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 翌日。子供を寝かしつけた後に相談があると言って妻がリビングに俺を呼んだ。まだ昨日の発言に怒っているのかと内心ビクビクしていたが、少し様子が違う。



「私、今日からダイエットすることにしたわ」



 テーブルのイスに腰掛けて早々、妻が単刀直入に俺に告げた。だがその口調からまだ昨日の事を根に持っていると判断した俺はとりあえず謝ることにした。



「昨日はその、本当のことを言って悪かった」

「本当のこと?」



 どうやら俺の言い方が気に入らなかったらしい。すーっと無表情になった妻は席をはずしどこかからか大量の紙を持ってくると俺に宣言した。その紙はどうやら近所のスポーツジムのチラシやパンフレットのようでどれも主婦向けのダイエットプログラムを売りにしていた。



「あなたに言われて傷ついたけど、私考えたの。確かに昔みたいな体型じゃなくなったって。だからミナコとかシズカさんに聞いてみたらシズカさんが通ってるスポーツジムを紹介されてね」



 ちなみにミナコはアミが生まれた時からの妻のママ友でシズカさんはお隣のご夫婦のちょっと化粧が濃いめの先輩ママさんだ。



「最初はあなたと相談してから決めようと思ったけどやめた。私、明日にでも手続きを済ませてスポーツジムに通ってダイエットする」



 アミが小学生になり時間にも余裕が出来ただろうし、お金の方は普段から貯金しているからどうにでもなるだろう。そして何より時間が出来た事によって誘われるはずだった頻度が減る、もしくは無くなると言うのが一番大きい。それによって俺のEDがバレにくくなる。少し当てつけが強めな気がするが、本人がやりたいと言っているし反対する理由がない。



「いきなりだけどまあ、いいんじゃないか?ほら、お前も運動不足だって言ってたしな」



 俺は特に反論もなしに寧ろ勧めるように賛同した。



「えっいいの?」



 だが俺の反応は想定外だったのか、妻は一瞬怒りを忘れたと思うほど素っ頓狂な声をあげると次の言葉を探した。



「えっでも、お金とか」

「いいよ貯金から出せば」

「でもほら、それはアミ達の学費のために取っておくって」

「じゃあ俺の小遣いを減らせばいい」

「えっ?でもやっぱり」



 段々と怒りの炎が小さくなっていくのを感じた俺はこのままでは逆効果だと思い薪をくべる事にした。



「俺は太ったお前を見たくないな」



 その言葉で本来の自分の感情を思い出したのか、妻はムッと怒った表情を作ると、俺に告げた。



「いいわ。じゃあスポーツジムに行くことにする。それで、私が痩せるまで夜もなし!!!」

「あーそうかい。じゃあ勝手にしろ!!俺はもう寝る」



 テーブルをバンっと叩きその場を去ろうとする。もちろん怒りを演出したかったのだが、あまりにも展開が自分の思い通りに運びすぎて笑ってしまいそうでそれを隠したいのもあった。



「ちょっとまだ話が……。アミ、ごめんね、起きちゃったね」



 流石に今回の制裁はやりすぎたと思ったのだろう。妻は慌てて俺を追いかけるも、この騒動で寝ていたアミが起きてしまった。アミをまた寝かしつけるために話し合いは中断され、結局この話し合いは有耶無耶に終わってしまった。そして後日行われた話し合いにより、最終的に妻は宣言通りジムに通うことになった。




 裏面に続く




 この頃、旦那が冷たい。最初はただの仕事による疲れだと思っていたのだけれど、どうも違うようだ。子供達にはいつも通り接しているし、家事の手伝いなどは率先して引き受けてくれる。

 もしかして私が何か嫌われるような事をしたのだろうか。

 そう思って探りを入れるために最近アミ達を早めに寝かしつけて二人で話し合う時間を作ろうと思っているのだけど、やっとこさ寝かしつけたと思ったところで旦那も寝てしまったり仕事が残ってるからごめんな、と言って仕事をしたりしているせいで真相が分からずにいる。旦那は私が働いていない分、自分のクラスの担任としての仕事だけではなくクラブ活動を複数受け持ったり、課外授業の引率などのハードな仕事を引き受けたりして頑張っている。その上で家事や育児も手伝ってくれるので私としては不満はないのだけれど、少し頑張りすぎている旦那を癒したり休んでもらいたいと思っている。

