かんぱいの向こう側【後編】
外の空気は、店内の熱気を吹き飛ばすように涼しかった。全席禁煙は面倒だけど、火照った頬が冷えて気持ちいい。
春風に流れる煙をくゆらせていると、少し遅れて、マコトが外に出てきた。
慣れた様子でスーツの胸ポケットからタバコを取り出すマコトの仕草は、サマになっている。
前に会ったときは、吸ってなかった気がするけど……。
「マコト、タバコ吸うんだ」
「まーな。社会人ってのは色々あんだよ」
「社会人……ねえ」
「……含みのある言い方やめろよ」
マコトはたまに、夜の街のもっと深い部分独特の、殺伐とした雰囲気を纏う。何か危ないことをしてるんだろう。
気付いてなさそうなクロには、言ってない。
本人に言及する気もない。
俺だって、ひとに言えないことは沢山やってきた。探られたくない腹があるのはお互い様だ。
「まあ、死なない程度にがんばってね」
「……へいへい」
飲み会は大体、マコトの声掛けから始まる。
こうして集まって、たまにクロが普通に笑ってくれたらいい。そのためにも、マコトがいなくなるのは困る。俺は幹事には向いてない。
「つーか、白助こそいいのかよ。天下の人気モデル様が喫煙者やってて」
火種をこっちに向けて、マコトが少し悪い顔をした。いつもクロをからかうときの顔だ。
確かに、斉藤さんにも仕事帰りの車内でしか吸っちゃダメとは言われている。でもそれは、おがちゃんの衣装に匂いを付けないためだ。
「んー。まあ、クロがやめろって言わないから、いいんじゃない?」
マコトはぶはっと紫煙を吐き出した。
タバコを灰皿に突っ込んで、マコトは咽せながらヒーヒーと笑い続けている。何がおかしいのか、俺の返事はマコトのツボに入ったらしい。
ひとしきりマコトが笑い終わるのを待って、店に入った。
外の涼しさから一転して、再び熱気に包まれる。
店内ではサラリーマンや学生のグループ、家族連れ、そして店員が忙しなく動き回り、笑い声が響いている。
居酒屋の楽しげな空気は、嫌いじゃない。
席に戻ったらクロがアイリスに絡まれていて、なにやらワーワーと騒いでいた。ヒヨコは「アイちゃん、やめたげなよぉ」と困り声を上げていて、まるで高校のころのようだった。
何だか微笑ましい。
クロに「ただいまー」と告げると、アイリスは何事もなかったように、テーブルの向こう側に戻った。なにを話していたのか知らないけど、彼女は満足げだ。
「お前らいない間にラストオーダー聞きにきたから、適当に頼んどいたぞ。シロのシメは焼きおにぎりな」
「えーパフェ食べようと思ってたのにー」
不満を伝えると、クロは「明日にでも作ってやるから我慢しろ」と言って、頭を撫でてくれた。
今夜は焼きおにぎりで我慢しよう。
ここで食べるより、クロが作るパフェのほうが楽しみだ。
「オレの分は?」
「ハイボールだろ?」
「分かってる。さすがオカン」
「誰がオカンだ」
クロとマコトはお酒ばかり飲むから、マコトのシメにはお酒を頼んでおいたらしい。たぶん、クロもそうだ。
強い肝臓が羨ましくなる。でも俺の肝臓はとっくの昔に酷使してしまった。クロと同じペースで飲めたら楽しそうだけど、無理はよくない。
俺が身体を壊したら、クロは傷付いてしまう。
「オカンじゃないよ。クロは、俺の旦那さん」
「おい」
テーブルに残っていた肴をつまみながら会話に入ると、クロが座った目を向けてきた。
「あれ? お嫁さん?」
首を傾げると、「どっちでもいいわ!!」と三人の声が揃った。
さすが幼馴染。息がピッタリだ。
俺が「でもまあ、どっちでもいっか」と締めくくると、クロは「そうだな。ソファで転がってるだけだから、どっちでもねえな」と呆れた声で言った。
俺がなにかしようとしても、「大人しく座ってろ」と言うのはクロのくせに。
「抱き枕はお嫁さんと旦那さん、どっちの役割?」
「お前……そういうの外で言うなよ」
クロが真っ赤になった。仕返しは成功だ。
「おいおい黒助、嫁は抱き枕かよ」
「シロスケ、重かったらクロスケのことはベッドから蹴落とすのよ?」
「でも、その、夫婦? だし……。仲良しでいいんじゃないかな?」
「やめろ!! 真に受けるな!!」
ニヤニヤとした幼馴染トリオに茶化されて、クロはラストオーダーで届いたハイボールを一気に飲み干した。
酔ってないはずなのに、耳まで赤くなっている。
「俺は別にいいんだよ。クロあったかいし、ベッドが柔らかいから乗られても痛くない」
「だから!! お前それ以上言うなって!!」
テーブルの向こうでマコトが吹いた。
アイリスは手を叩いて笑い転げ、ヒヨコは「笑っ……笑っちゃだめぇ」と言いながら、涙目で肩を震わせている。
クロは煽ろうとしたジョッキが空なことに気付くと、俺が置きっぱなしにしていた薄いサワーを飲み干して「次行くぞ、次!」と宣言した。
散々いじられ茶化されても、二次会は行くらしい。クロが楽しそうでなによりだ。
居酒屋を出ると二軒目に行き、解散したのは終電間近のことだった。
別れはいつもあっさりとしていて、「またな」「またね」と言って手を振り、歩き出す。それぞれ別の進路を歩んでいるから、会う頻度は高くない。なのにまるで、高校時代の放課後のようだ。
幼馴染トリオと会うと、いつだって高校生に戻った気分になる。
——クロが張り詰めなくていい時間に、次の約束がある。
それだけで俺は、少し嬉しくなった。




