ムキムキ巨大令嬢の大失敗
読んでくださってありがとうございます。
最後までお楽しみいただけたら幸いです。
──もし私が時を遡って人生をやり直せるとしたら。
私は迷わず、初等部の頃のあの発言をやり直す。
「来たぞ!巨女だ!潰されるー!逃げろー!」
「やーい!ゴリラ女!ゴリラ女!」
「うわっ、怒った!可愛くねー!お前みたいなデカくて顔が怖い女、誰も相手にしないぞ!」
幼少期から異様に大きくて、特に鍛えたりしなくても勝手に筋肉がついてしまう体質。
一部の品のない男子どもに「巨女」「ゴリラ女」って不愉快なあだ名をつけられて、微塵も面白くないイジリをされて、無視してもしつこく揶揄われて。
聞いてもいないのに「可愛くねー」だなんて言われて。一方的に「誰も相手にしない」って言われて。
それでついにキレた私が放った言葉。
「──っ!
いい加減にしろ!いっつもしつこいんだよ!チビ男ども!!
あんた達に言われなくたって、こっちから願い下げだわ!!
私だって、自分より小さくて弱っちいモヤシ男なんか、絶対!相手にしないっつーの!!」
売り言葉に買い言葉。
心無い悪口を浴びせてくる男子どもなんかに負けるもんかと、意地を張って言い返した、あの瞬間。
口に出した言葉は、肝心の相手にはまったく響かず、別の相手に届いてしまった。
……私はずっとずっと、あの発言をやり直したいと思っている。
あれから10年経った今でも。
◇◆◇◆◇◆
クゼーレ王国の南西に位置する港街ミットー。
他国との貿易の拠点になっている、まあまあ栄えていて活気のある賑やかな街。
子爵令嬢の私は、この街の魔法学校に通っている。
名前は【グレヴィア・レウール】。
ワインレッド色の髪に、髪と同じ色の瞳。陽気な港街の太陽のおかげで小麦色に焼けた肌。
そして高等部の3学年、18歳にして──
──相変わらずの筋肉体質で、身長は189cm。
決して190cmにはなってない。なってないったらなってない。でも、まだ身長の伸びが止まる気配はない。
これが現在の私の姿。
私は今朝も、いつものように半泣きで鏡に向かって祈っていた。
「ああ、もう嫌……本当に嫌っ!お願いだからもう止まって!これ以上は大きくなりたくない!」
朝起きるたびに絶望する。なんだかまたさらに背が伸びている気がする。
鏡を見るたびに絶望する。筋肉ムキムキの腕と脚に、バッキバキに割れた腹筋。また一回り逞しくなっている気がする。
「グレヴィア。もういいのか?まだ半分も食べていないじゃないか。」
「そうよ。ちゃんと食べていきなさい。学校でお腹が減ってしまうでしょう?」
「…………いらない。もうお腹いっぱい。」
お父様とお母様に毎日される同じ質問。私は今日も同じ嘘で返事をする。
弟が心配半分、呆れ半分といった声音で「姉さん……そんなことしたって無駄なのに。」と余計なことを言ってくるのを無視して、私は一人で先に朝食の席を立った。
言われなくたって分かってる。全然足りないしお腹も空く。
でも、だって……無駄かもしれないけど、食事の量を減らせば、もうこれ以上大きくならずに済むかもしれないじゃん。
特注サイズの学生服を身に纏って、私はとぼとぼと家を出た。
朝からすっかり気分は沈んでいたけど、私は道を歩きはじめてすぐに、一気に自分の頬が緩むのが分かった。
少し先を歩いている後ろ姿に向かって、私は走りながら声を掛ける。
「おーい、スノリー!おはよう!」
私に急に声を掛けられたスノリーは、ビクッと肩を揺らして振り返った。
「あ、グレヴィア。おはよう。……今日は早いね。」
「うん!たまたまね。ねえ、せっかくだから一緒に行こうよ!」
「……う、うん。」
私の提案に頷くスノリー。私は「やった!」と内心ガッツポーズをしながらスノリーと一緒に並んで道を歩き出した。
この港街の貿易商の息子【スノリー・ゼレダノ】。
ご両親は隣国の出身で、この街では容姿がちょっと浮いている。その遺伝を受け継ぐスノリーもまた然り。
この国ではとっても珍しい銀色の髪に薄紫色の瞳。陽気な港街の太陽の光を跳ね返す、雪のように白い肌。……私とは違う、細身な体。
そんなスノリーは、横に並んだ私をチラッと見て、それから自信なさげに、そっと猫背気味な背中をまた一段と丸めた。
──……ああ、もう嫌だ。本当に泣きたい。今からでもやり直したい。
スノリーと朝から会えて一緒に登校できて、最高に運がいいはずなのに。
嬉しさと悲しさとときめきと悔しさで、私の感情は今日もぐちゃぐちゃだった。
このスノリーこそが、私の人生で一番の後悔の理由。
あの日、あの言葉をスノリーに聞かせてしまったことが、何よりも最悪な『大失敗』だった。
◇◆◇◆◇◆
◇◆◇◆◇◆
「グレヴィア、一緒に遊ぼう!父さんがね、外国から珍しいボードゲームを取り寄せてくれたんだ。」
「やるやるー!持ってきてくれてありがとうスノリー!」
私のことを「巨女」だの「ゴリラ女」だの言ってくるバカ男子たちと違って、スノリーは昔から優しかった。
スノリーは7歳のときにこの港街に引っ越してきたんだけど、案の定「外国から来た」っていう理由で周りからは浮いていた。
いっつも一人で大人しく本を読んでいたスノリーに話しかけたのは……たしか、私の方が先だった。私も私で男子たちに揶揄われていっつも嫌な思いをしてたから、珍しい容姿のせいでクラスメイトたちから遠巻きにされているスノリーに同情した記憶がある。
その「同情」が最初のきっかけだった。
私の方が同情で話しかけてあげていたはずだった。
でも、気付いたらいつの間にか、スノリーの方が私のことを何度も遊びに誘ってくれるようになっていた。
「あ、グレヴィア!こんなところで会うなんて偶然だね。何してるの?」
「スノリー!うーん、特に何も。今日はお天気がいいから、なんとなく外に出てみただけ。まだ何をするかは決めてないんだ。」
「僕はこれから釣りに行くんだけど、グレヴィアも一緒に行く?」
「えーやったー!行く行くー!どっちがたくさん釣れるか競争でもする?」
「僕はいいけど……グレヴィアそう言っていつも負けてるよね。大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫!今日こそ勝つから!負けた方が帰りの荷物持ちね!」
………………
「負ーけーたー!あと3匹!あと3匹だったのにー!」
「グレヴィア釣り上手くなったね。びっくりした。」
「負けたのにそう言われても嬉しくないー!」
「あはは!でもこんなにグレヴィアが上手くなったなら、次は僕が負けちゃうかも。……じゃあ、暗くなる前にそろそろ帰ろっか。」
「──あっ、ちょっと!スノリー私の荷物まで持ってる!負けた方が荷物持ちって決めたじゃん。」
そんなめちゃくちゃな文句を言う私に、穏やかに笑ってスノリーが言ってくれた言葉。
「女の子のグレヴィアに僕の荷物まで持たせられないよ。それにグレヴィアの荷物はたいした重さじゃないし。
