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第三話 かつてない脅威
バーのカウンターを挟んで、ミスター・バナグラスとハルトが話し合っている。シュートは二人を眺めながら、考えていた。なんとかして、ハルトの大切なひとであるエリザという子を、助け出したいし、ハルトの力になりたい。だが、ハルトは一人で来いと言われているらしい。
シュートは舌を舐めたあと、口を開いた。その場で思いついた、子どもでも閃くような簡単なアイディアだが、言わないよりはマシだろう。
「あの……、ミスター・バナグラス、やっぱり、エリザの存在を考えるとハルトを一人で行かせる方が良いし、彼もそれを望んでる。けれど、俺もハルトのことが心配です。
だから、バレないように、ミスター・バナグラスと俺は離れてついていき、隙を見て参戦するのはどうでしょうか」
ミスター・バナグラスは、ゆっくり頷いてくれた。
「確かにな。俺らもこっそりついて行って、奇襲的にハルトの手助けをするのが理想だ。問題はどうやってバレずにハルトの後をつけるかだ」
そう言ったあと、ミスター・バナグラスは頭に右手を置いた。片手で、頭を抱えるように。最初は、作戦を考えてくれているかのように見えた。だが、五秒、十秒、十五秒……、やけに長い間、頭に手を置いている。
やがて彼は、左手をカウンターについて、うな垂れた。
「うっ……」
「父さん!」
ハルトが目を見開いた。シュートも驚いて、声をかけた。
「どうしたんです、ミスター・バナグラス」
彼は考えていたのではなく、頭痛か何かを感じて、頭を押さえていたのだった。ミスター・バナグラスは気分が悪そうな、喉に何かがつっかえているような声で喋り始める。
「うう……。町にハザードが現れた。誰かが変身したんだ」
ミスター・バナグラスは、シュートやハルトより広範囲のサーチパワーをもっている。だから、彼だけがその存在を捉えたようだ。
「もしかして、ナインか誰か?」
シュートが聞く。
「いや、ナインがエリザを捕えて待ち構えているとしたら、今変身したやつはナインじゃない。ボウルスタジアムとは、真逆の方面だ。クソ、こんなときに、別のハザードが現れた。おそらく、山のふもとのあたりだ。幸い、人は少なそうだが。
うっ、それにしても何だこの脳波は……。吐き気を催すような、禍々しい脳波だ。かつて、こんな脳波を感じたことはない」
いったい、何が起こっているというのだろう。三人に不安感が漂う中、その答えの一端を示すように、シュートのスマホが鳴った。見ると、ルーリーからの着信である。シュートはミスター・バナグラスの方を見た。
「ルーリーからです」
「おう、電話に出てくれ。きっと重大な情報な気がする」
「はい」
シュートはそう言って、スマホを耳に当てた。
「もしもし、シュートです」
「シュート君! 通報があったわ、おそらくハザードの事件よ!」
「なに? 聞かせてくれ」
「山のふもとの方で、異形の動物が現れて、近隣の人々を襲っているらしいの!」
山のふもと……。おそらく、ミスター・バナグラスが察知したハザードと同じやつだ。
「分かった。今すぐ向かう! ミスター・バナグラスも、今一緒にいるんだ。サーチパワーで大体の場所を察知したみたいだ」
「うん、お願いするわ。私もパトカーで向かう」
「分かった。気を付けてくるんだよ」
電話を切りかけたところ、ミスター・バナグラスが話しかけてきた。
「ちょ、ちょっと待て。分かる範囲で、そのハザードの見た目を教えてほしい」
「は、はい。聞いてみます」シュートはそう言って、ルーリーに話しかけた。「ルーリー、最後に一つ聞きたいんだけど、その異形の見た目は分かる? 分かる範囲で教えてくれないか」
「うん。通報されたときに詳しく聞いたんだけど、下半身は足が四本生えてトカゲみたいで、上半身は魚のうろこみたいなのに包まれてて、背中からは太いトゲみたいなのが何本か、顔は人間の女性に近くて、身長が四メートルくらいあるって……。いくらハザードでも、そんなバケモノ、いるのかしら」