 そう思って近頃はお弁当や、普段の食事に気を使うようになった。専業主婦として、また、食べ盛りな子供を持つ二児の母として献立や食事の量を見直したら旦那の機嫌も良くなるだろう、と思ったのだ。

 旦那は気付いていないが、最近は旦那の苦手な魚類や人参などを出していない。代わりにピーマンの肉詰め、なすの味噌炒め、生姜焼きなどの好物を栄養の偏りがないように中ぐらいに好きな献立を織り交ぜながら食卓に出している。

 大好物を頬張る旦那の顔は可愛い。普段はしないのだけれど、大好物を食べる時だけは一回で口にする量が増えてハムスターのようにほっぺたを膨らませながら食べるのだ。咀嚼する時もモグモグという効果音が見えるくらいに美味しそうに食べるので見ていて楽しい。

 けれど、旦那の好みに合わせて食事を作っている弊害なのか子供達には私のメニューはささっていないみたいなのが悩ましい。

 子供や旦那が食べ足りなく感じたり飢えたりしないように普段から少し多めに作っているのだけど、最近は子供達が食事を残すようになった。

 実家では残しても勝手に父や弟が食べていたが、旦那は子供達が残すと露骨に嫌そうな顔をする。時には叱ったり子供達に美味しいぞ、と言って無理に食べさせようとするのだが、それを私が止めると喧嘩や説教になるので、最近では子供達が残すなと思った時は明日の朝食べようね、と言ってタッパーに詰めるようになった。旦那は残す事ではなく食べ物を捨てることに対して嫌悪感を覚えているので、そうする事でつまらないケンカを避けることが出来るようになった。

 ただ問題なのが家族の誰もそれを食べようとしない事だ。子供達にとっては苦手な食べ物だから残した訳だし、旦那は出来たてのものじゃないとほとんど食べない。となると消去法で必然的に私が食べる事になった。

 私が作りすぎなければいい話なのだが、いっぱい作っておかないと子供達の間食が増えてせっかく栄養バランスまで計算して考えた献立が無駄になってしまう。

 そう自分に言い聞かせてここ一年やってきたのだがとうとう自分のところにツケがまわるようになった。以前までだったらアミの分だけで良かったので体型を保てていたのだが、最近ではタクミの分も加わり食べ過ぎなのが身体に現れるようになったのだ。

 そういえば最近旦那が夜に応じなくなった気がする。疲れているからというのが理由の大半で実際に忙しかったからそうなのだと思い込んでいたのだが、ある時。そうではないという事実が旦那の発言によって突きつけられた。

 アミを寝かしつける前に洗面所でアミの髪をブラシでとかしていたのだが、終わったと同時にアミが突然体重計に乗りたいと言い出した。数週間前学校で身体測定をした時に乗ったはずだが、興味本意でまた乗りたくなったのだろう。女の子だな、と思いながら乗せると、この年齢の女の子の平均体重ちょうどくらいのいい体重だった。私の献立がアミの健康に役立ってる、とテンションが上がった私は次にやってはならない行動に出てしまった。そう。私も体重計に乗ってしまったのだ。

 そして針がブルン、と動いて指し示した値はこれまでの人生で妊娠中の時だけでしか見たことのない数字だった。



「きゃー増えてる!!!!」



 私があげた悲鳴に反応して旦那がスリッパを片手にやってくる。おそらくゴキブリか何かが出たと勘違いしたのだろう。着いて早々キョロキョロと辺りを見渡していた旦那に私はいつもの優しい旦那を感じながら彼に尋ねた。



「あなた。私最近太った?」



 いつもの旦那であれば、そんな事はない気にするなと優しく声をかけてくれるのだが、今日は一瞬思い悩んだ後私に告げた。



「太ったよ」



 思わず声が出なくなる。旦那が口にすると言う事はよっぽどなのではないだろうか。あの時プリンやシュークリームを控えていれば。残り物を出さないようにもっと工夫していれば。

