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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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1話:再出発

 ぴゅう、と口笛のような鳶の鳴き声が草原に響く。

 薄い朝靄の中、少しずつ秋に近付いていく風はまだぬるい。いずれは北風に変わるそれも今はまだ夏の残滓を多分に残している。

 イリスは雪のような白髪を風に流したまま目を細めて悠々と飛んでいく鳶を見送り、静かに霊弓“盲目のアース”を構えた。

 魔力に呼応して自動展開する琥珀色の長弓はイリスの上体よりも長い。見た目ほどの重さはないが、機動戦での取り回しには慣れが必要だろう。

 美しい弧を描き、一切の曇りのない姿はしかし、サムライが使えば刀気解放も可能な千年以上の時を経た魔導兵器のひとつに数えられる。


「――――」


 呼吸を細め、ゆっくりと弦を引く。

 材質は不明ながら、木の弾性と鉄の硬さを具えた弓が美しくしなる。

 まだ数度しか使っていないのにこの長弓はそれでも体の一部のようによくなじむ。

 通常、弓は弦の張りの強さに比例して膂力が必要になるが、この弓は魔力を通しただけで短弓のような引きの軽さで機械弓を超える威力を叩きだしている。

 それは現代の武器にはない魔力との親和性が為せる失われた技術の欠片であった。


(この弓は『魔弾の射手』との適合を念頭において作成されたのね)


 確信に近いその想いと共に矢を放つ。

 ひゅう、と高音の風切り音が耳を撫で、次に瞬間には五百メートル先に設置した的を貫いた。

 矢は中心を爪の先一つ分ほど外している。

 心中で落胆をひとつ。“中るべくして中る”のが射手としての心得だ。この様ではまだまだこの弓を使いこなしているとは言い難い。

 とはいえ、現状ではサードアイを発現させないと飛翔精(フィルギア)を展開することはできない以上、イリスの主武装はこの長弓による射撃になる。


「しばらくは訓練ね」


 晴れた空にぼやきを放ち、そっと霊弓の表面を撫でる。

 作成方法はおろか材料すら皆目見当つかない美しい弧にはかつての栄華の残り香が感じられた。



 さらに百射ほどしたところでイリスは構えを解いた。

 魔力量にまだ余裕があるが、何度か代えた的も尽きた。

 実戦に耐える程度には練った。もう二、三日で型に嵌まるだろう。

 自身の感覚に照らしてそう結論付け、少女は乱れた白髪を指で梳いて一息ついた。

 先日からリボンは外したままなのだが背中で髪が暴れる感覚はどうにも慣れない。

 もう一度結んでもいいのだが、補修しつつ十年使い続けたリボンがかなり傷んでいたことに気付いたので、今は小袋に入れて懐に入れている。

 装飾品は使ってこそとも言うが、思い出の品が千切れてしまうのはさすがに勘弁願いたかった。


(いい機会だし、代え時なのかな?)


 折角だからお揃いのでも買うかと、離れて鍛錬しているカイに目を向ける。

 新しく手配した黒色の道衣に包まれた姿と細い尾のような後ろ髪が視界に映る。

 よくよく言い聞かせた効果があったのか道衣はそれなりに高価な品のようだが、一方で、うなじで後ろ髪を括っているのは明らかに安物の麻の紐だ。さすがにどうかとイリスは思った。


