白猫は悪夢を味わう
――夜は、時に“誰かの腹を満たすため”に悪夢を紡ぐ。
ゴブリンに追い詰められたカリンが、絶望の淵に突き落とされた。
逃げ場を失う。
周囲には血の海が広がり、暗闇が彼女を包み込むとゴブリンの群れがカリンに被さった。
「やめろ!」
カリンは絶望の中で叫んでいた。彼女は手に持っていたナイフを使ってゴブリンに立ち向かおうとするが、抵抗空しく、彼女はめった刺しにされ、光が目から消え、瞳孔は鈍くなり、やがて呼吸が止まった…。
絶望の叫びは闇に吸い込まれ、静寂が広がった。
ゴブリンは彼女を見下し、動かなくなった体を楽しむように舌なめずりし、楽しむように甲高い声で笑った。
カリンの体温が遠くに行ってしまった。
「行くな。カリン!あーーーー!」パパタローは声にならない声で泣き叫んだ。
ゴブリンの視界にパパタローが入った。今度はパパタローの番だった。奴は右目を抉ったのだ。
「ギャー」
パパタローは右目を抑え、地面に膝をつく。目からの血が流れ落ち、頭は激しい痛みでぐらつき、左目がぼやけていた。ゴブリンたちは彼の苦しみを満足そうに笑い、舐め回した。
「ぐ…うぅ…うわぁぁぁぁぁ!!」
「ああ、夢か……良かった……」
全身に残る違和感を引きずるように、パパタローは薄く目を開けた。
誰かの声が聞こえる。誰かに似ているとか、似ていないとか――そんな断片的な言葉が耳に残っていた。
(……にしても、なんか顔が……重い?)
「ぷはぁっ!!」
勢いよく上体を起こすと、顔の上に白猫がぺたんと乗っていた。
それも、重力に逆らってその場に居座っていたかのように、堂々と。
「……すいませーん。顔の上の猫さん。降りてもらえますか?」
呼びかけに応じて、猫はするりと滑り落ち、パパタローの膝の上で丸くなる。
「なんだこれ……顔がベトベトだ……汗? ……いや、舐め回されたな……」
「みゃあ~」
白猫は満足そうに鳴き、パパタローの顔を覗き込む。
もふもふの感触が妙に落ち着く。撫でていると、どこかで感じたことのない癒やしが広がった。
(……悪夢のあとって、もっと嫌な気分になるかと思ったけど。なんかスッキリしてるなぁ)
ふと、自分の手に目を落とす。
違和感がある。サイズは変わっていないが、確実に何かが違う――
「なんで体が小さくなったんだろう?」
「あーーー。誰だ。これ?」
視線を巡らせ、窓際の壁に掛かった楕円形の鏡に目が留まった。
そこに映るのは――パタローと同じく銀髪に、強い光を宿した金色の瞳をもつ、見覚えのない美少年。
「……似てる、俺と……カリンに? 特にこの金色の目、変だと思ってたけど……」
「……うわー。カラコンかこれ?」
顔を近づけ、変顔、豚鼻、怪物くんの真似……あらゆる角度からチェックする。
「……誰だ。」
つねってみる。痛い。つまり夢ではない。
(まぁ……かっこいいといえば、かっこいい……か?)
ニヤついてはっと我に返る。
(……やっぱ自分だな。なんか疲れる)
そんなひとり芝居の最中――
ベッドの端にいた白猫がじっと見上げ、首を傾げた。
「にゃぁ?」
「かわいいなぁ……!」
パパタローはもふもふの白猫に顔をすりすり。思わず笑みがこぼれる。
ベッドの端に腰を掛けたまま、周囲をぼんやりと見渡す。
そういえば、客室で気を失ったように眠ってしまったのだった。
窓から流れ込む風が、カーテンを優しく揺らしている。
そのとき――
(あれ……?)
壁の正面に、並んだ二つの小さな額縁が目に入った。
描かれていたのは、金髪碧眼の少年と少女――
「……あ」
立ち上がり、そっと近づいて覗き込む。
年の離れた兄妹か、あるいは双子のようにも見える。
「……似てる、俺と……カリンに?」
不意に、背後から聞き慣れぬ声。
「にてるにゃー」
振り返ると、窓辺の影から白くふわりとした毛並みの小さな猫が姿を現し、のそのそと歩いてきた。
「えっ、喋った?」
「とくに目つきが、リーナとそっくりにゃ」
猫は前足で少女の肖像画をちょいちょいと指し示しながら言った。
「リーナ?誰?」
猫はそれ以上語らず、しっぽを揺らして窓辺へと歩き出した。
壁を四つ足で軽やかに歩き、開け放たれた窓の縁にちょこんと座る。
「にゃあ!」
一鳴きして外に向かって叫んだ。
「カタリーにゃあ! 客人が起きたにゃ!」
そう叫んだ白猫は、窓際で堂々と毛づくろいを始めた。
パパタローは、しばらく呆然とその姿を見つめていたが――やがて眉がひくつく。
「……やっぱり?猫が喋ってる!?」
「喋ったにゃ」
「猫が……?」
「失礼にゃ。猫風情と思って侮ると火傷するにゃ」
「吾輩はこの館の良識と品格を担う知恵と毛玉の化身――ムニンにゃ!猫ではなく“ムニン・ソクラテス”にゃ!」
ムニンは胸を張り、誇らしげに名乗った。
「いや、どう見ても猫だろ!?」
「にゃんと失敬にゃ!本来の姿はもっとこう……神秘と伝統が融合した感じの!」
パパタローは頭を押さえながら呟く。
「何これ……普通に喋るし壁も歩くし……」
ムニンは得意げに答えた。
「この世界では、人語を解する動物も珍しくないにゃ。
“にゃ”は語尾じゃなく、信念にゃ。礼儀にゃ。美学にゃ」
「……なんだそのスタンスは」
パパタローはベッドにへたり込み、ぼやいた。
「異世界って、ツッコミが追いつかない……」
「今、行きますわー。」
ムニンの呼びかけに外から女性の声が応えた。
しばらくして客室の扉が静かに開き、カタリーナが入って来る。
彼女は昨夜の戦闘時とは異なり、清楚で落ち着いたメイド姿。白く繊細なエプロンドレスに身を包み、凛々しい武闘者の面影はすっかり消え、柔らかな微笑みを浮かべていた。
パパタローの足元にいたムニンは、カタリーナの姿を見るや、嬉しそうに尻尾を振りながら近づき、彼女の足に片足を置き、まるで螺旋階段を登るかのように背中を歩き始める。
顔の横に来ると、ムニンは自分の顔を出し、頬擦りした。
「ムニン、くすぐったいですわよ。」
ムニンの足元には、じわっとした波動が広がり、まるで淡い光の魔法陣が浮かんでいるようだった。
(ん~?あれは何だろう?)
