浮気性の婚約者がヤバい相手に手を出して消えた話
「アミーリア、すまないが友人と話をしてくる。遅くなると思うので、先に帰っても良いぞ」
婚約者であるダレル様は、美しい女性を侍らせてそう言った。
「そうですか。かしこまりました」
この日は王宮主催の夜会。
それぞれ必要なご挨拶が済むと、早々にダレル様はお友達とどこかへ消えました。
浮気性なダレル様のことなので、一緒にいた女性とそういう事をするつもりなのでしょう。
まあ、夜会のエスコートをしてくれるだけ、マシなのかもしれません。
「はあ……」
っと、いけない。淑女たるものいかなる時も感情を表に出してはいけません。
私は、扇子で口元を隠します。
そして、給仕の方から果実水をもらうと、壁際に移動します。
ダレル様、そのまま浮気が原因でお亡くなりになったりしないかしら?
──ああ、だめね。ダレル様が亡くなっても、その弟君が今度は私の婚約者になりかねない。
確か、ダレル様の弟君にも婚約者がいたそうですが、彼の暴力が原因で婚約を破棄されています。
暴力よりは浮気性の方がマシです。……いや、どっこいどっこいですけどね。
弟君の婚約者は同じ伯爵家同士だったので、相手の方から婚約破棄もできたのでしょう。婿入り予定でしたし。 しかし、ウチは子爵家。こちらから婚約破棄、いえ無難に解消を言い出すこともできません。
「あれ? アミーリア? 久しぶり」
再びため息を吐きそうになったところで、声をかけられました。
「……あら? リンジーじゃない! 本当に久しぶり」
相手は幼馴染のリンジー。学園を卒業して以来の再会だ。
男爵家の後継のはずだけど、どこかの魔法師の助手だか、上級貴族の執事をしているとかで軽く行方不明になっていた人だ。一年ほど。
夜会などにも出席しない上、学友たちも誰も連絡が取れなかったので、本当に消息不明となっていた。
「あなた、生きていたのねぇ。みんな心配していたのよ?」
「ああ、さっき挨拶した時、みんなに言われた」
そう言って、あははと能天気に笑う彼は学生時代と変わらない。
「それで? どうしてアミーリアは壁の花何かになっているんだい? 婚約者も一緒だろう?」
「ついさっきまでは一緒だったわよ。でも、とても親しいお友達と二人きりでお話しするために、どこかへ行ってしまったわ。遅くなるそうだから、先に帰ってもいいそうよ?」
「なんだいそれ? 夜会、始まったばかりだけど? ダンスもせずに?」
「婚約者といるより、お友達の方が大切みたい。そういう人なの」
「アミーリアの婚約者というと……、ああ、カエノメレス伯爵の。ということは、お友達は女性の方かな?」
「そういう事よ」
一息ついえ、果実水を一口。
「……断ることは?」
「できたらとうの昔にしているわね」
この婚約は、ダレル様側から打診されたもの。
こちらとしては、ダレル様の素行も知っていたのでやんわりと断ったのですが、結納金という名目で多額のお金を渡され、無理やり婚約が結ばれてしまったのだ。
ウチはごく普通の子爵家だけど、別にビンボーでもなく、領地も豊かで税収にも困っていない。むしろ、裕福。
貰った結納金は使われず、そのままとってある。
さっさと婚約解消して、お金をお返ししたいところである。
ちなみに、私に婚約者がいなかったのは、両親も私ものんびり構えていたためだ。そのうちいい人が見つかるよ〜なんて思っていたら、こんな事になってしまった。
私も両親も物凄く反省している。
「ふ〜ん。なら、未練とかは? ないの?」
「ないわね〜」
「そう、良かった」
「何も良くはないと思うけど?」
「あはは。そうだね〜」
「もう! でも、久しぶりにリンジーと話せて良かったわ」
ちょっとだけだけど、心の内を話すとスッキリするわね。これからも頑張れそうだわ。
結婚後のことは……、あんまり考えたくないけど。
「そう? でもこれからは、もっとたくさん話せるかもね?」
「え? どういうこと?」
私の疑問に。リンジーはただ笑みを返すだけだった。
◆ダレルside◆
ダレルはいつものように婚約者であるアミーリアを放置し、浮気相手の一人である女性と休憩室に篭っていた。
事が済むと、紙タバコに火をつけ、一息ついた。
「あなた、いつも婚約者のこと放置しているの?」
「ん? ああ……」
用済みになった女に対し、ダレルはすでに興味がなかった。無駄話なんてしていないで、さっさと出て行けばいいのにとさえ思っていた。
「婚約者さん、よく文句言わないわねぇ」
「言えないだろ。相手は子爵でウチは伯爵家だからな。金も払っているし」
だから、何をしても文句も言えない。なら、何をしてもいい。
「でも、婚約者さん結構美人じゃない。もったいないわねぇ」
「そう?」
婚約者であるアミーリアは栗色の髪に深い緑の瞳を持つ。見た目は確かに美人ではあるが、ダレルからすると少し物足りないのだ。
「どうせ結婚すればずっと一緒にいるんだし、今は良くない?」
ダレルは結婚するまではたとえ婚約をしていたとしても、自由だと思っている。だから、他の女と遊んでいても自由なのだ。
流石に結婚してからは、妻を第一に考えるが、愛人と切れるつもりはない。妻のことは一番に大切にするのだから、文句は言わないでほしい。
「まあ。あなたがいいならいいけど」
女が身支度を始める。
「……」
ダレルは女が休憩室を出ていくのを止めなかった。
今日の相手は、どっかの下級貴族の若き未亡人だったはずだ。お互い割り切った関係だが、最近飽きてきたので今回限りでもう会わないかもしれない。
(そういえば、名前、なんだったかな……?)
