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刃金の翼  作者: 山彦八里
三章:暗雲
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幕間:虹の一色

「お疲れさまでしたー」


 ある日の夕方、学園内の教会の治療室で手伝いをしていた獣人(セリアン)の少女メリルは、運ばれてくる人数が落ち着いたのを確認して監督役の神官(クイント)に暇を申し出た。

 いつも通り、特に拒否されることもなく提案は受理され、少女は一礼してそそくさと治療室を出ていく。

 歩きながら白衣を脱ぎ、腰に巻きつけていた尻尾を外に出し、軽く伸ばすようにくるりと振って、ようやく一息ついた。

 セリアンは人族と比べて遥かに嗅覚が鋭い。そのため、仕事とはいえ血と薬草のにおいの充満した治療室に長時間いることはそれなりにストレスがかかる。


(さすがに今日みたいな大入りは疲れますね)


 公共の用に供されているとはいえ教会内だ。メリルはひとりごとも心中で呟くに留め、白衣を返却しに居住区へと向かった。

 一緒に治療に従事していた手伝いの学生は既に居ない。

 今回の報酬は金銭ではなく学園の合格単位であるため、規定時間外まで働いても得はないのだが、それにしても人手不足の治療室に対してやや薄情ではないかとメリルは思った。

 だが、通りがかりに覗いた休憩室でぐったりしている数人の学生を見て、その疑念は解消された。

 彼らは規定時間外まで働かなかったのではなく、働けなかったのだ。


(魔力か体力か。今日の感じだと枯渇したのは魔力でしょうか)


 めいめいソファや床に突っ伏している学生を見遣りつつ、メリルはひとりごちた。

 昨今の魔物の増加に伴い、教会の治療室に転がされている冒険者の数は日増しに増加傾向にあり、一方でクレリックの手は年中不足している。

 生まれついての素養が必要なうえ、単独戦闘能力の低い回復専門職は成り手が少なく、需要と供給の均衡は崩れて久しい。

 そうした事情もあって、クレリックは戦闘系の試験の代わりに教会での治療実務である程度の単位を確保できるようになっている。腕が良ければ、そのまま学園を卒業後に各地の施療院に招かれる者もいる。


(そもそも、クレリックじゃ戦闘試験なんて絶対合格できないですし)


 空を飛び、掌打で城崩し、無数の大型ゴーレムを喚ぶ等々と戦力的な意味で自由すぎる教官たちを脳裡に思い浮かべてメリルはぶるぶるとかぶりを振った。

 規格外戦力が充実している学園の修羅具合を改めて認識して目がくらむような気分になる。

 二級ギルドの一員として方々で依頼を受けていたからこそわかる。

 英雄級(あんなの)と単独で戦うなどという無茶ぶりに応えるよりかは教会で一日中悲鳴を聞き流し、返り血を浴びる方がはるかにマシだ。

 レンジャーの加護を得て自衛力が増したとはいえ、メリルの本領はあくまで後衛での治癒と指揮だ。長所を活かす形で卒業資格が得られるならそれに越したことはない。


(今日のお祈りも済ませておこう)


