理解は胃に悪い
「——で、瀬名の話だっけ」
小川舞子は製作中の衣装を着せたトルソーに向かったまま、言った。
おれは今日、彼女のデザイン事務所に来ている。次の仕事の進捗確認と、打ち合わせのためだ。
SENAのデビュー以降、雇い入れた少なくないスタッフ達は、今は別の部屋で作業に精を出している。
SENAの——瀬名眞白の人となりについておれが尋ねたことから、彼女は人払いをした。
「そんなの、瀬名に聞けば良くない?」
「聞いても……主語が、その、パートナーばかりで……」
小川舞子は、腹を抱えて「相変わらずだなあ」と笑い出した。笑いごとではないのだが。
「まあ、瀬名の世界は仁川っていう地軸がないと回らないから」
「地軸……ですか」
言い得て妙だ。
確かにSENAの言動には、いつだってあの白髪の影がある。
「ま、あいつらのおかげで、うちはプロとして食べられてるんだけどね」
小川舞子は、自身がプロデザイナーになった経緯をいつもそう言う。
人気モデルへと成長しつつあるSENAを専属に抱え、今やファッション業界からの注目も熱い彼女は、いつだってそんな調子だ。
SENAは高校の文化祭で、女装メイドをしていたらしい。その時に衣装作製を担当したことで、SENAと小川舞子は友人になったそうだ。
その縁から服飾専門学校の学祭でも、体調不良の女性モデルの代役をSENAは即興で引き受け、ランウェイに立った。そしておれが彼をスカウトし、白髪の了承を経て、今に至る。
そう考えれば確かに、小川舞子がプロデザイナーとして台頭したきっかけはSENAにあるのだろう。しかしこの業界、そんなおんぶにだっこで成功するほど甘くはない。
きっかけは、きっかけでしかないのだ。
「そもそも、そんなひょいと女装なんて引き受けるものなんですかね」
SENAは事務所やスタジオに出入りする時にも、女性の恰好をする。あの白髪から「身バレしないよう」きつく言い含められているのだろう。
「瀬名はまあ……女装に抵抗がないとか以前に、自分の性自認にも興味がないんじゃないかな。そういう枠で生きてないっていうか」
「だから衣装もメイクもされるがまま、パートナーが同性でも気にしていない……と」
俺の呟きに、小川舞子は忙しなく手を動かしながら、曖昧な首肯で返した。
なるほど。同性パートナーと揃いの指輪をつけて、平然と「既婚者」と言い切るのも、女装をするのも、流す動画のジャンルがちぐはぐなのも——、彼の価値観がどこまでも平坦である査証なのかもしれない。
あの白髪は……ウッ、胃が痛い。
「あいつらがツルみ始めたの、高二の夏ごろだったかな。それまで瀬名、あんまり学校に来なかったし」
「不登校……いやまさか不良だったんですか」
「逆。卒業までオール満点の学年トップ」
「……意味が分からない」
それはそう——と、小川舞子がけらけらと笑い出した。
「だから仁川とツルんで瀬名が毎日登校するようになって、クラスでは『付き合ってんのか』って話題になったんだよね。仁川は否定してたけど」
そして懐かしむように話しながら、彼女はコーヒーを淹れたマグカップを渡してきた。
「典型的な偏見に……?」
「ううん。うちのクラスすっごいノリが良くてさ。みんなそういうものだって思ってた。まあ、偏見ある子だっていたかもしれないけど、口に出したら逆に孤立すると思ったのかもね」
やはり意味が分からない。
学生という、子供の狭い社会でマイノリティをノリで受け入れる空気があったと? そんなものがあるなら、世界はデモ行進なんてしていない。
「専門は女子多かったからか、そういうノリはなかったなあ。いいよね、共学」
共学はたぶん、全然関係ない。
コーヒーを口に含むと、胃に沁みた。
「そういえば、あいつらが結婚……パートナーシップ? したの、高三だったかな。さすがに職員室は大騒ぎでヤバかったらしいよ」
なんで!! 高校在学中にそんな事するんだ!!
いや、確かパートナーシップ制度は両者が成人していたら宣誓できたはずだ。可能ではある。……あるが。
「職員室の反応が普通だと思いますけどね」
「まあね。でもクラスでは『結婚したんまじ?』『おめでとー』って感じだったよ。瀬名、そういうの隠さないし」
「……隠しませんね」
テレビ出演を断っているとはいえ、モデル業界だって芸能界だ。少しは隠そうとしてほしい。
スキャンダルは命取りなのだ。
「でも校長はわざわざ教室に来て、直接祝ってたな。斉藤さん、知ってる? 配信者の『ドガみぃ』。あれ、校長」
「…………………………は?」
ドガみぃは知っている。
"ケモ耳ロリおじさん"と呼ばれる、バーチャルアバターを使う動画配信者だ。つい最近、チャンネル登録者数200万人を突破して、記念生配信をしていた。
「……進学校……ですよね?」
「まあそうだね。偏差値はそこそこ上のほうだったと思うよ。進学するやつ多かったし」
「あの学校、そこそこじゃないんです。公立校では一、二を争う有名校なんです」
「そうなの? うち受験のとき担任に勧められてなんとなく受けたから、知らなかった」
小川舞子は自らの学力に興味はないようで、コーヒーを一気に飲み干すと、またトルソーに向かった。
手首につけた針山から、まち針を衣装に刺していく。話しながら、よくその手際で作業出来るものだ。
「結局、SENAはどういう人なんでしょうね……」
脱線した会話を反芻して、零した。
そろそろお暇しよう。
冷めたコーヒーに胃壁を刺激されながら、おれもマグカップを空にする。
「んん、どういう人……かあ。仁川がいなきゃ生きていけない奴? 愛とかじゃなくて、あれは依存だよ。きっと瀬名は、仁川がいなかったら素が"SENA"になる」
小川舞子は手を止めることなく、なにかを思い出すように目を閉じて、しみじみといった様子でそう締めくくった。
「……ありがとうございます。作業のお邪魔をして申し訳ありませんでした」
「お構いもしませんで。瀬名のこと漏らせないし、うちも斉藤さんに話せて楽しかったよ」
軽く手を振るデザイナーに会釈し、事務所を後にする。
進学校でオール満点。異様なほど大らかなクラスメイト。校長はケモ耳ロリおじさん。愛じゃなく、依存で学生結婚。……情報量が多すぎる。また胃薬の消費が増えそうだ。
——これからもっと売れていくであろうSENAのマネージャーをやっていける自信がない。
車に乗り込むとエンジンもかけず、おれは思考を手放した。