余計な諍いを防ぐため、ダレルは関係をもった相手の名前は忘れない。だが、その女の名は思い出せなかったが、どうでも良かった。
◆◆◆
それからも特に変わった事はなく、日々は過ぎて行きました。
ダレル様は相変わらず各所で浮き名を流し、私は周りの方々から同情される日々。
さっさと領地に帰りたいですが、夜会シーズンなのでそういうわけにもいきません。
そんなある日、珍しい方から茶会の招待状が届きました。
「アガパンサス公爵、ですか?」
聞いた事があるような無いような家名です。
一応、この国の貴族の家名は全て入っていますし、公爵家でしたら尚更覚えているはずですのに。
「知らないのも無理は無いだろう。長らく社交界には現れず、それどころか王都の屋敷からも殆ど出てこない変わり者の御仁だ」
お父様が渋い顔で説明します。
アガパンサス公爵は領地を持たず、どの家とも交流をせず、それなのに没落する様子はなく。
どうやら、この国の魔法技術に関する研究をしている魔術師の類らしいのですが、一切の素性がわからないため、どう対応していいか考えあぐねているみたいです。
出席しないで、後で何か瑕疵がついても嫌ですしね。
「せっかくなので参加したいのだが、他の茶会とかぶってしまってね」
招待状に書かれている日にちは、お父様とお母様が寄親の開くお茶会に参加する日です。流石に、寄親との約束をキャンセルしてまで、よく知らないアガパンサス公爵家のお茶会に行くかといえば否です。
「なら、私が出席しますよ。お父様とお母様は都合が悪いとでも言っておけばいいでしょう。事実ですし」
「そうだな。アミーリア、頼めるか?」
「はい」
「それで、その、ダレル君は一緒に行くのかね?」
「え?」
お茶会の参加は特別な指定がない限り、エスコートの相手は必要ありません。
ただ今回は、個人に対してのお誘いではなく、それぞれの『家』に対するお誘いです。
家族全員で行ってもいいし、夫婦だけで行ってもいい。
ただ、私のように婚約者がいる場合は一緒に行った方が無難でしょう。
「一応、ダレル様にお誘いのお手紙をお出しておきます。断られたら、お兄様でも誘います」
お兄様は、騎士団に所属していますが、お仕事が楽しいのか邸宅に帰ってくる様子がありません。でも呼び出せば一応は帰ってきてくれるはずです。多分。
「そうか。すまんな」
そういうことになりました。
◆
そして、ダレル様にお茶会のお誘いをすると、意外にも了承されました。
当日、理由を聞きますと。
「人前に出ない公爵とか、気になるじゃないか」
そう愉快そうにしていました。
この方、性格もあまりよろしくないようです。いいのは顔だけですね。それもいずれ衰えるでしょうが。
「そうですか」
私はダレル様にエスコートされながら馬車からおりました。
アガパンサス公爵家のタウンハウスは、意外にも美しく整備されていました。
特に変なところはないですが、強いて言うなら野薔薇が至る所に巻き付いているくらいでしょうか。まあ、それも、野薔薇が好きなのね位のものですが。
お茶会の会場は庭園で、ガーデンパーティーの様式です。
「よくぞお越しくださいました」
現れたのは、青髪碧眼の美青年。それと白髪に黄金の瞳を持つ美少女。
「アガパンサス公爵家当主、ウォーリスと申します。こちらは妹のヘロイーズ。以後お見知り置きを」
アガパンサス公爵の見た目にご婦人方はため息をつき、妹君のヘロイーズ様の可憐な見た目に殿方達が釘付けとなります。
「──っ」
それは、(私以外の)女性が大好きなダレル様も例外ではありません。
「……はあ」
私は、扇子の下で微かにため息を吐きます。
頼みますから、面倒なことは起こさないでくださいよ?
