プロローグ
湾岸戦争より20周年ということで、書いてみました。また連載作品を増やしたと怒られそうですが(苦笑)、そう長くはならないと思います。
1988年8月、永きに渡るイランとイラクの戦争が終結した。イランの宗教革命への対抗のためにイラクにはアメリカ、ソ連、湾岸諸国から莫大な資金援助が行なわれており、戦争が終わった後には多くの債務が残った。それがイラクの経済に重い負担となり、イラクを統治する独裁者は追い詰められることになる。そして2年の歳月が経った。
1990年8月、世界は混沌としていた。前年のソ連改革派書記長の失脚により世界情勢は不透明になった。デタントの終焉を示すものか、それともソ連の新たな変革を示すものか、世界が判断を下しかねていたのだ。情勢は不安定化し、各国は動きをとりづらくなったように見えた。それが独裁者に決断を促した。
8月2日、イラク軍の誇る精鋭部隊である共和国防衛隊が突如、隣国クウェートとの国境を越えた。後に言う湾岸危機の始まりである。ただちに国連安全保障理事会が招集され、即日イラクへの批難決議が採択されたが、イラクはこれに動じることなくクウェートを僅か4時間で陥落させた。イラクはさらにサウジアラビアとの国境に戦力を動かした。
8月6日、サウジアラビアは諸外国の救援を要請し、アメリカを中心とする各国がそれを受け入れ史上最大の部隊輸送作戦“砂漠の盾”が発動した。中東の油田にエネルギー資源に依存する大日本帝國も派兵を決定した。
そして1月17日、国際社会の度重なる警告にも関わらずクウェートからの撤退に応じないイラク軍に対して多国籍軍は攻撃を開始した。後に言う湾岸戦争の始まりである。




