第33話 ステージダウンにもちもちカヌレ①
寿命を宣告されたのなら、最後の時になるまで『何をしたい?』『何が食べたい?』などと……昔は治療法が限られていたので、それがごく当たり前だった。
だけど、今は『治療法改善』『延命可能』とまで言われると、逆にどうしていいのかわからないときた。
みさをはどうしても、『延命』を自分なんかが望んでいいのかと考えあぐねていたのだが。
「このお菓子と引き換えに、おばあさんの『痛み』を代金としてちょうだいします。延命を選べばですが」
歳をとっていくにつれ、自然と控えるようになった甘いお菓子。しかも、砂糖と卵たっぷり使って焼いたというそれを口にすれば、叶うというのがよくわからないけれど。
自分の孫世代くらいに若い青年が向けてくれる微笑みは、医師らとのそれとは違ってただただ慈しみを与えてくれるものだった。
*・*・*
はじめは咳のようなものが続くので風邪かと思い、内科に受診していったが。
咳止めを飲んでも、みさをの咳は落ち着くどころか酷くなっていく一方。もしかして、よくない病気なのでは?と考えるようになるのは年のせいもあるのかもしれない。今年で八十七になるみさをにもそろろ寿命というのが来てしまったのか。
だとしたら、俗に聞く『不治の病』などと確定される『癌』なのか。大きな病院への紹介状を書いてもらい、複数の受診を受けたことで……結局その通りだった。まだ軽いステージではあったので、手術も昔より軽いものと診断はされていたが。
「施術は箇所を切り取るだけですので、入院期間もひと月くらいですね」
「……そぉ、ですか」
ひと昔前のような、白血病も治らないとされていたのに。医療の進歩とやらは十年で大きく変わったものだ。みさをの夫は老衰で帰らぬ人になったので、みさをのように病を宣告されていたわけではない。
でもしかし、自分ひとりで自宅を守っていた身としては『ひと月』も家を空けるのがどうしても淋しくて仕方ない。娘や息子には一応連絡はするものの、着替えなどの荷物を運ぶくらいは手伝ってくれるだろう。
(入院中、誰かと話してていいかもだけど。うちぃ、話下手やし)
関西から嫁に来たみさをだったが、話し下手という欠点が目立って身内にもまともに話が続いたことがない。買い物も、娘が宅配に切り替えてくれたのでいちいち店の中をうろちょろする必要はなくなったが……それでも、人恋しいくらいは普通にある。夫の正志を数年前に亡くしてから、一人暮らしとやらをきちんとできるかどうかはなんとかできるようになったものの。娘たちや孫たちも大きくなってきたので帰省する機会もかなり減ってきた。
なんだったら、正月もひとりで過ごすことが普通になってきた。家庭によって違うにしてもこれは悲しいものだった。
(そんなときに……癌、かぁ。うちぃ、生きたいんじゃろうか?)
バスから降りて、自宅までとぼとぼと歩いていると涼しい風がぴゅぅっと吹いたあとに。軽やかな風鈴に似た鈴の音が聞こえてきたのだった。
チリン……リン。
可愛らしい、音だと思った。昔々の、和菓子屋とか駄菓子屋とかが軒下に引っ掛けるようなあの風鈴に近いもの。
物珍しかったので、どこだろうときょろきょろしてみたら大きなガラス窓以外は白壁で統一された可愛らしい洋菓子屋さんだった。そこまで大きくないが、一軒家まるごと使った建物なのだろうか。風鈴を探すとドアベルの位置にそれらしいものがぶらさがっていた。
普段のみさをなら、洋菓子屋に赴くことなどまずないのに。
最後くらい、とか病の宣告で気が弱っていたせいか『挑戦』というものをしてみたかったかもしれない。扉をゆっくりと開ければ、また同じ風鈴に似た音が耳に届く。中に入れば、外から見えていた以上に自分の格好には不釣り合いな『お洒落』な世界に突入したような内装。帰ろうにも、背の低い自分と同じくらい背の低い若い店員と目が合ってしまった。
「いらっしゃいませ」
二十代にしてもかなり背が低いが、みさをもそんな若い頃を思い出すくらいに店員には一応会釈をすることにした。せっかく入ったのなら、たまには……小遣いも気にせずに、自分のためだけに高級なお菓子を買うのもいいかもしれない。
まだ簡単に、『死』の宣告をされたわけではないから、と。ショーケースを覗いてみたが、美味しそうなケーキたちのところに値札はないのを不思議に思ったけれど。
「やあ、いらっしゃいませ」
今度は明るい男性の声が。顔を上げれば、さっきの店員よりも年上の若い男性がにこにこしながらこちらに視線を向けていた。そんな爽やかな笑みを身内以外にしてもらうなんてなかったので、つい照れが出そうになったがみさをは思い切って店長らしい彼に注文を言ってみることに。
「あの。持ち帰りでいくつか注文したいんやけど」
「あ。すみません。うち、そこのテーブルで召し上がっていただくのが主で」
「……そうなん?」
そこまで急いでいないし、包装などの資材がないのであれば仕方がない。なら、どのケーキにしようか悩んでいると表側に出た店長が、こちらへと接客してくれた。
「注文は伺っていますので、どうぞ」
「え……えぇ? うち、何も」
「大丈夫です。いらっしゃるのはわかっていましたから」
「は?」
荷物用のカゴなどをテキパキ用意してくれ、本当に『店内スタイル』を整えられてしまったため……みさをは、仕方なく席に腰かけることになった。今日は病院内も結構歩いたのでひと息つけたのに少しほっと出来たが。
「お待たせいたしました。消し去りのカヌレです」
持ってきたのはさっきの若い店員で、飲み物も勝手に選んだのかミルクティーを用意してくれていた。名前のセンスとやらはよくわからないが、なにかの暗示に近いのか。茶色くて小さな『カヌレ』というのは、たしかお菓子だけど『パン』に近い扱いだったような覚えがある。
しかし、キャラメリゼのような焦げた甘い香りに、ラム酒の濃厚なそれも相まって……思わず、うっとりしてしまいそうだった。それと何故か、店長は向かいの席に座りながら説明を始めた。
「さあ、どうぞ。代金は受け取っていますので、遠慮なく」
「へ? うち、お金はなーんにも」
「いえいえ。うちのシステムであなたの『痛み』を頂戴しています。この店に入ったと同時に」
「『痛み』? それ、うちの病気のこと?」
「捉え方は様々ですが、今回は合っています。あなたの病気をまるごといただいていいのなら……そのお菓子の代金には相応しい」
「……うち、治るん?」
「そう思っていただいても。嘘まやかしではないですよ?」
「……治る、かも」
歳を食うごとに控えるようにしていた、甘くて濃厚なお菓子や飲み物。昔は贅沢品だったそれを、タダではないにしても『食べていい』と優しく告げてくれるのであれば。
もう二度とないかもしれない、こんなにも優しい中での晩餐とまで勝手に思い込み。みさをは添えられていた小さいフォークを手に取るのだった。
次回はまた明日〜




