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異世界スイートテイル 〜狐の嫁入りは誰にも見られてはいけない掟なのです(肉球マーク)。  作者: 2番目のインク
第三部:戦闘民族編

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碧い瞳

パパタローは、ぶらりと市場に来ていた。

甘味屋マルコの前で、少しだけ立ち止まった。


(……ルミエルとカリンに、買って行ってやるか)


特別な理由があったわけじゃない。

お礼でも、記念でもない。


ただ、

あの二人が喜ぶ顔が、

なんとなく浮かんだだけだ。


甘いものは、

言葉より先に届く。


だから、

つい手が伸びる。


包みを受け取りながら、

彼はそんなことを考えていた。


そのときだった。


店主が、急に声を落とした。


「兄ちゃん」


白いエプロンの裾で手を拭きながら、

ひそひそと続ける。


「帰りはな、裏道に入るなよ」


「……裏道?」


「市場の裏だ」

「看板の色がくすんでる方」

安道やすみちに見えて、一番高くつく」


冗談めかした口調だったが、

目だけは笑っていなかった。


「甘いもん買った後に行く場所じゃねぇ」

「腹も、気分も、悪くする」


そう言って、

包みを指で軽く叩く。


「それ食って、

 表の道を帰れ」


「……了解」


パパタローは、素直に頷いた。


「忠告ありがとう。また来るよ」


「おう」

「その時は、堂々と来い」


店主は、

いつもの調子で手を振った。


「裏からじゃなく、正面からな」


道を間違えたのか、

いつの間にか市場の裏へ入り込んでしまう。


空気が変わった。


(うわー、まちがった……かつあげされそー)


音はある。

人もいる。

だが――向きが違う。


表通りの賑わいが「呼び込む音」だとしたら、

こちらは「呼ばれた者だけが足を向ける音」だった。


建物は低く、間口は狭い。

看板は出ているが、どれも主張が弱い。

色はくすみ、文字は読めるようで読めない。


(……なんだ、ここ)


風俗街かと一瞬思う。

だが、肌を売る気配より、

用途を選ばせない気配のほうが強い。


香の匂い。

油の焦げた匂い。

薬草と汗と、鉄の匂い。


「市場の裏って、だいたいこうなるよな……」


秋葉の電気街を、

一本裏に入ったときの感じに、よく似ていた。


(学生時代、よく行ったな……懐かしい)


表では最新機器を売っているのに、

裏では

用途不明の基板、

改造前提の部品、

誰が使うか分からないケーブルが、

無言で並んでいる。


ここも同じだ。


裏道とはいえ、人影は絶えなかった。

人間もいれば、獣人もいる。

耳の形も、尾の有無も、毛並みの色も違う。

だが、立ち止まる仕草だけは同じだった。


檻の前で足を止め、

一度だけ中を見る。

長くは見ない。


人間の男が、奴隷商と低く言葉を交わしている。

隣には、犬科の獣人。

首元の毛を無意識に撫でながら、

視線だけで条件を測っている。


値札はない。

あるのは、交渉している背中だ。


「人か?」

「混じりだ」

「問題は?」

「ない。扱いは楽だ」


声は誰に向けたものでもない。

確認であり、合図であり、

断る理由を削るための言葉だ。


通りを行く獣人の女が、一瞬だけ足を緩める。

檻の中の視線と、かすかに交わる。

次の瞬間、何事もなかったように歩き去る。


誰も、

「可哀想」とは言わない。

誰も、

「おかしい」とも言わない。


種族の違いは、ここでは意味を持たない。

売る側と、買う側と、通り過ぎる側。

それだけだ。


人間も獣人も、

同じ距離で、

同じ温度で、

同じように関わる。


――裏道とは、

差別の場所ではない。


等しく慣れた場所だ。



正規の商いでは扱えないもの。

用途を聞かれたら困るもの。

買う側の責任で使え、というもの。


「……ああ、なるほど」


パパタローは、ようやく腑に落ちた。


人身売買が、

堂々と市場の中央に並ぶはずがない。


だが、

完全に隠す必要もない。


知っている者だけが、

迷わず入っていく。




たまらず角を曲がる。


空いたドアから鉄格子が見える。

布で覆われた檻。

声にならない気配。


そこに――

“売られ残ったもの”が集まっていた。


(……ろくな場所じゃないな)


だが、

彼は引き返さなかった。

こういう裏は、

見ないふりをすると、

あとで必ず表に滲み出てくる。


だから、

ただ歩いた。


偶然を装って。

通り道だったから、という顔で。


そして――

碧い瞳と、目が合った。

碧い瞳がパパタローを追った。


パパタローが足を止めた。

露店の外れ。

人目につかない位置に置かれた、粗末な檻。


中にいる少女は、

もう商品とは呼べない状態だった。


少女の髪は、色の判別も難しいほど埃と脂にまみれ、手入れされた形跡のないまま無造作に跳ねていた。長さだけは残っているが、ところどころが絡まり、毛先は裂けたように荒れている。

身体は年齢よりひと回りも小さく見え、肩や鎖骨、肋が薄い皮膚の下に浮き出ていた。腕も脚も細く、力という概念そのものが削ぎ落とされたようだ。栄養状態が悪いためか、老けて見える。