今日は勝った僕に──ちょっとだけ、格好つけさせて。」
夕日に照らされてキラキラと光る海。キラキラと輝く一本に編まれた綺麗な銀髪。
──私はあのとき、恋に落ちた。
こんな「巨女」の私をお姫様扱いしてくれた、格好良くて優しいスノリーに。
◇◆◇◆◇◆
私たちはほとんど両思いだったんじゃないかと思う。
……自惚れかもしれないけど。勘違いかもしれないけど。
でも少なくともあの当時は、スノリーは私の前ではもっと明るかった。たくさん笑ってくれていた。
私の8歳の誕生日には、可愛くて綺麗な貝殻のブレスレットを作ってくれた。
私が照れ隠しで「こんな可愛いの、『巨女』の私には似合わないよ〜。」って言っちゃったら、スノリーはその白い肌をほんのり赤らめながら首を振って「そっ、そんなことない!……グレヴィアは……かっ、かか、可愛いから!だから絶対に似合うよ!」って言ってくれた。
あの8歳の誕生日は、私の人生のピークだった。その日は嬉しすぎて興奮して眠れなくてベッドでじたばたしまくったし、もらったブレスレットはすぐに腕に入らなくなっちゃったけど、今でも大事に宝物入れにしまってある。
…………なのに。なのに私が、全部ぶち壊しちゃった。
スノリーにプレゼントをもらって「可愛い」って言ってもらえた、次の週。
その日はなぜか、それまで散々言われて聞き飽きていたはずの「巨女」「ゴリラ女」がいつも以上に気になって、ソイツらのことなんて微塵も好きじゃなくてむしろ大っ嫌いだったのに「可愛くねー」「誰も相手にしない」って言われたことに変に動揺して傷ついてしまった。
だから私は、いつもだったら「くだらない」って無視するところを、衝動に任せて思いっきりその場で叫んで言い返した。
「──っ!
いい加減にしろ!いっつもしつこいんだよ!チビ男ども!!
あんた達に言われなくたって、こっちから願い下げだわ!!
私だって、自分より小さくて弱っちいモヤシ男なんか、絶対!相手にしないっつーの!!」
…………気付かなかった。
ちょうどタイミング悪く、私の後ろをスノリーが通りかかっていたなんて。
──クラスの中でも特に背が低くて、体も細くて……誰よりも色素が薄いスノリーが、私の叫びを聞いていたなんて。
その場にいた全員が私の突然の怒声に固まって、それからバカ男子たちを見て……それから、私の叫びに一番特徴が合致する、私と一番仲のいいスノリーのことを見た。
そのみんなの視線の流れで私はようやく気付いた。私はみんなの視線に合わせて慌てて振り返った。
私とバチッと目が合ったスノリーは、誰がどう見ても傷ついた顔をしていた。
でも、私がその表情を確認できたのは一瞬だった。スノリーはすぐに私から顔を背けて、みんなの視線から逃げるように背中を丸めてそそくさとその場を去った。
人生のピークだった8歳の誕生日の次の週。
……あの日、私は人生はドン底に落ちた。
あれからスノリーは、それまでのように私を積極的に誘ってくれることはなくなった。
私が「ねえ、あの昨日のやつ、スノリーのことじゃないよ?バカ男子たちのことだから!スノリーは別だからね!」って何度も必死になって伝えたから、避けられるまではいかずに済んだけど。
でも、スノリーは「うん。ありがとう。……気を遣わせてごめんね。」って、最後に必ず「ごめん」をつけてきた。それで……すっかり自信をなくして、私からそっと距離を取るようになってしまった。
思い出しただけで今でも苦しくて仕方なくなる、最悪な記憶。
私は次の日もまた反省せずに揶揄ってきたバカ男子たちを、泣きながら初めて、コンプレックスだった筋肉ムキムキの腕を使って殴り返した。それで案の定、思いっきり怪我をさせちゃって、学校の先生から指導を受けた。
私の力の強さに怯えた男子たちは、ダサいことに、それから私のことを揶揄うのをようやくやめた。
……でも、そんなのはスノリーとの間にできてしまった溝に比べたら、どうでもいいことだった。
もう遅いのに。あと数日早くやめてくれればよかったのに。
私は嫌がらせから解放されたその日、家に帰って大泣きした。
◇◆◇◆◇◆
◇◆◇◆◇◆
あれから10年。
忌々しい体質は変わらず、私は189cmのムキムキ巨女に成長した。
私は相変わらずだったけど……スノリーの方はとっても変わった。
スノリーは小さくて細身だった昔とは違って、今は身長もぐっと伸びて平均以上になった。日頃から鍛えているのか、体格もまだ細めではあるものの男らしく格好良くなった。
もともと頭は良かったし、外国出身で2ヶ国語が話せるっていう特技もあったけど、今はもう頭脳だけじゃない。学校の男子限定の剣術の授業でもどうやらすごく強いらしい。
総合成績学年トップの、文武両道のスーパー男子に成長した。
そんなスノリーは当然、モテるようになった。
昔は「外国から来た」っていう異質さに怯えて、みんなスノリーのことを勝手に怖がって仲間外れにしてたくせに。
月日が経てば、周りも当然成長する。「みんなと違う属性」を避けていた初等部の頃とは違う。今やスノリーは「みんなと違う属性」の神秘的な見た目と、文武両道なハイスペックさが魅力になって、ひっきりなしにご令嬢から縁談の話が来たり、告白されたりするようになっていた。
スノリーの昔から変わらないところは、内気で優しいその性格。
……それから、私と並ぶと自信なさげに丸まっていく、その背中。
スノリーも背が高くなった──とはいっても、まだ多分、170cm後半くらい。8歳のあのときからずっと、スノリーと私との身長差は10cm以上。
体を鍛えたらしいとはいっても、腕も脚も胴もまだまだ私の方が全然太い。
スノリーは日に焼けると赤くなって皮が剥けてしまう体質らしく、こんがり小麦色に日焼けすることはなく、相変わらず陶器のような真っ白い肌だった。
10年経った今でも、あの日にスノリーを傷つけた言葉の通り、私とスノリーの差は埋まらなかった。
「──でね?お気に入りだったお財布がコーヒー色に染まっちゃったの!中身は無事だったからいいけど、もうお財布自体は使えなくなっちゃって本当にショック!」
「そっか、災難だったね。」
私は朝から懸命に明るく振る舞って、スノリーにどうでもいい話題を提供し続ける。
久しぶりに被った登校時間。私は意地でもこの時間をなんとかいいものにしたかった。スノリーとは高等部ではクラスも違っちゃって、最近は特に、ろくに会話すらできなくなっていたから。私は必死だった。
それなのに、
「──うーわ、女の方でっか!」
「おいお前!そんなでかい声で言うなよ!聞こえるって!」
「いや、だってさ。お前もそう思わねえ?あれじゃ男の方がチビに見えんじゃん──」
学校の近くの大きな通りに出たあたりで、赤の他人からすれ違いざまに心無い言葉を浴びせられた。
こんなのは3日に1回はあること。……だけど、よりによって今日スノリーが隣にいるときに言われるなんて。本当に最悪だった。
──っ、うるさいうるさい!黙ってろ!!
