9.増援部隊
1月27日
“絶対航空優勢”が宣言されたその日に日本本土からの増援部隊がサウジアラビアに到着した。増援部隊といっても、そのほとんどが兵站部隊であった。
かつて“兵站軽視”と批判された日本軍であるが、陸軍部隊の兵站部門の小ささは相変わらずであった。ただ、それは所謂“兵站軽視”のためではない。
1962年の大陸大撤退より日本陸軍はその戦略方針を大きく転換し、攻勢重視から守勢重視と変化したのがその最大の理由だ。朝鮮半島や北日本で攻め込んできたソ連軍に対処するのを主眼に軍備を進めるなら兵站部門は最小限に抑えられる。敵地へと攻め込まない以上、兵站戦が大きく伸びることはあまり想定されないし、しかも防衛線なら現地の民間インフラを最大限に利用できるからだ。また部隊が小ぶりな方がいざという時のフットワークが軽く、第二次世界大戦におけるドイツの電撃戦を目撃して以来、電撃的な奇襲攻撃への対処を念頭におく日本陸軍にとっては重要なことであった。
ただ今回のように攻勢作戦に参加する機会がないわけではない。朝鮮で事変が生じた際だって、ソ連や中国の攻撃を防いだら逆に大陸側に攻勢を仕掛けることだってあるだろう。その為には十分な兵站組織が必要である。日本陸軍は予備役を活用することにした。
日本陸軍の制度では2年間の徴兵期間の後、8年間予備役に服することになっている。つまり、現役部隊に対して4倍の予備兵力が存在しているのだ。そうした予備役兵を招集することで戦時に必要に応じて兵站部隊を拡大することができるのだ。
かくして湾岸地域に新たに送り込まれた増援部隊により旅団や師団の兵站組織は大幅に強化されることになった。
サムライ旅団に配属される予定の部隊はサウジアラビアのキブリトという街に一度送り込まれて再編制されることになった。そこには海兵隊の兵站拠点がある。成仁は旅団の幹部達とともに増援部隊の様子を視察にいくことになった。
キブリトで待機中の増援部隊の姿に年配の将校は顔を顰めた。下級兵士の多くが一心不乱に携帯ゲームに没頭していたのである。
「これが栄えある皇軍兵士たちの姿か?」
そう呟きながら互いに目配せする高級将校たちだが、同じく視察に同行していた津田の言葉が彼らに冷や水をかけた。
「まぁ、娼婦を連れて歩くよりはマシじゃないですか?」
1962年の大陸大撤退以前に活躍していた従軍慰安婦について言っているのだ。それは確かに褒められた制度ではないが、将兵の士気を保ち、規律を守るには必要な措置であった。昔から全て奇麗事で済むことはないのである。
アメリカ軍の兵士達も増援部隊の兵士達と同じように携帯ゲームに没頭しているのを目撃したのが、高級将校たちにとっての慰めとなった。このような姿を晒しているのは日本軍だけではなかったのだ。
海兵隊の士官に聞けば日本のゲームメーカーから寄贈されたものだという。成仁は衛星放送で見た、空軍の正確無比な爆撃を評した―揶揄した?―言葉を思い出した。
「“ニンテンドーウォー”とはよく言ったものだ」
またアメリカ軍の高官がゲームに講じる兵士達を見て“ベトナムの時にあれがあれば麻薬が流行ることはなかった”と言っていたのが印象に残った。
成仁は彼らを指揮する将校の1人と話した。彼は甲幹、つまり一般大学出身の予備役士官で、内地の状況を簡単に説明してくれた。相変わらず政府の人気は低いらしい。
通常、戦争で勝利をすると時の政権の人気は高まるものである。多国籍軍が空中戦で大勝利を重ねているのだから、その指導者の1人である総理の支持率も上がりそうなものであるが、実際には低いままらしい。なにしろテレビに映る“勝利を重ねる多国籍軍”の姿はアメリカ空軍ばかりで、それを見た視聴者は“アメリカが居てくれれば十分で、別に日本が軍隊を派遣する必要はなかったのではないか?”と考えたらしい。中東の石油に依存する日本の現状を鑑みれば、それは不健全な考え方であるが野党や知識人たちも同様の見解を表明していた。
