第23話 手荒れには葛切り①
黒蜜に浸っている麺のようなものは、なにか。自分はそれを知っている。
甘い香りのするそれに、達樹は興味津々だった。甘いものには目がないし、ましてや和菓子とくれば……さらに大好物だからだ。洋菓子店に入ったはずなのに、この店はあたりだったかもしれない。
(……注文してないのに、俺の好みがわかるだなんて)
最高だと言いかけそうになったが、料金はどう支払うのか。店主らしきパティシエには『既に頂戴済み』と言われたのがよくわからない。
とりあえず、食べていいのならと添えてある漆塗りの箸を手に取るのだった。
*・*・*
慣れた痛みではあっても、毎回毎回ハンドクリームなどに頼っても取れない『痛み』。
顔にはないが、手荒れが今年もまたひどいもので達樹にとっては最悪としか言えない状況だ。バイトの仕事も大半が洗い物なので、せっかくカフェテラスでのバイトが出来ても業務は夢見ていたそれとは違う。
(と言っても、遊びたいから金欲しいし? サークルの旅行とかも誘われているしな~?)
女性がこの位置に立つこともあるが、だいたい手隙になったタイミングで達樹が洗い場に入ることが多い。食器がないと、調理補助にも回れないので『仕方がない』と自分に言い聞かせながらするしかなかった。
そんな言い訳をしても、手が荒れてしまうのは毎回のこと。ここ数年で洗剤の改善もだいぶされてきたらしいと聞くが、手荒れが起きるのはどうしようもない。ハンドクリーム以外に皮膚科で処方箋をもらっても毎回似た感じだ。
アレルギーと言えばそれかもしれないが、顔や首には出ないので単純に手荒れだからと疎外されたことはない。むしろ、似た悩みで同士みたいなクラスメイトもいるから楽しくもある。今度の旅行の誘いも、そんな友人たちからのものだった。
「白井~。こっちもよろしく」
「……はい」
追加を頼まれたが、先輩に言われては仕方がないと向こうの担当は諦めることにした。まだ仕事を始めて日も浅いからそうするしかないと思うも、ひと月越えてこれでは少しやる気が削がれてしまう気がしたのだった。
「……あ~、いててて。今日も痛いな」
バイトも終わり、着替えをしてから適当にぶらりと町中を歩いていたが。手に出来たひび割れのようなアカギレに、今日も参ったとしか思えない。薬はさっき塗りはしたものの、これも一時しのぎでしかないから困ったものだ。
あまりにも頻繁にあの水仕事があるので、次からは処方箋をリーダー役の上司にでも見せてゴム手袋くらいの許可はもらった方がいいかもしれない。衛生管理を気にするのは、むしろ彼らの役割だから達樹以上に困ってしまうだろう。
そうしようと、決めていると耳に届いた軽やかな音が。ふいに、足を止めてしまう。
チリン……リン。
夏には少し早いが、風鈴に似たその音は嫌いじゃないと思った。カフェテラスでは音響機材からBGMを流すだけなので、不規則ながらも耳どおりのよいそれに誘われるようにあちこちを見たが。次の角を曲がったそこに、音の正体があった。
ガラス窓が大きく、中にはテーブルセットがひと組。会計カウンターとガラスのショーケースがある……おそらくは、洋菓子店。看板らしきところには『ル・フェーヴ』という文字が。洋菓子は嫌いじゃないが、達樹はあんことかきな粉が好きなので買っていくのはほとんど和菓子屋。
しかし、カフェテラスにバイトしているのは飯ならカフェメニューが安くてうまいと、舌で判断しているだけだ。別に洋菓子を全般的に嫌っているわけではない。
「……たまには、いいか」
扉を開けて中に入れば、空調が行き届いているのか外より涼しく感じて息が吐けた。
「いらっしゃいませ」
誰もいないように見えたが、会計カウンターの向こうには小さな店員の影があった。達樹が平均身長のはずなのに、相手は随分小さいが大人なのだろうかと疑問が出てくる。しかし、働く理由に背丈は関係ないはずだ。ケガとかの持病はともかくとして。
達樹の手荒れくらいの問題なら、逆にこういうところの方がよかったのでは、と考えていると……裏の方から誰かが来る足音が聞こえてきた。
「おや、いらっしゃい」
店主らしい男性だ。接客ではなく、実際に作る方なのか料理人が着るあのコックスーツを着ていた。少しうらやましい気もしたが、挨拶されたので『どうも』と返しておく。ガタイもよく、背も高い。そしてなかなかにイケメンとくれば、さぞモテるだろうと勝手に思いながらショーケースを見れば。
「……すっご」
口から出たのは、安直な言葉だったが。それくらいにこだわりの強いものだとわかる細工菓子たちがずらっと並んでいた。まるで食品サンプルを忠実にまで仕上げた菓子たちにも見えるそれを、目の前のパティシエがひとりで作り上げたのなら凄いとしか言えない。
「はは。どうも。作り甲斐があるよ。……お客さん。どうぞ、お席に」
「へ?」
「若葉くん、用意は出来ているから」
「はい」
「いや、あの?」
特になにも口出ししていないのに、何かを注文したことにされている。なにかの悪徳商法かと勘違いしそうになったが、まあまあ、とパティシエが席に座るように促してきた。
「注文は受けているので、ご心配なく」
「……しんぱい、するけど」
「大丈夫。和菓子が好みなんだよね?」
「へ? 俺なにも」
「お待たせしました。手荒れ改善葛切りです」
「は?」
なんというネーミングセンスだと思いかけたが、出てきたのはところてんではなく『葛切り』だったのは本当だ。達樹が昔、祖父に和菓子屋へ食べにいったときに一番気に入った菓子のそれ。
ご丁寧に、金箔まで少し添えてあるのが美しい。きな粉はない代わりに黒蜜だけとシンプルさがまた素晴らしかった。
「さ、どうぞ。その手荒れを『痛み』に代金は頂戴しているから」
「……嘘、じゃないよな?」
「信じるかどうかは……というわけじゃないけど。ご心配なく、悪徳商法じゃないから」
「……じゃあ」
添えてあった箸を手に持ち、一応礼をしてから器に手を添えて中身をつつくのだった。
次回はまた明日〜