「それでね!今新しいお財布を探してるんだ。放課後にいろんなお店を覗いたりして。いいのがないかなーって。でもなかなかピンと来ないの。」
私は知らない奴らの言葉に被せるようにしてスノリーとの会話を続けた。
どうかスノリーに今のが聞こえていませんように!何とか誤魔化せますように!──って、心の中で念じながら。
そんな虚しい誤魔化しは通用しなかったようだった。スノリーは通行人たちの会話をちゃんと聞き取って、一瞬でその色白の顔に影を落とした。
でも、明るく話を続ける私を見て、むしろ「グレヴィア、もしかして今の、気付いてなかったのかな。」と思ったようだった。そして今度は私に悟られないように、一生懸命また表情を取り繕って私の話に頷いていた。
──やっぱり私、スノリーが好きだ。
顔に貼り付けた笑顔とは裏腹に、泣きそうになりながら痛感する。
スノリーが私に気を遣ってくれてる。私が傷ついたんじゃないかって、心配してくれてた。
やっぱりスノリーは、すっごく優しい。そういうところ、昔から全然変わってない。
私は「好き」って思った勢いのまま、思い切ってスノリーを誘った。
「あ、でね!スノリー。
今週ずっと噴水広場で大きなバザーやってるでしょ?私、今日の放課後はそれに行ってみようかなって考えてるんだけど……せっかくだからスノリーも一緒に行かない?」
──言った……言った!言っちゃった!
完全に勢いで無計画だったけど、久しぶりにスノリーを一対一で遊びに誘った!
バクバク鳴り出した心臓のせいで遅れて緊張がやってくる。
私はスノリーの顔を上手く見れないまま返事を待つ。
ほんの数秒の沈黙があって、それからスノリーの沈んだ声が斜め下から聞こえてきた。
「悪いけど……今日は習い事あるから、行けない。」
「……そっか。」
………………断られちゃった。
「まっ、まあ、いきなり『今日』なんて言われても無理だよね!そりゃそうだよね!
そういえばさ、スノリー最近習い事いろいろやってるらしいって話、クラスの友達から聞いたよ!卒業したら貿易商のお仕事継ぐんでしょ?大変そうだね!忙しいよねぇー!」
私の口がペラペラ勝手に動き出す。自分のダサさを誤魔化すように、さらにダサい行為を重ねていた。
……恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
でも、そんな私の変な言葉たちをスノリーがそっと遮ってきた。
「あーあ!私も少しはスノリーを見習って勉強した方がいいのかなー?ま、今更かもしれないけど──
「グレヴィア。」
私はいきなり名前を呼ばれてみっともなくギクッとしてしまった。
……私が勝手にショック受けて動揺してるのに気付いちゃったかな?ダサいこと考えてるのバレちゃったかな?
私は必死に笑顔を作って何でもなさそうに「え?なに?」と軽く聞きながらスノリーの方を見る。
スノリーは私の方を見上げてはいなかった。猫背気味に俯いて地面を見ながら歩いていた。
斜め上から見下ろしたスノリーの横顔だけじゃ表情はよく分からなかったけど、スノリーはボソボソっと聞き取りづらい声でこう言った。
「…………明後日なら、行ける。」
「え、」
私が思わず立ち止まって固まると、スノリーがそれに気付いて、慌ててまたボソボソと付け足してきた。
「あ、でも明後日だといいものが売り切れちゃうかもしれないし、グレヴィアにも予定があるかもしれないから……全然、僕に合わせる必要はな「行く!!明後日!!」
私はスノリーが自主撤回する前に大声で了承した。
私の突然の大音量に、スノリーが驚いてこっちを向く。そして綺麗な薄紫色の瞳と目が合った。
「じゃあ、明後日の放課後ね!約束!学校の玄関で待ち合わせして行く?それとも、早く終わった方が教室に迎えに行く?」
「う、うん。どっちでもいい。」
「じゃあ私が迎えに行くね!忘れて帰っちゃダメだからね!絶対だよ!」
「分かった。」
スノリーの「分かった」の声が、昔みたいにちょっと明るかった気がする。
それからの私は完全に浮かれ状態だった。学校に着くまでの間、とにかく舞い上がりながらメチャクチャな話をしていた気がする。
舞い上がったまま一緒に校舎に入って、話に夢中になり過ぎて、最後スノリーに苦笑しながら「グレヴィアの教室はあっちじゃない?」って指摘されたときは顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかった。
でも、別れ際にスノリーに「誘ってくれてありがとう。明後日、楽しみにしてるね。」って昔みたいに言ってもらえたとき、本当に久しぶりに、自分の人生にまた色がついた気がした。
◇◆◇◆◇◆
「グレヴィア、今朝スノリー様と一緒にいたでしょ!」
「えっ!見てたの?!」
「当然じゃん。グレヴィアもスノリー様も目立つもん。」
休み時間中の教室。私は仲の良い女友達3人組に話を振られた。
この3人とは高等部からの付き合いだから、みんなは私が昔スノリーとよく一緒にいたことを知らない。そのこともあって、今朝の光景はどうやら驚きだったらしい。
「グレヴィア、スノリー様とお友達だーって、あれ本当だったんだ?びっくりしちゃった!」
「えぇー?!私ずっと言ってたじゃん!嘘だと思ってたの?!」
私は周りのことを牽制したくって、少しでもスノリーと仲が良いアピールをしたくって、昔の思い出に縋ってみっともなく「スノリーとは幼馴染でよく遊んでた」「実は仲良し」って周りに言いふらしまくっていた。
まあ、たしかに最近は全然スノリーと関わる機会がなかったけどさ。それにしても……信じてもらえてなかったんだ。
「うん。全部グレヴィアの妄想だと思ってた。ごめん。」
「『スノリーかっこいい!』って言いまくってるうちに夢と現実の区別がつかなくなっちゃってたのかと。」
「ファンがタチの悪い暴走をすると最終的にはこうなるんだなって、教訓にしてた。」
「……みんな酷すぎない?」
友情に亀裂が入りかねないほどの失礼な言葉を次々に吐いてくる3人。
「だってさぁ、グレヴィアが言う割に全っ然仲良さそうな気配もなければ、話してるところも見たことなかったんだもん。」
「ゔっ!そっ、それは!たまたま学校内で話すタイミングが無かっただけで──!」
「うん。でも今朝のを見て、ようやくグレヴィアの言ってたことが本当だって分かったよ。」