もともと今の政権の人気は高くない。前政権が“史上最高の好景気”を終わらせた余波で、後を引き継いだ現政権がとばっちりを受けているのだ。
詳細は省くが、プラザ合意以降の円高不況に対して政府が講じた対策が功を奏して好景気が訪れたが、それが“適正な経済状況”から乖離し始めたとある貴族院の学士院会員議員が主張し、それに賛同した貴族院議員たちの働きかけにより前総理は緊縮財政、増税といった景気引き締め策を敢行した。その結果、過熱化していたインフレが抑えられて、投機により高騰していた株価も安定し、目標を達した。
しかし、その光景は傍目には政府の介入により目の前に迫っていた空前の好景気が破綻したようにしか見えなかった。マスコミは時の総理の行為を非難し、支持率も急速に下がった。
当然ながら支持者からの突き上げをうけた衆議院の主要政党も政府批判を展開する。地方の地主層や経済界を支持基盤とする立憲政友会も都市市民層を支持基盤とする立憲民政党もどちらも総理を“貴族院の操り人形”だと批判し、景気の失速は“デモクラシーを無視した結果”だと断じた。
件の学士会員議員は“今、対策をしなければ、より大規模な経済危機を迎えることになった”と主張したが、ほとんどの者が耳を貸さなかった。彼の主張が正しいのかどうかは分からないが、結果として景気が悪化したのが唯一の事実であった。
衆議院がオール野党状態になり、進退窮まった総理は元号が変わるのを見届けて総辞職した。解散は行われず、前総理と同じ政党に属する現在の総理が政権を引き継いだ。
景気は相変わらず悪い。新総理は直ちに対策を行ったが、湾岸危機による石油価格高騰が直撃して景気はより悪化した。税収は減少し、赤字国債の発行額が増えた。こうなると日本人の“倹約癖”が目覚める。国の借金―赤字国債のこと―が増えるのはけしからんと、なぜかあれほど批判していた緊縮財政を求める声がだんだん強くなっていったのだ。
「ここで戦果を残さないと、軍も容赦なく切り込まれるぞ」
ソ連の保守派クーデター、天安門事件以降の中国の強硬化など国防予算を増やす理由はいくらでもあるが、今の内地の空気はそれらを気にするそぶりはまったく無いらしい。
「責任重大だな」
成仁はそうとしか言えなかった。
1月29日
“絶対航空優勢”宣言より2日、空の戦いは相変わらず多国籍軍優勢に進んでいた。多国籍空軍はイラク空軍を叩き、イラク地上軍を叩き、さらにはイラク領空深くに侵入してスカッドの発射基地を攻撃した。もはやイラク軍から攻撃能力は失われたかに見えた。クウェートとサウジアラビアの国境地帯は相変わらず手薄で、少数の装甲車を装備した偵察部隊がいるだけであった。
その日の夕方、偵察部隊の海兵隊員が定時連絡をしていると無線にノイズが入り、やがて交信ができなくなった。海兵隊員は無線の周波数を変えて交信を維持したが、イラク軍が何らかの行動に出たのは明らかであった。
そして日が沈み砂漠が闇夜に包まれた後、偵察隊の保有する対戦車ミサイルTOW搭載の戦車駆逐装甲車LAV-ATの暗視装置がそれを捉えた。
「ファック!イラクの戦車隊だ!」
「攻撃だ!攻撃!」
LAV-ATの後部に備えられた連装ランチャーがせり上がり、砲口をイラク軍戦車隊に向けた。
「発射!」
直ちにTOWミサイルが放たれたが、射手は突然のイラク軍の出現に気が動転していたらしく照準を誤った。一発はイラク軍戦車の手前に落ち、もう一発は前方にいた友軍の装甲車に向かっていた。
「待て!あれは友軍だ!照準外せ!」
だが時既に遅し。TOWミサイルは味方のLAV-ATに吸い込まれていった。
「畜生!」
LAV-ATが燃え上がり、ハッチから火達磨になった兵士が飛び出してきた。逃げ出した兵士はその場に倒れて、すぐに動けなくなった。
「撤退だ!撤退!」
LAV装甲車の一群は次々と後退した。その間、不思議なことにイラク軍は海兵隊に攻撃を加えなかった。暗視装置の能力が劣るイラク軍は状況がよく把握できなかったのだ。
(改訂 2012/3/20)
実在の人物の名前をカット