壊れ続ける楔(くさび)
「あなた! ヴィクター!!」
エルネスタは叫んだ。
けれど、その声は――どこにも届かなかった。
腕の中には、息のないリーナ。
冷えきった身体を、強く、強く抱きしめている。
少し離れた場所で、
ラインハルトは倒れていた。
呼吸は――
かすかに、まだ、残っている。
世界は、まだ壊れていなかった。
だが――長くはもたないことだけは、
はっきりしていた。
欠陥の“核”の前。
崩れかけた空間に、
ゾファールが立っていた。
神と呼ぶには、あまりにも静か。
王と呼ぶには、あまりにも疲れている。
その身体は、すでに裂け、
存在の縁が、ぽろぽろと剥がれ落ちていた。
――終わりかけの神。
足元には、少年が倒れている。
呼吸は浅く、
胸は、ほとんど動いていない。
ラインハルト。
エルネスタは、息を呑んだ。
「……この子を……」
声が、震える。
「助けて……ください……」
ゾファールは、少年を見下ろし、
次に――エルネスタを見た。
その視線に、慈悲はない。
だが、悪意もなかった。
「長くはない」
淡々とした声。
「この世界も、
私も」
エルネスタは、理解した。
――この神は、死にかけている。
だからこそ、
代わりが要る。
「この子を生かすには」
ゾファールが、一歩近づく。
空間が、軋んだ。
「楔が要る」
「壊れ続けるための、意志」
「……私に、なれ」
一瞬。
世界の音が、消えた。
エルネスタは、少年を見た。
小さな胸。
かすかな呼吸。
指先が、冷たい。
「……私が?」
ゾファールは、頷かない。
否定もしない。
ただ、言った。
「選べ」
「この子は、もう戻らない」
「だが――
お前が“私”になるなら、生きる」
エルネスタは、迷わなかった。
恐怖も、怒りも、
すべて――その前に消えた。
「……いいえ」
一歩、前へ出る。
「“あなた”には、なりません」
ゾファールの目が、わずかに揺れた。
エルネスタは、はっきりと言った。
「欠陥に、なります」
「壊れ続ける“楔”に」
「この子の代わりに――」
ゾファールは、初めて沈黙した。
それは、了承だった。
次の瞬間。
少年の胸が、
大きく――息を吸った。
エルネスタの身体に、
何かが流れ込む。
役目。
呪い。
契約。
彼女は、もう戻れない。
それでも。
少年の呼吸は、確かだった。
エルネスタは、微笑んだ。
――これでいい。
それが、すべての始まりだった。