「……」
想像するだけでも吐きそうだったので、シュートは絶句した。すると、ミスター・バナグラスが、あたかも電話の内容を聞いていたかのように返事をした。
「でも、俺が脳波を感じたのは確かだ。そんな禍々しい見た目なら、この気持ち悪い脳波にも納得できる。ウッ……ちょっと失礼! もう電話切っていいから!」
ミスター・バナグラスはそう言うと、カウンターの奥の方の流し台へ行って頭を下げ、そのあと……彼が何をしたか、言わなくても分かるだろう。
シュートは、電話越しのルーリーに話しかけた。
「いろいろありがとう! 一旦電話を切るよ」
「うん、またね」
そう言って、電話は切られた。
ミスター・バナグラスが、口を拭いながらカウンターへ戻ってきた。
シュートはどうするか。できればハルトの手助けをしたかったが、事情が変わってしまった。たったいま、謎のハザードが暴れ、人を襲っている。だったら、シュートの答えは決まっていた。
「すみません、ミスター・バナグラスが察知した通り、山のふもとにハザードが現れたみたいです。通報があったらしく、ルーリーから電話がありました。俺はそっちへ向かいます」
シュートは続けて、ハルトの方を向いた。
「ハルト、ごめんよ」
「いいんだ」
「ミスター・バナグラス、電話の内容が聞こえてたんですか?」
さっき、彼は電話越しのルーリーの話が聞こえていたかのような返事をした。
「ああ、そうだよ。以前も言ったが、俺は耳が良い。人間態でも、電話の声や内緒話くらいは簡単に聞き取れる。だいたいの事情は把握したよ」
「父さん。父さんはシュートと一緒に行ってあげてよ。俺はやっぱり、一人で行くよ」
ハルトがそう言った。
「……」
ミスター・バナグラスは、黙っている。怒っているのではなく、何を言えば良いか、分からないという感じだ。ハルトは続けた。
「大丈夫。信じて。父さんとシュートも気を付けてね。もう、戦いに行かなければならない時間だ」
ハルトはそう言うと、椅子から降り、駆け出した。そして、バーの扉を開けた。
「おいハルト!」
ミスター・バナグラスがハルトを呼ぶ。
「はい」
「背中を向けていいのは壁だけだぞ」
「分かってるよ。ハルト、変身!」
一瞬振り向いたハルトは再び前を見て、スパイダータイプのハザードへ変身した。コバルトブルーの皮膚に全身を包まれた姿になり、夜の町へ飛び出していった。
「はあ、無鉄砲な息子だ」
彼はそう言いながら、カウンターから出てきた。シュートも立ち上がり、ミスター・バナグラスのそばへ立った。
ミスター・バナグラスが口を開いた。
「俺たちなら、乗り物に乗るより変身して移動した方が早いかもな。俺は、ジャンプして家の屋根を飛び越えながらまっすぐ向かうよ。シュートは空を飛んで、俺のあとについて来れそうか?」
「はい」
「よし、なら決まりだ」
ミスター・バナグラスはそう言って、店を出ようと歩き始めた。シュートもそのあとに続く。バーを出る前、ミスター・バナグラスは振り返って、奥の天井近くに飾ってある銀光りの剣を見た。柄には白鳥の翼のようなデザインが模してある。
何かを思い出し、自然と口が動き出したかのように、彼は言った。
「ああ、ジャンヌがいてくれれば……ああ。彼女こそが、最強のハザードだった。どんな事件があっても、俺たちを救ってくれた」
バーを出た二人は、早速変身した。
「シュート、変身!」
「ソラト変身」
シュートの体は頑丈な皮膚に包まれ、背中から巨大な羽が出現した。ミスター・バナグラスは少し背が伸び、全身を白い毛に覆われ、肩まで垂れる巨大な耳が出現した。
「シュート、こっちだ」
ミスター・バナグラスはそう言うと、三〇メートル以上と思われるほど遠くへジャンプし、民家の屋根へ飛び乗った。シュートは巨大な羽を羽ばたかせ、ミスター・バナグラスの後へ続いた。
ミスター・バナグラスは民家の屋根をジャンプで伝いながら移動し、シュートはその少し後ろを、低空飛行でついていった。シュートは、通り過ぎていく民家を眺めた。窓の向こうに、町の人々の平和な日々が見える。
