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それから一か月ほど経ち、年が明けた。年末年始の休みも終わって、ハルトは日々学校へ通っていた。
ハルトの通うバリー高校は、在校生徒千人ちょっとの、うーん、なんかこう、少なくはないけどマンモス校というほど多くもない、中くらいの学校だ。
スクールバスから降りたハルトは芝生の生えた庭を通り抜け、校舎に入って自分のロッカーへ向かった。学校へ入ってすぐ左側は長い廊下で、そこに生徒のロッカーが並んである。ハルトは自分のロッカーに向かって歩きながら、すれ違う友達や先生にあいさつした。月曜日の朝は、みんな眠そうだ。まぶたが半分しか開いていない。
ハルトは自分のロッカーの前に立って、その銀の戸を開け、リュックをしまった。戸の裏側には、授業で作ったキーホルダーや、友達と撮ったなどを飾ってある。そのうちの一枚、エリザとの写真に目をやった。そして、ほほ笑む。毎朝この写真を見ると、元気になる。前の日にどんなことがあっても、今日も頑張るぞという気持ちになれる。
エリザというのは、同じ学校でハルトと同い年の女の子だ。心優しく友達の多い、キラキラした子だ。ブロンドの髪に金の瞳をもっている。
「ハルト、おはよう」
自分を呼ぶ声に振り向くと、そこにいたのはエリザだった。
「おはようエリザ」
どきどきしていることをできるだけ悟られないよう、あいさつする。クラスは一緒なので、向かう教室ももちろん一緒だ。
「ね、一緒に教室まで行きましょうよ」
「うん」
エリザの誘いで、授業がある教室まで一緒に向かった。珍しいことじゃないが、毎回緊張する。
ハルトは今日、帰り道に喫茶店に行く約束をしている。ハルトから誘ったのではない。エリザが、おすすめの喫茶店が学校の近くにあるからと言って、誘ってくれたのだ。
父さんに話したら、「お、良い経験じゃないか。デートスポットは一つでも多く抑えとけ。後日他の女の子を誘っていくのもアリだぞ」などと言われた。エリザを叩き台にしろとでもいうのだろうか。クソオヤジだ。
歩きながら、エリザが話しかけてきた。
「ねえ、今日の約束、覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ。喫茶店に行くんでしょ。授業が終わったら、エリザのロッカーの前で待っておくよ」
「何? そんなに楽しみなの?」
エリザが覗き込むように聞いてきた。
「え? どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、ふふ、顔がにやにやしてるもの」
「してねえよ! エリザの方がしてるよ」
「え、私? 私は、ニコニコはしてるけどにやにやはしてないわ」
「うわあ、微妙なニュアンスの違いを指摘してきたな」
幸せだ。すごく幸せ。今日の喫茶店に行く予定も、絶対に充実したものになるだろう。あわよくば、家に呼んで、エリザのことを母さんや父さんに紹介したっていい。そんなことすら、考えていた。
でも、喫茶店に行った帰り、あれほどの事件が待ち受けていようとは、ハルトは知りもしなかった。ハルトはもう、戻れないところまで足を突っ込んでしまっていたのだった。父さんの忠告を、初めから聞いておけばよかったとすら思ったのである。
**
学校が終わって、喫茶店。そこは向かい合った席の境に壁があって、一席一席が小部屋っぽくなっているところだった。縦に長い窓は庭の緑が良く見えて、静かにゆっくり話せそうな、デートにうってつけの店だった。
ハルトはミルクコーヒーを頼んで、エリザはブラックコーヒーを頼んだ。本当は、ハルトはコーヒーの苦みが得意ではないが、エリザが先にコーヒーを注文したので、なぜだが合わせて頼んでしまった。
ウェイトレスがコーヒーを持ってきてくれたあと、ハルトはすぐさまミルクと砂糖を足したので、エリザが小さく笑った。ハルトはそれを見て、少し照れながら言う。
「なんだよ」
「いや、苦いのが苦手なのかなって。もしかしてコーヒー好きじゃなかった? 私に合わせなくても良かったのに」
「いや、そのまま飲むのは苦手だけど、こうやって砂糖を入れるとおいしく飲めるよ。甘くすれば飲めるんだ」
「ミルクコーヒーなのにミルク入れたら、ダブルミルクコーヒーになっちゃうね」
「あ、ほんとだ。でもウェイトレスが持ってきてくれたってことは、入れたっておかしくないってことだぞ」
