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異世界スイートテイル 〜狐の嫁入りは誰にも見られてはいけない掟なのです(肉球マーク)。  作者: 2番目のインク
第二部:欠けた神の夢編

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第十二の夢

※「未来とは、時間の先ではないの。

過去に支配されなくなった瞬間のことよ。


過去は消さなくていいわ。

私たちは、

それを抱いたまま前に行けるもの。」


時が止まる。

いや、正確には――わずかに動いているようだった。


目を開けると、そこは青い海と白い砂浜だった。

穏やかな波。

やわらかな陽光。

遠くで弾む、子どもたちの笑い声。


小さな少女の声が響く。


「お父さま、見て! 貝がこんなに!」


少し慌てた、懐かしい声が続く。


「待ちなさい、リーナ。

 ラインハルトが転ぶわよ!」


ヴィクターは、動けなかった。


――エルネスタ。


目の前で起きている光景が、あまりにも正確すぎた。

風の匂い。砂の白さ。

子どもたちの足跡の並び方。


(……これは……夢か?)


否、と彼はすぐに否定する。


(違う。これは……私の記憶だ)


美化も、歪曲もされていない。

楽しい場面だけを切り取った幻でもない。


「あのとき、確かに在った時間」

それが、そのまま――再現されている。


耳元で、低い声が囁いた。


「島が、あなたの記憶を映しています」


淡々とした声だった。

同情も、慰めも含まれていない。


「それが、この島の機能。

 望みを叶えるのではなく、

 “失われたものを、失われたまま映す”。

 ――背を向けてきた記憶が、投影される」


ヴィクターは拳を強く握る。


エルネスタが、こちらを振り向いた。

微笑む。


だが――その視線は、彼を“見ていない”。


彼女が見ているのは、記憶の中の夫だった。

今ここに立つヴィクターではない。


ラインハルトが転び、砂だらけになって笑い出す。

リーナがそれを指差し、声を上げて笑う。


――戻らない。

――触れられない。

――声も、届かない。


それでも、世界は続いていた。


声が最後に告げる。


「これは、罰ではありません」

「ですが、救いでもない」


一拍、置いて。


「向き合いなさい。

 そうすれば――」


その先は言われなかった。


ヴィクターは、その言葉を否定できなかった。

ただ、目の前で“生きている過去”を見つめ続ける。


――失ったことに、向き合わされるまで。


「……なぜだ」


怒りでも嘆きでもない。

ただ、事実を求める声だった。


「なぜ、この島は――

 思い出を、ここまで正確に映す」


囁きは静かに返す。


「映しているのではありません」


「……では、何だ」


「止めているのです」


ヴィクターの眉が、わずかに動いた。


「止める……?」


「ええ。

 あなたが“通り過ぎたつもりでいる場所”で」


声には感情がない。

だからこそ、逃げ場がなかった。


「この島は、癒やしません。

 救いもしません」


ヴィクターは思わず笑いそうになる。


「……随分と、親切ではないな」


「親切である必要がありません」


囁きは淡々と続ける。


「この島の役目は――

 前を向く資格があるかを問うことです」


「資格、だと?」


「はい」


浜に残る家族の幻影を、声が一瞥する気配がした。


「もし――もう一度会わせたら?」


ヴィクターは答えない。


「もし――謝らせたら?」


沈黙。


「もし――救わせたら?」


そして、結論だけが置かれる。


「あなたは、ここで止まります」


ヴィクターの指が、杖を強く握った。


「……私は、家族のために――」


「いいえ」


囁きは即座に否定する。


「あなたは

 『家族のために生きている男』という像を、

 握りしめているだけ」


言葉は鋭いが、断罪ではない。


「それは、生きる理由ではなく――