 自分を責める言葉と罪悪感だけが湧き上がってくる。そのままフラフラと壁に寄りかかると旦那が言葉で更に追い討ちをかけてきた。



「痩せた方がいいよ。正直見てられない」

「そんなに言う必要ないでしょ?」



 続けてひどい、ひとでなしと罵ったら気持ち的にどれだけ楽だったろうか。冗談っぽい感じに伝えようとしているだけに余計に腹が立つ。けれど、旦那の申し訳なさげな表情を見るに本当にひどい状態なのだろうとも思う。旦那が最近冷たいのはもしかしたら私に魅力が無くなったからかもしれない。だから夜も断られるようになってそれから。

 私が負のスパイラルに飲み込まれそうになっているとアミが眠そうに、けど心配そうな表情を浮かべてこちらを見てきた。

 いけない。アミやタクミ達の前でケンカはよそう。

 そう思った私はお母さんスイッチに切り替えてアミ達を寝かせるとそのまま旦那に背を向けてふて寝した。

 私の背中に向かって旦那が何か言っていたが、今は聞く気にならない。明日ゆっくり話しあう事にしよう。




 翌日。旦那が出勤し、アミを小学校に送った後、私はシズカさんのところにお邪魔して、昨日の事についてミナコとシズカさんに相談する事にした。ちなみにまだ二歳のタクミはミナコの息子で同い年のソル君とシズカさんの末っ子の娘、サクラちゃんと遊んでいる。



「ごめん、ちょっと締め切り近いから仕事しながらだけど話してて。大丈夫、確認だけですぐ終わるから」



 キーボードを怒涛の速さで打ち込んでいるのは茶髪お団子頭のミナコ。二人目となるソル君を産んだ後、夫の不倫が原因で離婚したミナコは現在フリーランスのWebデザイナーとして働いている。シングルマザーとなったミナコはこの三人の中で一番多忙で来週までに片付けないといけない仕事もいっぱいあるけれど、そんな中時間を作ってくれて本当にありがたい。



「ちっ、あの時もっと慰謝料と教育費をせしめておけば良かった」



 が、一時期口癖だったが最近仕事で知り合ったいい人と上手くいっているようでここ数ヶ月はそのセリフを聞いていない。



「サクラ、ちゃんと仲良くしなさい」

「やだ!!サクラのパズル!!」



 一方、黒髪ボブで叱るではなくたしなめるをモットーにサクラちゃんを注意しているのは先輩ママのシズカさんだ。ミナコがゆるふわな見た目ならシズカさんは明らかに日本人形みたいな顔立ちをしている。メイクやファッションにも気を使っていて私も真似するほどのオシャレさんなのだけど、アイシャドウだけはいついかなる時もどんなファッションでも青系と決めているようでそこだけは参考程度に留めている。

 私たち三人の中では一番熱心な教育ママで上二人の子供のお受験にも成功している。

 客観的に見たら仲がいいのが不思議なくらい異なる三人なのだけど私たちは何でも相談しあえるくらいにはいい関係を築けている。



「シズカさん、ここの色合いどうかな?」

「いいんじゃないの?あっでもここに影を入れたらもっとこの色が強調されて立体的になるかも」

「確かに。ありがとうシズカさん、後は家でやるよ。照美ももう待てないって顔に出てるし」

「いいのよ。そうね照美ちゃんがかわいそうね」

「え、そんな」



 いつも二人にからかわれるのだけど、そんなに顔に出ていたのだろうか?と思い自分の顔をペタペタ触っているとミナコがカバンにパソコンを詰めながらこちらに向きなおった。



「それで、照美は何をそんなに悩んでんの」



 先輩風を吹かしてニヤニヤしながら、聞いてくるミナコ。私の方が2ヶ月早くママになったのにな、と頭の片隅で思いながら昨日の旦那とのやりとりを彼女たちに伝えるとミナコは話を聞いている最中に握り拳を作りながら聞き終わった後私に言った。



