2.クラード
アレンが旅に出て1か月。ユウナは隣国のクラードという貴族のもとに嫁ぐことになった。
1か月前、実家に帰ったユウナはアレンから婚約破棄を言い渡されたと泣きながら両親に伝えた。ユウナの家は決して裕福な家ではなかったため、アレンとの婚約で莫大な結婚支度金をもらう予定だった。両親がそれをこの先の生活費にあてようとしていたこともあり、ユウナは申し訳なさでいっぱいだった。しかしそれ以上に悲しさが頭を駆けていく。
───私ばっかりアレン様のこと大切にしていたのね。
そんなユウナを見て両親は眉を下げて娘の頭をなでた。
「ユウナ、ごめんね。辛い思いをさせてしまったね。しばらく家にいなさい。結婚のタイミングなんていくらでもあるさ。」
ユウナの父が優しく髪をすく。母もにっこりと笑っている。ユウナはその優しさに甘えたかった。今はアレンのことしか考えられなかったのだ。それでも他の人と結婚することがアレンの願いだとしたら、それを叶えたい気持ちもある。どうしたらいいかと悩んでいたとき、玄関のドアのベルが鳴った。
「イルディス殿はいるか!」
玄関から甘ったるい粘性のある声が聞こえてきた。正直、聞いていてあまり心地の良い声ではない。両親も同じように思ったのか、顔をしかめながらひとまず玄関に向かう。
「どなた様でしょうか?」
「これはイルディス殿! 私はラトゥール国のクラード・ルルシオ。今日ははるばるこの隣国まで足を運んでやった。」
上から目線で腹の立つ話し方でクラードと名乗った男は、ユウナの両親の許可も無くいきなり家に上がりこんだ。
「ちょっと! なんですか、勝手に!」
「お前らには用はないんだ。私が用があるのは…。」
クラードはユウナの目の前に立つと、ユウナのあごに手を当て、ぐいっと上を向かせた。
「君だよ。ユウナ・イルディス。」
ひゅっとユウナののどが鳴る。クラードはにやりと笑うとその手をするりとユウナの頬に滑らせた。
「君はアレン君との婚約が破棄されたそうだね。実は私はアレン君と小さい頃からの馴染みなんだ。アレン君はそれはもう勝手な男だから、君を切り捨てたのだろう? その可哀想な女の子を私が救ってやろうと思ったんだ。どうだい、私は素敵な男だろう?」
クラードは誇らしげに笑いながら、ユウナの頬をなでる。ユウナは背筋が凍るような思いだったが、ぐっと唇をかみしめてクラードに向き直った。
「クラード様。アレン様は勝手な人ではありません。きっとなにか理由があって私を家に戻してくださったのです。1人になるな、味方を作れ。それがアレン様の口癖でしたから。旅に出るアレン様が私のことを1人で置いていくのが心苦しかったのでしょう。」
アレンのことを思い出すと今でも涙がこぼれそうだ。それでもユウナはあのあたたかい日々が忘れられない。
「君は甘いねぇ。単刀直入に言うと、君は捨てられたんだよ。どうしてかは知らないけれどね。君が生きていくための選択肢は2つだと私は思っている。このままこの家で貧乏な暮らしをするか、私についてきて君も家族も豊かな生活をするか。」
「馬鹿なことを言わないでください! あなたみたいに非常識な人に大切なユウナは渡せません! お引き取りください!」
ユウナの父が猛反対して、早く玄関へ向かわせようとクラードの背中を押す。それでもクラードはにたにたと笑っている。
───皆で苦しい生活をする? それとも私だけ我慢をすれば、皆が豊かな生活ができる…?
一度はクラードに反抗したユウナも、きついクラードの言葉に心がぐらついた。その時のユウナはかなり弱っていたとしか言いようがない。アレンも旅に出て、家に帰ってきたユウナは周りに迷惑をかけて、自分の生きている意味がわからなくなってしまっていた。
───もしこのままアレン様が帰ってこなければ、いえ、もし帰ってきても私のことをお捨てになるのなら、私の家族はきっと苦しい思いをする…。
「…わかりました、クラード様。私はあなたと一緒にいきます。」
「ユウナ!」
両親がユウナの肩を揺さぶる。やめてくれ、と言わんばかりに。
「アレン様と結婚できない以上、誰と結婚しても同じよ。これ以上家には迷惑をかけたくないから、私は嫁ぐわ。ごめんね。」
それを聞いていたクラードが少し不服そうに口を曲げた。
「その言葉には納得できないが…。まあ、良いのだ! 私と共にくる覚悟ができたようだな! さあ、ユウナ。一緒に我が屋敷へ帰ろう。」
クラードはユウナをぐいぐいと押して、外に連れ出し、馬車に乗せた。
「ユウナ! 待ってくれ、ユウナ!」
父親の悲鳴が聞こえ、母の泣き叫ぶ声も聞こえた。それでもユウナは振り返らなかった。
しかし、クラードの屋敷にやってきて1か月が経っても、ユウナは未だにアレンのことを忘れられずにいる。
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アレンが旅に出て1か月後。アレンはとある東の国にいた。ここは旅の目的地でもある。
「ユウナは、元気だろうか。」
思わずぽつりと独り言がもれる。ばさりと切り捨てておいて、まったく自分勝手だとアレンは自嘲した。
「そう思われるのでしたら、そばにいてあげたら良かったのに。」
そのとき、アレンの従者がため息をつきながら近付いてきた。
「それは…できないだろう。あんな秘密を知ってしまったら。」
「やれやれ、女心がわからない主でがっかりです。それより、国の偵察兵から手紙が届きました。ユウナ様の件です。」
従者はアレンに薄い手紙を渡す。アレンは手紙を読み、愕然とした。
「クラードとユウナが婚約へ向け調整? ユウナはクラードの屋敷で生活?」
クラードは確かに小さい頃からの馴染みだ。しかし、一方的に権力を誇示するクラードにアレンは飽き飽きして、近年はなるべく近付かないようにしてきた。だから、ユウナはクラードの存在を知らないはずだ。
───僕がいなくなったところをつけ込んだのか…。
アレンはぐしゃりと手紙を握りつぶし、立ち上がる。
「一刻も早く国に帰る!」
従者は呆れつつも、やっといつもの主に戻ったと小さく笑った。