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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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2話:月夜の邂逅

 夜の街道を孤影が風を切ってひた走る。

 一路、白国皇都アルヴィスを目指すカイの姿だ。

 速度は早く、夜闇に滲む黒の道衣は規則的な足音だけを残していく。

 元より、馬にさえ怖れられる身だ。徒歩(かち)であるのも十二使徒の時はそれが当然であった。不自由は感じない。

 何より一人なら馬を使うより走った方が早い。この身はそういう風にできている。


 ネロに会わねばならない。カイの心は決まっていた。

 古代種の目的。断片的には聞かされていた。古い話だと、御伽噺のようにさえ思っていた。

 だが、もう無視できる段階にはない。力尽くでも話を聞かねばならない。


 脳裡に浮かぶのは仲間たちのことだった。

 クルスは戦いの後、一時期悩んでいたようだったが吹っ切れたようだ。

 ソフィアの経過も順調だ。もう少しすれば戦線に復帰できるだろう。

 そして、イリスは結局、父の姓――セルブリムの姓を名乗ることにした。

 そこにどのような想いがあるのか、カイにはわからない。

 だが、受け継いだ弓と共に少女の中に何かが残ったのだろう。


 今頃はソフィアやクルスと話している筈だ。長い話になるだろう。

 幼馴染である三人に割り込むのも無粋だ。多少の寂しさを感じないでもないが、過去を清算する時間が三人には必要だとカイは思う。

 クルスもカイがいない間に無茶な依頼を受けることはない。

 その間に、少しでも情報を得る。それが自分の出来ることだと規定した。

 “戦乱の導”は明らかに此方を狙い撃ちにしてきた。

 これ以上、後手に回る訳にはいかない。逸る心を抑え、カイは呼吸と速度を保つ。

 皇都アルヴィスはまだ遠い。今の速度を維持しても夜通し走ることになる――筈であった。


 刹那、ちりりとうなじを焦がすような緊張が走る。

 本能的に足を止める。直感が前方の微かな気配の切れ端を捉えた。

 カイは闇を見透かすように目を細め、ガーベラの柄に手をかけた。

 数歩先、月光の途切れた闇の中に言葉にしがたい違和感が在る。


「――こんばんわ、いい夜だね」


 そして、夜闇に鈴のような涼やかな声が響いた。


 いつからそこにいたのか。

 カイの探知をすり抜けたすぐ傍に、月光に照らされた華奢な姿が浮かび上がる。


 闇の中から現れたのはぞっとするほど美しい少女だった。


 薄手の夜会服に包まれたカイの胸元ほどの小柄な体。

 夜風になびく肩口で切りそろえた濡れ羽色の髪。

 見かけは十代後半か。一方で、金色の目を細めて怪しげに微笑む姿には成熟した色香を感じさせる。

 裾を遊ばせて優雅に歩む姿は一見するとサロンの帰りと言った風情だが、カイはその裡に秘めた実力を嗅ぎ取り、心中で警戒度を引き上げた。

 少なくとも人間ではない。そう直感した。


「何の用だ?」

「キミとお話がしたい、カイ・イズルハ」

「……」


 名を知られている。その事実にカイの目が細まる。

 さらに警戒度を引き上げた男に対し、少女はやんわりと両手を振った。


「ああ、そんな警戒しないでくれ。こちらが一方的に知っているというのは確かに気分が悪いだろうけどね」


 そして、少女はスカートの端をゆるやかに持ち上げ、誰もが見惚れるほど優雅な礼をとった。


「はじめましてになるね。ボクの名前はテスラ。もっとも、今は“戦乱の導”といった方がわかりやすいかな?」


 そう言って少女は前髪を掻きあげた。

 額には確かに古代種を示す美しき青の宝石、サードアイが象嵌されている。

 カイは秘かに息を呑んだ。今の今までテスラと名乗ったこの少女が古代種であることに気付かなかったのだ。

 己が気配を読み切れないなど、ここ数年では初めてのことだ。

 少女が気配を隠すのがとびきりうまいが故というのもあるのだろう。

 だが、それだけではない。カイの知る古代種とは何かが違う。


(……斬れるか?)