「おはようございます、太郎さん。ご気分はいかがですか?」
「…え?あ。えっと。良いと思います。」
ムニンの空中歩行に気を取られていたせいで、返事が少し遅れる。
「よかった。」
「?なんだか昨日より少し大きくなったように…」
「そう見えますか?」
「見えませんね。」
「昨夜、抱きかかえた時はなんてミルキーな香りで癒やされましたわ。」
「ははは…そうなんですね。匂いフェチとか?」
「私は加齢臭も大丈夫ですのよ!」
「ははは」
(実年齢でも加齢臭はなかったから大丈夫!)
ムニンがにゃ~と鳴いた。
「もちろんムニンのもふもふの香りも好きですわ!」
「カタリ~ニャァ~。僕も好きだにゃ~。」
カタリーナはムニンを優しく抱き上げ、くんくんと匂いを嗅いだ。
二人(?)のその光景は、いちゃつく恋人たちにも、飼い主と飼い猫のようにも見えた。
「そうそう、私はカタリーナ・アルベルトです。昨夜は自己紹介どころじゃなかったですわね。」
「私は白洲花太郎です。昨日はありがとうございました。大きなハンマー、凄いですね。」
「あれは父の形見のウォーハンマーなの。持ってみます? きっと持てないわよ。」
「はぁ…」
「じゃぁ。僕も改めて名乗っちゃうにゃ!タロっち。さっきからいる僕はムニン・ソクラテスだにゃ。人の顔の上で寝ながら哲学を考察するのが趣味なのにゃ。
まぁ、誰でも良いということじゃないにゃ。でもタロっちの、あまりに濃すぎて『幸せ』にすら見える悪夢と、そこから**だだもれしている蜜のような香り(魔力)**を味わい、※自分が何も知らないことを知ったにゃぁ。まさに今、無知であることを知ったにゃ。」
「タロっち?」
「ムニン、いけませんよ。また意地悪なことを言ってるのね。※自分自身の目で見て、自分自身の心で感じる人は、とても少ないんですよ。」
パパタローはその言葉の意味を考え込んだが、何だかよく分からなかった。
「パパタローさん。このムニンは悪夢を食べてくれるのですわ。ムニンは悪夢を食べる存在でありながら、それを軽んじるわけではなく、悪夢がもたらす影響を深く理解しているのですのよ。」
カタリーナが優しく説明を続ける。
「悪夢を通じて人が直面する恐怖や苦しみは、一種の『現実』と言えるわ。ムニンにとって、それらを消化し魔力に変換する行為は、現実の苦しみを昇華させる、一種の哲学的なプロセスなのですわ。」
「そうなんですか。顔が舐め回されてベタベタだったのは、悪夢を食べていたんですね。そうとは知らず……」
「…いやぁ。これも無知の味さ!」
ムニンはバツが悪そうに目をそらし、てへっと笑った。
「ムニン!また、やったの?」
「てへっ」
パパタローは呆れつつも、その無邪気な表情に少し和んだ。
「…」
どうやら、ただ舐め回しただけのようだった。
「ところで…ムニンさんは?」
「堅苦しいからムニンでいいよ。これから長い付き合いになりそうだしねっ」
「ムニンは会話もするし、壁も歩いてるけど、ここの猫はみんなそうなの?」
「ううん、普通の猫は普通の猫よ。ムニンちゃんは特別なの。夢喰い白猫の一族で、食べた悪夢は魔力に変わるの」
「そうなのにゃ。パパタローの溢れ出る悪夢は質が良かったから、いただいた魔力が溜まりまくって、壁まで歩けるようになったよ。僕もびっくりだにゃ」
「はぁ?溢れでる魔力?ですか?」
「ところでカリンはどこに?」と、パパタローは魔力の話には気を取られず、真っ先に彼女の行方を尋ねた。
「心配いりませんわ。ほら、聞こえるでしょう?」
カタリーナはすっと外に続くドア窓へと歩み寄り、指を静かに外へ向けた。
すると、外からは明確な音が響いた。
『ブンッ!カンッ!ブン!』
鋭い剣の斬撃音が連続し、続けざまに力強い掛け声が飛ぶ。
「はっ!」
「うりゃっ!」
すると、外からは明確な音が響いた。
『ブンッ!カンッ!ブン!』 鋭い剣の斬撃音が連続し、続けざまに力強い掛け声が飛ぶ。
「はっ!」 「うりゃっ!」
その瞬間、カテリーナの背筋に緊張が走るのが見て取れた。そして、その目に一瞬、青年の姿を見つめる、複雑な感情が宿った。(青年とカリンの関係性の深さを予感させる)