「そうそう!だって私、初めて見たもん!スノリー様があんなに笑ってるの。」
会話の流れで気になることを言われて、私は即座に食いついた。
「えっ?そう!?そうかな?スノリー、そんなに普段は笑ってないっけ?もしかして私って、特別だったりする!?」
「うん。スノリー様っていつもどこか影があるっていうか……大人びててアンニュイな雰囲気ない?」
「そうそう。クールで口数も少なくて、何でもそつなくこなせて、どこか常に気怠げな感じ。」
「一人でいるイメージあるよね。他人には心を開かないミステリアスな天才──みたいな。」
……スノリーのちょっと猫背で内気なところ、周りからはこう見えてたんだ。
今さら知った。そういえばスノリーについては自分が熱く語るばっかりで、周りからの評判を冷静に聞いたことなかったかも。
なるほど。大人びててクールな天才かぁ。……うん。私の持ってるイメージとは少し違うけど、そういう評判のスノリーも新鮮。それはそれで格好良いな。
私が新たな知見を得ていると、友達の一人が付け足してきた。
「でも今朝笑ってるスノリー様を見て印象変わった!スノリー様って、あんな風に優しく笑えるんだね。意外だった!」
私はその言葉に激しく頷いた。
「そう!そうなの!そうなんだよ!
スノリーはね、成績がいいし見た目もすっごく格好いいけど、でもそれだけじゃないの!一番の魅力はその優しさなんだよ!!」
私が興奮しながら相槌を打っていると、みんなは呆れたように笑った。
「グレヴィアは本当にスノリー様が好きなんだねー。」
「今までは遠くから見てキャーキャー言ってる熱狂的なファンなのかなって思ってたけど……なーんだ。グレヴィア、本気で惚れてたんだ。スノリー様に。」
「へっ!?」
別に隠していたつもりはなかったし、何なら「スノリーかっこいい!」ってみんなに普段から言いまくってたけど。それでも、改めて自分の恋心をズバッと指摘されて、私は真っ赤になって固まってしまった。
「まあでも、グレヴィアがさっき自分で言ってた通りなんじゃない?」
「えっ?……さっき?」
「そう。『もしかして私って、特別だったりする!?』ってやつ。
きっとスノリー様にとってもグレヴィアは特別だよ。モテるのに婚約者も恋人もつくってないし。あんな風に笑ってるの見たことなかったし。
──脈、あるんじゃない?グレヴィア。」
私は友達から言われたその言葉に、またすっかり舞い上がってしまった。
「そそっ、そそそっ、そっそうかな?!?!」
「あははっ!グレヴィア、めっちゃ噛んでる!顔真っ赤!」
「そうそう!両思いかもしれないよ!そのうち向こうから告白されちゃったりして。頑張れ、グレヴィア!」
「なんならグレヴィアから今度告白しちゃえば?」
みんなに焚き付けられて、私はすっかりその気になった。
久しぶりにスノリーと一緒に買い物に行く約束ができた。スノリーが昔みたいに笑ってくれた。
客観的に見て「脈がある」「両思いかも」って言ってもらえた。
もしかして、もしかして──!
10年越しにもしかしたら、もしかしちゃうかも!!
うわあぁぁーーーっ!!!
私は恥ずかしさと期待と興奮で、その場で足をバタバタさせながら意味不明の言葉を叫んで持っていたペンをうっかり折ったし、その日は家にダッシュで帰ってからもベッドで小一時間はジタバタゴロゴロしてキャーキャー言った。
我ながらイタい女だってことは分かってる。でも、10年越しにようやく埋まりそうな溝に、ようやく進めそうな関係に、私はとてもじゃないけど冷静ではいられなかった。
◇◆◇◆◇◆
──バァン!!!!
「スノリー!いる?!──あっ!ごめんなさい!力加減間違えちゃった!」
スノリーと一緒に登校した翌々日、約束のバザーに行く日の放課後。
午後の授業を終えた私は、スノリーがうっかり帰っちゃわないように爆速で帰り支度をして、急いでスノリーの教室に向かった。
そして勢いよく教室の扉を開けたら……思ったよりもすごい大きな音がした。扉を開ける手に思わず力が入っちゃったせいだった。
教室の中にいたスノリーのクラスの人たちが、怯えとドン引きの眼差しを私に一斉に向けてきた。
口には出されてなかったけど、みんなの顔に「うわ……4組の『ゴリラ女』だ。まじでゴリラじゃん。」って書いてある。
私はじわじわと恥ずかしくなって、扉の開け方を激しく後悔し始めた。
でも、そんなネガティブな気分は一瞬で吹き飛んだ。
「あ、グレヴィア。来るの早かったね。」
扉の爆音で私に気付いたスノリーが、せっせと鞄に教科書を詰めて、それからささっと私の方に駆け寄ってきてくれたからだった。
「スノリー!ごめん。うるさくしちゃって。」
「……まあ、壊したわけじゃないから別にいいんじゃない?」
少し首を傾げながら扉を見てそう言ってくれたスノリーに、私の心はスッと軽くなった。
「お待たせ。じゃあ、行こっか。」
「うん!」
教室を出て並んで歩き出す私とスノリー。
……なんだか、まるで付き合ってるみたい。
周りからどう見られているかなんて気にしてる余裕はなかったけど、一人で「恋人同士みたいに見えてたらどうしよう!」なんてこっそり思いながら、私はスノリーと約束通り噴水広場のバザーに向かった。
◇◆◇◆◇◆
「──これ!これにする!!」
賑わっている夕方の噴水広場で、私は運命の新しいお財布に出会った。
この港街名物の定期開催の大型バザー。
国内はもちろん、国外からもたくさんのお店と商品がやってくる。目玉が飛び出るような高額商品から、元が取れてるのか不安になるほどの激安商品まで、古今東西、ありとあらゆる掘り出し物がある面白い市。
私はスノリーを連れて、雑多に並んだお店を片っ端から見て回っていた。
そうして30分ほど経った頃、私はとあるお財布に一目惚れをした。
スノリーの故郷の隣国で作られた、お洒落な伝統模様の布製の長財布。
夜の海みたいな暗い藍色の布に、スノリーの瞳と同じ淡い薄紫色の刺繍が綺麗に入っていた。
「これ!絶対これがいい!!スノリーみたいだもん!!」
お値段も予算の範囲内。なんならちょっと想定より安めかも。
私が運命のお財布を手にして思わずそうはしゃいでいたら、隣から「……『スノリーみたい』って、そんな決め方、ある?」って静かにツッコミが入った。
──あっ!私、今すっごく恥ずかしいこと言っちゃった!?