 生き続けるための言い訳です」


ヴィクターは息を詰めた。


「だから、この島はこうします」


声が、わずかに低くなる。


「失われたものは、失われたまま置く。

 手を伸ばしても、何も変えさせない」


「……残酷だな」


「ええ」


否定しない。


「ですが、誠実です」


そして、核心。


「ヴィクター」


名を呼ばれ、彼は顔を上げた。


「家族は、もういません」


その事実を、島は一切ぼかさない。


「それでも――

 あなたは生きています」


問いが突き刺さる。


「なぜですか」


ヴィクターは答えられない。


「復讐のためですか」


沈黙。


「喪失を免罪符にするためですか」


沈黙。


「過去に寄りかかるためですか」


長い、長い沈黙。


囁きは、そこで初めて言った。


「この問いに答えられない者は、先へ進めません」


「……先、とは」


「次の地獄です」


あまりに静かな言い方だった。


「ですから、この島は――

 罰でも、救いでもありません」


最後に告げる。


「通行証の検問です」


ヴィクターはゆっくりと目を閉じた。


「……私は」


まだ答えはない。

だが――逃げていた問いが、ここにある。


囁きは浜を振り返らずに言った。


「過去のために生きる者か。

 それでも前へ進む者か」


「選ぶのは、あなたです」


風が吹き、幻の浜が音もなく薄れていく。

残ったのは――生きているヴィクターだけ。


島は何も言わず、彼の選択を待っていた。



潮風が、ふっと止んだ。


砂浜の光景が、ゆっくりとほどける。

音が遠のき、色が薄れ、

時間そのものが巻き戻される感覚。


次にヴィクターが立っていたのは、白い浜ではなかった。


石畳。

街路樹。

午後の陽射し。


――若い。


自分も、目の前に立つ彼女も。


エルネスタは、まだ名を名乗っていなかった。

少し困ったように笑い、落とした書類を拾い集めている。


「……すみません。

 お手伝いいただけますか?」


「あ、あぁ」


それが、始まりだった。


時間は戻らない。

ただ進む。


それでも、映像だけが何度も戻ってくる。


語られず、

跳躍し、

淡々と積み重なっていく。


言葉を交わし、

歩き、

食事をし、

笑い合い、

口論し、

それでも並んで立つ。


季節が巡る。


指輪。

誓い。

名が重なる。


――結婚。


やがて、小さな泣き声が加わる。


ラインハルト。

リーナ。


抱き上げた重み。

眠れぬ夜。

無意味なほどの幸福。


エルネスタは、いつも少しだけ後ろに立ち、家族を見守っていた。


「私たちに何があっても、あなたは前を見なさい」


その言葉を残して、時間はまた跳んだ。


――欠ける。


何も説明されない。

何も修復されない。


ただ、家族は、ここにはいない。


エルネスタが振り向いた。


今度は、ヴィクターを“見ている”。


だが、その視線に温度はなかった。


静かに、

それでも逃げ場なく、問いを投げる。


「ヴィクター」


名を呼ぶ声は、妻のものでも幻のものでもなかった。

ただの、事実だった。


「――あなたは、何のために生きているのですか?」


答えは用意されていない。


「家族は、もうこの世にはいない」


責めない。慰めない。涙もない。

ただ、“現実”だけが置かれる。


「それでも、あなたは生きている。

 なぜですか」


問いは、そこまでだった。


エルネスタはそれ以上何も言わず、時間の向こうへ歩いていく。


残されたのは、生きているヴィクターだけ。


――向き合うべきものは、過去ではない。

今、生き続けている理由だった。


遠ざかる背中が、かつて残した言葉がある。


「ヴィクター。

 あなたは、前を見なさい」


その余韻が、まだ胸の奥に残っていた。


――前を、見なさい。


その言葉が祝福なのか、呪いなのか。

ヴィクターには、まだ分からなかった。


ただ一つだけ、はっきりしている。


彼は、過去を抱えたまま、

それでも“今”に立っている。


