05 むこうがわ
僕らが借りた船は、海面を滑るように進んでいた。
巻き上げられた水飛沫が風に舞い、日差しの中で虹のように輝きながら消えていく。
「すっごーい! はやいはやーい!!」
チィが顔いっぱいに笑みを浮かべ、手を叩きながら歓声をあげる。
――けれども、操縦者の僕は高スピードの船にしどろもどろになりながら、必死に舵を取っていた。
「ええっと、スピード下げたい時は……どっ、どうすればいいんだっけ……?」
「リクくーん! おそと、すごいよー!」
「ご、ごめん、チィちゃん。僕、それどころじゃないんだ」
ふなじいの船は彼によってめちゃくちゃに改造されており、操縦席には様々なボタンが並んでいて、どれがどの機能なのかまったく検討がつかない。
僕はハンドルを操作しながら、恐る恐るそれっぽいボタンを押してみた。
すると、途端に船のスピードが落ちていく。
「当たりだった……」
安定し始めた速度に、ほっと胸をなで下ろし、僕はようやく落ち着いて周囲を見回せるようになった。
海の上はほとんど何もなく、代わり映えしない景色だ。
しかし、水面下には壊れた街の風景が広がっている。
斜めに傾いたビル、屋根の抜けた住宅、崩れたアパートと、その瓦礫に埋もれた車たち……。
建物をつなぐ道々は、魚たちが我が物顔で闊歩して、かつて道を歩いていた僕たちは、今は鳥のように上から影を落とす。
「(チィちゃんが住んでたのも、こういうところなのかな……)」
チィは過去のことを話そうとしない。
話せないのか、それとも話したくないのか……それは分からないけど。
僕を含めた集落の人々は誰も聞き出そうとはせず、ただ、今の彼女を『チィ』として受け入れていた。
でも、彼女の手で光る銀の指輪。
その意味をちゃんと分かっていた時は、彼女はどんなヒトだったんだろうか。
無邪気に手を叩き、子供のように歓声をあげる彼女を見ながら、なんとなくそんなことを考えた。
◇
船は順調に目的地へと近づいていく。
洞窟に近づくにつれ、透明だった海水が濁り始め、辺りには不気味な雰囲気が漂い始めていた。
しかし、先を急ぐ僕たちはそれに気付けないまま、船を走らせていった。
「どーくつ、もうちょっとだよ!」
「分かった。楽しみだね、チィちゃん」
「うん!」
望遠鏡を覗くチィが嬉しそうに言った。
その時だった。
「!?」
「わあ!?」
突然、大きな音と衝撃が僕らを襲い、船が大きく揺れる。
そして、エンジンが鈍い音をあげながら止まった。
「あ、あれ?」
キーを回すと、エンジンは問題無く動き始める。
しかし、直後にまた衝撃が起き、エンジンが再び停止する。
「あれ、壊れたかな……?」
先程からの衝撃は、船底で起きているようだった。
上から覗いてみても水が濁っているせいで、何が起きているかが全く分からない。
「うーん……チィちゃん、僕、下見てくるからここにいて」
「うん!」
水中メガネを身につけ、ボロいTシャツを脱ぐと、僕は海へと飛び込んだ。
船の下に潜って底を確認するが特に問題は無く、スクリューも錆びついてはいるものの動作に問題は無さそうだった。
「(壊れた様子は無いけど、一体なんだろう?)」
ひとまず船に上がろうと振り向いた、その瞬間――。
巨大な魚が口を開け、物凄い勢いで僕へと迫ってくる。
「……!!!」
慌てて下に潜り、間一髪で躱す。
泡を巻き上げて翻る、巨大な魚体。
その泡の隙間から、金色に光る鱗が見えた。
「(金の鱗……! まさか、ふなじいが言ってた変な魚!?)」
周りを覆う泡が晴れていき、全体像が見え始める。
金色に煌めく鱗に包まれた、赤とオレンジが混ざったような鮮やかな体色。
フナのように細長い体に、先端がほんのりと白いヒレ。
そして、何の感情も感じない黒く丸い目。
巨大な体を揺らし、濁った水を悠々と泳ぐその姿は――紛れもなく、金魚だった。