「そんな失礼なことを言うやつなんかぶっ飛ばせよ」



 そして実際に殴る素振りを見せるのだけど、披露されたのはプンプンっていうぶりっ子がやりそうなパンチではなく本物のプロボクサーがやってそうなシャドーボクシングだった。見た目ゆるふわ系で天使みたいなのにすごいギャップだ。

 私の代わりに怒ってくれるミナコの優しさを感じながらもそこまではしなくていいんじゃないかとオロオロしていると、シズカさんが冷静に状況をまとめてくださった。



「つまり、旦那さんが最近冷たくなっていてその理由は多分照美ちゃんが太ったから。で、もしかしたらそれが原因で夜も応えてもらえなくなったってところかしら?」

「そうなんです。どうしたらいいんですかね?」

「照美ちゃんはどうしたいの?」

「とりあえず痩せてみようかなと思ってます。最近太ってきたのも事実だし、旦那も結婚する前から私の身体が好きだって言ってくれてたし、元の体型に戻ったら優しくしてくれるかなって」

「けっ。所詮は身体目当てかよ」

「ミナコちゃん、落ち着いて。あなたの元夫の話じゃないのよ」

「ありがとう、ミナコ。大丈夫、私も付き合った最初の方はそう思ってたから」



 少し荒れ出したミナコを二人して宥める。よしよし大丈夫だよとミナコを撫でていると、シズカさんがうーんと考え出した。やがて何かを思いついたのかシズカさんは私に告げた。



「私の通ってるジムに来てみる?ちょうど紹介キャンペーンやってるし、トレーナーさんにみっちり鍛えてもらえるわよ」



 シズカさんが通っているのは私たちの住んでいる辺りから少し離れた高めの値段設定のスポーツジムだった。



「ありがとうございます。でもちょっと値段が」

「そうよね、だから前は勧めなかったんだけど一応ね」



 私の返答をある程度予想していたのか、シズカさんが途中まで取り出していたパンフレットをしまおうとすると、ミナコがちょっと待ったと言わんばかりに間に入った。



「いや、むしろこれはチャンスなんじゃない?」



 どういう事だと私とシズカさんが首を傾げているとミナコは続けた。



「だってさ、照美の旦那は痩せろって言ってるんでしょ?だったらその分のお金はきっちり出して貰って堂々とジムに通えばいいじゃん。おら、お前が痩せろって言ったんだろってさ」



 えーでも、と思う反面、いけるかも、とも思わせる言い方に心が揺らぐ。それを察したのかミナコは最後のひと押しと言わんばかりにジムに行くべき理由を畳みかけた。



「正直冷たくなった理由とかはよく分からないけど、少なくとも太ったのが原因で夜がご無沙汰になったんなら痩せたらいいと思う。あたしの元夫と違ってセックスレスが原因で浮気、みたいなのは照美の旦那からは、照美の妊娠期間の話を聞く限りあんまり想像できないけど、まあ可能性はない事もないし。ほら、いつまでもケンカしてると子供達にもよくないし。ここはスパッと思いっきり行かせてもらったら?女の人に痩せろって言う男は大体クズだけど、まあ照美の旦那は違うっぽいし」

「分かった。聞いてみる」

「いや行かせろって言えばいい……けどまあ照美ならそこが限界か。照美、よく決心した」



 背中を押してくれたミナコに勇気をもらった私は旦那にジムに行くことを検討してもらおうと思ったのだが、どうもまだ私の主張は弱いらしい。ミナコが半分諦めた感じで、でも半分頑張ったねって感じで私を褒めてくれると隣で聞いていたシズカさんが私の肩にポンと手を置いた。