それでも――目だけは違った。

痩せ衰えた顔に不釣り合いなほど澄んだ碧い瞳が、静かに世界を映している。怯えはあるが、濁りはない。諦めも、虚ろさもない。ただ、逃げ場のない現実を正確に見据えている光だった。

パパタローだけに見せた碧い瞳だとわかった。


肌は汚れと古い傷でくすみ、洗われたのがいつかも分からない。爪の間には黒い汚れが残り、清潔という概念から切り離されて久しいことが一目で分かる。


身にまとっているのは、粗悪な布で作られた奴隷服だった。体格に合っておらず、擦り切れ、縫い目はほつれている。保護のためではなく、所有を示すためだけの衣服。


「……まだ残ってんのか。

この死んだ目がたまんねーな。

こっち見るんじゃねぇ!」

奴隷商が、うんざりした顔で檻を蹴飛ばし、怒鳴りつける。


中の子は叫ぶこともない。

無表情だ。


奴隷商は、年齢の判別がつかない男だった。

若さはすでに削げ落ちているが、老いきってもいない。

生き物を数え続けた結果、年輪だけが歪に残ったような顔をしている。


頬はこけ、口元には常に薄い不機嫌が張り付いていた。

笑うための筋肉を、とうに使わなくなった顔だ。

目は小さく濁り、相手を見るというより、価値が残っているかどうかを測る視線だった。


髪は短く刈られているが清潔ではない。

油と埃が混じり、指で撫でれば嫌な感触が残りそうな色合い。

顎には無精ひげがまばらに生え、剃る手間すら惜しんでいるのが分かる。


着ている服は実用一点張りだった。

血や汚れが染みついても構わない濃色の上着。

袖口は擦り切れ、革の手袋には縫い直した跡が何度もある。

人を扱う手だが、そこに誇りも嫌悪もない。

ただの作業用だ。


その表情に浮かぶ「うんざり」は、

罪悪感から来るものではない。

壊れた道具を何度も返品されることへの、

商売人としての純粋な面倒くささだった。


「何度も売ったさ。

 だが、すぐ戻ってくる」


「扱えない?」


「ああ。

 言うことは聞く。逃げもしない。

 だが……使えねぇ」


男は吐き捨てる。


「先を読む。

 相手の欲を外す。

 命令通り動いても、

 “得にならねぇ結果”を出す」


「飯を減らしたら?」


「静かに弱るだけだ。

 泣きもしねぇ。

 文句も言わねぇ」


男は檻を蹴った。


「もう売り物じゃない。

 死にかけだ」


パパタローは、見下すように、しばらく少女を見ていた。


感情は、動かなかった。

が、左の口角があがった。

奴隷商の男は見逃さなかった。


パパタローが一言聞く。

「……人体実験用なら?」


予想外な言葉に、男が眉をひそめる。


「は?」


「薬の試験とか」

「回復魔法の限界確認とか」


そう言うと、

指先に小さな火球を灯す。


そして

ファイヤーボールが弾け、

すぐにウォーターボールで打ち消された。


「……火で炙って水に沈めるとか」


少女の方は見ない。

事実だけを並べる。


「死にかけの方が、都合いい」


「生きても死んでも、

 これが価値がある用途だろ?」




奴隷商は、

一瞬だけ少女を見た。


「良かったな。ご主人様がご消耗だぜ。」


値段は、

ほとんど捨て値だった。


「どうせ長くねぇ。

 返品不可だ!」


「それでいい。

 どうせ灰だ。

灰は使いようがあるからな。」


金を渡す。


檻が開く。


「出ろ!」


少女は、

力が抜けたように崩れた。


パパタローは、

無言で受け止める。


軽い。

思っていたよりも、ずっと。


周囲では、

数人の男たちが様子を見ていた。

値踏みでも、同情でもない。

処理を見届ける目だ。


パパタローは視線を上げない。


「歩け」


少女は歩こうとして、倒れかかった。


「時間の無駄だ、運ぶ」


声は低く、感情がなかった。


命令だった。

だが、殴らない。

引きずらない。


次の瞬間、

少女は肩に担がれていた。


それ以上の言葉はない。


男たちは、

興味を失ったように視線を外す。


「……けっ。もう物だなありゃ。毎度あり」


パパタローは、その場を離れた。


取引は終わった。


誰も、もう振り返らない。


店の奥から、女の声がした。


「へぇ、姉さん。御用で。」

パパタローだけに見せた魅力的な碧い瞳だったが、


エリスは、魅力を消していた。

それは無意識の癖ではない。

生き延びるために選び取った、明確な判断だった。


表情を抑える。

視線を落とす。

声は低く、感情を乗せない。

姿勢を小さくし、そこにいること自体を曖昧にする。


目立たない者は、価値がない。

価値のないものは、壊す理由にもならない。

彼女は、その理屈を痛いほど理解していた。


だから、反抗はしない。

相手が期待する感情も返さない。

恐怖も、嫌悪も、顔に出さない。


感情は――

壊していい理由になる。


そう知っていたからこそ、

エリスは壊される理由を、与えなかった。


尊厳より、生存を。

誇りより、次の一日を。


それが彼女の最優先だった。


誇りを捨てたのではない。

踏みにじられたわけでもない。

ただ、生き延びるために――

一時的に、畳んだだけだ。


折ったのではない。

いつか、また広げるために。

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