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ケチャップ・リスタート

 薬指の指輪を外すと、電池が切れた目覚まし時計のように、俺の時間は止まってしまう。


 それはSENAと俺を切り替える儀式のようなもので、クロからも斉藤さんからも「指輪は外せ」と耳にタコが出来るくらいに言われている。



 ——俺のままじゃダメなの?


 思わないこともないが、「昔のお前を知ってる奴に顔バレしたら、おがちゃんにも迷惑が掛かる」とクロが言うんだから、仕方ない。モデルにスカウトされた時点で身バレしないための条件は提示して、認められたから契約したのだ。



 今日は次の仕事の打ち合わせだ。

 少し前まで月に一度あればいいペースだったのに、駅前の広告になってからは仕事が増えてしまった。いつまでもソファでダラダラしていられる時間が減ってしまうのは、残念でもある。



「おがちゃんは売れっ子になったね」


 事務所の会議室で、隣に座っていたおがちゃんに声をかけた。


 小川舞子。通称おがちゃん。

 彼女は高校時代からのクラスメイトであり、当時まだ薬や身体を金に換えていた俺が、太客になりそうなひとを裏社会(あっちがわ)に引き込まなかった初めての相手でもある。

 高校二年の文化祭から話すようになり、今はクロに話せないようなことを笑い合う、数少ない友人だ。


「売れっ子はアンタでしょ、瀬名。おかげでうちは寝不足だよ……」

「お金になる仕事ならいいじゃん」

「そうだけどー。そうだけどさー」


 おがちゃんは広げたデザイン案に突っ伏して、愚痴を零す。



 俺はおがちゃんの専属モデルだけど、SENAの衣装担当であるおがちゃんの服を着たいひとは沢山いるらしい。


 おがちゃんはいつも、衣装の裏側に指輪を入れるポケットを作ってくれる。そういう細かい気配りが、彼女のデザイナーとしての人気を支えているのだろう。



 ちなみに俺の芸名が"SENA"なのは、おがちゃんが俺を「瀬名」と呼ぶからだ。


 俺の身バレを徹底的に防ぎたいらしいクロが、「咄嗟に呼ばれてもそれならバレねえ」と言って決まった。



「そういえば次ってどんなコンセプト?」

「それが決まってなくてさー。この打ち合わせで雑誌の担当者が来てから決めるって言ってたよ。おかげで、ほら、ボツになるって決まってる案いっぱい描く羽目になった」


 だからテーブルいっぱいに紙を広げたのか。

 俺は着飾らされて立ってるだけだからいいけど、おがちゃんは大変そうだ。


 そんな話をしていると、ノックが聞こえた。ゆっくりドアを開いたのは、SENAのマネージャーである斉藤さんだった。


「お疲れ様です。あっちの担当さんが遅れるらしいんで、先にお昼しましょう」


 眼鏡にスーツ姿の真面目そうなマネージャーは、手に下げたビニール袋を見せる。撮影現場と違いケータリングがない会議室だから、わざわざ買いに行っていたようだ。


「SENAさん、オムライスが好きって言ってたので。『洋食亭しほり』のオムライスです。トマトソースとデミグラス、お好きな方をどうぞ」

「こないだテレビに出てたやつじゃん!」


 プラスチック容器を取り出した斉藤さんに、紙を寄せながらおがちゃんが声を上げた。その店名は、お昼の情報番組で見た気がする。



 確かにオムライスは好きだけど。でも好きなのはクロが作ったオムライスなんだよなあ。


 クロが作ってくれるそれは、チキンライスの酸味がまろやかでコクがあって、冷めても美味しい。有名店の味じゃなくても、特別な肉や玉子を使わなくても、クロのオムライスが一番美味しい。


「瀬名、どっちがいい?」


 おがちゃんの声で、俺は自分が考え事をしていたと気付いた。

 適当に「こっち」とデミグラスソースを指差す。どうせ違うなら、俺が好きな赤いほうじゃないやつがいい。


 味気ない濃厚ソースを咀嚼しながら、おがちゃんと斉藤さんの会話を聞く。話題は高校の文化祭の思い出話になっていた。



 暫くすると、雑誌の担当者が来た。


 カジュアルなオフィススタイルの、三十代前半くらい。落ち着いたトーンの茶髪をひとつに括り、理知的な印象の女性だった。が、彼女は俺を見て「ふぁーーーー」と声を上げた。


 求められるまま握手を交わす。

 担当者のテンションは高い。どうやらただのミーハーのようで、打ち合わせは口実だったようだ。



 打ち合わせだけでも、女の格好をしていてよかった。男だとバレたら、逆枕営業の標的にされていたかもしれない。


 もしクロがいたら、会議室の空気を凍らせていただろう。おがちゃんは笑って、斉藤さんは胃薬を飲んでいたかもしれない光景を想像すると、少し笑える。



 そしてたっぷり二時間ほど「あの広告最高でした!」「最初に雑誌に載ったスナップが」と続く担当者の声を無視して、俺は終始無言のまま表情を殺した。


 裏社会は怖い場所だけど、芸能界も怖い。


 自分の笑顔にどれくらいの値段がつくのか、嫌になるほど知っている。下手に笑ったら、社会的に抹殺されるのは俺だ。



***


 打ち合わせという名の握手会を終え、帰路についた頃には外はすっかり暗くなっていた。


 斉藤さんが運転する車に揺られ、軽口を叩きながら、指輪をつけ直し、ウィッグを外してメイクを落とす。ようやく男の格好に戻り、タバコを取り出す。


 もちろん仕事中はタバコを吸えない。車という密室なら「マネージャーはヘビースモーカー」なんて言い訳が立つから、「ねえ」と声を掛ければ斉藤さんは窓を少し開けてくれる。それも帰り道限定の話だ。



 今回はおがちゃんが居てくれたからまだ気楽だったけど、それでも疲れた。正直息苦しい。



 クロと住むマンションに着くと、斉藤さんへの挨拶もそこそこに早足で家に向かう。ドアを開けると、ふわりと、焼けたケチャップの香りがした。



「クロ、ただいま! もしかして今日はオムライス!?」

「おう、おかえり。今ちょっと手ぇ離せないから先に手洗いとうがいしてこい」


 廊下にバッグを投げ捨ててリビングに飛び込むと、クロはキッチンでフライパンを振っていた。


 その光景を見ると、カチリと時計が動き出す。そこでようやく俺は『ただのシロ』に戻った実感を得る。



 クロが作るオムライスは、ちゃんと味がした。

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