「確かにね。子供舌だって、雰囲気でバレたのかしら」
「なんだと、ガキ扱いすんなよ?」
「高校生はガキでしょ」
「ハハ、確かに」
言い合ってはいるが、お互い遊びのうちだ。ゆっくり飲みながら、二人は最近の出来事とか、家族の話とかをした。
エリザは最近、バレンタインパーティーの準備で忙しいらしい。バレンタインデーには、バリー高校は授業なしでパーティーをして、みんなでケーキやお菓子を食べながら、男女がプレゼントを交換し合う。カップルはカップル同士で、相手がいない子はいない子同士で交換だ。エリザは、そのパーティーの飾りつけや企画で忙しいみたいだった。
それに、友達の事情もあるらしい。
「私の仲の良い女の子がね、バレンタインパーティーで好きな人に思いを伝えたいらしいの。だから、応援しようと思って。私こっそり、その人の好きなもの調査とか友達の情報網を使ってやってるの。それで、プレゼント決めの相談にのってあげてるのよ」
エリザは、本当に優しい子だ。友達のことを思いやってあげられる子だ。
「エリザは優しいね。そこが君の魅力だよ」
「ありがとう。え? なんて?」
「ん?」
「そこが君の……なんて? 聞こえなかったからもう一度お願い」
なんて言いながら、エリザはにやにやしている。本当は聞こえているけど、もう一度ハルトに言わせたいんだ。
「バカ、今朝の俺みたいににやにやしてるぞ」
「ふふ」
やがて日も暮れてきて、二人は店を出た。ピンチは、予期せぬときにこそやってくる。
夕暮れの田舎道、広い路地はあまりにも閑散としている。遠くの家で、誰かがドラムを叩きまくっている。演奏はうまいのかもしれないが、近所迷惑だ。
近くのバス停まで、エリザを送っていくつもりだった。道には、石畳の道路と、バカみたいにでかい街路樹と、そこに止まっている鳥が見える。
ふと、ハルトの脳波に、なにか電波のようなものが届いた。サーチパワーで、他のハザードを捉えたのだ。まさか、どこかで誰かが変身しているのか? しかも、二体同時に現れた。そして、近い。あまりにも近すぎる。すぐ近くで、二体のハザードが変身したのだ。感覚的に、ここから見えるくらいの距離にいてもおかしくない。
ハルトがあたりの状況を確認しようと首を動かした瞬間、茨状のツタがどこからともなく伸びてきた! そのツタはエリザの体に巻きつき、エリザを引っ張った。
「きゃあ……!」
叫んだのもつかの間、エリザは口元から膝あたりまでをツタでぐるぐる巻きにされ、あるハザードのそばまで引っ張られていった。
ハルトは驚愕の表情でその方向を見た。ハザードが、二人いる。一人は、緑の体色で、頭は赤い花びらが渦巻いているような見た目だ。間違いなく、シュートが言っていた、セイドとかいうバラのハザードだ。そいつの腕から伸びるツタが、エリザの体を拘束している。
エリザは、突然拘束されたショックからか、口や鼻があまり動かず息ができなくなったのか、気絶してしまっている。
「おい! その子を放せ!」
ハルトは焦りと怒りから、これまでにない大声で言葉を発した。
「まあ待て。殺しはしない。この子を解放するかどうかは、お前の判断次第なんだぜ」
セイドの隣にいる男が言った。その男は、茶色い毛に覆われ、顔は赤く、ハザードにしては小柄だ。こいつは、サルのハザード、ナインだろう。
ナインは言った。
「俺の名はナイン。ナイン・ナッシュだ。まず確認するが、お前がハルト・バナグラスだな?」
「ああ。なぜ分かる?」
「ハハ、ガキとは思えん剣幕だ。そんなにこの子が大事か? 安心しな、お前にだけ用があるんだ。用が済んだら、この子は返す。で、何の話だっけ?」
「なぜバナグラスのことを知っているかという質問です」
隣のセイドが言った。
「ああ。俺の手下が世話になったらしいんでな。ボコボコにされて戻ってきたと思ったら、お前の名前を口に出した。銀行強盗をしようとしていいたら、クモのハザードに邪魔されたってな。二、三か月前の話じゃないか? 記憶にないか? まあどっちでもいいけど」
ハルトは、思い出した。三か月ほど前、銀行強盗しようとしていたアントタイプの二人を、懲らしめた日のことだ。あの二人はハルトに見逃されたあと、ハルトのことをナインに告げ口したのだ。
甘かった。すべては、ハルトが甘かったのだ。まず、ハルトが自分の名前を名乗っていたこと。だから、ハルトのことが特定された。