 寮からローブを取ってきてもう一度来るのも億劫だ。ついで、というと些か信心を疑われるが、祈る気持ちに嘘はない。

 自分の要領の悪さに若干の溜め息をつきつつも、メリルは礼拝堂の大扉を開けた。


 獣人(セリアン)は白神の眷族であることもあって信心深い者が多い。ご多分に漏れず、メリルも両親から、特に神官である父からそれなりに敬虔な信仰心を受け継いでいる。

 なにより、契約者にとって五色の神には加護という明確な“ご利益”がある。己の勝利と無事に関して神に感謝をささげる者は少なくない。


「メリル?」


 だから、他人の何倍もの勝利を積み重ねていたクルス・F・ヴェルジオンが礼拝堂にいても不思議ではない。

 思考ではそう理解していても、突然の再会にメリルの猫耳はぴんと緊張を示した。


「おおお久しぶりです、クルスさん!!」

「久しぶりだな。メリルも礼拝に?」

「は、はい!! ご一緒してもよろしいですか?」

「勿論だ」


 お互い、特にメリルには拒む理由はない。

 他の参拝者の邪魔をせぬようトーンを落とし、二人は連れだって礼拝堂の中を進んでいく。


 歩きながらメリルはここ一年で随分と親しくなった青年を横目でちらりと見遣った。

 お互い依頼に忙殺されていた事もあって、鎧を纏っていないクルスを見るのは久しぶりだ。

 装飾具のひとつもなく、白のシャツと灰色のスラックスだけという簡素な装いも青年の実直な性格を表しているようで好感が持てる。

 惚れた弱みとも言う。相変わらずメリルの鼓動は落ち着く気配をみせない。


「ローブでないということは、今日は休日だったのか?」

「いえ、先程まで治療室でお手伝いしていたので、そのついでですが……」

「恥じることはない。貴女の行いは立派なものだ。昨今の状況ではアイゼンブルートも忙しいだろうに」

「ありがとうございます。で、でも卒業はなんとかなりそうですからご心配なく!!」


 頬を染めたまま、メリルは言外にヴェルジオン家へのスカウトに応じられる旨を告げた。

 親友がこの場にいれば「よく頑張ったな」と言うであろう程度には、少女にとって勇気のいる発言であった。

 各種交渉、兵站構築、指揮、適時の治療までやってのけるメリルの技量は英雄級とまではいかないものの、二十歳に満たぬ年齢を鑑みれば十分に優秀な部類だ。

 よって、学園屈指のギルドのひとつである“アイゼンブルート”のサブリーダーを名乗って問題のない域ではあるのだが、いかんせん告げる相手が悪い。


 ギルド“アルカンシェル”。この半年の間に、白国で起きた革命を鎮圧し、海に出ては伝承の中の海獣『大喰い』を倒し、緑国辺境では森に隠された怪樹を焼き滅ぼした等々――メリルにしてみれば話に聞いただけで卒倒しそうな武勲の数々。

 ギルド連盟において一級ギルドの称号が名誉職である以上仕方のないこととはいえ、同じ二級ギルドを名乗るのが悪いような気さえしてくる程の隔絶だ。

 ……それらが赤国支部長ベガ・ダイシーの無茶ぶりの結果だと知れば、少女にも多少の共感はあったのかもしれないが。


「そうか。それはよかった。こちらとしても助かる」


 だからこそ、クルスが笑みと共に此方の言を受け入れたことは、少女に大きな安堵を与えた。

 そして、多少の余裕が回復したことで青年の笑みに隠れた影にも気付くことが出来た。


「あの、クルスさん、何かあったんですか?」

(トラブル……じゃない。たぶん解決してる。なら、心情的な問題?)


