雨と袋麺
電車を降りた頃、怪しかった空は雨雲に閉ざされてしまっていた。
折りたたみ傘は家で干したままだ。
コンビニでビニール傘を買うしかない。
「クロー。傘ないでしょ? 迎えに来た」
改札を通ると、声を掛けられた。
無気力な、ポヤポヤとした口調。オーバーサイズのシャツにスエット姿で傘を差した、黒髪の男。
瀬名眞白——シロだ。
「迎えに来たってお前、俺の傘は?」
「……あ」
迎えに来たと言う割に、シロは俺の傘を持って来るのを忘れていたらしい。
「まあ一緒に入ればいいでしょ。帰ろ?」
シロは悪気なんて微塵もない様子で笑う。
男二人で入るには窮屈なサイズだが、無いよりはマシだ。もしもここで「ビニ傘を買う」なんて言ったら、シロは確実に拗ねる。仕方ない。
傘は俺が持つ。シロに任せていたらフラフラと揺れて、どちらも濡れ鼠になってしまう。
男同士の相合傘に周囲から多少の視線を受けつつ、歩き出す。この時ばかりはシロのゆったりとした歩調が恨めしい。
傘を傾けているうちに、肩が冷たくなってきた。トートバッグの中のレジュメが濡れないよう、これは傘の内側に持ち替えることとする。
するとシロが俺の肩が濡れていることに気付いたようで、腕に絡みついてきた。
「おい、歩きにくい」
「くっついてたら濡れないでしょ?」
それはまあ、そうだろうが……。
「お前が傘二本持って来てりゃ濡れなかったんだけどな」
「俺はこっちのほうが楽しいよ」
「……そうか。でも、もうちょい早く歩け」
しとしと降り続く雨の中、シロは鼻歌混じりに歩く。たまに水溜りを蹴る様子は、まるで小さなガキみたいだ。
そんな調子で結局、駅から徒歩十五分ほどの距離を二十分掛けて家に着いた。
「冷えちゃったね。先にお風呂入ろ」
濡れた服を脱ぎ散らかしながら、シロが言う。
流石のポヤポヤ野郎も、風呂のスイッチは押して来たらしい。たまには気が効く。たまに、だけだが。
熱めの湯にゆっくり浸かると、雨で冷えた身体がじわりとほぐれ、むしろのぼせたと言ってもいい程度に温まった。
これなら、風邪を引く心配はなさそうだ。
冷たい麦茶を煽ると、火照りが引いていく。シロはソファにもたれ掛かってアイスココアを啜っている。
「雨、明日は止むといいね」
隣に腰を下ろすと、シロが雨で濡れたベランダを見ながらぽつりと言いかけて——
「あ、洗濯物。取り込むの忘れてた」
「洗い直しじゃねえか!!」
思わずツッコんでしまった。
申し訳なさそうに「ごめん。今から取ってくる」と、シロが立ち上がる。俺は腕を掴んでそれを止めた。
「いい。せっかく温まったのにまた濡れたら風邪引くだろ」
「でも……」
「どうせこの雨じゃ、今から洗い直しても干す場所もねえし。明日一緒に洗っとくから」
二人暮らしの洗濯物なんて、大して溜まるわけではない。一日分増えたところで問題は無い。
言い聞かせると、シロは少し肩を落としながら座り直した。
洗濯物を取り込むのは、シロが出来る数少ない家事……というか"お手伝い"だ。
"クロの役に立てる数少ないこと"なのに、クロの手間を増やしてしまった——なんて思っているのだろう。
だからといってシロは「じゃあ明日、俺が洗濯しとくよ」とは言わない。俺が家事分担なんて求めていないことを、コイツは分かっている。
雨粒を滴らせるベランダの洗濯物に目をやり、俺は「先に風呂入ったから遅くなっちまったけど、メシにするか」と、言ってキッチンに向かった。
シロは失敗をいつまでも引きずるような殊勝な奴ではない。
でも、気分は切り替えてやったほうがいい。
「オムライス?」
シロは声を弾ませて後をついて来る。
オムライスとお子様ランチはコイツの好物だ。
「遅くなったって言っただろ。冷や飯も足りねえし、今夜は袋麺だ」
「玉子入れる?」
「入れる入れる」
「チャーシュー乗る?」
「作り置きは……まだある。乗る」
鍋に火をかけ、冷蔵庫を開けた。
作り置きしていたチャーシューは、大きなタッパーの隅にぽつんと二枚だけ残っている。
二枚とも、シロの皿に乗せてやろう。
「じゃあラーメン!食べる!」
シロの表情は、もういつもの上機嫌に戻っている。
カウンター越しにそれを眺め、俺は緩みそうになる頬に力を入れて、ラーメンの袋を開けた。