 カイは反射的に刀を抜こうとして――再度の違和感に手を止めた。

 その様子を見てテスラは満足そうに頷いた。


「うん、賢明な判断だ。魔力がないのによく気付いたね」

「古代種の癖に、貴様の中には命がひとつしかない」

「そうだ。この身は命ひとつを分離させた伝達役さ。話が終わったら斬り捨てて構わないよ」


 複数の命を貯蔵し、時に資源として使い潰す。

 それが許されるのが古代種という種族である。

 古代種が――特にアルベドがあちこちに出現する可能性を考えると頭が痛くなってくるが、ひとまず危険な想像は隅に置く。

 カイの師であるネロとて命の分割行使には危険が伴う。濫用はできない筈だ。


「要件を言え。戯言を聞く気はない」

「ふふ、せっかちだね」


 テスラはたおやかな外見にそぐわぬ堂に入った仕草で肩を竦めた。

 次の瞬間、真白い素足がたん、と地面を踏んで軽やかにカイの懐に飛び込んだ。

 身長はカイの方が頭ひとつ高い。自然、少女は見上げるような体勢になる。

 片方は冷たく、もう片方は楽しげに、互いの息がかかる距離で黒と金の瞳が交差する。


「夢の中で会ってもよかったんだけど。ルベドの願いを叶えたヒトをこの目で見たくてちょっと無理して来たんだ」

「願い?」

「“家族の為に死ぬ事”さ。本人も気づいてなかったけどね。でも、キミは気付いていたのかな? 同類だものね」


 謳うようなテスラの言に、しかし、カイは口を噤んだ。そこに発するべき言葉はない。

 カイにルベド・セルヴリムの命を語る資格はない。

 最期には父親に戻ったルベドの、その生き様を侍は知らない。

 死に様に多少関わった程度で何かを言えるほど他者の命は人生は安くない。

 生まれた意味を決めるのは自分自身であり、ルベドにおいてもそうであるべきだ。

 だから、この話は終わりだ。

 カイの黒瞳に殺気が灯る。周囲の気温がいや下がる。

 目を向けるべきは、斬るべきは目の前で無邪気に微笑む少女に他ならない。


「お前は何の為に来た?」

「ボクの個人的な用件はこれで終わりさ。でも、十分な収穫があったよ」


 テスラは笑みのままカイの頬へと白い手を伸ばす。

 だが、カイが腰元のガーベラの鯉口を切ったのを見て、残念そうに繊手を下ろした。


「つれないなあ。仕方ない、“戦乱の導”としての本題に入ろう」


 テスラはくるりと回って距離を離した。

 スカートの裾が月下に美しい円を描き、狙ってそうしたのか、互いの距離がカイの剣の間合いになる。

 そして、少女の顔から笑みが消えた。残ったのは冷やかな圧を伴う超越者としての姿。


「こっちにつく気はないか、カイ・イズルハ?」

「断る。話は終わりだ」

「ああ、待ってくれ」


 半ば予想できたことなのだろう。

 すげなく断られたテスラは即座に次を口にした。


「せっかくの情報を得られる機会を逸って潰しちゃ駄目じゃないか。キミたちはボクらの目的さえ知らないんだろう?」

「お前達のこれまでの行状を鑑みれば、聞くに値しないことだ」

「おや、不思議な事を言うね。たしかにボクたちは多くのヒトを犠牲にしてきたし、これからも沢山犠牲にするけど、キミだってたくさん魔物を殺してきたじゃないか」


 楽しげな少女の声に、カイは小さく舌打ちした。喋り過ぎた。

 何がそうさせるのか。この少女を前した時から、どうにも口が軽い。


「ヒトと魔物は――」

「違うのかい? キミの剣の前では等しく同じ命だろう?」

「……読心、か」

「古代種は多かれ少なかれ持ってるよ。感応力の高さというのは万物の理解力に直結するからね」


 視線を通じて、己の中身を覗き見られる感覚。カイとしても慣れたものだ。

 古代種は莫大な魔力とそれを十全に行使する為の高い感応力を持つ。

 精神防御は行っていた筈だが、意識領域においては彼我の技量差は大き過ぎる。

 果たして、少女の金の瞳は怪しく輝き、残酷なまでにカイの心を隈なく照らす。


「ボクには視えるよ、キミの刃にして翼たる魂が。全てを受け入れるが故に全てを斬り捨てる様が、視える」


 親しみすら感じられる言霊は、しかし、男の臓腑を抉るように深々と突き刺さる。


「キミの剣は斬った命の重さを量らない。ひとつの命はひとつでしかなくそこに価値の差はない。残酷なまでにやさしい。……だというのに、キミは随分と人間のフリが上手いね、カイ・イズルハ」

