10.イラク軍南下
サムライ旅団駐屯地
成仁がその日の日課を終えて眠りに就こうとしていた頃、連隊の当直将校に突然呼び出された。
「緊急事態です」
「何事だ?」
「イラク軍が南下してきました。ただちに司令部に出頭してください」
当直将校に連れられて司令部に行くと、そこには旅団の主要な幹部が集まりつつあった。成仁はその中から連隊長の姶良中佐を見つけた。
「どうなっているのですか?」
「詳細は不明だが、キブリト攻略を狙っている可能性がある」
キブリトには海兵隊の兵站基地が置かれていて、多くの物資と非武装の後方支援要員が居る。そしてサムライ旅団の増援要員もだ。
「それは拙いですね」
兵站物資を奪われればサムライ旅団を含めて海兵隊の作戦能力が大きく損なわれる上に、後方支援要員を捕虜にして人間の盾として活用する可能性もある。
「直に出動命令が下るぞ。ほら来た」
姶良が目線で示した方に振り向くと、旅団長が姿を現していた。
「諸君、事情は既に知っていると思うが、イラク軍が侵攻を開始した。海兵師団長より命令が下った。キブリトに前進し防衛せよ!」
指揮官達が一斉に司令部を飛び出し、指揮する部隊に向かった。
国境線の南
国境線を突破したイラク軍部隊は南下を続けた。しかし立ちはだかるものがいた。海兵隊の監視チームが要請した航空支援である。海兵隊のA-6攻撃機やF/A-18戦闘爆撃機。それに空軍のA-10攻撃機が加わり南下するイラク軍機甲部隊を徹底して攻撃した。
砂漠を動き回る戦車部隊は航空機にとっては容易い獲物であった。陣地に篭っていればやり過ごせたかもしれないが、剥き出しの砂漠の上にいる状態では逃れる術はなにもない。イラク軍の戦車や装甲車は次々と撃破されていった。それに海兵隊の対戦車ミサイルチームが加わる。空の援護を欠いたイラク軍にもはや勝ち目は無かった。
それでもイラク軍は数度、海兵隊の防衛線の突破を図ったが、その度に撃退された。しかし、彼らの攻勢は決して無駄ではなかった。それによって多国籍軍の関心が海兵隊の防衛担当地区に集中し、海兵隊戦区の東隣にあるアラブ統合軍部隊の戦区の防御が綻びたのであるから。
国境線の南 アラブ東部統合軍部隊防衛地区
多国籍軍にはイラクに反感を持つ多くのアラブ諸国が参加していた。その中にはシリアのように反米の筆頭のような国まで混ざっていたのであるから、湾岸危機が周辺諸国にどれだけの衝撃を与えたのか窺い知れるものである。
こうして結成されたアラブ統合軍は、サウジアラビア軍を中心とする湾岸諸国の各国軍を基幹として海兵隊の東側である沿岸地域に布陣する東部任務部隊と、エジプトやシリアの派遣部隊、それにイラクの攻撃を逃れた亡命クウェート軍が配属され、海兵隊とアメリカ陸軍第7軍団の間を埋める北部任務部隊の2つに分かれた。
イラク軍が現れたのは東部任務部隊が守る戦線で、海兵隊陣地の前で激しい爆撃戦が続けられていた30日未明にサウジアラビア領へと侵入した。東部任務部隊の司令官はただちにアメリカ空軍へと航空支援を要請したが、海兵隊の陣地への攻撃を続けるイラク軍部隊を撃退することに力を注いでいたアメリカ軍は要請を拒絶した。強力なアメリカ空軍の支援を欠いた状態でイラク軍の有力な機甲部隊と交戦できる戦力を東部任務部隊は前線に持ち合わせていなかった。
侵入したイラク軍部隊はこれといった妨害を受けることなく近くのサウジの街に滑りこんで占領した。その街はイラク軍のミサイル攻撃を警戒して住民がだいぶ前に避難していてゴーストタウンになっていたので、占領は容易なことであった。その街の名をラス・アル・カフジという。
