鏡の海路
ヴィクター・シルバーハート邸に戻ると、
ムニンがカゴに腰掛け、いたずらっぽい笑みでパパタローとルミエルを出迎えた。
その隣では、カリンが腕を組み、半ば呆れた表情で様子を眺めている。
「おい、パパタロー。いいもの買えたかにゃ? お土産は?」
ムニンがぴょんと跳び降りて問いかけると、
カリンが小さく肩をすくめた。
「どうせまた、妙なものを買ってきたんじゃないの?」
「『また』とはなんだ、『また』とは。……まぁ、遠くはない。」
「?」
パパタローは苦笑しつつ、荷物の中から小さな布袋を取り出した。
袋には見覚えのない模様が施されており、それを見た瞬間、ムニンの瞳がきらりと光る。
「ほら、これ。お前に。」
ムニンは袋をキャッチすると、その場で勢いよく開けた。
中には乾燥した小さな実が入っており、ふわりと甘い香りが立ちのぼる。
「にゃ~ん! これ、たまらんにゃ! 最高にゃ!」
次の瞬間には袋ごと抱きしめ、床に転がり始めた。
目をとろんとさせ、袋に顔を擦り付けるその様子は、すでに完全に酔っている。
カリンが険しい表情で袋を覗き込み、眉をひそめた。
「ちょっと待ちなさい、ムニン。それ……もしかしてマタタビじゃないの?」
「んにゃ? マタタビ? なんでもいいにゃ! 最高にゃ~!」
ムニンは袋を離そうとせず、さらに床を転げ回る。
カリンはパパタローに向き直り、呆れた口調で問いただした。
「パパタロー、これどこで買ったの?
どうしてムニンにこんなものを……」
「え? ただの土産だと思って……そこまで深く考えてなかった。」
パパタローはばつが悪そうに頭を掻く。
「正気、失ってるな……。すまん、ここまでとは。」
「にゃはは! 正気なんていらないにゃ! もっとにゃ~!」
ムニンは袋を抱きしめたまま、完全にトリップしていた。
「とりあえず、大暴れする前に取り上げるわよ。」
カリンが袋を引き剥がそうとするが、ムニンは驚くほどの力で抵抗する。
「いや、もう遅いんじゃ。」
ムニンは暴れに暴れていた。
「ムニン、落ち着きなさい!」
「いやにゃ! 絶対渡さないにゃ!」
「きゃー。今?胸触ったぁー」
「ないにゃー」
「触ってないじゃ、ないわよ。。。」
ムニンがちょうど来たカテリーナも胸を指さす。
「ないってそういうことかぁーーー」
「……完全にダメじゃ。」
ルミエルが小さく微笑んだ。
「これも猫族特有の性質というやつかのう。」
そこへカテリーナが現れ、ムニンの異常な様子を一瞥すると、
何事もなかったかのように、きっぱりと言った。
「パパタローさん、お帰りなさいませ。
旦那様が書斎でお待ちです。」
「あ、ああ。でも、ムニンは……」
パパタローが心配そうに振り返ると、
カリンがひらひらと手を振る。
「放っておけば、そのうち落ち着くわ。
酔った猫なんて慣れっこよ。」
「そう?」
パパタローが肩をすくめると、カテリーナは一歩下がり、
恭しく頭を下げた。
「申し訳ありません。旦那様は、パパタロー様お一人をお呼びです。」
「むぅ……仕方ないのう。では妾はここで待つとしよう。」
ルミエルは不満そうに唇を尖らせつつ、
カリンとともに、マタタビに酔い転がるムニンの介抱に回った。
「マタタビばんざい~! みんなで踊るにゃ~!」
「踊りません!!」
「踊らぬ!!」
ムニンの陽気な声を背に、パパタローは書斎へと向かった。
きゃーー。
背後から悲鳴が聞こえたが、振り返らなかった。
【ヴィクター・シルバーハート邸 書斎】
書斎は、壁一面を覆う本棚と古めかしい地球儀、
宝石付きの短剣が並ぶ、荘厳でありながら静かな熱を帯びた空間だった。
中央の椅子にはヴィクター・シルバーハート。
その両脇に、カテリーナとリディアが控えている。
二人とも凛とした面持ちで、主の言葉を待っていた。
「パパタロー君。お呼び立てしてすまない。」
ヴィクターが柔らかな微笑を浮かべると、
パパタローは軽く眉をひそめる。
「何のご用ですか?」
「単刀直入に言おう。――ミラーベール島に同行してほしい。」
「ミラーベール島……?」
パパタローの問いに、ヴィクターは静かに頷いた。
「この島には、“赤く光る森”に関する報告がある。
私はそれを調査する必要があるのだ。」
「……赤く光る森、ね。」
パパタローは腕を組み、わずかに目を細めた。
「市場でも聞きましたよ。
ミラーベールの近くで“赤い森”が現れたって。
ただの漁師の与太話じゃなかったんですか?」
「与太話で済めば良かったのだがな。」
ヴィクターはゆっくりと首を振る。
「報告によれば、森の中心部で
“Λ(ラムダ)紋”の光反応が観測された。
――創造神連合が関わっている可能性がある。」
パパタローの眉が跳ね上がる。
「……創造神連合?
まさか、あの神々の残党が?」
ふと、妹たちのことが脳裏をよぎった。
「断定はできん。
だが、放置すれば取り返しのつかぬ災厄になる。」
ヴィクターは杖の先を軽く床に当て、
乾いた音を響かせる。
「カテリーナとリディアも同行する。
彼女たちは、私の目であり盾だ。」
リディアがにっこりと微笑み、軽く敬礼した。
「危険でも――優雅に参りましょう。」