おじさん同士で集まってビリヤードをしていると見られる家があった。ちょうど、メガネのおじさんが最後の玉を落とし、両手を振り上げて喜んでいた。そのおじさんに、友人たちが抱き着いている。ふむ、平和だ。
他の家では、兄妹と見られる小さい男女二人と、両親が机を囲んでケーキを食べていた。ふむ、平和だ。この町の平和を、守っていきたい。ルーリーを失った自分のように、悲しい思いをする人がいないように。シュートはそんなことを考えていた。
「この辺りだ」
ミスター・バナグラスがそう言って、五階建てほどの高さのマンションの屋上で止まった。シュートも、羽の羽ばたきを遅め、ミスター・バナグラスのすぐそばへ降り立った。
「ウッ」
そのとき、シュートの脳内にも、ハザードの脳波が伝わってきた。確かに、ミスター・バナグラスが言うように、禍々しい脳波だ。頭の中を、直接掻き回されている感じすらする。
ミスター・バナグラスがシュートの方を見た。
「シュートも察知したか、奴の脳波を」
「はい。これは……確かに気分を悪くするほどのおかしな脳波ですね」
もう、かなり近いところまできた。シュートたちが立っているマンションの向こうには、家が数件しかなく、そのさらに向こうは草むらが続き、やがて陸が斜めに盛り上がって山へと繋がっている。
そのとき、近くから叫び声が聞こえた。
「行くぞ!」
ミスター・バナグラスが素早く飛び降り、声のした方へ走っていく。
「はい!」
シュートも羽を羽ばたかせながら舞い降り、地面から二メートルほどの高さで飛行して、彼のあとを着いていく。
田舎道と草むらの間に、その怪物はいた。ルーリーから聞いてはいたが、予想以上の怪物だ。下半身は爬虫類じみた乾いた肌に足が四本生えて、上半身は人魚姫のように魚のうろこらしきものに包まれ、胸が膨らんでいる。顔は人面、それも女性に近く、もじゃもじゃの長い髪が生えている。
まるで、下半身は馬、上半身は人間の姿と言われるケンタウルスの爬虫類バージョンみたいな見た目だ。
「グギャー!」
と咆哮をあげて開いた口には、ギザギザの歯が生えていて、下あごは二つに割れていた。
その前身は、あまりにも巨大であり、顔のある高さはシュートの身長の二倍くらいはあるだろう。
やつの口の端には、人間の腕らしきものが、赤い液を垂らしてぶらぶらと垂れていた。誰かが、噛み千切られたのだ。
「な、なんだあれ!」
思わず、シュートは叫んだ。
「ミスター・バナグラス、あんなハザードもいるんですか!」
「い、いや、見たことがない。いろんなハザードがいるが、こんな、クリーチャーみたいな、キメラみたいなやつは見たことがないぞ……。大概、変身しても足や腕は二本ずつだし、基本的な体型は人間と変わらないはずだ。それに、見た目でどんな生物の能力をもっているか、大体分かるはずだ。
けど、なんだこいつは……。トカゲか、ヘビか、それとも魚類か……意味が分からんぞ」
ミスター・バナグラスも困惑している。ハザードから見ても、異常な見た目なんだ。
「バ、バケモノー!」
そのとき、白髪のおじいさんが慌てて逃げてきて、シュートの前であたふたと立ち止まった。
「こっちにもバケモノが二匹!」
そう言って、おじいさんはきびすを返そうとした。シュートとミスター・バナグラスの姿を見て、「二匹」と言ったのだ。確かに、おじいさんからしたら、変身したあとの姿はバケモノに見えるだろう。それが分かっていても、心が少し、ズキッとした。
「大丈夫、俺たちは味方です。さあ、早くあっちへ逃げて! 離れて!」
一応、シュートの中の警察としての部分が、まともに機能した。そうして、おじいさんの身をかばいながら、シュートはそう言った。
「あんた……、優しいバケモノか。すまん、慌ててた」
物わかりの早いおじいさんで良かった。
「いえ、いいんです。それよりも、早く逃げて。俺たちが食い止めます!」
「ありがとう。あんたらも無理すんなよ!」
そう言って、おじいさんは向こうへ走っていった。見た感じ、ケガなどは負っていなさそうだし、良かった。
そのあと、パトカーの音が聞こえ、道の端に止まった。運転席から、ルーリーが出てき、シュートのそばへ走ってきた。
