神の内側
外では、戦闘が“続いている”というより、
止まっていないと言うべき状況だった。
「下がれ! 下がれっ!」
船長の怒号が、瓦礫の間を跳ねる。
カテリーナが前に出る。
ウォーハンマーで押し返すような踏み込み。
攻撃ではない――線を維持するための動き。
「リディア!」
呼ばれる前に、
リディアのメイスが唸りを上げる。
叩き潰すのではない。
弾く。崩す。転ばせる。
「……数が減りませんね」
軽口のように言いながら、
呼吸は一切乱れていない。
その背後、
ムニンが瓦礫の影で尻尾を揺らした。
「……夢が、
無理やり起こされてるにゃ」
船長は、歯を食いしばる。
「つまり?」
「下で、
“触っちゃいけないもの”が動いたにゃ」
全員が理解した。
「がはは!」
船長が、敵を叩いて笑った。
「つまりだっ!」
ドカッ――
鈍い衝撃音とともに、敵が吹き飛ぶ。
「下次第で!」
バキッ――
外皮が砕ける感触を、拳が確かに伝える。
「俺たちは!」
グシャッ――
踏み込んだ足元で、何かが潰れた。
「けちょんけちょんの!」
ガシャーン――
瓦礫と一緒に、蜘蛛が転がる。
「ぎっちょんちょんだ!」
グオーン――
最後の一撃が、空気を震わせた。
「なんだそれにゃ。
擬音がうるさいにゃ」
ムニンが、首をかしげる。
「要するにだ」
船長は笑ったまま、拳を振り上げ続けた。
「ここは、
時間を稼ぐ場所ってことだ!」
一方、
地下に広がっていたのは、静まり返った空間だった。
中央に――祭壇。
その上に、
人の形をした何かが横たわっていた。
一見すれば、人間。
だが、近づくにつれて違和感が積み重なっていく。
肌は乾き、
肉は削げ落ち、
時間そのものに置き去りにされたような――
「……ミイラ、か?」
誰かのかすれた声。
それは確かに、
人間だった痕跡を残している。
だが同時に――
「生きていない」とも、言い切れなかった。
祭壇の傍らに、別のものがいた。
それは、屈み込み、
ミイラの身体に、そっと手を伸ばしている。
布で拭い、
ひびをなぞり、
削れかけた箇所を、丁寧に整える。
所作は遅く、
無駄がなく、
あまりにも慣れすぎていた。
そのたびに、
小さな音が漏れる。
「……ギリ」
「……ギリ……」
ミレッタは、眉をひそめた。
(……なんじゃ、この生物は……)
生き物――なのか。
それとも、道具か。
視線が、自然とその頭部へ向かう。
――載っていた。
赤黒い妖石が一つ。
固定もされず、
抱えられてもいない。
落とさぬ位置に、
当たり前のように。
ミレッタの喉が、ひくりと鳴る。
「……頭に……?」
その瞬間、
胸の奥が、ずきりと疼いた。
匂いではない。
記憶でもない。
欠けている感覚。
ミレッタは、ゆっくりと息を吐く。
「……パパタローさん」
声が、わずかに低くなる。
「あの石……4つの魂を封じた妖石じゃ。」
「!?」
背後で。
「……ギリ……」
鳴き声が、
一段、近づいた。
背後の気配が、
さらに一歩、近づいた――
その直前だった。
「……大丈夫よー」
静かな声が、
空間の奥から落ちてくる。
祭壇の脇、
影の溜まった空間から――
一人の女性が、音もなく現れた。
長い髪。
穏やかな歩調。
ここが“神の内側”であることを、
最初から知っていた者の立ち姿。
彼女はまず、
鳴き声を上げた生物へと視線を向ける。
「……よくやってくれていますねー」
その声には、
評価も、命令もない。
作業を続けてきた者への、
当然のねぎらいだけがあった。
「ここまで、崩さずに保ってくれたー」
「ありがとうー」
生物は返事をしない。
ただ、
「……ギリ……」
と短く鳴き、
再び祭壇へ向き直ろうとした。
だが――
女性は、
ごく自然な仕草で手を上げた。
「そこの坊や達はこの子に用事があるみたいねー
いいわよー、
いってらっしゃーい。」
「!?」
生物が、
初めてはっきりと、
パパタローとミレッタの方を向く。
頭に載せた妖石が、
