静かに辞めた補佐官のせいで、国が機能停止した〜誰も気づかなかったけど、あの人が全部回していたようです〜
※ゆるめの短編です。
誰かがいなくなったことで、少しだけ世界がうまく回らなくなる話。
「……本日をもって、君の外交補佐官としての任を解く」
「承知しました」
それだけだった。
辺境伯バラドラ・ヴァルハイトは、書類から目を上げもしないまま鼻で笑う。
「おい、もう少し取り乱すとか、ないのか?」
返事はない。
ただ、サラ・カルシオスは静かに立ち上がる。
その動きだけが、妙に丁寧だった。
「つまらんね」
「やっとかよ」
「遅すぎだろ、あれ」
文官たちの笑いが軽く落ちる。
諸国との関係も良好で特に通商の利は大きく膨らんでいた。
サラは気にしていない。
――ように見える。
口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
その目だけが、一瞬だけ執務室の地図の端を見ていた。
「お前と違って、有能な補佐官を雇うことができたのでな」
バラドラが椅子に背を預ける。
「彼はすごいぞ? 何もしないお前と違ってな」
空気が止まる。
「またそれですか」とでも言いたげな沈黙。
誰かが笑いかけて、やめる。
サラは少しだけ目線を上げた。
「なにもしない?」
「事実だろ?」
バラドラがわざとらしく返す。
「では何をしていたというのかな」
「皆様の仕事が、滞らないようにしておりました」
「ほう」
「それだけです」
バラドラは鼻で笑う。
「はは、それは“何もしてない”と同じだな」
誰かが小さく吹き出す。
「では、失礼します」
サラが扉に向かう。
その背中に、声が飛ぶ。
「制服は置いて行けよ」
「それな」
「陰気すぎるんだよ、あの女」
くすくす笑いが続く。
サラは止まらない。
ただ一度だけ、扉の前で止まる。
振り返らない。
「……置いていきます。いろいろですが」
「いろいろって何だよ」
誰かが小さく笑う。
◆◇◆
一月後。
ドン、と扉が開く。
壊れたみたいな音だった。
「緊急!!」
文官の一人が転がり込む。
「トライデント王国、マルス帝国、シュート連邦が我が国との通商破棄してきました!!」
「は? ……いや、はぁ?!」
「待て! 条約はどうした!」
「……諸般、当方不誠実、不履行ということで一方的に……」
「何の話だ?」
「さぁ……」
「え、なにそれ」
「聞いておりません……」
誰も続けない。
続けられない。
「意味がわからん! なんとかしろ!」
文官たちが次々に書簡を持ってきた。
赴任した補佐官が目を通していく。
「ありえない」
同僚に眩暈の元を渡した。
「……マジかよ」
「おい、なんだそれ、見せろ!」
バラドラがひったくると見覚えのある書類だった。
正確には見覚えのある内容に対する抗議文だった。
「……何を今さら。どれも数年前に私が決めた条約じゃないか」
文官たちは俯き、目をそらす。
「一度飲んでおきながら不服とはふざけるな!」
補佐官が絞った。
「閣下……。我々が運用している条約と、彼らが突きつけてきている実際の条約内容は……全くの別物です」
「なんだと?」
その瞬間。
誰もが息をのむ。
バラドラの一方的な要求。
理不尽な設定。
上から目線の内容。
彼女に丸投げしていた。
たったひとりに。
彼女が丸め、抑え、最善手に調整していた。
バラドラが声を荒げる。
「あの女、勝手に差し替えたのかッ!?」
「いえ、閣下の承認は得ているようです」
確かにヌルい内容の草案にサインした記憶はあった。
だが、正規と草案の見分けすら彼にはつかなかったが。
「お、お前、どうにかしろ!!」
補佐官は頭を抱えた。
どうみても前任者は”人”じゃなかった。
◇◆◇
その頃。
サラは温泉にいた。
湯気の向こうで、山がぼやけている。
「……もう少しかな」
誰もいない。
当然、いない。
指先で湯をすくう。
ぽちゃんと落とす。
「ふぅ……」
それきり黙る。
鳥の声が遠くで鳴く。
誰にともなく。
◇◆◇
さらに二週間。
辺境伯領は、少しずつ詰まっていた。
「これ、前どうしてたんだっけ」
「え、知らんぞ」
「いや、あの人が……」
言葉がそこで止まる。
書類は増え、会議も増えていく。
「これ、今日中ですか?」
「昨日のも残ってるんですけど」
「え、それ誰担当?」
「……あいつじゃないか」
後任の補佐官は辞表を出した。
◇◆◇
一年後。
遠いルミナス王国。
「これはどうなった?」
「このように。先週解決しています」
「この問題は?」
「こちらでいかがでしょう」
それだけで世界が進む。
ルミナスは列強の仲間入りを果たそうとしていた。
サラは窓の外を見る。
外交官が横に立った。
「……思い出すかね?」
「そうですね」
「ずいぶんと曇ってきたな」
「降るでしょうね」
サラは少しだけ笑う。
「では、放っておきましょうか」
「ああ、それがいい」
お読みいただきありがとうございました。
いなくなって初めて気づくことは、案外多いものです。
それだけの短い話でした。