いや、起こしてくださった方がいいのかしら? でも、我が家にも影響があると困りますからね。
それからお茶会が始まり、各々公爵様にご挨拶をします。
私とダレル様も公爵様にご挨拶。
「へえ、君がアミーリア嬢か」
公爵様の目が怪しげに細められます。
「私をご存じなのですか?」
我が家も、領地も、私自身も目立ったところのない、ごく普通の下級貴族ですが。
「ええ。リンジーのご友人ですよね? 彼にはいつもお世話になっているので」
「リンジーが?」
彼、行方不明だと思ったら、アガパンサス公爵様の元にいたのかしら? それなら、どこにいるか分からなくても無理はない? いや、やっぱりおかしいかも?
「彼には私の助手をしてもらっています。研究内容があまり外部に知られたくないものだったので、彼にも不自由をさせました」
「今回、お茶会を開いたのは、ご研究がいち段落したからですか?」
「そうなりますね」
そう言って微笑む公爵様は、とても嬉しそうです。
と言うか、何歳なのでしょう? 若くも見えるし、三十代かそれ以上にも見えます。少なくとも、私やダレル様よりは年上でしょうか?
年齢不詳のイケメンさんです。
「リンジーも後から参加しますので、良かったら──」
「ヘロイーズ様、良ければ今度、私と観劇などいかがです?」
気づけば、ダレル様が公爵様の妹君のヘロイーズ様を口説いていました。
仮にも、婚約者と兄君である公爵様の前です。とてもいい度胸だと思いました。
ヘロイーズ様は、困ったように笑っています。
「ダレル様?」
「ん? なんだい、アミーリア。今、ヘロイーズ嬢と──」
その時、ヘロイーズ様を庇うように公爵様がダレル様の前に立ちはだかります。
「すまないが、妹に手を出さないでもらいたい」
その目は私と話していた時よりも鋭く、殺気まではらんでいます。
「も、申し訳ありません! あまりにも美しかったので、つい──」
「気をつけてくれ。そもそも、婚約者の目の前だぞ? 何を考えている?」
そりゃ勿論、いい女とそういう事がしたい、とだけ考えているのでしょうね。
「申し訳──」
「私ではなく、自分の婚約者に謝罪したらどうだ?」
「……アミーリア、すまない」
「いえ。大丈夫ですわ。それより、私体調が悪いみたいなので、お暇したいのですが……」
これ以上ここにいても、いたたまれないですしね。
「そ、そうだな。それでは……」
そんなわけで、私とダレル様は早々にお暇しました。
帰りの馬車の中では無言のダレル様。今回のことで少しでも改心してくれればいいのですが……。
なんて思っていた私は甘かったのです。恋心というものは、障害がある程、燃え上がるのです。
◆
それから数日後。アガパンサス公爵家から、夜会の招待状が届きました。
前回のお茶会では、ダレル様が失礼なことをしたので、家族共々呆れてしまいました。
今回はその謝罪もするため、参加しなければなりません。
「ダレル様、公爵様に会ったらまず、前回のお茶会の謝罪を……」
「ああ、そうだな……」
馬車の中で夜会の打ち合わせをしますが、ダレル様は心ここに在らずです。大丈夫でしょうか?
「とにかく、しっかりしてくださいね?」
会場についてすらいないのに、何故か既に胃が痛いです。
どうか、無事に夜会が終わりますように!!
それから会場に入り、無事公爵様にご挨拶。
「先日は、申し訳ありませんでした」
挨拶の後、お茶会の無礼を謝罪する。
ダレル様も私に倣って頭を下げますが。謝罪の言葉は口にしない。
私、あなたの無礼を謝罪しているのですけど?
というか、今日は様子がおかしい。体調が悪いのでしょうか?