私はハッと我に返って隣にいたスノリーの方を見た。
……スノリーはその白い肌を耳と首まで真っ赤に染めて、私から目を逸らすようにして反対側の斜め下の地面に顔を向けていた。
スノリーが、照れてる。……私の言葉で。
一昨日みんなに言われた「脈あり」「両思い」っていう言葉が頭の中でぐるぐると回りだす。心臓が痛いくらいに締め付けられる。
「──それにするかい?お客さん。」
「あっ!はい!これ、買います!」
お店の人に声を掛けられなかったら、私はうっかり「好き」って口から漏らしちゃっていたと思う。
……危なかった。まだスノリーとは、久しぶりに二人きりになってるってだけなのに。
10年前のあのときにできちゃった溝は、今はまだ埋まっていないのに。うっかり先走るところだった。
私はスノリーにバレないように静かに深呼吸をして気持ちを落ち着かせながらお会計をして、新しいお財布を手に入れた。
◇◆◇◆◇◆
大満足のお買い物ができた。これ以上ない大成果。
……でも、せっかくスノリーと来たのに30分で終わっちゃった。
どうしよう。まだ解散したくない。せっかくだからもっと一緒にいたい。
けど、最近スノリー習い事だらけで忙しそうだし、だらだらと引き止めて「迷惑だ」とか「時間の無駄」とか思われちゃったらどうしよう。
何か……何か不自然じゃなくて、スノリーも嫌がらないような内容の用事。誘い方。思い浮かばないかな、何か──……
「ねえ、グレヴィアの買い物って、これで終わり?」
私があれこれ考えていたところに、不意にスノリーの声が割って入ってきた。
「あ、うん!お財布っていう目的は達成した。」
不意打ちを喰らって、私は素直に答えてしまった。
ああっ!用事終わったことにしちゃった!ハンカチとか服とか、何かもう一つくらい買いたいって適当に言えばよかった!私の馬鹿!!
私はなんとか「スノリーは?スノリーも買いたいものがあれば付き合うよ。」と苦し紛れの提案をしたけど、スノリーはあっさりと「ううん。僕はいい。」と首を振った。
その展開に私がショックを受けかけたとき。
スノリーは少しだけ黙って何かを考えて、それからスノリーにしてはちょっとだけ力強い声で、私に違う提案をしてきた。
「……じゃあ、グレヴィアが時間があれば……だけど。アイスか何か買って見晴し台に行こう。
…………グレヴィアに話したいことがあるんだ。」
……は、話したいこと?
私は頭が真っ白になりながら「うん、いいよ。もちろん。」と即答して頷いた。
それからアイスを売っている屋台に行って、アイスを買って、それを持って噴水広場から少し離れた見晴し台に行く間、私は「話したいこと」についてひたすら悶々と考えていた。
まず真っ先に思いついたのは、幸せな内容。
もしかしたらスノリーも私のことを好きでいてくれて、それで今から告白してくれるのかも。
そんな都合のいいことを考えて、一瞬だけ浮き足立ってしまった。
でも、その次にすぐに思いついたのは、最悪なやつ。
……「卒業したら、僕、結婚するんだ。」っていう報告。私以外の誰かと。
スノリーは貿易商の跡取り息子で、文武両道な学年トップ。ご両親は隣国の貴族の血筋だし、そもそもすっごくお金持ち。
だから、私が知らないだけで、もうすでに誰かと婚約しててもおかしくない。学校の人たちが知らないだけで、スノリーの故郷の隣国の貴族のご令嬢との縁談話が持ち上がっててもおかしくない。
よく考えたら……一昨日スノリーが私に笑ってくれたのも、ただの昔のよしみってだけで、もしかしたらスノリーにとっては、そこまで特別なことじゃなかったかもしれない。
さっきのお財布のときだって……本当にただ単に自分の名前が出てきたから照れちゃったってだけで、別に、私のことは好きでも何でもなくても……全然、何もおかしくない。
そのことに気付いたとき、一気に気分が沈んだ。
見晴し台についてベンチに腰掛けたとき、ようやく自分が何のアイスを手にしていたかを認識した。
……私の一番苦手な、スパイスティーのフレーバーだった。
私のテンションの乱高下には気付いていないのか、スノリーは私と並んで座ってすぐに、真剣な顔をしていきなり本題を切り出してきた。
「あのさ、さっき僕、グレヴィアに話があるって言ったけど……その──」
待って。待って、まだ言わないで。
心の準備ができてない。
私の心の中での切実な訴えは、当然スノリーには届かなかった。
スノリーは少しだけ言い淀んだ続きを、一息ついて、はっきりと私に伝えてきた。
「──僕、卒業したらこの街を出ようと思ってるんだ。
卒業したら、王国の首都……王都に行く。
王都で就職活動するために、来月から学校も休むことにした。親とも先生たちとも、もう話はつけてある。
……一昨日グレヴィアが『卒業したら貿易商の仕事を継ぐ』って勘違いしてたから。言っておかなきゃって思って。」
◇◆◇◆◇◆
「……今は、それだけ。
仕事がちゃんと決まったら、グレヴィアにまた報告するよ。卒業式の日には一度戻ってくるし、そのときには結果も出てるだろうから。」
ポカンとして反応すらできずにいる私を置き去りにして、スノリーは言うことを言い終えてスッキリとした表情をした。
それから私は「アイス、溶ける前に食べちゃわないと。」ってスノリーに促されて、舌の感覚がないまま苦手なスパイスティー味のアイスを食べ切った。
それで、私は放心状態のままスノリーと帰路について、ろくに会話もできないままスノリーと別れて家に帰った。
──スノリーが、この街を出る。
──王都に……すっごく遠くに行っちゃう。
私はスノリーの話を聞いた日から、ずっとそのことばかり考えていた。
予想はどっちも外れていた。
告白だなんて思い上がりはもう論外だったけど、一番最悪な想定だった「他人との結婚報告」よりはマシだった。
……でも、よく考えたら二番目に最悪かも。
私は卒業したら、普通に実家の子爵家のお仕事を手伝おうと思っていた。
で、スノリーともまた昔みたいに仲良くなって、スノリーと結婚できたら……なんて。正直、まだ本気でそんなことを夢見てた。
でも、ダメじゃん。全然ダメじゃん。
スノリーが王都に行っちゃったら。私たち、もう会えないじゃん。っていうか、来月ってすぐじゃん。卒業後どころか、あともう2週間くらいでスノリーはいなくなっちゃうってこと?最悪だよ。
──スノリー……この港街で私と結婚する気なんて……全然、最初から無かったんじゃん。
私だけだったんだ。10年間、仲良かった頃からの想いをみっともなく引き摺ってたの。
溝なんて、埋まるわけなかったんだ。
10年前のあのとき、スノリーを思いっきり傷つけて──私はスノリーに「自信のなさ」を根深く植え付けただけだったんだ。
スノリーは優しいからそんな私にも今でも笑ってはくれるけど……そうだよね。さすがに恋なんて、できるわけないじゃん。
自分のことを全否定した相手なんかに。
最悪。最悪、最悪最悪ッ!──最悪だよ!!
