はいちゅうの木
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~ん……暑さとかって、やっぱり人をどうこうさせるんでしょうか。
ほら、毎年この時期になると熱中症とかで病院へ運ばれる人とか、ほぼお約束な報道になっちゃっているじゃないですか。
ひと昔前からあったかもしれませんが、このネットワークが広がった昨今だと、細かい情報も簡単に拾えて、すぐ共有できちゃうじゃないですか。そのために、これまでは遠かったりマイナーだったりで見えていなかったものが、目に入るようになってきています。
そうなると、実はたくさんこの手の被害に遭っている人がいるんだと知ることになって、ことの重大さを感じたりするものですよ。
見えないこと、伝わらないことは、世界に存在しないように覚えたりする。自分がじかに見聞きし、触れられるものこそ大事で対策を考えていく。
ひょっとしたら、それこそ全体で見たレアケースやもしれない、とも考えずに。他と比較しないからこそ力を注ぐことができ、そのために奇妙に思えるかもしれない解決法を思いつけるのかもしれませんね。
私の地元で伝わっている、ちょっと不思議なことなんですが、聞いてみませんか?
実は私たちの地元には、図鑑に載っていないだろう不思議な植物が存在しているんです。
「はいちゅうさま」と呼ばれ、樹齢4桁と目されるその木は、私たちの住む地区の山のひとつに生えていまして、しめ縄を渡されたご神木扱いされています。
大人が十人ほどいて、ようやく囲えそうな幹にはところどころ、緑色の斑点が浮かんでいるんですね。大小はさまざまで、小さいものなら豆ひとつぶほど、大きいものなら人の身体を上回るほどはあります。
それが高さ十数メートルの身体のそこかしこにあるのですが、肝心なのはその幹から生える枝たちです。
高いところに葉を茂らせているものもありますが、人の手が素で届く高さにも、ちらほらと枝が生えまして。月のはじめなどに、地元の神職の方たちがそれらの枝を各家に持ってきてくださるんですね。
で、その枝を家族みんなで食べます。
枝を細かく、細かく、ほとんど粉のような状態にして、ご飯と一緒にいただくんですね。
味はふきによく似ていまして、若い人には苦手とする人も多いですねえ。それでも、このいっときを乗り越えればいいのだからと、頑張って口に入れちゃうわけです。
これらの効果は、何もあらわれなければよい兆候だとされています。この「はいちゅうさま」は、いわば予防の策。摂取と接種を兼ねていまして、何事も起こらないことが肝要とされていますから。
しかし、これをおろそかにしたときに出る症状はやっかいなために、みんながこれを止めずにいるのですね。
私も、はいちゅうさまを抜いたときに起こる症状にあったことがあります。
まず、のどが猛烈にかわくんですね。
夏場ですし、水が欲しくなるのは当たり前と思うかもですが、湿気が多い日などはからっからの喉になることがあまりなく、ついつい水分補給タイミングを逸してしまうこともあるでしょう。
しかし、そのような次元ではなく。ひたすら水を飲んで、少し経ったらトイレに駆け込む。でもいくらも経たないうちにのどの渇きを覚えて、また水を飲んでトイレにいく……この繰り返しをせざるを得なくなります。
――水を飲むのか、トイレに行くのを我慢すればいいじゃないかって?
いやあ、あのしんどさを体験したうえで、同じような言葉をいえる人は、地元の年配の方々でもそうそういませんよ。
あの渇きは、痛みさえ覚えるものです。もし、水を飲まずにいたのなら喉の奥の粘膜がひりつくまま、ピーラーにかけられたようにはがされていき、その下の血管さえ痛みと共にあらわにされていってしまう……そのようなイメージが、ふと頭をよぎるほどですから。
事実、飲み込むつばきなどは、風邪の引きかけの喉を思わせる激痛とともに、血の味さえもにじませてきますから。しかし、水の場合だとそのような痛みがなく、ごくごくと嚥下できてしまうんですねえ。
その時点で、私は親に相談をしましてね。急きょ、はいちゅうさまの枝を新しくもらって、ぱきりぱきりと折った枝を、口の中へ詰め込まれました。
いつも以上に、強烈な苦みを覚えますが、吐き出すことは許されません。これもまた咀嚼して食べることが望まれます。
そうした後には、味噌汁をおわん二杯。具を何も入れることなく、かきこむんです。
そうすると、一気に体中が熱くなるのを感じます。たとえ、ぬるい味噌汁を飲んだとしてもね。
そのまま服を脱いで真っ裸に。お風呂の空いている浴槽などにかがみこんで、高まってくる熱さに耐えていると、やがてそれはこそばゆさに変わるでしょう。
「ちゅう」が出ます。
あえて漢字はあてられていません。様々な意味を持つゆえ、漢字をつけることによって意味を、その印象を方向付けたくないのだとか。
なにが「ちゅう」として出るかは、個人差があります。私の場合は、煙でしたね。
体中の穴という穴から、たき火をした時のようにまなこへ沁みるものが出てくるんです。戸は開けてありますが、そのまま逃げだすより排出されるものの量がずっと多く、咳き込みっぱなしでしたね。
数十分間はそうしていました。やがて煙が出なくなると、これまで水分摂取をいっさいしなかったにもかかわらず、喉の渇きは引っ込んでいまして。普通に過ごせるようになっていたんです。
――処置をしなかった場合、ですか?
さあ、ここ一世紀あたり、そのような愚かなことはしていないそうですが。
聞いた話だと、その者が人の身体ではなく、「ちゅう」の身体中心になってしまう、とのことですよ。