「構いませんよ。謝罪は既にいただきましたし。そもそも、貴女には何の咎もないですしね」
アガパンサス公爵はチラリとダレル様を見ますが、特に何も言いません。
「そう言っていただけるとありがたいです」
まあ、何とか許されたみたいです。良かった。
そして、ダンスが始まります。ですが、ダレル様はずっとぼんやりしています。
「ダレル様、体調が悪いのですか? なら、もう帰りますか?」
「え? いや。……大丈夫だ。アミーリア、踊ろうか」
「え? はい。わかりました」
久しぶりに、ダレル様と踊ります。
最近は、挨拶が済むと、お友達と二人でどこかへ消えてしまいますから。
そうしてダンスを、三曲続けて踊り、私は疲れてしまいました。
久しぶりにダンスを踊った弊害が、ふくらはぎにキています。
「アミーリア、大丈夫かい?」
「久しぶりに踊りましたので、疲れてしまいました。少し休みますね」
「そうするといい。──あ、すまない」
ダレル様は給仕の方を呼び止め、飲み物を受け取り、私に渡します。
私の皮肉には、気づいていないようです。
「ありがとうございます」
私は、壁際に設置されたソファーに座らされる。
「私は、友人を見つけたので行ってくる」
「……女性のお友達ですか?」
また、女性のお友達かしら? 謝罪した相手が主催の夜会では自重してほしいのですが……。
「男の、だよ。それじゃあ」
そう言って、ダレル様は去っていきました。
追いかけたいのは山々ですが、流石に三曲ぶっ続けのダンスのダメージが足に来ているので、諦めます。
そして、グラスの中身を傾けます。
「うぐっ!?」
グラスの中身は、白ワインでした。というか、よく見ればアルコール用のグラスです。
私、お酒は飲めますが、ダレル様の前では基本的には飲みません。万が一、婚約解消ができない事態にはなりたくないのと、酔った感覚がイラつくので。
ダレル様は、私がお酒に弱いと思っているみたいですけど。
なので、こういった場では果実水しか飲まないということをダレル様も知っているはずなのですが……。
それだけ、私に興味がないのですね〜。
でもなぜでしょうね。モヤモヤします。いえ、蔑ろにされてイラついているわけではないのですが。
「アミーリア」
仕方なく、グラスを取り替えようと立ちあがろうとした時、声をかけられました。
「あら、リンジー、貴方も来ていたのね」
「一応、僕は主催者側だよ。ウォーリス様の助手だし」
「そういえば、そうだったわね」
前回のお茶会で公爵様が言っていた気がする。
「どうしたの?」
「間違えて、白ワインのグラスをもらってしまったの。果実水の方と交換しようかと思いまして」
「ふ〜ん? あ、すみません!」
リンジーは給仕の方を呼び止めて、グラスを一つ受け取った。
「はい」
それを私に渡す。
「ありがとう」
「そっちは、僕がもらうよ」
「え? ええ……」
白ワインのグラスを、リンジーに渡す。
グラスを手にすると、リンジーはそれを一気に飲んだ。
「ちょっと!?」
一口だけど、口つけちゃったんですけど!?
「うん。美味しい」
「もう!」
「もったいないだろ? で? 今日も婚約者はいないのかい?」
「そうね。ご友人を見つけたとか」
「え? おかしいな。彼と関係のあるお友達は呼んでいないんだけど?」
「男性のご友人と言っていましたわ」
「それこそ、呼んでいない。彼の友人に魔術に関する家はないはずだからね」
「え? それなら、私だってそうよ?」
「いや、アミーリアは特別」
「特別? ──いえ、それより嫌な予感がしますわ」
「嫌な予感?」
ダレル様は私に興味はありませんが、意外にも好みなどは把握されています。
プレイボーイですのでそういうところはマメなのです。それが、今日に限って間違えて白ワインを渡してくる。
まさか、わざと間違えました? それとも何か、焦っていた?
リンジーの話を聞いて、モヤモヤした感覚が嫌な予感へと変わりました。
「と、とりあえず、ダレル様を探そうか」
「そうね」
私とリンジーが席を経とうとした時──。
「貴様! 何をしている!!」
同時にアガパンサス公爵の怒号が響いたのです。
◇
声の方に向かうと、そこは客用の寝室。夜会などの際には休憩室として扱われる部屋です。
その一室に、ダレル様はいました。ヘロイーズ様と一緒に。
床に散らばる衣服。
ベッドの上で裸の二人。
何があったのかは、一目瞭然。
ただ、ヘロイーズ様は、じっとりとした目でダレル様を見ています。
どういう感情?
