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異世界スイートテイル 〜狐の嫁入りは誰にも見られてはいけない掟なのです(肉球マーク)。  作者: 2番目のインク
第三部:戦闘民族編

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ヴェントラの婚姻

「起きなさい。……歩けますか」


「……え、ええ……?」


ヴェントラは身体を起こしかけて、あたりを見回した。

空。岩。崖底の砂。――そして、そこにいる“人”。


「りゅ、竜……竜がいましたよね? さっきまで……。あれ?」


気を失う直前の記憶が、逆再生みたいに追いついてくる。

ヴェントラの視線が、最後に――黒衣の紳士へ止まった。


「……誰?」


気を失っていた者としては、至極まっとうな反応だった。


「……」


カテリーナは一瞬だけ言葉を探し、代わりに視線だけで“彼”へ渡した。

名で呼ぶな、と言われている。

理由も分かる。――分かるのだが。


(人間社会は、そう都合よく回りませんのよ)


カテリーナらしからぬ薄い苛立ちが、胸の奥で泡立った。


それを察したのか、黒衣の紳士が自ら一歩前へ出る。

埃の谷底にいるはずなのに、皺ひとつ増えないまま。


「……便宜上、呼び名を置こう」


声は耳に届かない。

意味だけが、するりと頭の中へ落ちた。


「ワシはアポクリュファ。

 さっきまで竜の姿をしておった。

 名は理解したつもりになる器――そう言ったが……今は違う」


「呼ぶなら、アポクリュファでよい。短く、過不足がない」


「はい。……初めまして……」


ヴェントラは頷きながら、ほんのり頬を染めた。

(なんてロマンスグレーなおじさま……)


その乙女っぽい感想が顔に出てしまい、カテリーナの眉が一ミリだけ動く。


「わ、わわわわわわわ私はヴェントラ。かかかか風を読むという意味です!

 どどど独身です!!」


「……」


カテリーナはヴェントラの肩を支えたまま、首だけ少し傾ける。

目が語る。

(……今それ言う必要ありますの?)


はっ!


ヴェントラは自分でも言ってしまったのが分かって、耳まで赤くなる。

だが止まらない。止まれない。

“止まれない言葉”が口から滑る。


「い、いえ、その、えっと……! 竜が……あっ、いまは人で……!」


アポクリュファは表情を変えない。

変えないまま、意味だけを落とす。


「独身かどうかは、風では読めぬ。――独身というのは?」


「え」


ヴェントラの口が固まった。

赤くなったまま、脳だけが空回りする。


「……契約が、ない……人、です? フリーです!!」


ヴェントラは胸を張った。

張った瞬間、(何を言っているんだ私は)という顔になり、さらに赤くなる。


アポクリュファは真面目に頷いた。

真面目すぎる頷きだ。


「ふむ。フリー。つまり自由契約。――なるほど」


「違います!」


ヴェントラが即座に否定する。

否定が速すぎて、余計に怪しい。


(そこじゃありませんわ)


カテリーナの眉が一ミリだけ動いた。

緩む方向ではない。


「呼吸。足。目。集中」

「立ちなさい。今は“生存”が本件ですわ」


「は、はいっ!」


アポクリュファが、追い打ちのように意味だけを落とす。


「記録しておこう。“自由”と“独身”は、同義ではない」


(記録するなですわ)


カテリーナは言わない。

言わないまま歩き出す。


その背に合わせて、ヴェントラも慌てて足を揃えた。


「……あ、あの……!」


アポクリュファはまた真面目に頷く。

頷き方が、学者のそれだ。


「ならば当座は安全だな。

 “伴侶”という名の足枷がない」


(そこじゃありませんわ)


カテリーナの視線が真横に走り、刺すようにヴェントラを捉える。


「呼吸。足。目。集中しなさい」

「立てますわね。……立ちなさい!」


「は、はいっ! かしこまりました!」


ヴェントラは背筋を反射で真っ直ぐにした。

返事が妙に硬い。軍隊の新兵みたいだ。


その余計さが――可愛い。

カテリーナの眉が、ほんの一瞬だけ緩む。

緩んだのは一瞬で、次の瞬間には“無”に戻った。


「行きますわ。村へ」


アポクリュファは何も言わない。

ただ、“付いてくる”という決定だけを、空気に置いた。


――そして、少し間。


「契約自体はよい。だが互いを知らぬ。

 まずは知れ。――本契約は、その後でよいか」


「……え、えっと……」


ヴェントラが一瞬だけ胸に手を当てて考える。

考えたふりをして、結局勢いで言った。


「し、知ります! いっぱい! はいっ!」


(語彙が雑ですわ)


カテリーナの眉が、また一ミリだけ動いた。

緩む方向ではない。


アポクリュファは表情を変えない。

変えないまま、意味だけを落とす。


「よい。では仮契約だ。

 内容は簡単。――危険域を抜けるまで、互いの責任を軽く分け合う」


「か、軽く……?」


「重くすると、死ぬ」


(正論で殴るの、やめてほしいですわ)


カテリーナは口には出さない。

出さないまま前を向く。


「歩きますわよ。契約の話は“歩きながら”です」


(その前に愛は?)


その問いに、アポクリュファは表情を変えない。

変えないまま、意味だけを落とす。


「愛は分からぬ。

 だが、知らぬままでも、守れる。

 それを“愛”と呼ぶなら――呼んでもよい」


「……まぁ、いいです。わくわくなので」


ヴェントラは少女の目をしたまま、ふらりとアポクリュファの隣へ寄った。

そして――自分でも驚いたみたいに、頭をちょこんと彼の肩へ預ける。


アポクリュファは表情を変えない。

変えないまま、意味だけが落ちた。


「……接触は、仮契約の条項に含まれておらぬ」


(言うと思いましたわ)


カテリーナは口には出さない。

出さないまま前を向く。


「だが――倒れて死ぬよりは、合理的だ」


「えへへ……合理的です!」


(そこじゃありませんわ)

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