「そっちはどう、カイ?」

「問題ない」


 視線に気付いていたのだろう。応える声に驚きはない。

 目を閉じたまま微動だにしない侍の許にふわりと風が吹き込み、ガーベラの上に木の葉が舞い降りた。

 次の瞬間、僅かに紅葉していた葉は一瞬で細切れに千切れ飛び、その時には既にカイは刀を腰の鞘に納めている。

 離れて見ていたイリスでも初動を見落とすほどの剣速。

 先日のルベドとの戦いを経て、カイはさらに位階を上げ、英雄級となっていた。


「調子良さそうね」

「……そちらもな」


 イリスの方へ向き直ったカイは視線と共に言葉を投げ返した。

 実際、イリスは強くなった。カイは事実としてそれを認識している。

 肉体は本来の性能を発揮し、混血を抑えることから制御する方向に変わったことで従来あった精神のムラもなくなった。

 そこに秘匿技術『魔弾の射手』と古代種製の魔導兵器が加わっているのだ。

 今はまだ急激な成長に精神が追いついていないが、少女の能力からすれば十分に許容範囲内だ。


「なあに? 眉間に皺が寄ってるわよ」

「気にするな」


 イリスは変なの、と呟きつつカイの額を指でつつく。

 僅かに熱を持ったその指先は男の心に微かに小波を立たせた。

 額に触れる指の感触は僅かに固い。幾度も弓弦を弾いた指だ。その固さは戦いと鍛錬の証だ。


 はじめはイリスも長弓に触れるのに躊躇があったが、それも今は無くなっている。

 ただ、父親(ルベド)のことが話題に出ることはなく、時々遠くを見つめていることがある。

 乗り越えたのでもなく、吹っ切れた訳でもなく、心におさめたのだろう。

 この少女らしいといえばらしい。カイはそう思った。

 同時に、自分が隣にいても出来ることはそう多くはないとも思う。

 今、イリスに必要なのは心を整理する時間だ。


「そろそろ店が開く頃ね。食料買って発つんでしょ?」

「ああ」

「私も買いたいものあるし一緒に行きましょう」

「了解」


 稽古の終わりを察したイリスが隣に並ぶ。

 ぽつぽつと何気ない会話を交わしながら二人は草原を後にした。



 ◇



 太陽が昇ったばかりだというのに学園の商業区は賑やかだ。

 客引きの声が幾重にも木霊し、混じり合って判別の付かない雑多なにおいが辺りに充満している。

 魔物の増加に比例して依頼も増えている現状、学生にとっても商人たちにとってはまたとない稼ぎ時だ。そこかしこで値引きもそこそこに携行食が叩き売られ、武器が担ぎ出されている。

 ぽつぽつと混じっている春に学園に来た親入生新入生達の顔も、ひと夏を乗り超えて見違えるほど精悍になっている。彼らは装備も充実しており、冬になる頃には上級生と見分けがつかなくなることだろう。