「何ということを……、この!」
公爵様は、怒りに任せてダレル様を殴る。
「ぐあっ」
吹っ飛ぶダレル様。
勢い余って、ダレル様は頭からベッドから転げ落ちてしまいます。
その拍子に、素っ裸なので見たくない部分が……。
そこで、部屋の扉が閉められました。
「アミーリア、別室で休もう!」
「え、ええ……」
そして、私は別室に案内されます。
大丈夫。私はギリギリ見ていないわ。長くてブラブラしたものなんか、削除、削除。はい忘れた。
それから、お菓子やら料理やら色々用意された部屋でリンジーに手厚く面倒を見られ、心が落ち着いた頃に邸宅に返されました。
その後、なぜかダレル様とは連絡が取れなくなり、そして、あれよあれよという間に婚約は解消。
いつの間にか、ダレル様のご実家もなくなっており、家族共々驚愕したのはいい思い出です。
そして何があったのか知るのは、私がリンジーと結婚して、しばらく経ってからでした。
◆◇◆
「……ダレル、様?」
「うん。あれ? 覚えてない?」
リンジーと結婚して三年。
子宝にも恵まれて、忙しくも幸せな日々を送っていたある日、リンジーから聴き覚えのある名前を聞かされました。
「ああ! 私の元婚約者じゃない! 彼がどうかしたの?」
そういえば、アガパンサス公爵家のあの事件以降、ダレル様の姿を見ていません。
婚約解消の手続きも、記入済みの書類が送られてきたので、それに記入して提出しておしまいでした。
押し付けられたお金は迷惑料として受け取ってくれとのことだったので、領地の整備費用になりまして、領地の主要道路が綺麗になりましたので、それは良かったのですが。
ご実家のカエノメレス伯爵家もいつの間にか没落して、ご家族も散り散りになり、領地は国に返還されたとか。
その後、詳しく知る前にリンジーに告白されました。
解消とはいえ、婚約が無くなった身。どうせこれから先、良い相手もいないでしょうから、それなら気心の知れたリンジーと結婚する方がいいと思い、その告白を受けることにしたのです。
婚約期間はダレル様との婚約は何だったのかってくらいに、溺愛され、結婚してからはそれ以上にドロドロに甘やかされて、子供もポンッと生まれ、現在に至ります。
「最近、帰って……、いや、見つかったんだ」
「見つかった? 行方不明だったのですか?」
「うん。表向きは病による療養ってことで、領地に引っ込んだ事になってたけどね。その後、家がなくなったので、行方不明になった、ということになっている」
そういえば、婚約解消後、そういう噂を聞いたことがあります。
てっきり、とうとう下半身のご病気をうつされたのかと思ったのですが。
「それで、ウォーリス様……、アガパンサス公爵の妹っていただろ?」
「ええ、お名前は確かヘロイーズ様でしたか?」
あの親会の夜に、ダレル様とそういう事になってしまったご令嬢。
ヘロイーズ様はあれ以降、姿を見なくなりました。
気にはなりましたが、デリケートな事なので調べるわけにもいかず、アガパンサス公爵家ともその後疎遠に──、というか、再び公爵様が引き篭もってしまったので、誰もその後を知らないのです。
「彼女、ウォーリス様の本当の妹じゃないんだ」
「そうなのですか?」
まあ、顔は似ていなかったような気がします。美人でしたが。
「実は、人間ではなくてね。元々はこの国ができる前にこの土地を支配していた精霊の一種だった。妖精といえばいいかな?」
「え。ええ!?」
精霊といえば、この世界で魔力を司っている存在です。
神々がこの世界と生き物を造り、神々の世界に帰った後、この世界の魔力の管理の為、造られた存在だと言われています。押し付けられたともいいますが。
基本的には人に干渉することは稀ですが、彼らにそっぽを向かれると場に流れる魔力の元、魔素が枯渇しその土地が不毛の大地になってしまうそうです。なので、神と同様に礼節を持って接しなければなりません。
そして妖精とは、なんでしょう? 精霊の一種ということはなんとなく知っていますが。
「ええ〜と、そんな相手と、ダレル様は?」
「ああ。致してしまったわけだ」
「それは……」
まずいのでは?
「だが、相手もダレルを受け入れたので、そこは問題にならなかった」
大丈夫なんかい!
