光の祭りへ――影がさざめく市場で
「このまま帰るのは……さみしいのう……」
風に紛れるほど小さな声だった。
パパタローは振り返りかけて、
ルミエルの紅い頬に気づき、そっと笑う。
「ん? 今なんて──」
「い、いや! なんでもないのじゃ!」
だが、その“余韻”のような影を聞き逃したのは、
たぶんカリンだけだった。
「そうだ!」
ルミエルの声が、ぱっと明るく跳ねた。
胸に光を宿すような、無垢な響き。
「五日後、木漏れ日の谷で“光の祭り”がある。
礼も兼ねて、来てくれるかの? 霊杖を忘れずにな」
夕暮れのざわめきの中でも、
その声だけが澄んでまっすぐ届いた。
パパタローは霊杖の柄を握りしめた。
「霊杖……ああ、この杖ですね。わかりました。行きます」
一瞬。
ルミエルの顔に、幼い子どもが安心したような笑みが宿る。
「そうか……ならば門番に話を通しておくぞ。
妾は、お主らが来ると信じておる」
“信じておる”──
その言葉に、カテリーナの瞳が細く揺れる。
「お祭り!? 行く! もう行く!!」
「カリン、小声で……!」
──そしてルミエルはフードを深くかぶり直し、
「では……光の下で、再び会おうぞ」
露のように揺れる気配を残し、人波へ消えた。
(祭りって、腹減るんだよな。
……屋台、あるよな)
────────
「光の祭りってさ! どんなの!? 光ってどれぐらい光るの!?
普通? すごい? 食べ物ある!?」
「質問が多いですわ、カリンさん……」
カテリーナは笑みながらも警戒を緩めない。
「買った食材、保冷魔法とはいえ、急ぎましょう。」
「え~……」
そんな空気を揺らすように、カリンが叫んだ。
「大事なこと忘れた!!」
「何を?」
「ランチしてない!!」
パパタローは乾いた笑いを漏らす。
「今からならディナーだぞ」
「え~……じゃあ今度ね!? 絶対今度!!」
「絶対はない」
「ひどぉーい!!」
──賑やかな帰り道。
しかし、その明るさの端に、ひっそりと“別の色”が滲む。
────────
光の届いているはずの場所なのに、
そこだけ温度が一度、落ちていた。
犬が震え、目をそらす。
子どもが突然泣き出し、母親が抱き寄せる。
──そこに“いた”。
影が凝り、輪郭を持ち、
薄紙が積み重なるように人の形へ変わる。
クレハ。
影の層から溢れた存在。
世界が彼女を“記録すること”を拒み、
落とした影すら彼女の足元で飲まれて消える。
「ヴェルカ様……よろしかったのですか」
距離が測れない。
声だけが脳髄の奥に直接落ちる。
ヴェルカは人波に紛れたまま、
横顔だけで答える。
「焦りは狩りを鈍らせる」
「……では、あえてテリトリーへ誘うと?」
「わが領域には“尾”が眠る。
あれの記憶も心も──
ぜんぶ、わらわの遊戯よ」
影が震える。
クレハは歓喜にも似た静寂で答える。
「御意」
そして薄闇へ溶けた。
────────
「……ふぅ……なんか急に……」
ついさっきまで笑っていたはずなのに、
体温がぐわりと上昇する。
熱が皮膚の下で暴れ、
視界が、波のように揺れる。
「パパタロー!? 大丈夫!?」
くしゅん。
────────
――日が沈みかけた頃、シルバーハート邸の正門。
テリアスは腕を組み、眉間に深い皺を寄せて立っていた。
門扉の向こうから、にぎやかな笑い声と荷車の軋む音が近づいてくる。
「まったく……まるで商隊の帰還ですな。ここは屋敷であって市場ではないというのに……」
その時――
「……待ってください」
列の後方、エレノアが小声で言った。
風の流れが変わり、空気がひりつく。
「ただならぬ気配。……門の向こうです」
全員の足が止まる。
荷車の音も、笑い声も消えた。
「敵?」
ジュリアが腰のベルトに指をかける。
「護衛交代の予定はありませんでしたよね?」とリディア。
「――まさか、屋敷に侵入者?」
カテリーナが短く指示を出そうとした瞬間、
「遅いッ!」
風を切る音。
門が跳ね上がるように開き、
銀の閃光が一陣、メイドたちの目前を掠めた。