 乙女の勘、というにはメリルのそれは鋭すぎる。

 想い人の前で一喜一憂していようと、少女が隊を率いる指揮官であることに変わりはないのだ。


「……ああ」


 返事は明瞭な物言いを好むクルスにしては随分と歯切れの悪いものであった。

 無遠慮な物言いだっただろうかと今になってメリルは顔色を青くするが、何か言うよりも先に礼拝堂の奥に到着してしまった。

 途切れた会話のままに二人は各々跪き、手を組んで祈りをささげる。

 天井近くに配された五色のステンドグラスが夕日を透かして色鮮やかに輝く中、無言の祈りが捧げられる。

 五色の神それぞれに聖句はあるが、五柱とも祀っている教会では無用ないさかいを避ける為、心中で唱えるのが一般的な作法である。


 五分ほどして、どちらともなく立ち上がった二人は無言で礼拝堂を後にした。

 何もなければここで別れることになる。食事に誘えるような雰囲気ではない。

 だから、メリルはもう一度勇気を振り絞った。

 数歩クルスの前を行き、振り返って青年の蒼い瞳と真っ直ぐに視線を合わせる。


「私でよろしければ、その、お話を聞くことはできます」

「いや……」

「私ではお役に立てませんか?」


 純に想いを寄せる少女の気遣いを拒めるほど、クルスは冷たくはなれなかった。



 ◇



 夕方は学生の多くが商業区や麓の酒場に行く時間だ。

 石畳が敷き詰められただけの学園正門横の広間には他に人影はなかった。


「そうですか。イリスさんが筆頭従者を辞められて……」

「おそらく後任の決定は俺が当主になる時期に合わせることになるだろう」


 一通りの話を聞いて、メリルは言葉に詰まった。

 クルスはぼかして話したが、凡その察しはつく。

 拾い子であるイリスに身内のトラブルがあったというが、クルスの表情を見る限り壮絶な事態だったのだろうと、それが分かるくらいにはメリルも人生経験を積んでいた。


「イリスが居場所を見つけたことは、それが俺達のギルドだったことは本当に嬉しかった。あいつはもう自分で立てる」


 ナハト姓を返上し、“セルヴリム”の姓を継いだイリスはもう前を向いている。辛さも悲しみもその心に秘めたまま、それでも前を向いている。


「そうできたのはソフィアのおかげだ。ソフィアは一年前、ギルドを結成した時には既に備えていた。イリスの為に、あるいは俺やカイの為に」


 アルカンシェル――“空にかかる弓”、ソフィアの提案したギルド名は己の生まれに不安を抱いていたイリスの為だけのものではないのだろう。

 ヴェルジオンの次期当主という立場に縛られたクルスのために、あるいは、魔力を喪って今までの生き方が出来なくなったカイのために。

 それは、あの七色の虹のように、異なる色、異なる生き方、異なる生まれでも共にいられると、新たな(ジブン)を見つけられる筈だと、そう願った故の名前なのだろう。


「ソフィアはずっと未来をみていた。俺がギルドの結成を考えなしに喜び、目先の戦争に目を向けている時にも……」


 リーダーとは先を示す者であるとクルスは考えている。

 腕が立つとか頭がきれるといった要素はリーダーの本質ではない。前に立つか後ろで見守るかも関係ない。

 船長が船の行く先を決めるように、未来を目標を皆にみせること。

 それこそがリーダーの為すべきことである筈なのだ。


「ソフィアは名を以てギルドの行くべき先を示していた。あいつはもう他者の“声”に怯える子供ではない。それがとても誇らしく、少しだけ寂しい。もう俺が守る必要は……」


 クルスははっと我に返った。慌ててメリルを見遣る。

 自分に仕えるとまで言ってくれた相手に長々と愚痴を吐くなど、恥ずべき事に他ならない。


「すまない。つまらない愚痴を聞かせてしまった」

「――クルスさん」


 頭を下げようとするクルスを真摯な声音がやんわりと止めた。

 顔を上げれば、メリルは改まった、しかし、どこか慈愛を感じさせる表情でクルスを見つめていた。

 そこには先程までのおどおどした雰囲気はない。


「あなたのお心は何と言っていますか?」


 夕日に照らされる中、少女は静かに問いかけた。


 神官であった父から教わったことだ。

 後悔する人、懺悔する人に手を差し伸べることはできても、引き上げる(・ ・ ・ ・ ・)ことはできない。

 悩める者を他者が救うことはできない。差し伸べた手は相手が立ち上がる為の補助に過ぎないのだ。

 それが長年にわたって教会に勤めあげた父の出した結論だった。

 学園に来る前のメリルではその意味する所はわからなかったが、今はおぼろげながら父の言いたかったことが分かる気がした。


 “死を数えてはならない”

 それはクレリックの訓練で最初に教わることだ。

 治癒術式を技能とするクレリックは他のどのクラスよりも死に近い場所にいる。

 救えなかった命を忘れてはならない。しかし、死に囚われては次を救えなくなる。

 迷いは術式の行使を妨げる。他者の命が懸かった場でクレリックは迷ってはならないのだ。


 メリルとて延命と救命に手を尽くし、それでも末期を看取らねばならなかった人の数は片手では足りない。“原初の海”より魂を呼び戻すクレリックの秘匿技術『命脈流転』を使えぬ己の身を嘆いたことも一度や二度ではない。

 目に見える命を救うことさえそれほどの難事なのだ。ならば、目には見えない“心を救う”のはどれだけ困難なことだろうか。


 メリルは思う。クルスの悩みは親しいからこそ、信じているからこそ仲間には打ち明けられなかったのだろう。

 守るという行為は必然的に守られる(・ ・ ・ ・)という立場を相手に課す。

 それは時として共に歩む仲間に対する侮辱にもなり得る。特に、何も取り零さぬようにと広げられた守護では、そのおそれは大きくなるだろう。

 仮に、クルスがソフィアやイリスにこの悩みを打ち明けたら、ふたりは困ったように笑うだろう。メリルの友人でもある彼女たちは他者の重荷になることをひどく厭う人物なのだ。


 だから、メリル・ケナインはクルス・F・ヴェルジオンの言葉を待つ。

 己の心に問いかけ、そこから生まれる言葉はきっと自らを救うきっかけとなる。

 手は差し伸べる。けれど、立ち上がるのは自分の足だ。

 戦場を共にしたからこそわかる。この将来の主はいつかは己の足で立ち上がるだろう。

 もし、今は立てないならその時が来るまで支えるだけだ。


「ありがとう、メリル。随分と楽になった」


 だが、その心配は杞憂だったようだ。

 クルスの表情には清冽とした覇気が戻っていた。一時の迷いは晴れたようだ。

 叶うならば、その心が何と告げたのか訊いてみたかったが……無粋だろう。


「この礼はまたいずれ」

「お気になさらずに、というのも失礼になりそうですね。なら、楽しみにさせていただきます」


 そうして、おだやかな空気の中で笑みを交わし、次に会う約束をして二人は別れた。

 大きな喜びとほんの小さな寂しさを感じつつ、メリルは遠ざかるクルスの背にそっと祈りを捧げた。


 これから先、クルスがもっと大きな迷いを得た時、それを晴らすのは自分ではない。

 メリルには漠然とだがそれがわかってしまった。

 きっと“その時”に求められるのは支える者でも、癒す者でもなく、道を斬り拓く者なのだろう。

 それでもいいとメリルは思えた。

 誰もが先へ先へと行ってしまっては騎士の背に誰もいなくなってしまう。

 ひとりくらいは騎士が振り返った時に微笑み、支える者がいてもいいだろう。


 ――白神イヴリスよ、どうか、かの者にいと高き恩寵をお与えください


 ただ一人の為に紡がれたその祈りは、静謐の中で天高く響いていた。

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