第39話 睡眠不足に、シュークリーム①
目を擦っても、重いまぶたが下りてこない。
目の前にあるのは、全部現実なのか。なかなか寝付けない自分へのご褒美にしては、至福すぎる時間などの勘違いにしたって……不思議ばかりでならない。
表面がサクサクとしている、クッキー生地をまとった皮。
拳大の皮の中は、きっとたっぷりなクリームが入っているかもしれないと。期待が高まっていくのだが、本当に『食べて』よいのだろうか。注文も何もしていないのに、目の前に座った店長らしき男性が、『どうぞ』と手を差し伸べてくれるだけ。
「代金は、あなたの『痛み』をいただいたので問題ありません」
未祐は『寝不足』を抱えているだけで、痛みを抱えているわけではないのに。おかしな誘い文句だが、食べていいのならと用意してもらった紙のお手拭きでゆっくりと手を拭いた。
*・*・*
精神面からきているものと診断された。なので、処方箋で睡眠導入のものを試してみようという流れに。
未祐は大学二年生で学部は普通に文学部。講義が多く、講談を聞きまくってノートに書きこむ作業以外はレポートばかり。
二年も繰り返すと、だんだんと講義中にこっそり寝るのにも慣れてきた。家だとうまく寝付けず、ごろごろとスマホをいじってゲームをしているのがよろしくないとわかっていても、昼間に寝ているだけにしてはおかしいと思い始めたのは二年生の夏。
さすがに、一年くらいも同じ生活サイクルを繰り返していると、疲労がたまって講義中も寝付けなくなってきた。ぼんやりとはしているが、せっかく学費を払って進学したからと言い訳を叩きこんで挑むも……夜もそのぼんやりは続くばかり。
そのため、内科か神経科かわからず。調べたらあまり印象をよく思っていなかった精神科に行くべきとAI判断が返ってきた。何度調べても同じような回答だったので、講義の合間を縫って行くことにした。
結果、ストレス性の睡眠不足。まずは、寝れるように行動のルーティンを変えることと、導入剤も込みで睡眠を促してみようということになった。
(そんなけで、治るのかな……?)
今の時勢、鬱病も単なるストレスからのショックだけではないと判断されているが。行動改善だけで本当に睡眠不足が緩和されるのか信じがたい気持ちになっていた。一年近く放って置いた未祐の行動も悪いが、医師は特に怒ることもなく逆に改善点を導こうとしてくれた。そこはプロなので、疑いもしないが。
「あ~……ねっむい」
ぼんやりとした眠気はあるのだが、全くと言っていいくらい眠気がおりてこない。目を閉じてもしゃきっとしてしまうし、朝日が挿し込んできたら起きるしかないと身体を起こす。
食事のメニュー改善や習慣化すべき行動ルーティンも試しにしてみても、薬も服用したがいっこうに眠気はやってこない。
半月くらい通院してみたが、医師の方も『急がない』と制すだけ。
こっちはまともに寝ていないし、身体が疲れすぎて逆に辛いと言うのに……どうしたらいいのか、もうごちゃごちゃな頭では考えられないでいた。寝たい。しっかり頭を休めたい。寝たい。の言葉を繰り返しても、ひと月以上経っても変わらずだった。
チリン……リン。
夏休みに入って、また通院から帰ってきた途中だったか。風鈴に似たベルの音が爽やかに聞こえた。音楽も色々試したが、その中でも瞑想に部類するそれに近い音源。
つい、きょろきょろ見渡すと角を曲がったところに『それ』はあった。一軒家風の建物になっている、洋菓子店。名前は『ル・フェーヴ』というらしい。ベルの正体はドアベルだった。可愛らしくて、まだチリリと鳴っている。
「……おお。お高そう」
大きなガラス窓の向こうにはテーブルセットがひと組。ガラスのショーケースの中には、高級そうで繊細な細工が目立つ洋菓子たち。端っこには和菓子ぽいのも見えた気がする。
せっかくだから、家で食べるのに持ち帰るくらいいいだろう。バイトはしてなくもないが、最近仕送りが来たのでちょっとの贅沢はいいはず。
扉を開ければ、店員の『いらっしゃいませ』という声が聞こえてきたが……背が小さすぎて、未祐の高身長だと最初気づいてあげられなかった。
「やあ。いらっしゃい」
店長らしい男性が裏から出てきて、『お、イケメン』とつい嬉しくなってしまう。菓子作りに容姿は関係ないというが、寝不足で刺激を求めている未祐にはちょうどいい興奮材料になってほしい。でないと、疲労が睡眠に流れんと最近勝手に思い込もうと頑張っているのだから。
「あの。テイクアウトにいくつか買いたいんですが」
「あ、すみません。うち、基本的にイートインなんで」
「あ、そうですか?」
それなら、なにを頼もうかとショーケースを見ようとしたのだが。男性からおいでと手招きされ、テーブルの方で待っててくれと言われてしまった。
「注文はもう受けたから、お待ちください」
「はい?」
「大丈夫。絶対気に入るから」
「いや、その」
何も頼んでいないのに、システムがよくわからない。けど、寝不足気味で無意識のうちに頼んでいたのなら、それはそれでいいだろう。
目を何回か擦ってしまったが、視界がぼんやりしてきて頭の中もぼーっとしてきた。このまま寝たら気持ちいいのではと甘い菓子の匂いが混じる空気に癒されていたのだが。
「お待たせ致しました。快眠へのクッキーシューです」
「へ?」
微妙なネーミングセンスの品名に目が冴えそうになった。
しかし、テーブルの上に置かれているのはサクサクと美味しそうな皮があるシュークリーム。
大きさは未祐の拳よりも大きくて、中にたっぷりのクリームが入ってそうな重厚感がある。
飲み物も用意されていたが、こんな大きなシュークリームを注文した覚えはない。ショーケースにはなかったはずなのに……と、前を見れば。店長が『どうぞ』と頷いてくれていた。
「あなたの『痛み』を代金に、このお菓子を提供させてください」
「……痛み??」
「まあ、ひとつ」
「……はぁ」
しかし、甘い物は大好物だし。タダで食べているわけじゃないのなら……と、紙のお手拭きでしっかり手をきれいにしてから、意外にも軽いシュークリームを両手でしっかりと持った。
次回はまた明日〜