 そんな熱気の中で、二人は人混みを適当に避けつつ必要な物を買い集めていった。

 今回遠出するのはカイだけだ。馬や馬車も使わないので荷物は最小限に留めなければならない。


「何日くらいになりそうなの?」

「早ければ三日で済む。長引けば……五日程度か」

「貴族に会うのにそれで済むのはさすが使徒ってところかしらね」

「相手はネロだ。貴族である前に師であり、同僚だ」


 特に約束はしてないので忍びこむつもりだ、とはさすがに言えなかった。

 ともあれ、買い物はイリスに任せた方が効率がいい。

 自分の出不精ぶりを棚に上げて、カイは続々と揃っていく荷物の整理に終始した。


「イリスは髪結い紐を買うのだったな。……供はソフィアでなくてよかったのか?」


 一通りの準備が整った所で、今度はイリスの買い物だ。

 カイとしても時間にはまだ余裕があるので付き合うつもりではあった。

 付いていった所で、役に立つかは微妙なところであろうが。


「うん。前は貰ったから、今度は私からあげたいの」


 そう言って、イリスは照れたようにはにかんだ。

 暖かな日差しのような可憐な姿にカイは微かに目を細めた。父親が失われ、それでも少女の中に愛が残ったことが嬉しかった。

 手に残る親娘を刺し貫いた感触は拭えないが、それでも救いはあったのだと思えた。


「……そうか。店は決めているのか?」

「んー、どうしようかしら。カイ、良い店知らない?」


 冗談めかして、イリスは半ば否定されることを想定して問いかけた。

 だが、少女の予想に反し、カイは無言で一軒の店を指さした。

 その先にあるのは、路地裏に建つ分厚い布のテントで四方が覆われた露店。

 以前にソフィアの緑杖“ベール・ブランシェ”を買った店だった。



「おや、前に連れてた嬢ちゃんとは違う娘だね」

「……仲間だ」


 天幕内に入ったカイを迎えたのはややぞんざいな歓迎の言葉であった。

 相変わらず商売する気があるのか怪しい店内にはターバンを巻いた老齢の店長しかいない。

 自分の顔を覚えていられたのも、数カ月の間、他に客が来なかったからではないかと、カイは秘かに疑った。


「へえ、学園内にこんな店があったんだ」

「いらっしゃい。狭い所だから気を付けてくれよ、嬢ちゃん」

「あ、はい。……ねえ、カイ、この店って何屋さんなの?」

「わからん」


 小声で問われたカイは端的に応えを返す。

 テントの中に所狭しと並べられているのは相変わらず用途の不明なガラクタと古ぼけた装飾具ばかりだ。

 ただ、あまりに不統一であるから紐のひとつくらいあるのではないかと考えたのだが――


「髪結い紐ねえ。そんな大したものは無いけどね……」


 問われた店主の反応はあまり芳しくなかった。器用に片目を細めて店内を見回す様には若干面倒臭そうな雰囲気が漂っている。

 そして、ないことはないけどね、と前置きしての布製品の集められた一角を顎で示した。

 そこには嗅ぎ慣れない香の焚かれたハンカチや奇怪な文字が刻印された包帯等々、うさんくささを形にしたような品々が堆積した埃と共に積まれていた。

 店主は顎をしゃくったきり動こうとしない。自分らで探せということだろう。しかし、そこは日頃から一行の物資購入を担っているイリスである。

 少女は腕まくりをしてざんざいに積まれた山に突撃した。

 とはいえ、意気に反してその手つきは丁寧で、慎重に埃を払い、ついでに分類分けまで行っている。

 そうして、少女は鼻歌を歌いながら明らかに常用できそうにない品々をかき分け、まともそうな品を選んで早速吟味に入った。


「……店主、次に会った時に頼もうと思っていたのだが、これを精錬できるか?」


 手伝おうにも邪魔するだけだろうと離れて見ていたカイは、同じく暇そうにしている店主に懐から取り出した澄んだ蒼色の宝玉を手渡した。

 カイとしては半分はイリスの望む品がみつかることを願いつつも、もう半分はそれを渡す為にこの店を選んだようなものだった。


「これは……ドラゴンハートかい?」


 先程まで飄々としていた店主の顔が強張り、頬にひと筋の汗が流れる。

 会話のついでのように渡されたのは竜の心臓が結晶化したこの大陸でも最も価値の高い宝玉のひとつだ。

 受け取る手も僅かに震えている。仕方のないことであろう。加工前とはいえ、ドラゴンハートには値段が付けられない。それほどに希少な物なのだ。


「……持ち逃げするとは思わないのかい?」

「この天幕を覆う“姿隠し”、おそらくは香炉型。嗅覚を介して害意ある者を遠ざけている。店主の作だな?」


 表通りがごった返している中、路地に一本入ったくらいでここまで寂れているのは異常だ。

 店が視界に入っても認識し難いのと併せて考えれば、何かしらの道具による術効なのは明白。

 そして、それだけの効力を日がな維持するには、店主本人が優れた錬金術士でなければ叶わぬことだ。