「シュート君! あれもハザードなの?」
ルーリーはあの『キメラ』を見て、困惑している。
「分からない……。ミスター・バナグラスにも分からないらしい」
「そう……」
「でも、とりあえず戦ってみるよ」
「うん、私は近隣住民の避難を優先させるわ」
ルーリーはそう言って、住宅地の方へ向かっていった。
シュートとミスター・バナグラスは、キメラの方を向いた。キメラとの距離は二〇メートルほどだ。こちらが視界に入る距離だろうが、気付いていないのか、上を向いて叫び続いけている。獣のような咆哮だ。
ミスター・バナグラスが言った。
「まずあいつ、自我を保ってんのか? 暴走しているように見えるけど……。返り血も浴びてるし恐らくこの辺りの人間もすでに何人か殺しただろうが、一応話しかけてみるか。まず俺が行く」
ミスター・バナグラスが駆け出し、あっという間にキメラの目の前へ行った。近づいたミスター・バナグラスと比べると、キメラの巨大さがますます分かる。ミスター・バナグラスはキメラを見上げると、キメラも彼に気付き見下げた。キメラが巨大な左腕を振り下ろし、彼に攻撃しようとした。
「ソラト、危ない!」
「これくらいは回避余裕」
ソラトは高く飛び上がってその攻撃をよけ、キメラの背中に飛び乗った。巨大なトカゲのような背中にだ。そして、後ろから話しかける。
「おい、君は何者だ。グリーンコア・カンパニーの者か? なんで暴れてる?」
「シ……テ……」
「え?」
「ギャース!」
キメラは叫びながら、下半身の後ろに生えている巨大なしっぽを振った。しっぽが一気に、ソラトの足へ近づいていく。
「ソラト、後ろです!」
「あ、やべえ」
ソラトがそう言ったときには、もう遅かった。ソラトの左足はしっぽで巻かれてしまった。キメラはそのまま体ごとしっぽを振り回し、ソラトを投げ飛ばした。
ソラトは吹っ飛ばされたが、空中で身を立て直し、一回転してシュートのすぐ近くへ軽やかに着地した。そして、シュートの方を見る。
「あいつ、しっぽも生えてるのか。しっぽの攻撃にも注意だぞ」
「はい」
「自我を失ってるのか、変身して発音機能が低下して喋れないだけなのか分からんが、話は通じんな」
「戦って暴走を止めましょう」
「そうだな。どういう作戦で行く?」
「俺が空を飛んでやつの気を引きます。スキを見て、ソラトはキックを浴びせて下さい」
「いい作戦だ。あとどさくさに紛れて俺を呼び捨てにするな」
「あ、すみません」
慌てて、うっかり呼び捨てにしまっていた。
「嘘だよ、ずっと前から、その呼び方で良かった」
「えへへ」
シュートはソラトとアイコンタクトをし、そのあと前を向いて飛び立った。低く飛びながらキメラの前まで行く。そして、キメラの胸のあたりを思い切り殴った。だが、硬い鱗に弾かれる。
拳に痛みを感じ、シュートは手をぶんぶんと振った。
「いてえ! 上半身は鱗に包まれててめちゃくちゃ固いですよ!」
「分かった、他の部位を狙う!」
ソラトは返事をしながら、キメラの横側に回り込んだ。キメラがソラトの方を見ているので、シュートはもう一発肩のあたりを殴って、こちらに気を引かせようとした。
「おらあ! こっちだ!」
「グギャー!」
思惑は成功したようだ。キメラは宙を舞うシュートの方を見て、その長い腕を振り回してきた。右腕の一閃を避ける。
うまいこと避けられたが、風圧で少し引っ張られ、ふらついてしまった。風圧でこの威力、なんという怪力だろう。当たったら、一撃でノックアウトされてしまうかもしれない。
キメラは、今度は左腕で攻撃してきた。これも避ける。ぶんぶんと腕を振り回してくるが、シュートは次々にその攻撃を避けた。回避は、それほど難しいことではなかった。キメラの腕は長く、攻撃できる範囲は広いが、大振りなため簡単に避けられる。
これまで戦ってきたハザードとは違って、格闘術や特別な技を使う様子もない。その暴れ方は、まさに怪獣だ。理性を失った獣のようだ。
「コ……シ……!」
「なに?」