「……っ、もう嫌!もう嫌!最悪っ!!
やり直したい……っ、やり直したいよぉー……!!」
私はついに、やり場のないこの感情を頭の中に留めることすらできなくなって、情けない震え声を出しながら一晩中泣いた。
──そしてその翌々週から、スノリーは宣言通り、学校に姿を見せることはなくなった。
◇◆◇◆◇◆
スノリーがいなくなっちゃった高等部最後の2ヶ月間は、本当に辛かった。
関わりが薄くなっちゃった10年間もずっと辛いと思ってたけど、その比じゃなかった。
友達たちには「グレヴィア、本当に大丈夫?最近ちゃんと食べてる?」「顔色悪すぎない?保健室行ったら?」「ねえ、元気だしなよ。グレヴィアが静かだと調子狂っちゃう。……ほら、もしかしたらスノリー様、王都での就職諦めて帰ってくるかもしれないしさ!……ってのはさすがに無理か。」って心配された。
……私、心のどこかで甘えてたんだ。軽く考えてた。
そのうちまたスノリーと昔みたいに一緒にいられるようになるって。
時間が経てばスノリーからも声をかけてくれるようになるって。
……いつか想いは叶うって。無意識のうちに、そう思い込んでた。
よく考えてみたら、今まで私……スノリーがいる未来以外、想像すらしたことなかったかも。
「あはは……私、馬鹿じゃん。」
考えてみたらあまりにも馬鹿すぎて、笑えてきた。でも同時に、悲しすぎて涙が出てきた。
いきなり教室で笑いながら泣きだした私は、いよいよ友達たちに本気で心配されて、大丈夫だって言ってるのに無理矢理早退させられた。
それで、家に帰って堰が切れたように大泣きして、それからやっと、決意した。
「……告白しよう。スノリーに。」
スノリーは「卒業式の日は戻ってくる」って言ってた。
だから、卒業式の日。
玉砕するかもしれないけど、困らせちゃうかもしれないけど、みっともないかもしれないけど──でも絶対、スノリーを捕まえて告白する。
10年前にできちゃった溝を埋めて、また昔みたいに仲良くなってから──って悠長に考えてたからいけなかったんだ。
スノリーに距離を取られていようが何だろうが、もっと早く行動すべきだった。
……行動した結果スノリーに振られたら、いよいよスノリーと話せなくなっちゃいそうで怖くって。それで先延ばしにしてただけなんだけど。
もうそんなこと言ってられない。黙ってても告白してもスノリーが遠くに行っちゃうなら、最後は後悔しないようにちゃんと告白するんだ。全部伝えるんだ。
私は腹を括った。
完全に開き直った私は、その日の夜、久しぶりにしっかりご飯を食べ切った。
──そして迎えた、卒業式当日。
巨女ゴリラなりに精一杯お洒落をして、鏡で自分の姿を見ながら気合を入れた。
朝起きたときにふと思い立って測ってみたら、身長は192cmになっていたけど。その事実はもう、気にしないことにした。
◇◆◇◆◇◆
──バァン!!!!
「スノリー!ちょっとこっち来て!!」
私は卒業式の後のクラスごとのホームルームを終えてすぐに、クラスメイトたちとの別れを惜しむ時間も一切取らずにスノリーの教室に直行した。
卒業式中に久しぶりにスノリーの姿を見て、それから卒業式の間ずっと決心が揺らがないように精神を統一しまくっていたから、もう怖いものなんてなかった。
モテるスノリーが他の誰かに呼び出されてどこかに行っちゃう前に、私が一番乗りにならなきゃいけないと思って、私はスノリーの教室から担任が出てきた瞬間に扉を開けていきなりスノリーに声をかけた。
また力加減を間違えちゃった気がするし、またスノリーのクラスの人たちがこっちを一斉に見た気がする。
でも、もう私は気にしなかった。
2ヶ月ぶりのスノリーが「あ、グレヴィア。……ちょうどよかった。いま行く。」って言って、せっせと荷物をまとめて、それからささっと私の方に駆け寄ってきてくれたからだった。
ちらほらと「出遅れた!」って感じの顔をしている女子たちがいた。
……よかった。私の判断は間違ってなかった。
私はスノリーを引き連れて、とりあえず人気のない学校の旧校舎の屋上に行った。
それで、スノリーと向き合って立ったとき。私は気付いた。
──……告白の台詞を、何一つ考えてないことに。
少しでも印象を良くするために考えてくればよかった。馬鹿だった。「好き」って気持ちを伝えるだけだと思ってた。アホだった。
本を参考にしたり、友達に相談したりして、ちょっとでもスノリーに刺さりそうな言葉を考えてくればよかった。
誰よりも先に呼びだすシミュレーションしかしてなかった。……最悪。
どうしよう。まずは「おかえり!王都どうだった?」とか、世間話からするべきかな?でもそれでぐだぐだになっちゃったら告白もぐだぐだになりそう。
でもいきなり「スノリー、聞いて欲しいことがあるの!私、スノリーが好きなの!」って言っても、スノリーは戸惑っちゃうよね。「……え?いきなり何?急にそんなこと言われても困るよ。」とか返されたらと思うと……怖い。嫌だ。怖すぎる。腹を括ったはずなのに今さら怖気付いてきゃった。……どうしよう。
呼びだしたくせに、スノリーと向き合って硬直する私。
その数秒の間に、スノリーの方が先に口を開いて話を切り出してしまった。
「ちょうどよかった。僕もグレヴィアに話しに行こうと思ってたから。
……仕事の話。王都で受けてた就職試験の結果が出たんだ。それを見せたくて。」
えっ、待って。ちょっ、待って!まだ言わないで!