「照美ちゃん。これで私たちジム友ね、嬉しいわ!」



 まだ行けると決まったわけではないのだけれど、シズカさんの笑顔にちょっと安心する。



「もしでも冷たくなった理由が別にあったら教えてね。いつでも相談に乗るからね、後……」

「……おい、ソル!パズルをサクラちゃんに食べさせるんじゃない!!!」

「大変、吐き出させないと!!」

「ママ、おしっこ」

「ごめんなさいシズカさん、トイレ借りますね」



 シズカさんが何か言おうとしている最中にソル君達が何かしたようだ。飛んで見に行く二人を尻目に私もタクミをトイレに急いで連れて行く。

 つい最近おむつ離れが出来たもののまだお漏らしをする心配があるタクミを抱えながら私はいい友達を持ったなとしみじみと感じていた。




 そして次の日。旦那との話し合いの結果を話すとミナコとシズカさんはそれぞれ異なる反応を示した。



「昨晩、旦那と話し合ってみて結果から言うとスポーツジムに通える事にはなったんですけどケンカになりました。なんか太ったお前は見たくないって言われてすごくジムに通うのを肯定されて、でもそれってお前はデブだって言われた感じがして悲しくてムカっとして最終的に私が痩せるまでは夜もなしって私が怒鳴っちゃって旦那も怒って終わっちゃいました」

「なんだそれ、あったまくる!!」

「照美ちゃん辛かったね」



 ミナコは旦那に対して怒りを覚え、シズカさんは同情のこもった声で私を抱きしめてそのまま私の頭を撫でた。



「普通、自分の奥さんに対してそんな事いう?ありえない、あたしなら絶対離婚するね」



 そのまま鼻息荒く怒りを露わにするミナコに対して、シズカさんは早くも冷静に言葉を選びながら私に質問した。



「私から見るとね、照美ちゃんはもちろん旦那さんに対して怒ってるし太ってるって言われて悲しかったと思うんだけど、それ以上に言いすぎて反省してるようにみえるんだけどどう?その、照美ちゃんはどう思ってるの?」

「えっと、スポーツジムに勧められた時は私の事本当に太ってるって思ってるんだなって感じて悲しかったんです。でも、最近運動不足なんだよって言った事を覚えててくれたり、お金の心配したら俺の小遣いから出していいよって言ってくれたりして、あ、なんだいつもの優しい旦那だって思って嬉しくて、でも太ったお前は見たくないって念を押すように言われてカッとなっちゃって本当はそんな事ないのにムキになって私が痩せるまで夜はなし、って言ったらそれは話が違うみたいな顔で立ち上がって勝手にしろって言われて、多分本当は旦那もしたかったのに私が変に強がっちゃってもうどうしたらいいか分からなくなっちゃって」

「落ち着け、照美。大丈夫、ミナコがついてるぞ〜ほらっ、ソル、泣いてる人がいたらどうすんだっけ?」

「泣かないで照美ちゃん、大丈夫よ〜」

「ママ、大丈夫?」

「おばちゃん、ティッシュあげるよ」

「おばさん、泣かないで、グスン」



 思わず泣き出してしまった私にその場にいるみんなが優しく接してくれた。話を聞いていたミナコとシズカさん以外にもサクラちゃんはもらい泣きして、ソル君はミナコに言われてだけどティッシュを持ってきてくれた。タクミも心配して私の膝に駆け寄ってきたものの、私がなぜ泣いているのかは分からずに首を傾げている。いや、どちらかというとみんなが集まっているから何かの遊びだと思って近づいてきたのかもしれない。

 そんなみんなの優しさに涙を流すこと数分。



「すみません、お騒がせしました」



 スッキリ泣ききった私は迷惑をかけたみんなに謝っていた。そのまままた遊びに行くタクミ達三人を横目にミナコが悪態をつく。



「本当、あたしあんたみたいなタイプ大っ嫌いなのになんで友達なんだろ」

「私は素直に泣ける照美ちゃんが羨ましいわ。それぐらい旦那さんが好きって事だものね」

「けっ!またそうやってシズカさんが照美を甘やかす」



 ミナコがそうやって吐き捨てるが、私に対する心配がダダ漏れなので何も怖くない。



「まぁ、とにかくダイエットしてみてそれからまた教えてちょうだいね」



 そうやってシズカさんに締めてもらい、アミ達の話をした後私達はそれぞれの家に帰っていった。




 それからしばらく経った。ジムにも頻繁に通い、少しずつだけど成果が出てきていると思う。まだ旦那と付き合いだした当初の体型や体重にまでは流石に戻せていないけど、夜に誘われるくらい痩せて旦那にとって魅力的な身体になるという目的がある以上、三日坊主にはならずに続けることが出来ている。