 果たして、店主は驚いた様子でずり落ちかけたターバンを手で押さえた。


「前に来た時には気付いていたのかね。やれやれ。においは殆どなかった筈だが?」

「師に鼻のきく者がいる。……それで、これほどの腕の錬金術士が学園を離れられるのか?」

「たしかに。錬金術を探求するには此処か青国の大図書館が最適だ」


 逃げ場がないね、と店主は肩を竦め、改めてドラゴンハートを検分した。

 皺だらけの目は既に商人のそれではなく、探究者のそれだ。


「第三世代の火竜の核だね。状態はいい。傷も少ない。精錬は可能だけど、少々時間を頂くことになる」

「構わない。金も好きなだけかけていい」

「剛毅なことで。型は指輪でいいかい?」

「ああ」


 狂的なペースで依頼をこなしながらも、これといって趣味のないカイの懐には十年は遊んで暮らせる量の金貨が眠っている。

 その中から手付け代わりに数枚ほど店主に手渡した所で、カイはイリスに呼ばれて視線を戻した。


「これどうかな? 不思議な魔力を感じるけど」

「どうと言われてもな……」


 元は飾り紐だったのか。イリスの掌上には細く精緻に織り込まれた白色の絹紐が載っていた。

 薄れて久しい希薄な魔力はカイの心眼では捉えられないが、陰気な感じがするものではない。

 見た目については、無論、カイにどうこういえるだけの素養はない。

 結論として、男は喉の奥で唸るばかりで人語を発することはなかく、見かねた店主が助け船を出した。


「そいつは精霊が織ったって逸話のあるやつだ。実際のところはわからんし、銀貨一枚でいいよ」

「じゃあ、これにするわ」


 もう少し悩むものかと思っていたカイは即断したイリスに意外、といった風の視線を向ける。

 だが、少女はもう決めたらしく「毎度あり」とおざなりに告げる店主に迷わず銀貨を数枚渡していた。


「気に入ったのか?」

「うん。それにお揃いにできるし」


 そう言って笑うイリスの手には四本の白紐が握られていた。



「カイ、後ろ向いて」


 天幕を出てすぐ、イリスは有無を言わせずにカイをひっくり返した。

 そのまま黒髪を適当に括っていた麻紐を解いて買ったばかりの白紐に付け替える。


「はい、できたわよ。あ、この紐は貰っていい?」

「……好きにしろ」


 さすがにここまでくればイリスのそれが空元気であることはカイも察しがついた。

 だが、笑おうと、前を向こうと奮起する少女を否定するのはあまりに無粋だ。

 カイは口元を歪め、殊更に肩を竦めてみせた。


「俺はいいが、クルスはどうする気だ?」

「あ……シオンに付けてあげましょう、うん」

「浮かれ過ぎだ」

「もう、誰のせいよ誰の」


 男の不器用な気遣いを察して少女は微笑んだ。

 無骨な優しさは沈みかける心をそっと掬い上げていた。


「今から出るの?」

「ああ。ソフィアもまだ実戦では動けんだろう」

「そうだけど……」


 数日寝込んでいたソフィアが実戦に復帰するには今しばらくの時間が必要だろう。


「まだ起きたばかりなんだし、傍にいてあげられないの?」


 あの子は寂しがり屋だし、とイリスは告げる。

 言葉ではカイが止まらないとわかっていても、せめて知っていて欲しかったのだ。


「……事と次第によっては第一位(ネロ)と戦闘になる。ここで殺し尽す訳にはいかないが、命のひとつふたつは覚悟させねばならない」


 それ故に、己を研ぎ澄まさねばならない。

 カイの答えは変わらない。

 そこで他者を求めないのは――師と戦うことになった場合の責を負わせまいとするのは、ある意味でこの男らしい。


「ん、わかった。まあ、アンタはそう言うと思ってたけどね」

「……イリス」


 その時、困ったようなカイの声音を聞いて初めて、イリスは己がカイの袖を掴んでいたことに気付いた。

 自覚のない指先の働きに頬が上気するのを感じて、慌てて手を離した。


「あ、その……」

「寂しがり屋ばかりだな、俺達は」


 カイはわたわたと暴れるイリスの手を取って、ぬくもりを分け与えるようにそっと握った。

 固くて柔らかい、しかし、紛うことなき剣士の手が射手の白い指を包み込む。


「ごめんなさい。……その、ありがと」

「気にするな」


 少女の顔に浮かんだ憂いを含んだ陶器のような笑みが男の胸を衝く。

 これ以上、何も失わせない。その決意が男の五体に満ちる。


 触れ合いはごく僅かな時間だった。

 イリスがほっと息をついた時には既に互いの手は離れ、カイは踵を返していた。

 いってらっしゃい、と告げた言葉に応じるように右手が挙げられる。


 ――刹那、男の背がじわりと闇に滲んだ。


 見送るイリスは目を瞬かせたが、徐々に小さくなっていく姿に異常は見られない。

 少女は気のせいだったかと首を捻るが、ついぞ答えは出なかった。



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