25.戦場の霧
『こちらヒナギク2-1。2号車が被弾!』
第2小隊長の悲鳴に成仁中隊は騒然となった。さっきまで飛び交う通信が止まり、沈黙が戦場を支配した。上月と第3小隊もようやく状況を察したようで、120ミリ砲の射撃音も止まっている。
最初に沈黙から脱したのは成仁だった。
「ヒナギク2-1、こちらヒナギク6-0。状況を報告せよ」
しかし、返事は返ってこない。
「繰り返す。状況を報告せよ!」
すると、ようやく第2小隊長から通信が返って来た。
『6-0、こちら2-1。車体前部に被弾している!貫通はしていないが、大きく損傷している!』
「2‐1、こちら6-0。落ち着くんだ。すぐにそっちへ行く。他の車輌は円陣防御を敷くんだ」
中隊の戦車がすぐさま動き出した。被弾した2小隊2号車を中心に中隊の戦車が円陣を敷き、砲を外周に向けて警戒をする。成仁戦車はその間を縫って2小隊2号車のもとへと急いだ。
成仁は外へ出て砲塔の上に立った。すると砲身がだらりと下に向けたまま沈黙している2小隊2号車と、それに寄り添うように停まっている2小隊長車が見えた。そして、さらに向こうから中隊副長の上月車が近づいてくる。
自分の乗る戦車が停車すると成仁は砲塔から飛び降り、すぐさま2小隊2号車のもとへと駆け寄った。そこでは2号車の車長と砲手が、小隊長車の手を借りて操縦手を車体から引っ張り出そうとしていた。
成仁はそれに手を貸しながら、車長と砲手に向かって叫んだ。
「2人とも大丈夫か?」
すると車長が頷いた。
「はい。我々はなんとか…しかし操縦手の酒巻二等兵が返事をしません!」
それを聞いて初めて成仁は第2小隊2号車の操縦手が酒巻であることを思い出した。若い操縦主の笑顔が頭の中に浮かんだ。
「おい。大丈夫か!返事をしろ!」
成仁も必死に呼びかけを続ける戦車兵達に混ざって声を張り上げたが、酒巻から返事が無い。上月はそんな状況にショックを受けているのか、戦車を降りてからずっと立ち尽くしている。
「中隊長!連隊本部から救援です!」
大滝砲手は成仁の背中を背後から軽く叩いて報告した。成仁が振り向くと、大滝が指さす方向から十一式小型自動貨車と四七式戦車力作車がやって来るのが見えた。
四七式戦車力作車は四四式戦車の車体を転用した戦車回収車で、砲塔の代わりに大型クレーンを搭載し、車体前部には数十トンの牽引能力があるウインチが備えられている。被弾した2小隊2号車をそれで後方へ下げようというのである。
一方、ランクルの方には赤十字の腕章をつけた衛生兵と姶良連隊長の姿が見える。到着すると衛生兵が真っ先に駆け寄ってきた。
「負傷者は?」
操縦席から酒巻を引っ張り出そうとしている2小隊2号車の車長が衛生兵の問いに答えた。
「私と砲手は大丈夫だ。しかし操縦手に意識が無い」
車長がそう答えるのとほぼ同時に、車体から酒巻二等兵が引っ張り出されて、地面に横たえさせた。すぐに衛生兵が酒巻を診た。
「酒巻は大丈夫なのか!」
車長が衛生兵にすがりつくが、衛生兵は悄然とした表情で首を横に振った。
「ダメです。手遅れです」
それを聞いて車長はその場で崩れ落ち、周りの将兵達は騒然となった。遂に戦死者が出てしまった。しかも友軍相撃の為に。そして、その原因となった別働隊の指揮官であった上月が最もショックを受けているようだった。
一方、衛生兵は周りの騒然とする将兵達のことを意に介さず、ランクルの運転手とともに酒巻二等兵の遺体を担架に載せ、ランクルの荷台に運んだ。それから衛生兵は命に別状は無いものの傷を負っている車長と砲手の手当てに向かった。
連隊長の姶良は成仁の前に立っていた。
「大丈夫か?」
姶良の問いかけに成仁は頷いて答えた。
「部下を失うのは初めてです」
「私はこれで3回目だ。まぁ過去の戦争を戦った先達に比べればマシなんだろうけどな」
姶良の連隊は酒巻の含めて3人の将兵を失っていた。他の2人も友軍の誤射の結果だった。姶良はその事実にショックを受けていることに驚いていた。過去の戦争では日に何十人も死ぬことがあった筈なのだ。僅か3人の戦死にここまでショックを受けるのに、昔の指揮官達はどれほどの重圧を背負っていたのか。それとも犠牲の多さに心が麻痺してしまっていたのであろうか。