キブリト サムライ旅団陣地
イラクとの戦いが迫っていると考えていた日本軍の将兵達は前線の情報を聞き、白けはじめていた。どうやらイラク軍がキブリトまでやって来ることは無さそうである。日本軍は戦いの機会を掴み損ねたのだ。その事実に加え化学兵器警報が発令されて将兵達は動きにくい特殊防護服の着用を強制されたことで気分をひどく害した。
成仁も防護服を着用して戦車のハッチから上半身を出し、時折爆音が聞こえる戦場の方向を眺めていた。時折、視線の先で閃光が煌めき暗闇の中から地平線を浮かび上がらせるのが見えた。しかし、多くの場合に見えるのは自分の吐く息で防毒面の眼鏡部分に生じる曇りであった。今は夜間で気温がだいぶ下がっているのでマシだが、昼間であれば猛烈な暑さが防護服によって増大されて戦闘どころではないであろう。
そこへ通信が入った。防護服内には通信用のスピーカーマイクが仕込まれていて、成仁はハッチから上半身を出したまま受信することができた。発信者は中隊の中で通信傍受を命じた戦車の車長だった。
<カフジなる街がイラク軍に占領されたみたいです>
「ありがとう。引き続き無線傍受を継続してくれ」
そう返事をすると通信を切って戦車の中に戻りハッチを閉めた。四四式戦車は化学兵器の使用に備えて各種空調装置が充実しているので、車内では防毒面を外すことができる。
防毒面を外すと軍の配布している地図を広げてカフジの位置を確かめた。アラブ統合軍の担当地区であり、こちらにただちに影響が及ぶことはなさそうだった。
ラス・アル・カフジ
東の空が白み始めた頃、イラクの占領したカフジの街に近づく戦車隊の姿があった。サウジアラビア軍とカタール軍の混成部隊であるアブー・バクル支隊に属するAMX-30戦車である。戦車の1つには東部任務部隊指揮官が乗り込んでいた。彼は前線部隊に同行し、自ら敵の様子を偵察しようというのだ。
司令官は戦車を降りて徒歩での偵察にも参加した。そして街の外縁にイラク軍のT-55戦車の中隊が配置されているのを見つけた。
「敵の戦車だ!攻撃しろ!」
AMX-30隊は後続する歩兵部隊の対戦車攻撃チームの援護を受けながらイラク軍に見つからないように攻撃態勢についた。
「攻撃開始!」
AMX-30隊は二方向から襲撃を仕掛けた。奇襲効果は抜群で、2輌のT-55が吹き飛ばされると、残りの戦車は市内に逃げてしまった。残ったのは戦車の残骸と逃げ遅れた12名の兵士だった。
「イラク軍、恐るるに足らずだ」
歓声に沸く友軍兵士に向かって司令官は宣言した。勿論、有能な将校である彼はイラク軍の甘く見ているわけではなかったが、兵士に自信を持たせる為にそうした言葉は必要だった。この勝利は今後の戦争を戦う上で大きな力になるだろう。それに、もしかしたら手持ちの兵力だけでカフジを奪還できるかもしれない。
しかし、その司令官の考えはサウジ軍兵士の怒鳴り声が聞こえたことで打ち砕かされた。その兵士はイラク軍の捕虜に尋問をしていた。
「それは本当なのか!」
サウジの兵士が尋ねると捕虜は頷いた。
「どうしたんだ?」
司令官が尋ねると兵士が振り向いて答えた。彼の顔色は悪かった。
「カフジには2個大隊が居るそうです」
“手持ちの兵力では奪還は無理だな”司令官は思った。しかし、カフジには実際には3個大隊編制の1個旅団が存在した。
“湾岸戦争大戦車戦”なる本が発売されました。欲しいのですが、上下巻あわせて5000円ですからねぇ…