ふたつめは、二人を見逃したこと。命を奪わなかったことだ。どちらも、父さんに注意されていたことだった。自分の名前は極力明かさない、敵を仕留めるチャンスがあったら、容赦なく仕留める。父さんなら、こんなヘマはしなかっただろう。
ハルトは焦りの中、一瞬の反省をした。だが、考えても仕方がない。ハルトには、相手の命を奪うなんてできないし、そもそも時は過ぎていて、ナインに正体がバレ、エリザは捕まってしまっている。
今はこいつらをぶちのめして、エリザを奪い貸さなくてはならない。ハルトは息を荒くしながら、返事をした。
「ああ、思い出したよ。俺がぶちのめしたアントタイプのカップルだろ。俺の名前をチクッて、強い先輩に頼んで復讐か。学校の不良みたいで呆れるぜ」
「ふん、銀行強盗を止めるくらいだから威勢の良いやつだろうとは思っていたが、口まできついとはな。そういうやつは嫌いじゃない。ただ、こんなガキだったのは驚きだ」
「ナイン、要件を早く伝えましょう。比較的大きい通りなので、ひとが通るとまずいです。あと、普通にこの女の子がかわいそう。捕まえてるの俺だけどかわいそう」
セイドはある程度エリザに情をもってくれているみたいだったが、だったらお前は今すぐそのツタをのけろと言いたくて、ハルトは余計にイライラした。
「そうだな。ハルト、さっき、俺が復讐を頼まれたと言ったな。だが、俺は別に、部下の代わりにお前を倒しにきたわけじゃない。お前を危険だと判断しているからだ」
「今の俺は確かに危険だぞ」
ハルトは震える人差し指で、ナインの顔を指差した。
「ハルト、お前は何のメリットもないのに銀行強盗を止めた。強い正義感の持ち主、理想主義者、あるいはヒーロー気取りの変態、そういうやつにしか、できない行為だ。お前みたいな輩は、俺たちグリーンコア・カンパニーにとって、ひいては俺たちのボスにとって、邪魔な存在なんだよ。
だから、消しておいた方がいいと判断した。そして今日、やっとお前を見つけたぜ。
要するにだ、俺はお前と戦って、倒すことができれば良いってわけだ。それさえできれば、この女の子に用はない。
ハルト、要件を言うぜ。今日の夜九時、グリーンコアカンパニー所有の野球会場、ボウルスタジアムへ来い。一人でだ。人間であろうと、ハザードであろうと、他の味方を連れてきてはならん。お前一人で来るんだ。そうすれば、この子は返してやる。
もし約束を破ったら、つまり、お前が仲間を連れて来たり、時間通り来なかったら……そのときは……ハハ、分かってるな?」
ナインは相手をからかうようなそぶりで首を鳴らした。むかつくぜ。率直に腹が立つ。ハルトは拳を握りしめた。
「ああ、要件は分かった。だけど、そんな約束は必要ない」
「なに?」とナイン。
「今ここで、ケリをつけるからだ! ハルト、変身!」
そう言うと、ハルトの体はより筋肉質になり、体表の衣類は皮膚と同化して、夕日を反射するコバルトブルーの頑丈な皮膚になった。爪はとがり、手はアーマーをつけたように硬化し、腕や足も同様に分厚く青い皮膚で包まれた。スパイダータイプのハザードに変身したのだ。
「おらあ! 腹に風穴あけてやる!」
ハルトはそう言って、猛スピードでセイドへ突っ込んだ。まずは、こいつを倒してエリザを解放する!
だが、相手はハルトに突っ込んで来られることを想定していた。相手の動きの方が、ハルトの攻撃の早さを上回っていた。
「セイド、やれ! 『ローズサイクロン』だ」
ナインがそう叫ぶと、セイドはツタを出していない方の腕を前に突き出した。
「俺さあ、最近給与以上に働いてますよね」
けだるそうに言いながら、セイドは手のひらから無数の花びらを噴出した。バラの花びらのような赤い葉は、竜巻状にハルトへ向かってき、ハルトの視界を埋め尽くした。こいつ、ツタを操る以外にも、こんな攻撃もできるのか!
ハルトは前に進もうとしたが、花びらは体に触れるたびに小爆発を起こした。大けがをするほどの威力ではないが、爆竹のように、当たって爆発したら閃光がとび、大きな音が鳴る。そのせいで前が見えず、ハルトの体の節々に当たった花びらがつぎつぎと爆発していく。
やがてバラの竜巻がやんで解放されたときには、目の前からナインとセイド、そして捉われたエリザの姿は見えなくなっていた。
「クソー! 戻ってこい! ナイン! セイド! 戦えー! ファーック!」
ハルトの絶叫が、夜へとグラデーションがかっていく空へ響いた。