日本軍が敵に対して圧倒的なのも原因かもしれない。軍は3人の死を必要やむをえない犠牲だと言うだろうが、これほど圧倒的な戦闘なのにどうして犠牲が必要なのだろうと感じざるを得ない。敵がもっと激しく、熾烈に抵抗すれば諦めがつくのかもしれない。
だが、どう悩んでいても逝ってしまった者は帰ってこない。
「大尉。お前は自分の判断を後悔しているか?」
姶良の問いに成仁は頷いた。
「はい。挟撃作戦は私の責任で命令しました。私が間違っていたんです」
「それを忘れるな。お前はこれからも部下を率いて戦わなくてはならないんだ。お前の判断にその全ての命がかかっている。忘れるな」
「はい」
「それではできる限り早く前進を再開せよ」
それから姶良連隊長は被弾した戦車の牽引しようとしている四七式戦車力作車のもとへ作業を監督しに向かった。そして成仁は今後の方針を練るべく中隊の将校達を集めに向かった。
その途上で成仁は戦場へ向かう前に父から言われた言葉を思い出した。部下を死なせる覚悟はあるのか、と問われ、彼は分からないと答えた。その結果はどうだろうか。成仁はかなり冷静に思考している自分に驚いた。そう、冷静に考えなければならない。
その時、成仁の目に打ちひしがれて地面の上で平伏し泣きじゃくっている上月の姿が認めた。
「大丈夫か?上月!」
成仁は慌てて駆け寄り声をかけた。上月は上半身を起こして、駆け寄ってきた成仁を見つめた。その目に生気は感じられなかった。
「私のせいです…私が敵と味方の区別もつけずに攻撃を命じたから…」
「落ち着くんだ。この砂嵐だ。目標を誤認するのは致し方ないことだ」
「いえ…私の責任です…」
とてもじゃないが中隊の副長を任せられる状態ではない。成仁は重い決断を下さなくてはならなかった。
上月中尉は中隊副長の任務と解かれ、被弾した四四式戦車とともに後送されることになった。それからの処理が面倒だった。
まず上月の戦車の車長を用意しなくてはならない。それは簡単だった。上月車の砲手は中隊随一の砲手で、車長の代理をすることもできたからだ。しかし、そうなると今度は代わりの砲手が必要になる。
幸いにも被弾した2小隊2号車の砲手は軽傷で、すぐに戦線復帰できたが、彼を酒巻を殺したかもしれない戦車の砲手にするのは酷であろう。そこで第1小隊から砲手を1人選んで上月車の砲手を任せ、2小隊2号車の砲手はその代わりに第1小隊に配属された。これで一応は形になった。
上月車そのものの配置も問題だった。順当に考えれば被弾した2号車の代わりに第2小隊に配置するのが合理的と言えるが、同じ小隊の仲間を殺したかもしれない戦車を部隊に迎え入れるのは部隊の士気に影響するかもしれない。というわけで、砲手の問題と同じように第1小隊から第2小隊に1輌を移籍させて、上月車は第1小隊に配属された。変則的であるが、致し方ないことであった。
成仁中隊はようやく態勢を整えて北に向けて前進を再開した。成仁も自分の戦車に乗り込んだ。そこで成仁はようやく一息つくことができた。
「なぁ曹長。私は酷な人間だろうか?」
突然の上司の告白に砲手の大滝は眉をひそめた。
「どうしたんですか?大尉」
「酒巻の死は私にも責任がある筈だ。だが上月に押し付けて退場させ、自分は打ちひしがれている部下を冷徹に再編制して、また前進を始めている。部下からも酷な男だと思われてるんじゃないかな」
すると大滝は首を横に振った。
「大尉。一言、言わさせてください。あなたの仕事は部下に好かれることではありません。あなたは冷徹に任務を遂行しなくてはならないのです。それが部下の命を救うことになります。部下にはそれが理解できない者も居るかもしれません、しかし私には理解できます」
大滝は少し間を置いて続けた。
「あなたは部下を戦死させたことを後悔していますか?」
「あぁ。当然だ」
「ならば、それで十分です」
「ありがとう」
戦車第1連隊は北上を続けた。
砂漠の剣は今年中に終われると思います。