 と、思っているのだけれど、まだ旦那にとっては不十分なのか私が誘っても躱されてしまうのでそのことについてミナコとシズカさんにまた相談することにした。



「そうね。ちょっとそのことについて考えていたことがあるんだけどいいかしら?」



 雑談から始まり、いつものようにシズカさんの家にお邪魔して相談するとシズカさんが私に告げた。



「旦那さんに、照美ちゃんをまた抱きたいって思わせればいいのよね?だったら、ちょっと悪い発想だと思うんだけど旦那さんに嫉妬させるっていうのはどうかしら?」



 少し話が見えない。私と同じように感じたのかミナコも眉をしかめながらシズカさんに尋ねた。



「嫉妬ってどういうこと?シズカさん、何、まさかだけど照美に不倫でも勧めてんの?」



 語尾に苛立ちを感じるのはミナコの離婚の理由が関係あるのだろう。そこまで飛躍した話ではないと思うのだけれど、シズカさんは慌てたように取り繕った。



「ミナコちゃん、そんなことは勧めないわ、落ち着いて!」

「じゃあどういうことだよ?」

「ミナコちゃんは落ち着いてきいてね。えっと照美ちゃん。ウチのジムのトレーナーの長谷川さん、知ってるでしょ?」



 長谷川さんはボディビルダーのように筋骨隆々でいつも笑顔が素敵なシズカさんのパーソナルトレーナーだ。常に日焼けしていて、なんでもその黒い肌を強調するために、髪を金髪に染めたり歯を定期的にホワイトニングしたり頑張っているらしい。

 なぜ彼の名前が出てきたのかは分からないが、その疑問が顔に出ていたのかシズカさんが説明をはじめた。



「単刀直入にいうと、長谷川さんは同性愛者、いわゆるゲイなのよ」



 そーだったんですか⁈とびっくりする私に対してミナコは合点がいったのかシズカさんの言いたいことを察して代弁した。



「つまりその長谷川さんとイチャイチャして照美の旦那を嫉妬させるってこと?うーん、そんな簡単にいくかなぁ」



 いつも語尾が強めのミナコの語尾が尻すぼみになってる。珍しい!と思いながらも、シズカさんの話を聞き終えた私は気になった点をあげていった。



「その、そもそも旦那がジェラシーを感じるタイプなのか分からなくて。仮にそういうタイプだったとして旦那と長谷川さんが会う機会ってあまり無いっていうかほぼ無いんですけど、どうやって嫉妬させるんですか?」



 照美意外と乗り気じゃん、と隣で煽ってくるミナコは無視してシズカさんに問うとシズカさんはそれに対する答えを用意していたのかコホンと咳払いをしながら私に提案した。



「まずは記念写真って理由で長谷川さんとツーショットを撮ればいいと思うわ。そしたら旦那さんにさりげなく写真を見せて長谷川さんと仲がいいってアピールするの。旦那さんがもし食いついてくるようなら嫉妬していや俺の方がってなると思うし、仮にその時は食いつかなくても見た目のインパクトもあって絶対に後で意識するはず!そしたら後は夜の方に持っていけばいいわ!」



 果たしてそんな簡単に上手くいくのだろうか?他にやりようはありそうだけど、今は思いつかない。それに折角シズカさんが考えてくださった案だ。私は自慢げに胸を張るシズカさんにやってみます、と声をかけようとしたが、隣からミナコが私を制するようにスッと手を伸ばした。そしてシズカさんを見つめながら言った。