「俺は人間だ」

「生まれはね。結末まで人間のままかどうかはわからないよ」

「……」

「ふふ、困らせちゃったかな。すまない。ボクは失敗した(・ ・ ・ ・)から、ちょっと羨ましかったんだ」


 テスラが笑う。無垢で、しかし、どこか寂しげな笑みだ。

 その笑みを見てカイはようやく気付いた。

 己が言葉を放とうとしてしまうのは、この少女の笑みがどこかソフィアに似ているからだ。

 何もかもが違うのに、その寂しげな笑みだけは男の最も大事な存在とよく似ているのだ。

 それを自覚して、カイはさらに渋面になった。

 心の手綱を引き締める。笑みは所詮、笑みでしかない。見据えるべきはその裏に蠢いている感情だ。


「何故、お前は笑う? ヒトが足掻く姿はそれほどに滑稽か?」

「ボクは皆のことが大好きだよ。モチロン、人間も含めてね。だから、誓って滑稽だとは思っていない。人間の頑張る姿はボクら古代種にはない熱を感じさせる」


 誰のせいだ、と男は反論しようとした。

 だが、一心に見つめるテスラの金の瞳がその言葉を封じた。

 美しいほどにひとつの意思に透徹された瞳。

 人類を呪う首魁にはあまりに似つかわしくない色だ。



「――――ボクはね、この世界を救いたいんだ」



 月が雲に隠れた刹那、少女はとろりと言葉を紡いだ。

 これ以上なく純粋で混ざり気のない真摯な言葉であった。

 耳を侵すその言霊にカイは顔を顰め、しかし、何も言えなかった。

 少女は本気であると直感が告げていたのだ。


「……」

「うん、そこで笑わないキミだからこそ会ってみたかったんだ」


 ひどく優しい笑みが少女の口元を彩る。わずかに滲む安堵は演技か、あるいは本人すら意識していない産物なのか。

 しん、と静まった夜の草原でテスラは目を閉じて夜空を見上げた。

 さらりと前髪が流れ、露わになった少女のサードアイには何が映っているのか、男には判らない。


「千二百年前、アルベドたちがヒトと争っていたのは知っているね」

「お前は?」

「ボクは戦争後に生まれた最後の(・ ・ ・)古代種(・ ・ ・)さ。ああ、混血の子を除けばね」

「……」

「怒らないでよ。話を振ってきたのはそっちだろう。……それで、長い戦争の後に負けかけた古代種は儀式を行い、とある存在を召喚した」

「……神を殺す神」


 旧い話だ。ネロから聞いた時も御伽噺のように感じていた。

 人間が古代種に勝る“可能性”という優位。それを象徴する神を弑する。

 可能かどうかはともかく狙いは悪くなかった筈だ。神の加護が無くなれば人間は古代種に、どころか魔物にさえ抗することはできなくなる。


 だが、古代種は失敗した。

 同族の裏切りを受けて敗北し、支配者の御座から引きずり降ろされた。

 それで全て終わった筈だ。

 だというのに、神話に等しき古の戦乱の残り香が今、カイの目の前にいる。


「ボクらは【魔神】って呼んでいる。元はこの世界になかったモノだから名前はないんだ」


 不思議な話だよね、とテスラは無邪気に笑いかける。

 突拍子もない話だが、それが冗談の類でないことだけはわかる。

 何よりの証拠をカイは身を以て知っているからだ。

 知らず、道衣の上から心臓を押さえる。


 ―― 禁呪“不死不知火”