腕を振り回しながら、キメラが何か言った。叫び声というより、なんらかの言葉を発しているように聞こえる。だが、もう一度キメラが話す前に、ソラトの攻撃が決まった。
唸り声をあげながら飛び上がったソラトが、キメラの横顔へキックを浴びせたのだ。
キメラは横へ数メートルほど吹っ飛び、その巨体が草むらの上へ倒れた。
「す、すさまじい威力だ」
「シュートが気を引いてくれていたおかげで、全力の攻撃ができたよ」
ソラトはそう言いながら着地した。シュートも、ソラトの近くへ舞い降りて、キメラの様子を見た。
キメラはしばらく、動く様子がない。倒したか? そう思った瞬間、キメラはその長い腕を地面に着き、大声を上げて体を起こした。まだまだ動けるみたいだ。
キメラは真っ黒な目でシュートたちを見つめたあと、肩をほぐすかのように首を動かした。
「くそ、それほど効いてないか」
とソラト。
そのとき、キメラが口を大きく開けた。二つに裂けた下あごから、よだれが垂れる。
「ん……? やばい、なんか仕掛けてくるぞ!」
ソラトがそう叫んだのもつかの間、キメラはその口から緑色の液体を発射した! それはシュートの方へ一直線に飛んできたが、気を抜いていたシュートは反応できず、避けきれなかった。
代わりに、ソラトがシュートの前へ飛び出し、その液体を腕で止めた。瞬間、ソラトの右腕の皮膚がドロドロと溶け出し、緑色の血が地面にしたたり落ちた! 焼けているかのように、湯気も生じている。
「ぐああ!」
ソラトが叫んだ。
「ソラト! すみません、俺のせいで!」
「気にするな! それよりも俺から離れるんだ。こいつ、離れ技ももってやがった。俺たち二人は距離をとって動き、的をひとつに絞らせない方がいい。シュート、飛び上がって俺から離れろ!」
「はい!」
シュートは羽を羽ばたかせ、五メートルほど飛び上がった。なんということだ、ソラトは俺をかばって傷ついてしまった。だが、今はそんなことを悔やんでいる余裕はない。
ソラトはただれていく右腕を痛そうに振りながら、宙を舞うシュートへ話しかけてきた。
「あー、いってえなあ! こいつ、口から酸性の液を吐くぞ! 当たったらアウトだ。全部避けろ!」
「分かりました!」
シュートはキメラの頭上を飛びながらそう答えた。そうしているうちにも、キメラは口を開き、二発目を放った。ソラトの方へ向けてだ。
ソラトは横へ飛びのいて、その攻撃を避けた。
シュートは飛びながらキメラの顔へ近づき、横からキックを浴びせた。だが、少しぐらついただけで、すぐにシュートの方へ顔を向けてきた。
「おら、当ててみろ!」
シュートは言いながら、キメラの顔の周りを、円を描くようにぐるぐると飛びまわった。
「グワー!」
キメラが酸性の液を吐く。だが、シュートには当たらない。キメラはすかさず、二発目を打ってきた。これも横へ避ける。だが、次の瞬間、シュートの体がぐらついた。
自分の羽を見ると、右側の羽が溶かされているではないか! 体では避けたつもりだったが、羽に当てられてしまった。
「うわー!」
シュートはらせん状に回転しながら落ちていき、地面に両手両足をついて着地した。これで、空を舞うことはできなくなってしまった。
すぐさま立ち上がり、キメラの方を見る。この巨大な怪獣を、倒す方法はないのだろうか。上半身は頑丈な鱗に覆われており、ソラトのキックを顔面に受けても立ち上がるほどタフだ。なにか、必殺の一撃は……。
そのとき、シュートは閃いた。こいつを倒せるのは、こいつ自身だ。
キメラは咆哮をあげ、またも液をぶちかましてきた。シュートはこれを避け、高くジャンプして、巨大なトカゲのような下半身に飛び乗った。爬虫類の肌のように、カサカサした背中だ。
そのとき、キメラの上半身の、後ろから見た様子も確認できた。通報であった通り、上半身の背中部分には、トゲが四本ほど、左右に生えている。白いが、若干赤く濁っているトゲだ。もしやこれは、骨? 骨が体内から突き出しているように見えた。
そんな考察をしていると、キメラが後ろを向き、飛び乗ってきたシュートの方を見た。砲台のような口を開けてくる。また、あの体液を吐きだしてくるぞ!
