朝庭、銀の少女は静寂に揺れる
朝の光が窓から柔らかく差し込み、カリンはゆっくりと目を覚ました。
ベッドから出ようとした瞬間、すぐに気がつく。
――服を着てない!
もともと16歳だったのに、昨日は2歳に戻り、今は10歳くらいの姿になっている。
髪は銀色だし…。
心の中は混乱でいっぱいだった。どうして私がこんな目に?
戸惑い、不安、そして何より、これからどうすればいいのか分からない焦り。
「それより……どうしよう、服がないわ……」
その時、パパタローの顔の上で丸まっていた白い猫が、頭をもたげてカリンを見ると、パパタローの顔からするりと降り、器用にドアを開けて出て行った。
「……?」
さすがに裸でうろつくわけにもいかないし……。
シーツでも巻こうかしら、と思ったその時だった。
間もなく、猫が案内するように戻ってきて、その後ろからカテリーナが静かに現れた。
「おはようございます、カリンさん。衣装をお持ちしましたわ」
畳まれた衣装をそっと差し出される。
その瞬間、世界が少しだけ穏やかになったような気がした。
「ありがとう。ここは……どこ?」
カリンの問いに、カテリーナは優しく微笑みながら答えず、代わりにこう言った。
「少し散歩でもされてみてはいかがですか?」
外に出ると、朝の澄んだ空気が肌を包み込み、足元には朝露に濡れた芝が広がっていた。
その中央に、一本の木剣が静かに佇んでいた。
「……よし」
カリンはそっと歩み寄り、庭の中央に立つ。
裸足の足裏に、ひんやりとした草の感触が伝わる。
深く息を吸い込む。
澄んだ空気が肺の奥まで届き、心を浄化するようだった。
ゆっくりと吐き出し、肩の力を抜く。
姿勢を正し、背筋を伸ばす。
足を肩幅に開き、つま先をやや内側へ。
両手は自然に体の側へ添わせ、意識を丹田へと落とす。
呼吸に合わせて、心を静めていく。
混乱も不安も、過去の後悔も、未来への怯えも――
すべてを「今」の一呼吸に溶かしていく。
「一礼」
小さく頭を下げる。
それは敵への礼でも、他者への媚びでもない。
――己と、今この場に立てることへの感謝の礼。
そして、構え。
左足を半歩引き、右足をやや前へ。
腰を落とし、両手で木剣を自然体に構える。
「はじめ」
小さく呟いて、一歩を踏み出す。
呼吸とともに、型の一手一手が流れるように紡がれていく。
1、2、3、4、5――
動きに集中するほどに、乱れていた心が少しずつ整っていくのがわかった。
身体が自然と呼吸と一体になり、余計な思考が遠ざかっていく。
不安や戸惑い、そして焦りすらも忘れ、ただ今この瞬間の動きだけに身を委ねていく。
鍛錬とは、私にとって戦うためだけのものじゃない。
心を鎮め、己を知り、そして――前へ進むための術。
カリンが最後の一手を打ち終え、そっと息を吐いたその時だった。
ふと、視線を感じて振り返る。
朝光に縁どられたシルエットが目に映った。
そこに立っていたのは、背の高い青年だった。
白いシャツの袖を軽くまくり、黒のズボンは動きやすい仕立て。 だが、軽装のはずなのに纏う空気は凪いだ湖面のように静かで、**パパタローから溢れ出す熱と光とは対極にある、静謐な『何か』**を秘めていた。
その瞳は金色にきらめき、まるで心の奥まで見透かすかのようだった。
風がふと流れると、彼の前髪が揺れ、
その横顔の整った輪郭が朝日に照らされる。
「変わった剣ですね」
低く、澄んだ声。
その声音は敵意でもなく無関心でもなく、
ただ純粋な“観察者”の響きを帯びていた。
カリンは一瞬だけ、体の奥深く、丹田のあたりから、何かがふわっと揺らぎ、胸の中へくすぐったくなるような感覚を覚えた。
(きれいな人……だけど、パパタローとは、全く違う種類の…)
頬がほんのり熱くなったのは、木剣を振っていたせい――そう言い訳しようとしたが、この未体験の感覚が、心のどこかで分からせていた。
「……驚かせてしまいましたか」
青年は少しだけ申し訳なさそうに眉を和らげると、
視線をカリンの木剣と足運びへと戻した。
「いえ、その……」
カリンは木剣を胸の前で抱え直し、言葉を探す。
青年は、今度は少しだけ興味をにじませて口を開いた。
「“変わった剣筋”ですね。
切り結ぶ気配が希薄で……それでいて、芯がぶれていない」
その言葉に、カリンの心臓がどくんと跳ねた。
青年は、ふっと口元だけで微笑んだ。
「よろしければ――その剣、少しだけ“受けさせて”もらえますか」
そう告げられた瞬間、カリンの朝は、鍛錬から“試合”へと静かに姿を変えた。
そして、その一言は、カリンの未来を、そして彼女の内に秘められた運命を決定づける、最初の合図でもあった。




