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曇り空

 年が明けてから判明したことだが、テイオーはスタート直後に腰を痛めていたらしい。そしてリフレッシュも兼ねて鹿児島の牧場へと放牧に出される事となる。


 かたや僕はと言えば、相変わらず仕事に忙殺されてはいたものの、暇を見つけては競馬に勤しんでいた。


 僕の仕事は旅行会社。年末の繁忙期が終われば次はスキーツアーの手配に追われ、それが終われば卒業旅行。それから休む間もなくゴールデンウィークへと突入してゆく。

 そのわずかな間隙を縫って、僕はある計画を遂行しようとしていた。


 テイオーに逢いに行く。


 それをずっと考えていたのだ。普段は遠い空の向こうにいるテイオーだが、わざわざ九州にやってきているのだ。


 これを逃す手はなかった。




 軽いバイクの排気音がずっと一定の音階を刻み、ヘルメットの中でこだましている。まだ肌寒い空気を押し分けるようにして退屈な高速道路をひたすら南下していた。


 あくびを噛み締めながら、何度目かのトイレ休憩をすると、昼食がてらに買い求めたスポーツ新聞を開いた。


『ビワハヤヒデ大本命』


 春のクラシック(三歳馬のみ出走出来る三冠レース=皐月賞、ダービー、菊花賞。牝馬限定で桜花賞、オークス、秋華賞となる)のステップレースの記事だった。


 この時有力馬として名前を挙げられていたのは他にウイニングチケット、ナリタタイシンの二頭。


 クラシックは三強対決と目論まれ、例年にない盛り上がりを見せていた。時代は確実に新しいスターホースを生み出しつつあり、置き去りにされたようなテイオーの境遇に焦燥感を拭うことが出来ない。


 甘口のカレーライスを頬張りながら他のライバルにも注目すると、やはり長距離の王者メジロマックイーンが堂々主役のようだ。


 やはり焦る。馬の活躍期間というのは極めて短く、何度も骨折していてはその旬の時期を逃してしまうからだ。


 僕が焦っても仕方ないのだが、残りのカレーをかき込むようにして平らげると、水を流し込んで慌てて席を立った。


(待ってろよ!)


 まあ、相手にしてみれば待ってはいないだろう。単なる迷惑な見学者かも知れない。


(気持ちだよ、気持ち)


 自分に都合の良いように解釈しながら再び高速道路を駆け、目的のインターを降りると南国とは思えない寂しい海沿いの道へと出る。


 気温はさすがに暖かくなってきたが、その景色は異様なほど寒そうに見える。


(こんなとこに牧場なんてあるのかなあ?)


 左右にせわしなく走らせていた目も次第に動きが鈍ってきた。人里もなくなり対象物が無くなってきたのだ。


 かわりに湧いてくる不安。何度か止まって地図を確認しながらさらに進んだ頃、目指す牧場の看板は頼りなさげに建っていた。


「あった……」


 ようやく見つけた目的の牧場は海の近くにあり、のどかな牧草地をイメージしていた僕のビジョンは粉々に砕け散ることになった。


 場内へ続く道への入り口でバイクを停めると、歩いて場内へと入って行く。エンジン音で馬を驚かせてはいけないからだ。


 奥に見える厩舎は最新の設備などとは無縁に思えるほど小さく小汚い。もちろん牧場自体を見るのは初めてだし、自分の中で創っていた理想の牧場と比べていただけなのだが……


 やがて前方から関係者らしき人が登り歩いてきた。遠くからでも怪訝そうな表情を浮かべているのがありありと分かり、少し気後れして頭を下げる。


 そのキャップの下から覗く肌を真っ黒に焼いた中年男性は思いの外大きな声で話しかけてきた。


「何か用か?」


 多少荒っぽい言い方だった。僕はおずおずと目的のテイオーの事を話す。


 関係者の方は濃い眉を持ち上げると嘆くように言い放った。


「もうおらんよ。今頃北海道に行っとるはずやぞ」


「ええっ! 本当ですか」


「あんた新聞読んでない? また骨折しとるぞ」


「嘘……」


 当時はインターネットなど全く無い時代。情報は全てスポーツ新聞に頼らざる得ない時代だ。


 毎日欠かさず読んでいるならともかく、たまにしか買わないようでは情報は入ってこなかったのだ。


 ガッカリだった。


 つい今し方まであれほど胸が高鳴り熱くなっていたものが、急激にその温度を失してゆくどころか新たな危機感に苛まれる。


 まさに天国から地獄へ……だ。


「また骨折したんですか?」


「軽いらしいけどな」


 僕は大きく吸い込んでいた息を吐き出した。それには嘆いた声が混じってしまい、胸のうちがいかに沈んでいるかを物語るものだった。


(北海道かあ……)


 僕は空を仰いだ。曇り空が切れ目なく続き、晴れることがないような気がしてくる。


 おそらく僕の心もいま、他人から見ればこんな風に映るのだろう。




 無駄足を返して再び高速道路をひた走る。


 その時一台の車が荒っぽく追い抜きをかけてきた。ムシャクシャしていた訳ではないが、なぜか僕の癇にさわるものだった。


 アクセルグリップを握る手が熱くなり、風切り音が耳にさわるほどの大きさになる。


 いったん交わすとその車は戦意を喪失したのかスピードを緩めてバックミラーから姿を消す。そのだらしなさを罵りながら、余熱を帯びた胸のなかで一つの決意がなされた。


 何というか、勢いだと思う。


(行ってやろうじゃねえの、北海道!)


 たかが競馬。たかが競走馬。でも、それでも……されどトウカイテイオー……なのだ。

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