「シズカさんはデリカシーがないよ。もしこれで照美と旦那さんが仲悪くなったらどうすんのさ?照美は真剣に悩んでるのにさ、そんなドラマみたいな手口通用しない」



 かつての自分の経験を振り返ってかミナコは軽くため息を吐きながら一瞬遠い目をした後私に向き直った。



「照美の旦那はさ、私の元ダンナと違って会話もまともに出来るしさ、いっそのこと直接話し合ってみればいいじゃん?嫉妬させる云々は最終手段にしたらいいと思うよ」



 もちろん、最終的に決めるのは照美だけどね、と続けながらシズカさんにもムキになってごめん、としおらしく謝るミナコ。



「……。そうだね。分かった。やってみるよ。ありがとうミナコ」



 きっと話し合えば大丈夫。そう自分に言い聞かせるも、言葉とは裏腹にどこか言いようのない不安が私の心を包んでいった。




 表面に戻る




 妻がジムに通っている間、俺はED治療のためのアリバイ工作をしていた。いくら職場や生活圏から離れているとはいえ、知り合いに遭遇するとも限らないし怪しい言動一つでバレかねない。あくまで慎重に、ごく自然にいようということでまず最初に取った行動は田村と会う回数を増やすことだった。

 田村と口車を合わして考えた嘘は新しい教材のサンプルを田村の近所の塾に通う学生を対象にテストするというものだった。別に俺がいる必要はないことなのだが一人でも多くの意見がほしいという田村の熱意にほだされて仕方なく付き合うことになった、というのが建前で本音を言えば教材の学習内容を出来るだけ実際の教育現場に近づけるために無理矢理やらされたというのが正しい。とまあ、そんな感じの嘘だと見破られない程度の嘘をつき、それを信じた照美は快くとはいかないものの俺を手伝いに送り出してくれた。

 これで外出する理由を手に入れた俺は早速ED治療専門のカウンセラーに連絡すると、時間帯的に無理のない範囲で問診の予約をとった。

 田村にも電話で連絡を取り、どこどこのこの時間に問診に行く旨を伝える。それを受けた田村は受話器越しに頑張れと俺に伝えるとそそくさと仕事に戻っていった。

 とりあえずの準備は終わった。後はカウンセリングを受けるだけだ。

 後日、予約の際に伝えられた住所を頼りに俺は住宅街にある診療所にやってきた。

 表札には松川とだけ書いてあるが、よく見たら玄関のドアの近くに小さく松川泌尿器科と書かれた看板が目立たないように立っている。

 間違いのないようにここら一帯を不審者のようにぐるぐる迂回して確認したから大丈夫だろう。

 俺は意を決してドアのチャイムを鳴らすと、ブザーの音と共にドアが開いた。

 扉を開けた先には、一瞬病院とは思えない光景が広がっていた。壁は水色一色に塗られ、受付のカウンターとそのすぐ近くに置いてある待合室のソファーがクリーム色で統一されている。壁際にはファッション雑誌やカタログの入ったラックがあり、その隣の、ドアから入って左の奥の角には子供用スペースがあり、使用された形跡の見えるおもちゃが乱雑に置かれていた。ドアを入って右側の壁には手すりがつけられて、車椅子やベビーカーが通れるスペースが確保されている。その先は診療室のようで、俺はとりあえず受付の方に足を運ぶと、少しふくよかな、どこかのスーパーでパートをしていそうな中年の女性がニコニコと俺に声をかけた。



「ウチの診療所は初めてですか?それではまずこちらの方にお名前などの記入と、それから保険証をお願いします」



 ナース服ではなくて白いワイシャツにジーンズなんだな、と彼女の格好に驚きながらも言われたままに記入し保険証と一緒に提出すると、



「ご予約されていた皆藤様ですね?少々お待ちください」



 何やらパソコンにタイプした後に内線電話で誰かに伝達した。その後すぐさまこちらに向き、



「皆藤様、一番の部屋までお越しください。奥に入ってすぐの部屋です」



 と伝えられた。



「ここわかりづらかったでしょ?すいません」



 一番の部屋に入ったと同時に白衣に白シャツとジーンズのこれまた中年くらいの女性からフランクに話しかけられた。ラフな印象。肩ぐらいまで短く切られた髪を茶髪に染めた女性がイスに腰掛けるように促してくる。俺は素直に座ると、女性が右手を差し出して目を合わせてきながら挨拶してきた。