ヴィクターは杖を握り締めた。


怒りがある。

確かに、ここにある。


だが――それだけで、進んでいいのか。


彼は、まだ選んでいなかった。


エルネスタ……。


だからこそ――世界は、彼に猶予を与えなかった。


ヴィクターは、ゆっくりと顔を上げた。


「……私は」


言葉を探し、そして捨てるように続ける。


「家族のために、生きているのではない」


胸の奥が、ひりついた。


「失ったものの“代わり”として、

 この世界を燃やすためでもない」


彼は、初めて前を見た。


「それでも――

 生き残った者として、進む」


止まっていた映像が、ガラスのように割れた。

欠片は音もなく散り、視界から消える。

次の瞬間――世界が一度だけ高速に流れ、

そして、正常な速度で動き出した。

が、Λ11の赤い目が消えていった。


「……怒りが、止まったのね。

だから――もう、あれは動けない」


セラフィナの声は、小さかった。

だが不思議と、その場の誰の耳にも、はっきり届いた。


甲板の向こう。

灰色の島影に蠢いていたΛ-11の群れは、なおもそこに在る。


存在している。

だが――動いていない。


赤く脈打っていた装甲の光が弱まり、

脚部の関節が、ぎこちなく空を掻く。


《感情源、未検出》

《出力、最低閾値未満》

《行動継続――不可能》


断続的な電子音が、風に溶けて消えていった。


パパタローは、杖を握ったまま、呆然とそれを見ていた。


「……え?」


本当に、それだけだった。


ついさっきまで確かにあった“圧”がない。

胸の奥を掻き回すような、不快な気配が、すっと消えている。


カリンが、慎重に一歩踏み出す。


「……止まってる」

「いや……“止められた”って感じでもない」


セラフィナは、寝台の上で静かに目を伏せたまま、続けた。


「Λ-11は、感情を“燃料”にする仕組みよ」

「特に……怒りと喪失」


彼女の言葉に、説明はなかった。

ただ、事実が並べられる。


「怒りがあれば、進む」

「怒りがなければ――立ち止まる」


ヴィクターは、ゆっくりと息を吐いた。


胸の奥に、確かに感情はある。

消えてはいない。


だが――それを、差し出していない。


「……そうか」


彼は、ようやく理解したように呟いた。


「私は……戦わなかったのではない」

「“使われなかった”だけか」


その言葉と同時に、Λ-11の赤光が、完全に沈黙する。


島は、まだそこにある。

Λ-11も、消えてはいない。


だが、それらはもはや“脅威”ではなかった。


パパタローは、しばらく黙ったままそれを見つめ、

やがて、ぽつりとこぼす。


「……倒してねぇのに」

「終わってる……?」


セラフィナが、ほんのわずかに微笑んだ。


「ええ」

「これは、戦闘の終わりじゃないわ」


一拍。


「旧い仕組みが、役目を終えただけ」


風が、帆を鳴らす。

船は、止まらない。


怒りを燃料とする世界を背に、

選択した人間たちは――次の段階へ進み始めていた。



ムニンは甲板の端にへたり込み、

白い尻尾をぐるりと身体に巻きつけた。


「……さすがに、あそこまで増えるとにゃ」


一拍。

いつもの余裕が、ない。


「悪夢は“食べるもの”だけど……

 量ってものがあるにゃ……」


小さく息を吐く。


「もう無理……」


そして、ぽつりと本音が落ちる。


「人間の怒り、

 あれは……一匹で抱える量じゃないにゃ」


冗談めいているのに、

その場の誰も、笑えなかった。


ムニンは顔を上げず、続ける。


「だから止まったにゃ」

「食べきれない夢は、

 誰かが“燃やすのをやめる”しかないにゃ」


白猫は、ちらりとヴィクターを見る。


「今回は……

 ちゃんと、やめたみたいにゃ」


それ以上、何も言わない。

それが、ムニンなりの最大級の評価だった。

「守れなかったあなたでも、

それでも前に行く資格はある」

――エルネスタ・シルバーハート

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