 呪術は生贄を対価に他者を呪う禁術であり、その術を担う呪術士は歴としたクラスだ。

 つまり、そこには“神との契約”がある。では、何処の神との契約か。

 大陸はおろか海の向こうとてこれ程強力で直截的な呪いを司る神などいない。

 だが、現に古代種の一派がこの呪いをカイにかけ、そして、古代種の王が復活を望む神がいる。

 それらが何の関係もない、などと考えられるほどカイの脳味噌はお目出たくはなかった。


「魔神はもうすぐ復活する。ボクはソレを御したい。今までにやってきたことはその布石だ」


 金色の瞳が輝く。その双眼には夜に昇った太陽とでも言うべき強い光が湛えられている。

 少女の纏う雰囲気は歪で、しかし、紛うことなき王のそれだ。

 言葉には力と自信があり、自然と膝を屈してしまうような眩さが、魂の輝きがある。

 何も知らなければ、あるいは、クルス達より先に出会っていればカイの心も変わっていたかもしれない。

 そう思えるほどに、少女の言葉には命を、魂を賭けた強い想いがあった。


 だが、今のカイには到底受け入れられるものではなかった。


「そんなことの為に……」


 脳裡の占めるのはただひとつの感情。

 そんなことの為に、自分は、父は、イリスは――。


 雲が流れ、月が再び顔を出す。

 そこには黒瞳の奥で怒りを燃やす鬼人の姿があった。


「――殺す。テスラ、“戦乱の導”、俺はお前を殺す」

「ああ、キミはボクを前にしてもそう言えるんだね。これだから人間は凄い」


 淡く輝く月夜の下、陶然とした笑みを浮かべてテスラは手を伸ばした。

 決して握られることのない孤独の繊手を、自分を殺すと誓った相手へと伸ばす。


「ボクはその熱が欲しい。何も持たずに生まれたキミが、今、神に迫る所まで来ている。その壁に挑み続ける姿こそ、今のボクに最も必要なものだ」

「――――」


 言葉は既にない。右足は既に踏みこまれている。

 一切の躊躇なく放たれた袈裟切りをテスラは両手を広げて受け入れた。

 防げた筈、避けられた筈の一閃を笑みのまま肉体に触れさせる。

 微かな刃音と共に薄闇に閃光が走り、月下に青い鮮血が迸る。


「ああ、痛いよ、カイ・イズルハ。魂に響く痛みだ」

「……」


 流れ出る青い血が少女の夜会服を斑に染め上げていく。

 惨たらしい傷痕もそのままに、感じる痛みに歓喜の声をあげる少女の姿はひどく倒錯的だ。

 狂っている、頭の先から爪の先まで、すべて。

 切っ先を通じてカイはテスラという存在の一端を理解した。

 既に外見や言葉では他者を認識できていない。痛みだけがこの少女が他者を知覚する縁なのだ。


「ねえ、次はいつ会えるかな?」

「……」

「ふふ、しょうがない人だ。――ボクらは暗黒地帯の中心部にいる」

「――ッ!?」

「詳しい場所はネロが知っている。まさか古代種が千年やそこらで忘れてはいないだろう」

「戦後に生まれたお前が何故あいつを知っている?」

「面識はないけど、よく知っている人が同士に――っと、もう限界か」


 名残惜しそうに少女が呟く。薄れゆく表情に浮かんでいるのは落胆の色だ。

 カイの一刀は命一つを確実に刈り取った。少女の姿は徐々に闇色の粒子に還っていく。


「キミ達に覚悟があるなら暗黒地帯に踏み入るといい。“過去”がお相手しよう」

「俺はお前を斬る」

「うん、待ってる」


 研ぎ澄ました殺意に無垢な笑みが返される。

 言葉が通じているようで、根本的な部分で食い違っている。

 どれだけの時間をかけようと埋められない隔絶がそこにはあった。


「またね、カイ・イズルハ」


 そうして、少女の姿は完全に消え、後には影の欠片ひとつ残らなかった。



 暫く呆然としていたカイは意識して息を吐き、知らず握りしめていた刀の柄を緩めた。

 今夜の邂逅がどう受け止めるべきか。脳はまだ若干の混乱の中にある。

 それでも、心に誓ったことがある。


 ――アレは“敵”だ。そう決めた。


 たとえ、何もかもが変わり、神と敵対しようとそれだけは変わらない。

 故に、今することも変わらない。目標が明確になっただけだ。

 刀を納め、移動を再開する。


 ひとり闇夜を進む男を、月だけが見下ろしていた。

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