第11話 花粉症飛んでけサブレ①
目がかゆい。鼻水ぐずぐずでたまらないのに、向かいに座ってくれたパティシエは気にせずにおしぼりやティッシュを使ってくれというのだ。
それだけでなく、注文もしていないのにお茶菓子セットまで振舞ってくれるだなんて。ドジとかクズとか言われがちな玄太にはもったいないくらい、同じ男性かと思うくらい優しい人だった。
汚い手で食べたくはないので、おしぼりの三つ目で丁寧に手を拭いてから皿を見てみれば。
ケーキではなく、大きめのクッキーにも見える焼き菓子。洋菓子店でもたまに見る、『サブレ』というバターたっぷりのクッキーだったような気がする。チョコ系も好きだが、ほろほろとした触感が好きな玄太にはたまらないおやつに見えた。
*・*・*
佐倉玄太には、悩ましい体質がひとつあった。単純なアレルギー体質とも言われる『花粉症』ではあるが、厄介なのが年中というところ。
植物ではなく、ハウスダストやチリなどの細かい毛埃の類。おかげで、年中頓服薬とマスクが必須アイテムで素顔が顔に出せるのは……食事のときくらい。しかし食事のときも、出来るだけ会社の休憩室でも密室に近いところを選んでいるが。くしゃみがうるさいので結構有名になってしまった。
だけど、仕事は仕事と周りも気を遣ってくれているのかで、あまり対策しろとかうるさく言われはしない。しかし、騒音のひとつにはなるだろうときつめの薬を飲めば、眠気が来てしまう。対策にミントガムを噛んでも歯に悪いからあまりやりたくはない。なので、かくんと首が舟を漕ぐのもしょっちゅう。
(仕事と自分、どっちを優先にしたらいいんだろう……)
適当に進学して、なんとか内定が取れた会社に就職して数年。体質がなければやりたいことと言っても大して思いつかないばかり。気軽に始めたSNSやゲームも暇つぶし程度にしかならなくて、『これ』といった熱中したいことも特にない。給金は貯金した方がいいという親の言いつけで、生活費が余計に余らないとき以外はきちんとしているのも……味気なく感じてきた。
誰かのいいなりになったつもりはないのだが、アレルギーのせいで人付き合いもあまりしたくない傾向を作ったのは玄太自身だ。合コンに誘われたことないわけじゃなくても、素顔を見られれば常に真っ赤な鼻が出てきてしまう。それが、女性には笑われ者になったのは随分前だったが、彼女を作る気もないので大抵誘いは断っていた。
実に、つまらない人間だと思うしかない。
ほかに、好きなことと言えばコンビニスイーツとかを食べるくらいだろうか。最近のコンビニでもパティシエとのコラボが多いので単価も味もそれなり。それをご褒美に頑張るくらいしか楽しみがない。
誰でもしていそうなことだが、玄太なりの楽しみなのだ。取引先との打ち合わせが終わった後に、午後の仕事へ戻る前にでも調達しようとコンビニを探そうとした途端……いつもの、むずっとしたあの感覚が鼻の奥からやってきた。手でマスクを押さえようと構えたが。
チリン……リン。
夏の終わりだけど、まだどこかでぶら下げているのか風鈴のような軽やかなベルの音が聞こえてきた。届いたその音に、なぜかくしゃみの衝動が引っ込み手を放しても苦しくなかった。
きょろきょろと周りを見れば、住宅街の角にそれらしい建物があった。看板には、フランス語なのか『ル・フェーヴ』と読めそうな文字が。コンビニではないが、洋菓子店もたまにはいいんじゃないかと思い、玄太はゆっくりと扉を探してみた。
「いらっしゃいませ」
会計カウンターとケーキのショーケース。ガラス窓の側には待合用かイートインしてもいいかのテーブルと椅子がひと組。
可愛らしい女性の声がしたが、姿が見えないのにおかしく思っていると会計の向こう側にメイドがつけるようなフリルのカチューシャが見えた。余程、小さい女性なんだなと思っておくことにした。勝手に『小さい』と言ったら相手に失礼だと思うことくらい玄太とてわかっているから。
「あの……」
「お待ちしておりました。店長がまもなく来ますので、お席の方に」
「え? 僕、テイクアウトのつもりで」
「まあまあ。ここはそういう店なんですよ」
一方的な店員の対応に驚いたが、裏からやってきたらしい背の高いパティシエの男性が間に入ってくれた。年上なのはわかるが、爽やかな雰囲気の顔のいい男性。少しだけ、ぽっちゃりの玄太と違ってコックスーツを着てもとてもスマートだ。カロリーたっぷりの洋菓子とかの味見をしていても、体質的に太らないのだろうか。少し、うらやましかったが。
彼にも結局席に案内されたが、すぐに向かいの席に座った。質問でもしたいのだろうかと首を傾げかけた時に、むずっとまたしたものの、今度は症状が酷く出てしまったので自前のティッシュでは足りず……パティシエの店長からティッシュとおしぼりをたくさん借りたわけである。
「お待たせいたしました。アレルギー解消サブレです」
店員が飲み物といっしょに持って来てくれたのは、茶菓子だったが。普段ならプリンやシュークリームといったご褒美お菓子の定番を食べる玄太には、あまり縁のない大きなクッキーみたいに見える焼き菓子。
名前がいまいちセンスの無いように思えるも、絞り袋などで丁寧に『鳥』を象ったそのお菓子は……羽毛も苦手な玄太には憧れの生き物を思わせるようなそれだった。アレルギーが酷い関係で、子どもの頃から動物園など一度も行ったことがない。
「さ、ひと口どうぞ? 料金は既にいただいているので全部食べても大丈夫だから」
「え? 電子決済とかしました?」
「いいや。ここは、『痛み』を代金に置き換える特別なお菓子屋さんなんだよ」
「……ふーん?」
くしゃみしまくりで酷い顔を見せたのに、お詫びはこちらが返すはずが逆なのかと思うも。
せっかくの美味しそうなお菓子を食べないという選択は持てないので、玄太は三本目のおしいぼりで手を拭いてからひとつつまみ上げた。サクサク感が手でもわかるくらい期待大だ。
次回はまた明日〜




