進化する欠け
広大な世界には、目に見えぬ力――
**魔素**が満ちている。
それは魔術や魔法の源であり、多くの者に恩恵を与えてきた。
だが近年、その恩恵は徐々に歪み、
各地で不可解な事件を生み始めていた。
魔術師や魔道士が、忽然と姿を消す。
生き残った者の証言は曖昧で、共通するのはただ一つ。
――ゴブリンに襲われたという点だけだった。
「なんだ、これは……」
討伐隊のリーダーは、切り伏せたゴブリンの死骸を前に言葉を失った。
裂けた腹部の奥に、見慣れぬ器官が蠢いていたのだ。
解剖を担当した医師は、震える声で報告した。
ゴブリンの体内には、
魔素吸収器官が形成されている。
外界から魔素を直接取り込み、
それを糧として活動し、増殖する――
しかも、魔素濃度の高い土地では、
異常な速度で繁殖し、群れを形成する性質を持っていた。
それはもはや、従来の魔物の枠を逸脱した存在だった。
「……ここ、嫌な感じがするわね」
魔術師エリンが、足を止めた。
森の奥から、湿った気配が肌を撫でる。
「同感だ。だが……引き返せない」
戦士カルバリンが振り返る。
背後の道は、すでに霧に呑まれ、消えていた。
二人が歩みを進めた瞬間、
茂みが激しく揺れた。
現れたのは、数十体のゴブリン。
そのすべての眼が、赤く光っていた。
「……多すぎる」
エリンは魔力を解放し、数体を吹き飛ばす。
だが倒しても、倒しても、
新たな個体が群れの奥から湧き出てくる。
カルバリンが前衛で剣を振るう間、
ゴブリンたちは不自然な動きを見せていた。
彼女ではない。
後方の――エリンを狙っている。
「……こいつら、エリンに引き寄せられてる……?」
それは本能ではなかった。
魔素の濃い存在を感知し、集中的に捕食する
――進化した行動だった。
逃走の最中、
カルバリンの視界の端で、エリンが立ち止まった。
「エリン!」
振り返った、その瞬間。
エリンは目を開いたまま、こちらを見ていた。
だが、
ゴブリンの群れが幾重にも重なり、
彼女の身体は、その“層”の奥へと引き込まれていく。
最後に見えたのは、
群れの動きに同調し始めた、その輪郭だった。
声は、なかった。
カルバリンは、ただ走った。
振り返らず、
森を抜け、命からがら辿り着いたのは
ルーデン村――
魔素の流れが比較的薄い、辺境の集落だった。
村では、すでに噂が広がっていた。
「魔道士様が……消えたらしい」
「ゴブリンが、森に巣を作ってるって」
「魔素の濃い土地には、もう近づくなって……」
だが、
安全な場所など、もはやどこにもなかった。
その一方で。
森の奥深く、
誰にも見られぬ場所で、
その“進化”を観察する者がいた。
「……予想以上だ」
低く、愉悦を含んだ声。
「環境に適応し、
群れとして知能を獲得し始めている……」
視線は、ゴブリンではなく、
変化そのものを見つめていた。
「これこそ……」
声が、弾む。
「欠陥のある生命が、
どこまで進化できるかの証明だ……!」
笑い声が、闇に反響する。
「欠陥……欠陥……欠陥……!」
そして、狂気を孕んだ宣言。
「――我こそが、欠陥だ」
その笑いは、
森と、群れと、
失われた輪郭の奥へと、静かに染み込んでいった。