その瞬間、リディアが腕を交差して結界を張り、
ジュリアが木箱を蹴り上げ盾代わりに前へ飛び出す。
ヘレンが叫ぶ。「防御陣形――!」
しかし、音は止まない。
光が走り、空気が震えた。
衝撃波が砂埃を巻き上げ、
門前の空間が一瞬だけ白く弾けた。
静寂。
そこに立っていたのは、燕尾服の男――テリアスだった。
手には、銀色のサーベル。
刃先から微かに風の魔力が残光のように揺れている。
「……合格ですな。反応速度、まずまずです」
にこり、と笑うが、その笑みはどこか本気の狂気を孕んでいた。
「テ、テリアス様!? 本気で攻撃を――」
「本気ではありません。手加減です」
リディアの結界の縁が、かすかに焦げていた。
「……手加減でこれ、ですの?」
「ふむ。日々の鍛錬は怠っておらぬようで何より」
テリアスはサーベルを鞘に収め、肩の埃を軽く払う。
「では――帰還報告を受けましょう。お土産は後で確認いたします」
一拍置いて。
「テリアス様っ!」
エリザベスが声を張り上げ、
「これを受け取ってください! “心を鎮めるスイーツ”ですわ!」と、包みを押し付けた。
「鎮め……っ、わわっ!」
マリアが続く。「香りもどうぞ!」
どさっ。
リディア。「薬草茶も併用で安眠に効きますわ!」
どんっ。
ソフィア。「カリン様のリボン柄クッキーですの!」
ぱさっ。
ヘレン。「おまけの祭り飾りも!」
どすんっ。
あっという間に、テリアスの両腕には色とりどりの包みが積み上がっていく。
「待ちなさい、まだ話は――!」
「おかえりなさいの気持ちですわ!」
「日々のお勤めに感謝をこめて!」
「疲れたときは糖分補給が大切ですの!」
右腕、左腕、肩、頭――。
包みは芸術的なバランスで積み上げられ、
テリアスの姿は、ほぼ見えなくなった。
「……貴女方、戦闘ではなく物流戦を仕掛けるとは……」
彼の声だけが、甘い香りの山の中から響いた。
ムニンが肩の上に飛び乗り、にやりと笑う。
「攻撃と献上の境界、それもまた芸術だにゃ」
「……全員、後で反省会です!」
テリアスの一喝が響くと、
広間に笑いと紙袋の音が弾けた。
パパタローが小さく手を上げた。
「……早く寝かせて」
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「魔法は外傷には効く。
でも病には情けないほど効かないのよ」
リディアはポーション瓶を揺らしながら言う。
氷水のように澄んだ声。
額と額をそっと合わせる。
それだけで熱がすっと引くような感覚があった。
「……熱いわね。しばらく絶対安静よ。
エリザベスも見てくれるから安心して」
そして、にやり。
「あと……注射もあるけど、する?」
気がつけば、手には立派な注射器。
パパタローの顔色が、熱とは別の意味で青ざめた。
リディアは、にこり──とだけ笑い、
まるで何でもない日常作業のように親指で空気抜きを“ぴゅっ”と弾いた。
「ききましてわよ、パパタローさん」
「……な、なにを……?」
「女の子と海でイチャイチャしてたとか。
なるほど、昼に“噴水前に戻る約束”なんて……
忘れますわよねぇ?」
リディアの笑みは冷たい。
けれど、その奥にほんの少しの呆れと寂しさが見え隠れしていた。
「そのおかげで、私たちはテリアス様にひどい叱責を受けましたの。
どうしてくれるのかしらね?」
ぼふ、と注射器の先が小さく揺れた。
まるで“逃げ道はありませんわよ”と言わんばかりに。
「ま、まってリディアさん!? 誤解というか、あれは、その──」
「ふふ……誤解でも現行犯でも、注射の量は変わりませんわ」
彼女はすっと立ち上がり、影を落とす。
金髪がふわりと揺れ、白衣の袖口が光を切った。
「では――処方いたしますわね?
反省と熱冷まし、そして、ちょっぴりの懺悔をこめて」
ぴゅっ。
ぎゃああああああああ!!
リディアは軽く目を閉じ、満足げに微笑んだ。
「はい、いい子ですわ。
痛みはすぐに和らぎますよ」
――その言葉の響きが、
本当に優しかったからこそ、余計に怖かった。




