表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

静かに辞めた補佐官のせいで、国が機能停止した〜誰も気づかなかったけど、あの人が全部回していたようです〜

作者: 茨野 三智
掲載日:2026/05/26

※ゆるめの短編です。

誰かがいなくなったことで、少しだけ世界がうまく回らなくなる話。


 

「……本日をもって、君の外交補佐官としての任を解く」


「承知しました」


 それだけだった。


 辺境伯バラドラ・ヴァルハイトは、書類から目を上げもしないまま鼻で笑う。


「おい、もう少し取り乱すとか、ないのか?」


 返事はない。

 ただ、サラ・カルシオスは静かに立ち上がる。

 その動きだけが、妙に丁寧だった。


「つまらんね」

「やっとかよ」

「遅すぎだろ、あれ」


 文官たちの笑いが軽く落ちる。

 諸国との関係も良好で特に通商の利は大きく膨らんでいた。


 サラは気にしていない。

 ――ように見える。


 口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。

 その目だけが、一瞬だけ執務室の地図の端を見ていた。


「お前と違って、有能な補佐官を雇うことができたのでな」


 バラドラが椅子に背を預ける。


「彼はすごいぞ? 何もしないお前と違ってな」


 空気が止まる。


「またそれですか」とでも言いたげな沈黙。


 誰かが笑いかけて、やめる。

 サラは少しだけ目線を上げた。


「なにもしない?」

「事実だろ?」


 バラドラがわざとらしく返す。


「では何をしていたというのかな」


「皆様の仕事が、滞らないようにしておりました」


「ほう」


「それだけです」


 バラドラは鼻で笑う。


「はは、それは“何もしてない”と同じだな」


 誰かが小さく吹き出す。


「では、失礼します」


 サラが扉に向かう。

 その背中に、声が飛ぶ。


「制服は置いて行けよ」

「それな」

「陰気すぎるんだよ、あの女」


 くすくす笑いが続く。


 サラは止まらない。

 ただ一度だけ、扉の前で止まる。


 振り返らない。


「……置いていきます。いろいろですが」

「いろいろって何だよ」


 誰かが小さく笑う。



 ◆◇◆



 一月後。


 ドン、と扉が開く。

 壊れたみたいな音だった。


「緊急!!」


 文官の一人が転がり込む。


「トライデント王国、マルス帝国、シュート連邦が我が国との通商破棄してきました!!」


「は? ……いや、はぁ?!」


「待て! 条約はどうした!」

「……諸般、当方不誠実、不履行ということで一方的に……」


「何の話だ?」

「さぁ……」

「え、なにそれ」

「聞いておりません……」


 誰も続けない。

 続けられない。


「意味がわからん! なんとかしろ!」


 文官たちが次々に書簡を持ってきた。

 赴任した補佐官が目を通していく。


「ありえない」


 同僚に眩暈の元を渡した。


「……マジかよ」


「おい、なんだそれ、見せろ!」


 バラドラがひったくると見覚えのある書類だった。

 正確には見覚えのある内容に対する抗議文だった。


「……何を今さら。どれも数年前に私が決めた条約じゃないか」


 文官たちは俯き、目をそらす。


「一度飲んでおきながら不服とはふざけるな!」


 補佐官が絞った。


「閣下……。我々が運用している条約と、彼らが突きつけてきている実際の条約内容は……全くの別物です」

「なんだと?」


 その瞬間。

 誰もが息をのむ。


 バラドラの一方的な要求。

 理不尽な設定。

 上から目線の内容。


 彼女に丸投げしていた。


 たったひとりに。


 彼女が丸め、抑え、最善手に調整していた。


 バラドラが声を荒げる。


「あの女、勝手に差し替えたのかッ!?」

「いえ、閣下の承認は得ているようです」


 確かにヌルい内容の草案にサインした記憶はあった。

 だが、正規と草案の見分けすら彼にはつかなかったが。


「お、お前、どうにかしろ!!」


 補佐官は頭を抱えた。

 どうみても前任者は”人”じゃなかった。



 ◇◆◇



 その頃。

 サラは温泉にいた。

 湯気の向こうで、山がぼやけている。


「……もう少しかな」


 誰もいない。

 当然、いない。


 指先で湯をすくう。


 ぽちゃんと落とす。


「ふぅ……」


 それきり黙る。



 鳥の声が遠くで鳴く。


 誰にともなく。




 ◇◆◇



 さらに二週間。


 辺境伯領は、少しずつ詰まっていた。


「これ、前どうしてたんだっけ」

「え、知らんぞ」

「いや、あの人が……」


 言葉がそこで止まる。

 書類は増え、会議も増えていく。


「これ、今日中ですか?」

「昨日のも残ってるんですけど」

「え、それ誰担当?」

「……あいつじゃないか」


 後任の補佐官は辞表を出した。



 ◇◆◇



 一年後。


 遠いルミナス王国。


「これはどうなった?」

「このように。先週解決しています」


「この問題は?」

「こちらでいかがでしょう」


 それだけで世界が進む。

 ルミナスは列強の仲間入りを果たそうとしていた。


 サラは窓の外を見る。

 外交官が横に立った。


「……思い出すかね?」


「そうですね」



「ずいぶんと曇ってきたな」


「降るでしょうね」



 サラは少しだけ笑う。


「では、放っておきましょうか」


「ああ、それがいい」


お読みいただきありがとうございました。


いなくなって初めて気づくことは、案外多いものです。

それだけの短い話でした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