「どういうことです?」
リンジー様の話はこうです。
ヘロイーズ様は妖精であり、妖精とは元は神でもヒトでも魔獣でも魔物でもないモノで、この世界を創った神が、世界を整地するために最初に造った存在だそうです。
その後、全ての生き物も誕生し、この世界を『ヒト』に任せるにあたり、神は魔力の管理者として精霊という種族を造りました。
そして、役目を終え、世界に必要なくなったモノを妖精とし、精霊の一種に含めたそうです。
ほとんどの妖精が世界に適応できず、滅び、あるいは姿を変え、その殆どが世界の表舞台から消えてしまいました。
そんな、妖精の数少ない生き残り。
「それがヘロイーズ様だと?」
「そうだ。ヘロイーズ様は多分、現存する唯一の力ある妖精だ。その力をこの国の安定に使ってくれている。
しかし彼女は百年に一度、人間の男を伴侶にする。そして手足となって働く子供を沢山作る。
これが彼女の唯一の望みであり、この国との契約なんだ。
彼女との契約関係によってこの国の魔力は安定している。しかしその為に他の精霊がほとんど住み着く事ができない土地になってしまった」
「ああ! それでこの国は魔法技術師は多いのに、魔法師は少ないのですね!!」
魔力を駆使すれば誰でも扱える魔法技術は、他国から魔力石を輸入することで何とかなりますが、魔法師はそうはいきません。特定の精霊の加護を受ける事によりその属性の魔法を使う事ができるのです。要は、精霊にそれぞれの属性魔法を使う許可をもらうのです。
しかし、この国ではそういった魔法師はほとんどいません。なぜなら、使用許可を出してくれるそれぞれの属性の精霊がほとんどいないからです。
治癒系の魔法が使える方はそこそこいるので、ヘロイーズ様は光属性の妖精なのかもしれません。
「そう。ウォーリス様はそもそも精霊師でね。そろそろ、この国も他の属性の精霊を迎え入れたいので、ヘロイーズ様と色々交渉していたんだ。ヘロイーズ様もそろそろ神の世界に行きたいそうなので、色々調整してたんだけどね〜。ダレルによってぶち壊された」
「えええ!?」
精霊師は魔法師などよりも、精霊との関係を重視する方です。
要は精霊たちとの交渉役ですね。
「他の精霊を迎え入れるには、ヘロイーズ様の子供たちの数を減らさなければならない。しかし、子作りをしてしまうと確実に子供ができてしまう。おかげで、他の精霊を迎え入れる機会が百年伸びてしまった。国自体はこれまで通りなので特に問題はないが、それまで交渉と調整を続けてきたウォーリス様は、精神的ダメージが強くってね……」
「あらららら〜」
それで公爵様は閉じこもってしまったのね。
「あら? でもそれなら、ヘロイーズ様を公の場に出さなければ良かったのでは?」
「お茶会は様子見。その後の夜会で、そういったことを説明する予定だったんだ。招待した貴族も事情を知っているか魔法に造詣深い家が殆どだった。まさか彼が、二回くらいしか会っていない相手を手籠にするとは流石に誰も思わなかったんだ」
「そ、それは、私がダレル様を連れて行ったから……」
私は青くなります。
いくらエスコートが必要だとはいえ、相手はお兄様でも良かったのです。招待状は我が家に来たものだったのですから。
それなのに、ダレル様を連れて行くのを選択したのは私なのです。
「いや、君だってまさか、いくら浮気性だからって、彼がいきなりそんなことをするとは思わなかっただろ? なら君のせいじゃない。君に罪があるのなら、人の欲を甘く見ていた僕達も同類さ」
「そう、ですか。それで、その──」
私は、蔦に拘束されて地面に転がっているダレル様(多分)をチラリと見ます。
リンジーによると、ヘロイーズ様のお子さんの能力とか。
「あ、あみーりあ、助け……」
素っ裸で何だか全体的にシナシナした印象のなので、どうにも記憶の中のダレル様と結びつかないのです。
なんか、老けてません? あれから三年ほどしか経っていないので、ヨボヨボになるには早いですし……。
「ヘロイーズ様が逃すとは思えないので、不要になって捨てられたんじゃないかな? とりあえずウォーリス様に連絡しとこう」
リンジーは早速、魔術手紙を公爵様に送った。
すると、すぐに公爵様の私兵が現れ、ダレル様(多分)を捕獲して行った。
「まあ、変な生き物のことは忘れて、美味しいものでも食べに行こうか。子供も連れてさ」
「そう、ですね」
その後、いつにも増してリンジーに甘やかされ、その結果第二子を妊娠して子育てに忙殺された結果、私は彼のことを二度と思い出すことはありませんでした。
◆リンジーside◆
「君、見えているよね?」
「……え?」
その高貴な人に声をかけられたのは、学園に入学してすぐの事だった。
出立からして、僕みたいな下級貴族ではない事はすぐにわかった。
この国の大抵の貴族の令息令嬢は、十五歳頃になれば王都にある貴族学園に三年間通う事が義務付けられている。ここで貴族社会の縮図を学ぶのだ。
ちなみに、貴族学園という名だが、平民枠もあり試験をパスできれば平民でも入学できる。
学生寮に荷物を運び終わり、学園近くの食堂で遅めの昼食を取ろうとしていた時だったので、逃げようがなかった。だって、ちょうど料理が運ばれてきた時だったから。
「ああ、私の事は気にせず食事を続けてくれ」
「は、はあ……」
そう言われては、食べない訳には行かない。
その人は、僕の対面に座ると、アイスティーを頼んだが、一口飲むと眉を顰めて飲むのをやめた。
下級貴族や平民男子学生向けの飯屋なので、高貴な人の口には合わなかったのかもしれない。
というか上等そうな礼服でこんな飯屋にいると、異物感が半端ない。
しかししがない男爵家の跡取り息子に何の用だろう?