「松川です。皆藤さんは…あ、あんまり緊張しないでください」



 おそらく握手を交わした手が冷たく震えていたからだろう。俺が緊張していると思った松川さんは少し口調を和らげながら俺に尋ねた。



「予約の電話の時に少しお聞きしましたが、現時点でも変化はありませんか?」



 回りくどい会話はせずに単刀直入に聞いてくる松川さんに対し、俺は余計なことは考えずに現状を伝えた。



「なるほど、普段一人でする時は何も支障はないのに、奥様と行為に及ぼうとした時だけ機能しなくなる訳ですね」



 カルテに書き込みながら確認をとってくる。



「はい、その、これ以上子供が出来るって考えたり、子供が欲しいって妻に言われるとプレッシャーって言うかそういうことをする気持ちがその、萎えちゃうんですよね」

「はー、そうですか……」



 松川さんはまた何かを書き込んだ後にペンを置くと、今度は俺に向き直って尋ねた。



「一応外的要因がないか、直接触診したいのですがよろしいですか?」



 はい、と答える自分の声がうわずらないようにするのに苦労した。医者とはいえ同年代の女性に触らせるのだ。意識しない方が難しい。

 そんな俺とは対照的に松川さんは淡々とした様子でゴム手袋をはめるとそのまま診察をはじめた。



「どうやら正常に機能はするようですね」



 少し触れただけだが、この状況に興奮しているのか、はたまた松川さんの触り方なのか、いずれにせよ俺の意志に反して体が反応したのが意外だった。

 その後も軽く質疑応答を混ぜながらカルテに書き込んでいく松川さん。



「以上で診察は終わりです。何か質問等ありますか?」

「すみません、その、これはいつ治りますか?」

「正直に申し上げますと患者さん毎に個人差があって皆藤さんがいつ治るのかはこの場ではっきりとお伝えすることは出来ません。翌日には治った方もいれば半年間状態が変わらなかった方もいます。特に皆藤さんの場合は精神的な原因によるものなので難しいです」



 正直すぐにでも治せるとたかを括っていたが、現実はそう甘くないようだ。



「日常生活に支障がでるものではないですし、急いだからといって治るものではないので今後どうするかは皆藤さん自身が決めることになると思います。ですが、もし望まれるのであれば次の診察日を決めますがどうしますか?」

「少し考えさせてもらってもいいですか?」

「では次の方を診るので受付のところで考えて待っていてください。もし今後もカウンセリングを受けるのであれば受付に伝えて次の診察日を決めて、もう少し考えるのに時間がかかりそうな場合は、今日のところは帰っていただいて、名刺を渡しておくので後日、メールでも電話でもいいので連絡して予約を入れてください」

「分かりました、じゃあ今日は帰ります。ありがとうございました」



 お礼を言いながら名刺を財布の中にしまう。そのまま診察室から出た俺は受付の人に挨拶しながらこの診療所を出た。受付のところで考えてもおそらく答えは出なかったと思う。

 後日。田村と連絡を取り俺たちは居酒屋で会うことになった。軽く注文を済ませて飲み物が来る。ある程度飲んだところで俺は本題に入った。



「俺、やっぱり照美に伝えようと思う」



 精一杯悩んだ結果だ。それをどう受け止めたのか、田村は一瞬ビールジョッキに手を伸ばしかけてやめた。



「それじゃあ正直に子供が欲しくないからって言うのか?」



 田村の指摘はごもっともだ。照美にEDについて打ち明けるなら原因も一緒に伝える必要があるだろう。

 けれども、それは子供が欲しい照美を傷つけることになる。それが分かっていた俺は田村に自分の決意を伝えることにした。



「いや。ウソついて過労のせいだってことにする」



 田村が目を見開く。その後、俺がする行為の意味を考えると最後にあまり納得がいかない顔で俺に聞いた。



「それでいいのか?」

「…ああ。悪いななんか共犯にしてるみたいで」



 俺が決断を曲げることがないことを察したのだろう。田村は軽くため息を漏らすと諦めたようにジョッキを手に取る。



「全くだよ、少しは俺の立場になれっての」



 そう言って田村はジョッキの中身を一気に流し込んだ。

 思えば、これが照美についた初めての大きなウソだった。

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