19.反撃は起床ラッパとともに
2月25日
その朝、成仁は自分の戦車の座席で目で目を覚ました。被っていた毛布をどかして、背伸びをする。狭い背内で伸ばした手が天井に当たる。彼が予想していた通り、快適な目覚めたとはいかなかった。無理な姿勢で寝ていた為に背中が痛んだ。
それから車内を見回すと、大滝曹長の姿が見えず、砲塔内に1人きりになっていた。
車長用ハッチから恐る恐る―外にイラク軍の兵士が銃を構えて待ち伏せているという可能性も万に一つだがある―顔を出し、外の様子を見た。大滝が見張りの兵士達とともにコーヒーを飲んでいた。
「あぁ、起きましたか?」
大滝が振り向いて成仁に気がついた。
「早起きなんだな。君は」
そう言ってから成仁は砲塔の外へと出た。空は明るくなりつつあるが、地上はまだまだ暗い。砲塔の上に立って、あたりの様子を眺めていると北の空が黒煙に覆われているのに気づいた。
「あれはなんなんでしょうね?友軍の爆撃の跡?」
大滝がコーヒーカップを片手に砲塔の上の成仁に尋ねた。
「いや。爆撃にしては広範囲過ぎるなぁ」
事前の説明で多国籍空軍は民間人への被害を最小限に抑えるために精密誘導爆弾を中心にしたピンポイント爆撃に重点を置くと聞かされていた。そんなお題目がそのまま実現できるかは甚だ疑問だったが、すくなくとも前の大戦のような大規模な絨毯爆撃が行なわれるわけも無く、爆撃であのような巨大な黒煙の塊が出現するとも思えなかった。
実はクウェートを占領していたイラク軍がクウェートの精油所や油田を破壊して沿岸部に大火災が発生していた。彼らが見ていたのは、その煙だったのである。
それから中隊の全員が起床し―叩き起こす必要があった者も何人かいた―、朝食を食べた後、大隊本部からの指示が届き、その内容を検討し、成仁は部下達に伝達しようとした。その矢先だった。
「エンジン音らしき音が聞こえます!」
見張りの兵士がそう報告してきた。成仁はただちに上月副長に指揮を委ねると、自分の戦車に乗り込んで偵察に向かった。
空が白み始めているとはいえ、まだまだ暗い砂漠の朝の偵察には熱線映像装置が不可欠だった。敵の発する赤外線を捉え、完全な闇夜の中でさえ敵を捉えるこの暗視装置はこの時も優れた性能を発揮した。
「戦車ですね。ものすごい数です」
大滝が砲手用ペリスコープを覗きながら興奮して叫んだ。
「そのようだな」
成仁は砲手用ペリスコープの捉えた映像を映すテレビ画面を見ていた。車長用ペリスコープには暗視装置が備えられていない。テレビ画面には数十台というおそらく大隊規模の戦車部隊が捉えられていた。
「イラク軍ですかね?」
大滝が尋ねた。友軍が大挙して彼らの前を通るという話は聞いていない。
「だと思うが…」
成仁は確信を持てなかった。暗視装置のおぼろげな画像では戦車の車種を断言できなかったからだ。だが、彼らの向かう先には海兵隊の補給部隊が居る。
成仁は中隊無線網の発信スイッチを押した。
「上月、出撃準備だ。中隊に戦闘隊形をとらせろ。送れ」
<了解。送れ>
「交信終わり」
成仁と副長の短い会話を横で居ていた大滝が尋ねる。
「攻撃しますか?」
だが成仁は首を振った。
「いや。さらに接近して相手の正体を確かめる。万が一に備え、中隊は待機だ」
「もし相手が友軍だったら、中隊に無駄手間かけさせることになりますよ?」
「気がついたら襲撃されてました、よりかはマシだろう。前進だ」
四四式戦車はゆっくりと戦車の群れに近づいていった。近づくにつれて暗視装置の画像も次第に鮮明になる。逆に言えば相手からも成仁の戦車が見つかりやすくなるということであり、緊張が高まる。
そして、いよいよ相手の正体が判明した。
「隊長!これって…」
大滝の切羽詰った声。成仁は大滝がペリスコープを覗いているというのに頷いて同意を示してしまった。
「あぁ。間違いない」
座学の時間にこれでもかというほど何度も見た敵味方識別表に載っていた写真そのままであった。間違いなくソ連製の戦車、それも…
「T-72だ。相手は間違いなくイラク軍だ」
遂にサムライ旅団は最強の敵と遭遇することになってしまった。
この時、イラク軍司令部は多国籍軍の激しい攻撃にクウェートの保持を諦め、主力部隊にクウェート脱出を命じていた。
クウェート市内では撤退する部隊が少しでも多くのものを本国に持ち帰ろうと、略奪品をかき集めており、また沿岸部では多国籍空軍の作戦を妨害するために油田や精製施設を破壊して火災を生じさせていた。
そして主力部隊脱出の時間を稼ぐために殿を命ぜられた部隊が多国籍軍に対して反撃を始めたのである。成仁中隊が遭遇したのはその一例だった。
成仁は再び中隊無線網の発信ボタンを押した。
「ヒナギク全車へ、こちらヒナギク6-0。敵戦車部隊を捕捉。30輌程度のT-72を含めた1個大隊規模の機甲部隊。全車攻撃態勢をとれ!」
中東の砂漠で日本製戦車がその能力の全てを叩き込む時が遂に訪れたのである。
ようやく砂漠の剣も終わりが見えてきたような気がします。