「私はウォーリス・アガパンサスという。知っているかい?」
「は、はい……」
ウォーリス・アガパンサスといえば、表舞台に出てこない公爵として有名だ。領地もなく、人脈も作らず、どうやって稼いでいるのかも不明。でも没落しない不思議な家。
「そう。君は?」
「リンジー・バンブス、です」
「ああ、男爵家のご長男か」
「はい」
「それで君、見えているよね? さっき、塀の上でくつろいでいた、大きな虫みたいなモノを目で追っていただろう?」
「それは──」
どう答えたものか。
確かに食堂に行く途中、塀の上にいた何というか、成猫サイズの芋虫とミミズをハイブリッドしたようなモノを見た。
嫌悪感を沸かせないギリギリの見た目で、僕以外には見えていなかった。
まあ、見えていればもっと騒がれるはずだけど。
昔から見えていたモノだが、僕にはあれがなんなのか、いまだにわからない。
精霊の一種だとは思うが、その割には書物に描かれている挿絵とは全く違う姿をしている。
ただ、おそらく害はないので、そういうものとして、認識していた。
「ああ、私も見えているし、干渉できる。君と同じだよ」
公爵様の瞳が怪しく煌めいた。
「……そう、ですか。貴方も見えているんですね。アレを」
「ああ」
「あの、アレは一体……?」
「この国を守っているモノだよ。妖精といって、精霊の一種だ。見た目は少々アレだが、我々が彼女との契約を守っているかぎり、この国は安泰だ。だが──」
「だが?」
「同時に他の精霊がこの国に、住み付かなくなっていてね」
「そう、なんですね」
魔法師になるという夢が叶わない理由が何となくわかった。まあ、そもそも、魔力量が足りないのだけれど。
「それで君、私の仕事を手伝う気はないかい? もちろん、給金は払うさ」
「仕事、ですか? その、どういった?」
「この国を守っている彼女に、神々の国へ行ってもらうために、交渉と調整をする仕事さ」
後日、この人が精霊師という職種なのを知る。
◇
精霊師といえば精霊を直接使役するのが一般的だが、ウォーリス様の現在の主な仕事はこの国を守護する彼女、便宜上ヘロイーズ様と呼ばれているソレと交渉するのが仕事らしい。
ヘロイーズ様自身との交渉自体はうまく行っており、あとは、様々な調整が必要でそれに時間がかかっているとのこと。
僕の仕事といえば、ウォーリス様の身の周りの世話と、たまに実体化するヘロイーズ様の子供の相手。
最初はゾワゾワした彼らも、見た目は慣れれば、まあ可愛らしいかもしれない。多分、そこそこ意思の疎通ができるから、精神状態が保たれている感じだ。
「リンジー君、君の幼馴染の、アミーリア嬢だったかな?」
「……彼女がどうかしたんですか?」
「彼女、精霊に好かれる性質みたいだね」
「……」
それは、知っている。
彼女の周り、というか実家の領地は昔から普通の精霊が多くいた。そのおかげか彼女の実家は裕福だ。……僕とは違う。僕は見えるだけで、なんの得にもならない。
おそらく彼女は所謂、精霊の愛子というやつだろう。見えてはいないみたいだけど。
「彼女にも協力──」
「絶対にダメです!」
「そう? まあいいか。ヘロイーズ様が帰った後だからね。彼女みたいな子が必要になるのは」
そんなわけで、ウォーリス様に振り回されつつ、学園生活を楽しみつつ、日々は過ぎていった。
そして──。
「私、ダレル・カエノメレス様と婚約してしまったわ」
アミーリアの口から、残酷な言葉を聞くことになった。
「え──?」
「結納金? っていう名目で、多額のお金を押し付けられてね〜。それって、ダレル様に問題があるって言っているようなモノじゃない」
「そ、れは、断ることは……?」
「できていたら、こうなっていないわね。まさか、婚約者がいないことでこんなことなるなんてね〜。両親も私もメチャクチャ反省しているわ」
反省しなければならないのは、僕の方だ。
学園に入って落ち着いたら、アミーリアに告白するつもりだったのに、仕事が忙しくて……。
ああ、くそっ、そんなの言い訳だな。
「おめでとう、とは言わないでおくよ」
言えないからね。
「その方がありがたいわ」
◇
「ウォーリス様の手伝いしていたせいで、アミーリアに告白できなかったんですけど!! アミーリアに婚約者ができちゃったんですけど!!」
その後、泣きながらウォーリス様の邸宅に突撃して、ドン引きされた挙句、ヘロイーズ様のお子さんたちに慰められたのは良くない思い出だ。
「そ、それは悪かったけど、忙しさにかまけて告白しなかったのは、君が悪いだろ?」
そして撃沈し、それからの学園生活は仕事の方はセーブし、アミーリアや友人たちとの学園生活を楽しんだ。
学園を卒業してからは、仕事に打ち込み、気づけば一年間が経っていた。
時間が過ぎるのって早い。
そうして久しぶりの夜会に参加して、アミーリアと再会した。
彼女の婚約者は噂通りのようで、ある意味安心したけど、アミーリアを蔑ろにするのは許せない。
いや、そのおかげでアミーリアに手を出していないから、不幸中の幸いか?
