剣と商い
パパタローがヒッポグリフ牧場へ向かった昼下がり、
カリンはヴィクターとの昼食を終え、再びクラウスに呼ばれて書斎へ向かっていた。
朝の稽古で交わした言葉が、どうしても頭から離れない。
――「王都の前線には出したくない」。
そう言って差し出された手の、確かな温かさ。
(あの人……どういう意味で言ったんだろう)
書斎に入ると、クラウスは朝の軽装とは違い、
銀のフリルが施された上品なベストを纏い、丸眼鏡をかけていた。
机の上に並ぶのは、古い魔導書ではなく、分厚い計算書とこの世界の地図。
「お待たせしました、カリンさん。午後のレッスンを始めましょう」
柔らかな微笑み。
だがその瞳には、朝の剣士とは異なる、すべてを見通す静謐な光が宿っている。
「あの……剣の稽古じゃないんですか?」
「ええ。剣術は朝の楽しみに取っておきましょう。
午後は、このシルバーハート家を支える――別の戦いです」
クラウスは地図上の都市を、指でなぞった。
「私の本業は、ヴィクター卿の財務顧問であり、
この家の再建責任者です。
剣は守るために振るわれますが、
守るべきものは、時に金銭や情報であることも多い」
「……商い、ですか?」
「はい。
君の叔父君、パパタロー・R・シルバーハート殿の魔力は、
素晴らしい生命力の具現化です。
同時に、それは制御を誤れば――
エネルギーの暴風にもなり得る」
差し出された計算書には、現実的な数字が並んでいた。
「警備費、屋敷の維持費、魔物被害の保険料……
特に、先日の玄関ホール破壊事件の修繕費は、
金庫を大きく揺るがしました」
カリンは思わず息を呑む。
朝の稽古で感じた高揚が、現実の重さに引き戻される。
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありません。君のせいではない。
しかし――君は、パパタロー殿を守る側の人間です」
クラウスは、まっすぐにカリンを見た。
「守るには力だけでなく、基盤が要る。
君の魔力が『絆』を形にする力なら、
君の剣と頭脳は、その絆を維持する土台になるべきです」
「……私が、稼ぐ?」
「はい。
君の目的は、魔力暴走がもたらす未来の損害を、
この世界で補填すること。
まずは戦技院の商業部門で、
貨幣経済と資金の流れを学んでもらいます」
カリンの胸に、新たな決意が灯った。
「わかりました。……私、やります」
翌朝。
カリンは夜明けと同時に中庭へ立っていた。
「おはようございます、クラウスさん!」
「おはよう。では、始めましょう」
今日の稽古は、商いのための剣。
「剣も商いも、本質は同じです。
間合い、流れ、そして静寂。
相手が何を求め、次にどう動くか――それを読む」
木剣が交わる。
カリンは受け流しながら、技ではなく、相手の“意図”を読む。
(前に出ろ、という圧……それとも、まだ待て?)
「前線には出したくない」
あの時の伏せられた目元が、剣先に影を落とす。
(……もっと、傍にいたい)
その一瞬の感情が、剣に波紋を生んだ。
チリン――
澄んだ音とともに、右手の甲の狐の印が白金色に輝く。
(踏み込みは鋭い。
重心は左に寄り、次は必ず――)
数値にするな、と心で戒める。
だが、思考は止まらない。
剣の動きが、流れの予測へと変換される。
カリンは一歩踏み込み、クラウスの剣を側面から弾いた。
カーン。
木剣が芝生に落ちる。
「……見事です」
クラウスは微笑み、光る印に視線を向けた。
「その剣には、知性が乗っていた。
君の成長が、私の静寂に重なった」
剣も、商いも、本質は同じ。
その言葉が、カリンの胸に深く沈む。
(パパタローのために稼ぐ。
それが、私の役割)
胸に灯った熱は、やがて
憧れと、名付けられない“守りたい”という感情へと変わっていった。
その日の稽古が終わり、
木剣を片付けていると、クラウスがふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、忘れるところでした」
カリンは顔を上げる。
「戦技院の商業部門ですが――
七日後、基礎認定試験があります」
「……試験?」
「ええ。形式ばった筆記ではありません。
むしろ、“向いているかどうか”を見るためのものです」
クラウスは芝生に落ちていた小石を拾い、指先で転がした。
「知識よりも、判断。
利益よりも、責任。
そして――失敗したとき、どう振る舞うか」
カリンは、思わず背筋を正した。
「合格できなければ……?」
「入れません。
商業部門は、剣よりも多くの人を傷つけられる場所ですから」
その声音には、冗談の色はない。
「試験内容は三つ。
契約の読み解き、交渉の場での選択、
そして――意図的に用意された“失敗”です」
「失敗……?」
「ええ。必ず失敗します」
クラウスは、穏やかに断言した。
「そこで、誰の損を引き受けるか。
それが、最後の評価になります」
カリンの胸に、昼間の計算書の数字がよみがえる。
警備費、修繕費、保険料。
そして――パパタローの無自覚な“暴風”。
(……守るって、こういうことなんだ)
「七日間、私が基礎を見ます。
商慣習、貨幣価値、契約書の罠。
そして――君自身の癖も」
「癖?」
「剣で言えば、“踏み込みが早い”。
商いで言えば、“自分が傷を負えば済むと思ってしまう”」
図星だった。
クラウスは、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「ですが、それは欠点ではありません。
制御できれば、武器になります」
カリンは、深く息を吸い、はっきりと頷いた。
「……やります。
七日間、全部ください」
「結構」
クラウスは満足そうに笑った。
「では、明日からです。
剣は朝。
午後は――数字と人間の欲を相手にしましょう」
その背中を見送りながら、カリンは拳を握る。
(パパタロー。
私、ちゃんと“稼ぐ側”になるから)
七日後。
彼女はまだ知らない。
その試験が、
彼女自身の価値観を壊し、鍛え直す場になることを。
――剣と商い。
その両方を持つ者として。
※戦技院の商業部門:
戦う者が、食い物にされないための実務機関」です。
剣と魔法を教えるだけの戦技院では、世界は回りません。
戦えば、必ず金が動き、契約が生まれ、責任が発生する。
その裏側を扱うのが、商業部門です。
この世界では、
戦闘=国家事業
魔物討伐=公共インフラ
傭兵・戦闘民族=準公務員
にもかかわらず、多くの戦士は契約書が読めない報酬の妥当性を知らない戦後補償を要求できない。
結果、強い者ほど、搾取されやすい。それを是正するために生まれたのが、戦技院の商業部門なのです。
商業部門で教えること。
1. 契約と報酬の読み方
傭兵契約の条文
成果報酬と固定報酬の違い
「成功条件」の罠
2. 魔力と資産の関係
魔力=消耗資産
治癒・回復の原価計算
魔力暴走=将来損失
3. 戦後処理と補填
装備損耗の請求
負傷時の補償基準
戦死・後遺症の責任所在
4. 情報戦と商圏
魔物被害マップ
需要が発生する地域
国家と貴族の思惑