それを言われたら──スノリーと離れるって決まっちゃう!
──「王都で無事に就職できたんだ。今までありがとう、グレヴィア。ばいばい。」って言う気でしょ!?
そんなの嫌だよ!待って!先に私が言うから!!
私が声にならない声を出そうとして口を開こうとした瞬間、スノリーは鞄からゴソゴソと何かを取り出した。
◇◆◇◆◇◆
「……これ、見て。」
スノリーが硬い表情で、一枚の紙を私に渡してきた。
私はもう訳もわからず、咄嗟に切り返すこともできずに……また口を大人しく閉じて、言われた通りに三つ折りにされた少し厚めの紙を開いた。
その紙のちょうど真ん中には「スノリー・ゼレダノ」の名前と、大きくて太い「合格」の文字が書かれていた。
そしてその上の方には、やたらと荘厳で格好良い紋章と「王国魔導騎士団」というデザイン文字が刷ってあった。
下の方には、身が引き締まるような心得の文章と試験の点数内訳みたいなものが細々と書かれていて、最後にその右下に、王室の印と国王様のお名前の直筆サインがあった。
「…………これって、合格通知?」
私が紙から視線を上げてスノリーの方を見て聞くと、スノリーは頷いた。
「うん。王都の『魔導騎士団』の。
僕、入団試験に受かったんだ。卒業したら、魔導騎士になる。」
私はびっくりしすぎて言葉を失ってしまった。
王都はすっごく遠くにあるし、就職活動の事情なんて全然分からない。
でも、そんな私でも知っている。
「『魔導騎士団』って、アレでしょ?
──王国最強の、王宮直属の騎士団。」
「うん。」
「大型魔物やっつけたりする、すっごい集団。」
「うん。」
「えっ、あの巨大龍とかも倒しちゃうくらい強い人たちでしょ?」
「そう。」
「魔導騎士団に入るって……王国中で一番難しいって言われてない?魔導騎士団員なんて、私見たことないもん。」
「うん。……受けるって決めたときに調べたけど、この街からは魔導騎士団員になった人、まだいないみたいだね。」
「そんなところに……スノリー、受かったの?」
スノリーは唖然とする私としっかりと目を合わせて、力強く頷いた。
「うん。……僕、頑張ったんだ。」
…………………………。
──すごいじゃんスノリー!おめでとう!格好良い!
──スノリーがそんなに強いなんて知らなかったよ!……あ!習い事たくさんしてたのも、もしかして魔導騎士団に入るためだったの?剣術の特訓してたんだ?今度見せてよ!
──っていうか……そうだ、ダメダメ!よく考えたらそんな仕事は危ないって!命懸けじゃん!今からでも辞退しなよ!……スノリー、私心配だよ。
──……辞退しないで入団するなら、やっぱりもう、これでお別れ?そんなの嫌だよ。待ってよ……ねえ、嫌だよ。
自分でも自分の感情が分からない。
頑張ったスノリーのことをすごいって褒めて、惚れ直せばいいのかな。
……そんなのとっくに惚れてるし。今さらなんだけど。
スノリーのこと応援したいのかな、引き止めたいのかな。
応援したいに決まってる。だってスノリーが頑張って努力して、それで掴んだ進路だもん。好きな人の決断だもん。
……でも、とにかく私は離れたくない。スノリーとの関係を終わりにしたくない。そのためなら私が王都に行ったっていいし、引き止められるなら引き止める。
私、スノリーに何を言うべきなんだろう?どうすればいいんだろう?
なんて言えばスノリーが私の前からいなくならないの?
一気に溢れ出してきたメチャクチャでドロドロな私の悩み、迷い──そのすべてを解決する答えを出してくれたのは、スノリーだった。
スノリーは静かに一度深呼吸をして、それからグッと体に力を込めた。
そして何も言えなくなってしまった私に向かって、覚悟を決めた顔をして口を開いた。
「……グレヴィア。
僕は結局、高等部を卒業するまでグレヴィアに身長も届かなかったし、頑張って鍛えたけど逞しい体になれなかった。
……でも、これでやっと、僕の『強さ』は証明できたと思う。
まだグレヴィアよりも小さくてモヤシみたいな男のままだけど……弱っちくはない。グレヴィアのことも、ちゃんと守れるくらい……強い男になれたと思う。」
「…………っ!!」
さすがに私でも分かった。
スノリーが何のことを言っているのか。
スノリーが今から何を言おうとしてくれているのか。
私はもうすでに泣きそうだった。
…………馬鹿みたい。
私たち、やっぱり10年前から両思いだったんじゃん。
スノリー……スノリー、ごめんね。
やっぱりあの言葉、ずっと気にしてたんだね。それでこんなに頑張らせちゃってたんだね。
そこまで頑張らなくてもよかったのに。家業を継ぐ道を捨ててまで……王都の魔導騎士団なんてすごいところに入るまで頑張らなくたってよかったのに……!
ここまで格好良くならなくたって、10年前のあの時点でも……充分、私にとっては格好良かったのに……っ!
「10年もかけたくせに1個しか達成できなくって、それで言うのも中途半端でダサいって分かってるけど。
……けど、さすがにもう言わなきゃ、……グレヴィアが誰かに取られちゃうかもしれないから──っ。」
ねえ。馬鹿だよ、スノリー。本当に馬鹿すぎる。何言ってんの。
私が誰かに取られるわけないじゃん。スノリー、私がどれだけモテないか知らないでしょ。
子爵令嬢のくせに、全然今までろくな縁談もなかったんだから。
私は客観的に見たら男子顔負けの「巨女」で、筋肉だらけの「ゴリラ女」なんだよ?全然可愛くないんだよ。
スノリーはそんな巨女ゴリラの私のことを、真っ直ぐ綺麗な薄紫色の瞳で見つめて……そして、まるでお姫様を前にしているかのように緊張したガチガチの口で、スノリーらしくない大きな声でこう言った。
「グレヴィア。僕はずっと、昔から、きっ……君のことが好きでした!
だから──僕とっ!付き合ってください!」
──…………っ!