まあ、大切にしないなら、返してもらおう。
とにかく、僕はヘロイーズ様の子供達に彼らを監視させ、アミーリアを守るように頼んだ。
アミーリアは精霊に好かれる性質だ。それはヘロイーズ様やその子供達も例外ではない。もし、彼女の性別が男だったら間違いなくヘロイーズ様の花婿になっていたことだろう。悍ましい話だが。
とはいったものの、どうするか。
ダレルを、彼の実家諸共を没落させる方法は、結構ある。それだけの材料があり過ぎるのだ。そりゃ、カエノメレス伯爵家の兄弟二人が歪むのも無理はないという感じ。
さてどうするかと言ったところで、ダレルはやってくれた。
せっかく調整の済んだヘロイーズ様とガッツリ子作りをしてくれたおかげで、彼はヘロイーズ様の花婿になるしかなくなった。
国自体はこれまで通りなので特に問題はないが、ウォーリス様達のやってきたことが無駄になってしまった。落胆は凄まじいものでその結果、計画は休止された。
僕はウォーリス様の助手を休職し、自領に戻りバンブス男爵家を継いだ。
そして、改めてアミーリアに求婚したのだ。
何とか了承をもらい、早々に結婚。子供も生まれた。
そんな幸せな日々を送っていたある日、ダレルが帰ってきた。
暴れる彼を拘束したのはヘロイーズ様の子供達。アミーリアを守るっていう約束を今でも守ってくれていたらしい。
ヘロイーズ様の花婿になると、彼女の作り出した亜空間に閉じ込められ、繁殖期の間、延々と子供を産むための道具にされる。つまりは生贄だ。
酷使されるので大抵は数年で亡くなるのだが、生きて戻ってきた前例はない。
焦りをアミーリアに悟られないように、適当な話をしつつ場を和ませる。
そして、ウォーリス様に連絡をとり、早々に引き取ってもらった。
後日、聴いた話によると、ヘロイーズ様は調整の影響で以前よりも産める子供の数が、少なくなったそうだ。それで、お役御免になったダレルは解放されたらしい。
しかし、彼のやらかしが原因で彼の実家はすでに無い。仕方ないので、ウォーリス様の元で働かされることになったらしい。
どうやら、ヘロイーズ様と長々と繋がっていたため、精霊が見えるようになったとか。
まあ、弊害としてもう男としては役に立たないらしいけど、それが精神由来なのか肉体由来なのかは聴いていないし、興味もない。
とにかく、ウォーリス様達の計画は再始動するらしい。
僕はもう、協力しない。
だって、もうアミーリアと離れたくはないし、子供も二人目ができるからね。
彼らは彼らだけで頑張ってもらおう。
アミーリア:最後まで初恋に気づかず、最終的に初恋の人と結婚した。精霊に愛される体質。
リンジー:昔からアミーリアが好きだったけど、家がアミーリアの家より爵位が下で裕福ではないので、告白できずにいた。精霊とかが見える体質。
ウォーリス:精霊師。実は長生きしてる人。種族は不明。
ダレル:帰ってきたダレルは、そこそこ真面目に。
ヘロイーズ:正体はウネウネ系。人間に友好的。その後、なんとか神の国へ向かう事ができた。