第37話 皮膚アレルギーにはキャロットケーキを①
今まで制限があったものを、食べていいだなんて医者にも強く止められていたと言うのに。
たまたま、風鈴のようなドアベルの音に誘われてきた洋菓子店では……店長らしきパティシエに『どうぞ』と言われ、目の前に出されたのはオレンジの濃いしっとりとした一ピースのケーキ。
璃子にとっては食べれば瞬間的に『かゆみ』『胸やけ』などが起きてしまうそれを、大丈夫だと笑顔で体現しているのがよくわからない。だけど、璃子自身も食べたくて堪らない欲求に負けそうだった。
メイド服の従業員が持ってきた飲み物とカトラリーに手を伸ばせば、もう引き返せない。
食べたあとに訪れる症状を覚悟しつつも、『いただきます』と改めて口にするのだった。
*・*・*
武藤璃子は皮膚アレルギーだ。いわゆる、『アトピー』と呼ばれる方が馴染ある呼び方だろう。花粉ではなく、『食物アレルギー』。口に入れる以上に、触れるだけでも『かゆみ』が出てしまう重症タイプ。口に入れれば、皮膚のあちこちにかゆみが生じるだけでなく『胸やけ』『嘔吐』まで出てしまうのだ。
食べれないのは、乳製品がほとんど。卵だけは成長の段階で少し食べれるが高校生になった今も再発が怖いからと控えたりしている。乳製品は加工肉の工場でも検出が多いので、成分表をよく見て買うか決まったものにするのは母親だけでなく、璃子自身も気にしているくらい。
それだけ、幼少期はかゆみが酷くて外見がぼろぼろだったのだ。衣服などは敏感肌ではなかったので気にはしなかったが、給食メニューがひとりだけ『お弁当』なのに色々いじられて揶揄い以上の行為も受けたりした。
学年が上がるにつれ、注意すべき食材に気を付けなくては……くらいで落ち着くかと思ったが。首や手足はいつひっかき傷だらけで、同級生のようなきれいな手足には程遠かった。だから、夏服でも薄い黒のシャツは欠かせない。顔だけはマシでも、ほかを隠さないと辛い気持ちになるのは自分だから。
親たちにも医療費で負担をかけているが、バイトも飲食店などで気軽にする体質ではないから困ったものだ。コンビニでも手の消毒だけでホットスナックのトングに触るだなんてとてもだが出来ない。わずかな異物感だけで、血が出るほど掻いてしまうのだから。
(あ~あ。食べたいものいっぱいあるのに。痩せてるのはいいけど、肉付き悪いし)
色々制限があるまま高校生になったが、今日もまた制服の下には薄い黒のシャツを着ている。洗い替えのために、何枚もあるから引き出しのひとつが真っ黒になるほど。仕方ないが、薬で抑えても治りが遅いのでそこは仕方ない。
少ない友人とも、気軽に外食出来ないのは淋しいし、帰宅部だから授業が終わればさっさと下校する。今日もそんな日だった。
チリン……リン。
夏だから風鈴が鳴ってもおかしくはない。だけど、どこか心惹かれるような優しい音色に、つい足が勝手に動いていた。音が鳴る場所がどこかなのを知りたいがため。顔もきょろきょろしていると、一軒家のように見える建物があった。大きなガラス窓の向こう側は、ショーケースに会計カウンターが見える。窓の側にはテーブルセットがひと組。
ドアベルの形と、看板の『ル・フェーヴ』という名前からして洋菓子店なのだろうか。
なんとも、璃子には無縁というか害悪でしかない場所だ。憧れはするが、乳製品をひと口食べただけで症状が出てしまう場所だ。空気中に飛散している滓のようなものを吸い込んでもかゆみ以上の症状が出るだろう。
仕方ないので、横切ろうとしたが。
(……でも、見たい)
本当は食べたくて仕方がない、豆乳などの軽くてふんわりしていない……どっしりとした重みのあるクリームとか。チョコも成分を細かく見てカカオ率を気にしないと食べれないのに、なめらかで口どけが良いものとか。
それがどんな『形』でケースに収まっているのか。実を言うと、璃子はテレビの向こう側でしか見れない『スイーツ特集』とかが大好きなのだ。雑誌だと最近はかさばるのでSNSで眺めていたりするのも趣味。
それがリアルに見れるかもしれない機会があると思うと、どうしても足が意図的に止まってしまう。
「おや、うちに何か?」
いつの間にか、店長らしきパティシエの男性が目の前にいた。そんなにもじっくり見ていたのがバレたのが恥ずかしくて『ごめんなさい』とすぐに謝罪したが、彼は璃子を見ると笑いながら手招きしてくれた。
「え?」
「若いお嬢さんの意見を聞きたいと思っていたんだけど。今お時間は?」
「特に、帰る……だけで」
「じゃ、入ってもらえるかな?」
「え?」
璃子の服装を見ても、特に気にせずに店長はおいでおいでと扉を開けてくれる。空気に触れたら、と思っても一瞬だけでかゆくなったらちゃんと言えばいい。好意的な相手の態度を一蹴するように断るのも申し訳ないきがしたから。……というか、凝視していた謝罪程度には応えようとしたわけで。
ゆっくりと中にはいったが、空気清浄が整っているのかで特に乳製品の甘い匂いがない。かゆみもないのでほっとしていると、カウンターの向こうにいた人形のように可愛い店員と目が合い、お互いにお辞儀し合った。
「さ、こっちだよ」
ガラス窓前のテーブル席に腰かけるように促され、荷物もケースに入れていいと至れり尽くせり。ちらっと、ケースを見たが中身はアレルギーじゃなかったらいくらでも食べれる宝石のようなケーキなどのスイーツたちがずらりと並んでいた。
「……きれい」
「どうも。あれはほとんどディスプレイ用の見本菓子だけど」
「? 食べれないんですか?」
「いや、食べれるけどちょっと特別なんだ」
なぜか、向かいの席に腰かけた店長だったが、説明をしてくれる相手がいるお陰か嫌な気分にはならなかった。というか、意見を聞きたいと言われたのだからいなければいけないだろう。
「お待たせいたしました。すっきり爽やかにキャロットケーキです」
「は?」
店長の質問を待っていると、まさか試食とは思わずに従業員の彼女が飲み物とかといっしょにケーキセットを持ってきてくれていた。
トレーから順に置いてくれたそれは、絶対に乳製品が使用されていると思われる……オレンジ色のケーキだ。食べれないと、返事をしようとしたら店長と目が合ってもにこにこ笑顔のままで。
「大丈夫。ここに来たってことは『痛み』を提供してもらえる。その代金として……君はそのケーキを食べられるんだ」
「……ひと口で、めっちゃかゆくなるんですよ?」
「ならない。僕が保証してあげる」
「材料が?」
「それは違うね。お嬢さんの『痛み』を頂戴するからだよ」
「うん??」
矛盾したような感覚にはなったが、アトピーでも食べられる食事であるのなら遠慮が要らないと理解すればいいのか。再三再四くらい、考え込んだが食べて大丈夫と食品関連のプロが言うのだから信じよう。
そう思って、カトラリーの中にあるフォークを手に取り……『いただきます』と口から紡いだ。
次回はまた明日〜




