皇は知っている。当時から生きている存在を知っている。


「そうだ。テスラはルベリア学園の現学長ローザ・B・ルベリアと共に本部長の直属だった」

「そんな……」

「常識的に考えて、テスラが古代種であることは知らなかったであろう。あるいは、奴が“予知”を失ったのはテスラを視ようとしたからかもしれんな」

「前にお会いした時、大叔母様は【神】を視た為に未来が視えなくなったと仰っていましたが……」

「然もありなん。魔神を召喚しようとする者を視たならばその先まで視えても不思議ではない」


(でも、大叔母様はどうしてテスラのことを黙っていたの?)


 二百年前、ローザ・B・ルベリアはギルド連盟設立時に本部長直属の部下であった。白国中央と連盟の間を取り持ったのは彼女だ。それは記録にも残されている事実だ。

 その後、百年の期間を経てルベリア学園は創設されている。

 女教皇は考える。何故、ローザが偏執的なまでに英雄、英霊を学園に集め、冒険者を育てようとしたのか。


 もしも、学園自体がテスラとそれに連なる【神】を相手にする為に創られたものであるならば――


「本題だ。ギルド“アルカンシェル”に依頼する」


 ――“戦乱の導”テスラを殺せ


 全てはそこに行き着くことになる。


「よもや断りはしないな?」

「リーダーに訊かねば確答はできん。仲間の戦線復帰もまだだ」

「断るような奴ではなかろう。一週間やる。仲間はその間に復調させろ」

「テスラの本体は暗黒地帯にあるらしいだが、どうやってあの場所の魔物の群れを突破する?」

「我の分け身に案内させる。馬車ひとつ程度ならどうにかなる。命ひとつ、上手く使え」

「――――」


 驚愕に硬直したエルザマリアを置いて師弟は当然のように話を詰める。

 呪術こそ受けていないが、古代種であるネロを魔物は本能的に避ける。魔物ひしめく暗黒地帯を行くのなら多少はマシになるだろう。

 カイ達の実力を鑑みれば、まったく不可能な依頼という訳ではない。しかし、それでも不確定要素が多い依頼であることに変わりはないだろう。


 その段になって漸く復帰したエルザマリアは激情を表情の裏に隠してネロに詰め寄った。


「使徒ネロ、あまりに危険すぎます。依頼を撤回してください」

「エルザマリア、答えは既に出ている。古代種殺しにはコイツを嗾けるのが一番だ。おそらく大陸で最も練達しているひとりだ。我等がそういう風に鍛えた。分かるか? 適任なのだ」

「貴方は使徒カイとそのお仲間を使い潰すおつもりですか!?」

「感情による反論だな。話にならん。馬鹿弟子、報酬は先払いしておく。準備しておけ」


 言い終えると同時にネロは指をひとつ鳴らして転移した。

 話は終わりということだろう。エルザマリアの隣にいた筈の第五位(ジョセフ)もいつの間にか消えている。


 後に残ったのはカイとエルザマリアと気まずい雰囲気だけであった。

 退却する機を逸したカイがエルザマリアを見ると、果たして、女教皇は真っ直ぐにカイを見つめていた。


「使徒カイ、依頼を撤回しましょう。貴方はもう十分に責務を果たしました。剣を置いても誰にも文句は言わせません」


 必死さからか目に涙すら浮いているエルザマリアに言い募られてカイは暫し言葉に詰まった。

 会うたびに泣かせているな、と苦い思いが心中に湧き起こるが、それを呑みこんで言葉を紡ぐ。


「それはできない相談だ」

「できないなんてことはありません。ただ貴方が荷を下ろそうとしないだけです」


 エルザマリアにはカイの両肩にのしかかった歴代教皇の、そしてネロの押しつけたエゴがみえる。

 秩序が崩れた時、誰かが狂った時、自動的に斬り殺すように鍛えられた刃。

 予め定められた処刑刀。その鋭さは確かに古代種を殺すのに最適であろう。


「現実を見ろ、エルザマリア。誰かがやらねばならない。ならば、俺がやるべきだ」


 しかし、カイの答えは変わらない。

 侍は死を誰かに預けはしない。殺すと誓ったのなら己の手で殺す。それが最も合理的であるなら尚更だ。


「……」


 説得は無駄なのだと、その段に至ってエルザマリアも悔恨と共に悟った。

 既に道行は整えられている。カイの行く手に道はあり、退路は断たれているのだ。


「それでも、カイ(・ ・)、覚えておいてください。貴方は死ぬために刃となったのではないのです。早まってはだめですよ?」

「その言葉だけで十分だ、エルザマリア」


 その時、遠くから鐘の音が響いた。

 夕と夜を分かつ鐘の音だ。この音を合図に皇都の多くの者が仕事を切り上げる。

 エルザマリアも心を落ち着かせ、もう一度カイを見遣った。

 悔いと悲しみを押し隠し、銀の瞳は貴き慈愛に彩られていた。


「……お祈りの時間ですね。カイ、よければ一緒に祈りませんか?」

「作法を知らない」

「構いませんよ」


 使徒にあるまじき言葉にも少女は微笑みを返し、簡単に手順を教える。

 カイが戸惑いながらも形を整えると、自らも手を組み、目を閉じた。


(どうか生きてください、カイ。私は私のやり方で戦います)


 貴方とは一緒にいられないけれど。

 貴方に多くを背負わせてしまったけれど。

 それでも――


「貴方の未来が良きものであることを祈っています」


 祈りを終えると同時、ふわりと風が吹いた気がした。

 目を開けるとカイの姿は既に夜の闇に消えていた。


 ただ、少女の耳には微かに「ありがとう」と告げた声が残っていた。

 優しさの欠片もない平坦な声は、しかし、長く少女の中に残っていた。

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