その液が飛んできた瞬間、シュートは飛び降りた。地面に足を着いたあと、キメラの方を確認した。
「ギャー! イ……イ……!」
足をばたつかせ、腕を振り回しながらもがいている。背中の皮膚がただれ、そこから湯気が出ている。作戦は成功したのだ。キメラの吐く酸性の液を、キメラ自身に浴びせさせたのだ。
シュートはすかさずジャンプし、キメラの首元へ飛び乗った。キメラはシュートを叩き落とそうと腕を振り回しているが、人間一人分ほどはあろうかという長い腕を持て余し、シュートに触れることができない。
シュートは背中から生えているトゲのひとつを、両手でつかんだ。
「うおーりゃあァ!」
渾身の力を入れ、そのトゲを抜きとった。太い骨が折れるような音がし、そのトゲが生えていた部分から、赤い血がピューピューと出てきた。キメラが痛みに喚いた。
シュートはその骨を持ってキメラの首元から飛び上がり、酸性の液で皮膚がボロボロになっているの背中部分へ、そのトゲを突き刺した! キメラの背中にズブリとトゲが刺さる。
そのままシュートは手を放し、草むらに落ちて、地面をごろごろと転がった。膝をついて顔を上げて見ると、キメラは痛みに呻き、両腕を振り回してる。
膝立ちしているシュートに、ソラトが駆け寄ってきた。
「シュート、無茶な戦い方だ。見てるのが怖かったぞ」
「そりゃあどうも」
「褒めてねえよ」
「ところでソラト、右腕は……?」
シュートは、さっきかばってくれた腕が、心配だったのだ。ソラトは、右腕を見せてきた。表面の白い毛は溶けてしまい、ピンクの肉が見えているのが少しグロテスクで痛々しい。
ソラトは言った。
「たぶん大丈夫。かなり痛むが、骨までは到達してないよ」
「そうか……」
良かったと言っていいのか分からず、シュートは口ごもった。
「キメラの様子が変だ」
ソラトがそう言って、キメラの方を見た。シュートもそっちを見る。
キメラは、下半身の背中部にトゲを刺されたまま、がくがくと震えながら立っている。
やがて奇妙な動きで頭を振り回したかと思うと、下を向いて、長い両腕を地面に着いた。
「ゴォ……ゲホッ! ゲホッ!」
キメラがよだれを垂らすと、その下の地面が少し溶け、湯気が出始めた。
「ウッ、ウッ……」
やがて、妙な呻き声ととともに、音が聞こえてきた。それは、キメラから聞こえてくる音だ。しかも、口から発せられているのではない。何か、体の内側から聞こえてくるような音で、ボキ、メキメキ、というような、骨がこすれたり、内臓が動き回っているような音なのだ。
シュートは、その音だけで吐きそうな気分になった。
「キメラが……呻いて、苦しんでいるみたいだ。何が起こってるんです?」
「俺にも分からん。嫌な音だ。骨の音か? 骨が急激に動いているみたいな音だな」
その変化は、ついに目に見える状態までになった。キメラの背中に生えていたトゲが伸び始めたのだ。目に見える速さで伸びていき、しかも、生え際から赤い血が垂れている。
そのとき、シュートは気付いた。背中のトゲが赤かったのは、キメラ自身の血だったのだ。体の内側から出たトゲが、血を纏っていたのだ。
ソラトも、だいたいの状況を掴んできたらしい。
「あれは、あの背中のトゲは骨だ。体内の骨が、目に見えるスピードで突き出てきている! おい、足も見ろ!」
シュートは言われた通りキメラの足を見て、驚愕した。足の指先から、白いものがメキメキと飛び出てきているのだ。五本の指先すべてから、皮膚を突き破り白い骨が出てきている。
再び上半身に目を向けると、背中から生えてトゲと化した骨は、途中で急カーブして弧を描き、上半身の前面に向かって伸び始めてきた。そして今にも、自らの胸を突き破りそうなところだ。なんという恐ろしい光景であろうか。
ソラトも驚愕している。
「な、なんなんだこれ! 体が急激に変化している……! おそらく、変身に間に合ってないんだ。肉体そのものが、変身に間に合ってない。骨が皮膚を突き破って、自身の体を破壊している。
背中のトゲも、あのまま伸びてしまったらカーブして自分の胸に突き刺さって、コアを破壊しかねんぞ!」
キメラは、苦しそうに呻いている。とてつもなく痛そうだ。見ているだけでも、耐えられない。どうすれば良い? 見殺しか、助けるか? 状況が分からず、シュートの頭はいっぱいになりかけた。
「ウゥ……! ウッ! イ……イタイ……イタイ……」
え? シュートは困惑した。今、何かを喋った気がする。キメラが、何かを喋ったのだ。
「ソラト……、今、もしかして」
「ああ、喋ったのか?」