「スノリー……!スノリー!……っ、ごめんね!本当に、本当にごめんなさいっ!!」
ついに、私の目から一気に、涙が滝のように流れ出した。
スノリー、こんなに頑張ってきたのに。スノリーはこんなにも格好良くなったのに。
それでもスノリーはずっと猫背なままだった。ずっと自分に自信がなさそうにしてた。
今の告白だって、「振られるかもしれない」っていう不安そうな顔をしてた。──そんなこと!あるわけないのに!
全部、全部全部、私が10年前にスノリーを傷つけちゃったせいで……っ!
私は泣きじゃくりながらスノリーに自分の想いをぶつけた。
「スノリー!ずっとスノリーのこと傷つけてっ、スノリーから自信を奪っちゃって……本当にごめんね!
私も10年間、ずっとスノリーが好きだったの!!
ずっとずっと、後悔してたの!
10年前のあの日の言葉を、ずっと……ずっとやり直したかった!!
──『スノリー以外の男なんか眼中にない!!』
って!本当は!!本当はあのときアイツらに、そう言ってやりたかったの!!」
ゔぇぇえぇ〜〜〜ん!!!って汚い声で大泣きする私を見て、スノリーは目を丸くして──それから、ほっとしたように強張っていた肩の力を抜いて、とっても幸せそうに笑った。
「……そっか。
僕たち、……両思いだったんだ。…………へへ、夢みたい。」
「ゔぇぇえぇ〜〜〜ん!!スノリ〜〜〜!!!」
何それ!小声で「夢みたい」って、何それ!今さらじゃん!!
私、すっごく分かりやすかったと思うんだけど!まさか本気で確信持ててなかったの?!馬鹿じゃん!学年最下位級の鈍さじゃん!!
「スノリぃぃ〜!結婚しよう!!お付き合いとかもういいから!今日結婚じよ゛ぉぉ〜!!」
私が顔をべっちゃべちゃにしながらそう言うと、スノリーは真っ白な肌を赤く染めて「えっ!」と驚いた。
でもその後すぐに、何かを振り払うように首を振った。
「ううん。気持ちは嬉しいけど……結婚は、まだできない。」
こっ……断られちゃった。
私が顔をぐっちゃぐちゃにしながら「なんで?」と聞くと、スノリーはこう答えた。
「僕はまだ稼ぎも何もない、ただの新人騎士だから。
王都にも全然慣れてないし……今結婚しても、グレヴィアに苦労させちゃうだけだと思う。
だから……2年。『2年は一人で、王都で頑張ってお金貯めよう』って決めてるんだ。」
「2年!?そっ、そんなに長いの?!
そこまでしなくたっていいよ!私の苦労とか、考えなくっていいってば!これから王都で一緒に頑張ろうよ!
ウチの両親だってすぐに説得してみせる……っていうか、絶対に喜んで二つ返事で了承してくれるだろうし!私もすぐに王都で仕事に就くから!
……ね?そうしようよ!せっかく恋人同士になれたのに、こんなすぐに離れ離れになりたくないよ!」
私は必死にスノリーを説得しようとした。
ようやく10年越しに想いが叶ったのに、また2年も離れちゃうなんて嫌だ!嫌すぎる!
スノリーはそんな私からの言葉に嬉しそうに頬を緩めたものの、一度決めたその意志は固いようで、まったく譲らなかった。
「……ありがとう。
でもやっぱり、グレヴィアに『一緒に王都に来て』って言って……それで苦労させたり、知り合いも誰もいないところでいきなり寂しい思いさせたくない。
僕、2年でいろいろできるようになる。決めたんだ。
ちゃんと仕事にも慣れて、家事も全部できるようにして……ふ、二人で住む家の候補もいくつか探しておいて、それで──」
格好良くて可愛い理想を一生懸命語るスノリー。
それからスノリーは、一本に編まれた綺麗な銀髪をキラキラと夕日で輝かせながら、最後に少しだけ恥ずかしそうに笑ってこう言った。
「──それで……自分で稼いだお金で、グレヴィアに似合う指輪を買ってあげたいんだ。
そうしたら2年後に、結婚しよう。王都で一緒に暮らそう。
僕のただの自己満足だし、我儘なのは分かってるけど──ちょっとだけ、格好つけさせて。」
スノリーはきっと気付いてない。
意識せずに自然と口から出ただけみたいだった。
でも、10年前のあの日と同じように夕日に照らされてキラキラと光る海が、屋上の柵の向こうに広がっていて。
そんな最高な景色の中で、あの日と同じ「ちょっとだけ、格好つけさせて。」っていう一言を聞いて。
──私は、もう一度、恋に落ちた。
「っ!スノリー!!大好き!!愛してる!!!」
私は泣きながらスノリーに飛びついた。
そして、スノリーを思いっきり抱きしめた。
──ボキッ!!
「ぐぇっ!」
なんだか不穏な鈍い音と、スノリーが小さく呻く声がした。
私はその日、10年振りに人生のピークを更新した。
スノリーに最高の告白をしてもらって、初めてスノリーを強く抱きしめて──……そして、大好きなスノリーの肋骨を2本、うっかり折った。
◇◆◇◆◇◆
私は号泣しながらスノリーに何度も謝った。
スノリーは全然怒らずに優しく許してくれたけど……でも、どうやら恋人からのハグにすら耐えられなかった事実に、再び自信をなくしてしまったようだった。
告白が成功したときには伸びていた背中を、肋骨の痛みのせいかぎこちなく丸めて「……僕っ、ほんとにダサすぎる。全然ダメだ。」と弱々しい声で言って、泣きそうな顔をした。
それで、スノリーが王都に行く日まで、私たちは晴れて恋人同士になれたのに……結局、一回もハグすらできなかった。
当然だった。全部私のせいだった。
王都に旅立つ日、馬車に乗り込みながらスノリーが「今度こそ魔導騎士団で鍛えて……もっと、ちゃんと強くならなくちゃ。」と神妙な顔で独り言を呟いていたのを、私はしっかり聞き取ってしまった。
スノリーの乗った馬車を走って見送った後、私は周りの通行人たちがドン引きするのもお構いなしにその場でわんわん泣いてしまった。
最悪、最悪最悪っ!……私、最悪!!
──今からでももう一度、できることならやり直したい……っ!!
世界で一番大好きなスノリーの告白を台無しにした。
これが私の、人生で二度目の『大失敗』。
最後までお読みくださりありがとうございました。
世界設定は、完結済みの連載作品「婚約者様は非公表」と同じです。
もしご興味がありましたら、お暇なときにそちらの方もぜひよろしくお願いいたします。
(※連載作品の本編ではこの二人は一切登場していません。
「とある騎士団員の過去話」という位置付けで書きました。連載作品の方でも「おまけの小話」としてスノリーの話を投稿したので、こちらとあわせてお楽しみください。)