かすかに揺れる。
「……ギリ」
低く、短い鳴き声。
その瞬間。
足元の地面が、
エレベーターのように、静かに下りていった。
罠ではない。
爆発でもない。
――切り分けられたのだ。
祭壇を中心に、
空間そのものがずれ落ち、
床は、別の段階へと沈み込んでいく。
「きゃっ!」
パパタローが、反射的にミレッタの腕を引いた。
落下は一瞬。
だが、感覚だけが長い。
着地した先は、
先ほどまでの空間とは明らかに違っていた。
天井は低く、
柱の配置が整いすぎている。
戦うために用意された場所。
はるか上方から、
女性の声が届く。
「そこは、私の管理外の領域ですよー」
「……どうか、壊しすぎないでくださいねー」
その言葉は、
二人ではなく――
あの生物に向けられていた。
「……ギリ……」
鳴き声が、
低く反響する。
それは、
警告でも、威嚇でもない。
仕事に入る合図だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ごめんなさいねー。
私、あなたと話したかったのー」
その声は、ひどく軽く、けれど場違いなほど真っ直ぐだった。
薄暗く顔がはっきりと見えない。
「セラフィナ。案内、ご苦労様ー」
続いた言葉は、労いの形をしていながら、
すでに“役目が終わった”ことを告げている。
セラフィナは、振り返らず、そのまま――
すとん、と。
力を抜いたように、その場に座り込んだ。
立ち去るでもなく、加わるでもなく、
ただ、身体だけがそこにあり、
思考だけが、ゆっくりと動いていた。
(ああ……
騒がしい場所が、少し恋しいわね)
一瞬の間。
(……楽しい船旅だったわ。バルナーク。)
それを見たヴィクターが、言葉を探す。
「……?」
問いかけにもならない、
短い声。
その視線の先に、立っていた。
長い髪。
静かな足取り。
ここが“神の内側”であることを、
疑いもせず、当然のように受け入れた立ち姿。
彼女は、祭壇に横たわるミイラへ向かって、
ごく自然に声をかけた。
「ゾファール様」
「……お客様よ。
あなたの“欠陥”に興味を持つ方が、来てしまったみたいー」
やはりゾファール。
ヴィクターの脳裏に、つい先ほどまでの戦いがよぎる。
白い光。
欠陥の神。
世界を壊し続ける、あの存在。
(……待て)
心拍数が上がる
(私たちは……
ゾファールと、戦っていたはず?)
目の前にあるのは、
言葉を発しない、干からびた肉体。
松明の明かりの揺らぎが、不気味さを増したが、松明の揺らぎで声の主の顔が見えた。
ヴィクターが、息を詰めたまま声を漏らした。
「……そんな……」
杖を握る指が、震えている。
掠れた声が、
信じられない名を紡ぐ。
「――エルネスタ……?」
空気が、完全に止まった。
女は、ゆっくりと振り返る。
そして、
穏やかに――
あまりにも自然に、微笑んだ。
「ええ。懐かしい。」
否定も、驚きもない。
「そんな名前で呼ばれていた時もあったわ。」
「久しぶりね、ヴィクター。」
その一言で、
時間が決定的に壊れた。
「……馬鹿な……」
ヴィクターの声は、もはや呟きだった。
「君は……
あの日、確かに……」
エルネスタは答えない。
ただ、祭壇に横たわるミイラへと視線を向ける。
その姿は、
まるで“そこに在るのが当然”だと言わんばかりだった。
「あなたたちが戦っていたのは――
“外に現れた思考”よ」
「ここにあるのは……
その“核”」
彼女は、静かに言った。
「ゾファール様は、
壊れ続けることでしか、存在を保てない」
「だから――
この姿で、眠っていらっしゃるの」
ヴィクターの膝が、わずかに揺れた。
「……じゃあ……
君は……何なんだ……?」
エルネスタは、少しだけ悲しそうに微笑む。
「私は欠陥守ケラフィクサよー」
ヴィクターは、激しく首を振った。
「……違う違う違う!!」
その言葉に――
エルネスタの表情が、初めて硬直した。