「やはり、聞こえましたよね。痛いって。痛いって……言ったのか?」
そのとき、シュートの頭に、軽い電撃のようなものが走った。サーチパワーが発動し、ハザードの脳波を捉えたのだ。それも、かなり近く、位置的には頭上にいる。キメラの脳波が強すぎて、気付かなかったのだ。
「ソラト、もう一体、います」
今なら分かる、分かるぞ。この脳波は、同族の中でも近しい者の脳波だ。シュートに血を流しこんできた、あいつの脳波だ。
「ジェイニー!」
シュートは頭上へ向かって叫んだ。予感通り、上空一〇メートルほどの高さで、女ハザードが羽を羽ばたかせて停止している。モスキートタイプのハザード、ジェイニーだ。
「うっふふ、久しぶりね、シュート」
「ジェイニー! このキメラ怪獣もお前の仕業か!」
ジェイニーは空中からシュートとソラトを見下ろし、ペラペラと話し始めた。
「大正解! ピンポーン! いつも通り、私は自分の血を流し込んで、人間をハザードに変えようとしてたの。それで、健康そうな女の子にブスッと刺してね。メキメキと大きくなったから変身成功かと思ったけど、逆に過剰変身だったみたい。
あんたの妹みたいに精神分裂するやつはいたけど、こんなキメラになるやつは初めてだわ。今後の参考になって良かった良かった」
「外道が! 降りて来いやボケエ!」
シュートが叫んだが、ジェイニーは無視して話し続けた。
「でかい怪物になって暴れ始めて、私の言うことも聞いてくれないっていうかそもそも会話が通じないし、どうしようかと困ってたの。そしたらあなたたちが来てくれてキメラを退治してくれたから、助かったわ。ありがとねー、ハハハ!」
ジェイニーは笑いながら空中で旋回して背を向け、どんどん上昇して飛び去ろうとした。
「クソが! お前には地獄すら生ぬるい!」
シュートは飛び上がり、背中に力を入れて羽を羽ばたかせた。
「シュート、待て!」
下からソラトが呼ぶ。そのとき、シュートはうまく飛べず、空中でくるくると回りながら落下してしまった。足から落ち、草むらに崩れ落ちた。
「シュート、お前今は飛べないだろ」
「……」
シュートは歯を食いしばりながら立ち上がった。そういえば、さっき羽を溶かされたから、ジェイニーを追いかけることができない。とてつもない悔しさだ。
「ソラト……、悔しいです。本当は、一番に倒すべき敵はあいつなのに」
「ああ。だが今ではない。時を待つんだ。そして、確実に打ち倒す。その時は俺も一緒だ」
「今からでも、奴のあとを追いたい」
「気持ちは分かる。だが今から追いつくのは難しい。それに、まずはそこの、被害者を看取ってやろうよ」
そう言って、ソラトはキメラの方を見た。今や、倒れてピクピクとするばかりのキメラ。全身から突き出した骨が痛々しい。
被害者……。そうだ、このキメラも、ジェイニーに無理やり針を刺され、苦しめられた被害者のひとりだ。ジェイニーの血に適合できず、暴走してしまった。
シュートは、キメラの顔のそばへ近寄った。そして膝をつき、恐る恐る頭を触った。
「大丈夫、もう君を傷つけないよ」
「コ……ロ……シ……」
キメラは、真っ黒な目でシュートを見て、そう言った。恐れや、焦りなどの感情は感じられない。ただ、幼い者が、大人へ何かを懇願するような、そう言った目つきに感じられた。
ソラトも駆けつけてきて、シュートの隣へひざまずいた。
「今なんか喋ったな」
ソラトがそう言った。シュートにはもう、その意味が分かった。戦っている最中から、何度か言っていたことだった。あまりにも、悲しい言葉だ。
「『殺して』そう言っています」
「そうか……」
「でも、殺せない。こんなかわいそうな子を、殺せるわけない」
シュートは首を振った。そして、変身を解除し、人間の姿へ戻った。
一方、変身したままのソラトは、その手をぴんと張ってチョップをするような形にし、キメラの首元へ近づけて、止めた。無言のまま、構えている。
シュートはその様子を見て、愕然とした。
「ソラト、まさか……」
「何?」
「こっちのセリフですよ。何をしようとしてるんですか」
「今から、この子の首をすっぱねる」
「やめてください!」
シュートは必死の形相でそう言った。
「え? なんで?」
「まだ助かるかもしれない」
「本気で言ってるのか?」
「……」
シュートは黙り込んでしまった。この子の様子はどうだろう。背中からは骨が何本も突き出て、巨大なあばら骨のようにカーブしている。四本足の巨大な下半身には、シュートが刺したトゲが刺さっており、他にも内部から突き出た骨がトゲと化し、彼女の体を内側から突き破っている。
