08 しというもの
チィの腕の中からいくつものガラクタが落ちていく。
ガラクタ同士が派手にぶつかり合い、耳を刺すような金属音が洞窟内にこだました。
「チィ、ちゃん?」
チィは僕の声が聞こえていないようで、ボートの前に立ち尽くしたかと思うと、崩れるように座り込んだ。
「チィちゃん。……ねえ、チィちゃんったら!」
びくりと体を震わせ、やっとこちらを向いた彼女は、酷く怯えた表情を僕に見せた。
「あなた、は?」
「……リクだよ」
「リク、くん……ああ、あなたが、ずっと一緒に居てくれた……」
これはチィだけど、僕の知っているチィじゃない。
でも、僕のことは分かるみたいで、その返答に心底ほっとする。
チィは再びボートへの視線を落とした。
ボートの中の骨。
その指には、くすんだ銀色の指輪がはめられていて、チィの細い指がそっとその指輪を撫でる。
「間違い、ないわ。この人。わたしの、大切だった人、よ」
震えながらも落ち着いた声色に、
いつもの辿々しさの無いしっかりとした口調。
きっとこれは……元のチィだ。
「大切だった人?」
動揺を抑えながらも僕が聞くと、チィはゆっくりと頷き、ぽつりぽつりと話し始めた。
――あの日のこと。
チィと、ボートの中の彼は逃げ遅れてしまって、それでもこの小さいボートになんとか乗り込んで生き延びたらしい。
でも……。
「沖に出て難を逃れた後。わたし達は、変な渦に巻き込まれたの。彼は完全に飲み込まれる寸前、わたしを渦の外に突き飛ばして、自分だけ船と一緒に呑まれていって……」
チィは憂いの帯びた眼差しで、ヒビの入った白い頭骨を見つめる。
震える指が頭骨に触れて、かたん、と小さな音がした。
「リクくん。ここまでわたしを連れてきてくれて、ありがとう。わたしは、ここに、彼と一緒に残るわ」
「一緒に残るって、ここは住めるような場所じゃ」
そこまで言って、僕はハッと気付く。
チィの近くには、彼女が集めてきたガラクタが転がっていて、その中にはナイフのような刃物もあった。
僕には、二人の指輪に似たその鈍い銀色が、妙に光って見えた。
「チィちゃん。それって、ここで……死ぬってこと?」
チィは、答えない。
僕はぎゅっと眉をひそめ、彼女の肩を掴んだ。
「帰ろうよ。チィちゃん。もうその人は死んじゃってるんだ。一緒にいても、意味はないんだよ」
我ながらひどい言い方だと思った。
でも……事実だ。
「知ってるわ、そんなこと。でも、この人、最後に笑ってたのよ。自分は絶対助からないのに、私が渦を抜けたのを見て……。なのに私は、こうして彼のことを忘れて、のうのうと生きてた。その間ずっと、彼をこんな場所に独りにしておいて……」
「こんなことになるなら……一緒に居てあげたかったのに!」
チィの顔が傾く。
壊れたボートへすがりつくようにして顔を伏せた時、水滴がひとつ、落ちていくのが見えた。
それを皮切りに、ランタンのオレンジの明かりを含んだ水滴が、次々にボートの中に落ちて行く。
「……ねえ、チィちゃん」
やっと発した声は、自分でもびっくりするくらいに震えていた。
「誰かに生かされて、申し訳ないって思うなら……生きなきゃだめだよ」
少し詰まらせながら、自分自身にも言い聞かせるように、
僕は必死に言葉を紡ぐ。
「だって、その人は、チィちゃんに生きてほしくて助けたんだ。でも、もう何も言えないから、今のチィちゃんの思いを覆せないのに。だけど、チィちゃんは生きてて……叶えられちゃうから……そんなの、ずるいじゃないか……」
じんわりと鼻が熱くなるような感覚を必死に我慢して、僕は拳を握りしめながら、前を……チィの背中を見た。
「僕もね、チィちゃんと同じだよ。父さんと母さんのおかげでここにいるんだ」
すべてがぐらぐらと揺れたあの日。
海の近くだった僕の家は、あっと言う間に海水に取り囲まれて……
それでも二人は最後まで、僕が流されないように必死に押さえてくれていた。
僕の背に、手の形の痣ができるほど、強く、必死に。
僕は助かったけど、二人はいなくなってしまって、
残った彼らの痕跡は、僕の背にある痣だけだった。
「僕も、ずっと海の中にいたら、また二人に会えるかなって思う時があるよ。でも、きっと二人は、僕には上で……空気の中で生きて欲しいって思ってるから」
チィの肩は、小刻みに震えていた。
鼻をすするかすかな音も聞こえる。
僕は、震える彼女の背中に、そっと手を添えた。
「チィちゃん。僕たちはまだ生きてる。だから、帰らなくちゃ。
簡単に沈んじゃいけないんだよ。生きて、いかなきゃ」
チィがこちらを向く。
その顔は、僕の知ってるチィの泣き顔そのままだった。
でも、その涙には幼く無邪気な悲しみではなくて、深い喪失感と後悔が滲んでいるようだった。
「……リクくん。ごめんね、ごめんね……」
チィは声を上げて泣き出した。
大人のチィなのに、まるで幼い子供のように僕にしがみついて、わんわんと声を上げて泣き続ける。
気がつけば僕の目からも涙が流れていたけど、彼女が泣きやむまで、その頭をいつものように撫で続けた。