幻影、メイドは夢に微笑む
闇の中から、ゆっくりと姿を現した男がいた。
白髪の初老の紳士。
銀灰の短髪はきっちり整えられ、
鋼鉄のように冷たい灰色の瞳だけが静かに光を宿している。
その男は、車から這い出た二人を見た瞬間――
凍りついたように目を見開いた。
「……レオンハルト、リーナ!?」
まるで時間が逆流したかのように、
衝動的に両腕を広げ、
ふたりを抱きしめる。
パパタローとカリンは固まった。
「?」
「助けていただきありがとうございます。白洲花太郎と、こちらが凛です。」
名を名乗った瞬間、紳士の表情に
悲しみと理解が同時に浮かんだ。
「……そうか。すまんな。」
その声音は深い海のように落ち着き、
どこか寂しげだった。
「先程の声の方ですか?」
パパタローが恐る恐る訊ねる。
「うむ。この領地を治めている
ヴィクター・シルバーハートと申す。
我が敷地で魔物が出現してしまい……大変申し訳ない。」
そう言ったところへ、リディアが姿を見せた。
そして一目見るなり――
「坊っちゃん……? お嬢様……?」
声が震え、次の瞬間には駆け寄っていた。
細い腕で二人をぎゅっと抱きしめ、
堪えていた感情が一気に溢れ出す。
「ご無事で……本当によかったですわ……っ」
肩を震わせ泣き崩れるリディア。
パパタローとカリンは完全に困惑するしかない。
「ち、違いますよ!?ほんとに!」
ヴィクターは冷静に双方を見比べると、
鋭い目を細めた。
「頭の傷が……血が出ている。すぐ手当を。リディア!」
「はい、畏まりました。」
リディアがパパタローの頭をそっと確認する――
だが、そこには傷がない。
「……あれ?痛くない?」
パパタローはその場でぴょんぴょん跳ねる。
カリンも真似してぴょんぴょん。
「……気のせいでしょうか。怪我は無いですわ。」
リディアが振り返るが、
衣服に付着した血だけが厳然と残っている。
ヴィクターはわずかに目を細めた。
見間違いか……?
だが、確かに血が……。
「とにかく、今日はさぞお疲れであろう。」
ヴィクターが深く息をついた。
「我が屋敷に泊まっていきなさい。
身も心も、休める時に休むのが肝要だ。」
その隣でリディアが優雅に一礼し、
穏やかに手を差し伸べる。
「本当ですか!?ありがとうございますっ!」
カリンは飛び跳ねる勢いで喜んだ。
「ありがとうございます……助かります。」
パパタローも深々と頭を下げる。
「やったなカリン……地獄で仏だあ……」
「うん……ほんとに……」
ヴィクターは小さく首をかしげた。
仏……?妙な言い回しだな。
キョエーー!!
突然のノリシオの声に、
パパタロー達はビクッと肩を震わせた。
「安心なされよ。ここは結界の内だ。」
「よかったぁ……!」
ヴィクターは空で舞うノリシオを見上げ、
パパタローへ視線を向けた。
「あれは……従魔か?」
「はい……そう、みたいです。」
「そうみたいとは?」
「えっと、気づいたら車の中にいて、
頭をこついてきて……名前を付けたら、魔法陣が出てきて……」
「なるほど、従魔契約だな。」
「ありがとうノリシオ~助かった~!」
カリンが手を振ると、
キョエ~♡
まるで返事をするように鳴き、
再び夜空へ舞い上がった。
ヴィクターは小さく笑った。
「従魔に感謝か……気づかされるものがあるな。」
パパタローは首をかしげるだけだった。
「その……車というのは、あの乗り物のことか?」
「はい!新型★レットです!!」
パパタローの目が輝いたが――
ボロボロになった愛車を見て絶望した。
「俺の……くるまぁ……ローンがぁぁ……」
カリンは欠伸をしていた。
ヴィクターは苦笑した。
「すまないな。疲れていよう。 詳しい話は明日伺おう。」
パパタローは、ふと背後で崩れかかった玄関ホールに目を向けた。
「あ、あのっ……! その……車だけでなく、玄関ホールを壊してしまって、本当に申し訳ありませんでした! 必ず、弁償いたしますので……!」
パパタローは頭を下げる。 その声は幼いながらも真剣で、ヴィクターは静かに微笑んだ。
「そのことなら、気にするな。結界の設計に問題があった。何より、君たちの命が無事で良かった。詳しい話は明日だ」
暗闇からひっそりとカテリーナが戻ってきた。
血糊をまとった巨大ハンマーを軽々持ち上げ、 ひと回しして血を飛ばすと、 背中のアタッチメントにカチリと装着する。
戦闘用の防具が、月明かりに淡く光った。
「カテリーナ、子たちの案内を頼む。
私は念のため見回ってくる。」
「かしこまりました、御主人様。」
二人を見送ると、
カテリーナは優しく微笑んだ。
「ヴィクター様のメイド、
カテリーナと申します。」
疲れ切った二人は、
「カテリーナさん……」と小さな声で返すのが精一杯。
「失礼いたしますね。」
カテリーナは軽やかにふたりを抱き上げた。
その胸の温もりと優しい香り。
ふわっと包まれる安心感。
運ばれる途中、
パパタローもカリンも眠りに落ちた。
「まあ……小さい……よく頑張りましたね……」
カテリーナは幸せそうに微笑むと、
客室のベッドへそっと寝かせ、毛布を掛けた。
そして、静かに寄り添う。
銀髪の頭を優しく撫でながら、
ぽつりと呟く。
銀髪の頭を優しく撫でながら、ぽつりと呟く。
「……ああ。お二人がこの世界に来ることは、運命で定められていましたわ。私が、永遠にお仕えする運命ですもの。」
「……お二人を思い出してしまいましたわ。おかえりなさい、レオンハルト坊っちゃん……リーナお嬢様……」 潤んだ瞳に月光が落ちる。
その切なく温かい光景を――
窓の外の木の枝から、ノリシオがじっと見守っていた。