普通に考えて、助からない。
ソラトは、冷静そうな声で言った。
「見たくないというなら、目を逸らしておけ。今からやる」
「やめてくださいよ! ひどすぎる!」
「ひどいだと? 今からこの子を殺すのがひどいのか? このまま生かしておいて、内部から体が破壊される苦痛を味合わせることよりも? どっちがひどいか考えてみろ!」
「この子を救いたいんです! なんとかして」
「シュート、その方法を一緒に考えてやりたいが、俺には思い浮かばん。無理だ。君がこの子の体を治すのか? それとも俺が? どこかの医者に見せるか? 病院に連れて行く? そんなんでどうにかなるとは思えんな」
「コロシテ……」
キメラが、力尽きそうな声で言った。かすかに聞き取れるほどの、小さな声である。
ソラトの言うとおりだ。シュートは、諦めた。どうしても、マーシュのことがフラッシュバックしてしまう。マーシュも救えず、この子も救えないのか……。
シュートはキメラの頭を撫で、顔を近づけた。涙が溢れ、鼻を伝い、顎から垂れた。
「ごめんよ……ごめんよ……」
少しの間をおいて、ソラトが声を発した。
「シュート、意地悪な言い方をしてすまなかった。でもな、殺すことよりも、生かすことの方が難しいこともあるんだ。命を懸けた、戦いの場ではな。
君はさっき、この子を救いたいと言った。今のこの子にとって、救いとはなんだ? 俺の答えはな、解放してやることだ。苦痛からな。永遠に楽にしてやることだ」
「はい……」
シュートは涙と鼻水を垂らしながら、頷いた。
「シュート、離れるんだ。いいか、三秒数えるぞ。その間にあっちを向け」
シュートは呻くように泣きながら、二度頷いた。そして、顔をそむけ、目をぎゅっと瞑った。目を瞑ると、余計に涙が出てくる。
ソラトの声が聞こえる。
「三……二……一……」
骨が折れ、血が噴き出る音がした。
今、この子は苦しみから解放されたのだ。これが正解だったのか? シュートは目を開けず、顔も向けず、唸るように聞いた。
「ソラト……、こんなのが正解なんですか」
「正解か。うーん、分からんな。ただ、今の俺たちの能力でできる最善の手段は、おそらくこれだった」
シュートはだんだん、ソラトが冷静に返事をすることに、イライラしてきた。どうして、こんな状況で、そこまで落ち着いていられるのだろう。理解に苦しむ。
「分からない? おそらく? そんな考えで、簡単に命が奪えるんですか!」
シュートはひざまずいたまま、顔をあげた。そしてソラトの姿を見て、絶句した。変身を解き細身のおじさんへと戻ったソラトは、左手を血に塗らし、突っ立っていた。キメラの首を切断した左手だ。その手からは、血が未だに、ぽたぽたと垂れている。
ソラトは泣いていた。うつろな瞳で、どこを見るでもなく。静かに、つつと涙を垂らしていた。平気なわけがない。平気なわけがなかったんだ。ただ、ソラトには、命を奪う罪悪感を背負うだけの覚悟があった。それだけの話だった。
突然、ソラトは大声を上げた。何かがはち切れたように。
「あー! なぜだー! なんでなんだよー!」
そのあと、「クソ」と呟いて、鼻をすすった。
シュートには、あの日のことが思い出されていた。
――ダメよお兄ちゃん……! 私から離れて……お願い……!――
シュートの腕の中で、もがいているマーシュ。あれが、愛する妹との、最後の会話だった。
シュートは泣き声の混じった声で、懺悔した。今更懺悔しても、マーシュや、キメラの少女が生き返るわけではない。それはシュート自身も分かっているが、声に出さずにはいられなかったのだ。シュート自身の、精神を保つために。
「ソラト……、俺のせいだ。俺のせいでこの子は死んだ」
「違うよ、シュート」
「違わない。俺が骨を折って突き刺して、とどめを刺してしまったんです」
「違う。どのみち、この子はジェイニーの血に適合していなかった。過剰な変身に追いつけず、死んでいただろう。この子を殺したのはジェイニーだ。というより、俺だな。とどめを刺したのは俺だよ。
だから、君のせいじゃないんだよ」
「俺は、誰も救えませんでした。このキメラの子も……。妹のマーシュも。もうダメだ」
「そんなことはない、さっき、おじいさんを逃がしてあげただろう。そこで一人救った。それに、ザイラスとロデスから、ルーリーを守った。君は誰かを守ることができるんだよ」
ソラトはしゃがみこんで、シュートの肩を抱きしめてくれた。シュートはめそめそと泣いた。
「シュート君! ミスター・バナグラス!」
ルーリーが、走りながら駆けつけてきた。