1.秘の病
「ユウナ、婚約を破棄してほしい。」
それは突然のことだった。
春の花が散り、少しずつ木々が色づき始めてきた5月のある日のこと。ユウナ・イルディスは目の前に座っている婚約者、アレン・フレデリックからそう告げられた。
「…アレン様? それはどういう意味でしょうか。」
「そのままの意味だよ。君との婚約を解消したいんだ。」
アレンはユウナと目を合わせず、手元をばかり見ている。普段はよく笑うアレンだが、その笑顔も今日は見られない。アレンの言動には不自然なところもあるが、ユウナはあえて平静を装って口を開いた。
「婚約解消したいのはわかりましたけれど、理由はどのようなことなのでしょうか? 私になにか至らないところがあるのであれば直します。」
2人の結婚式は来月。この直前になって婚約を破棄したいというのは、ユウナ側になにか問題があるのだろう。ユウナはそう考えていた。
「…僕の両親が君のことを調べたんだ。君が僕にふさわしいかどうか。そうしたら、君に大きな秘密があったことがわかった。このことを隠して僕と結婚しようとしただなんて、信じられないよ。」
「大きな秘密…?」
そうとぼけたものの、ユウナには心当たりがあった。アレンにはそのことを話してこなかったため、もし知られてしまったら怒られると思ってはいたが、いきなり婚約破棄は想定外だ。
「君の…病気のことだよ。」
アレンが顔を上げて、ユウナと目を合わせる。やはりそうかとユウナは逆に下を向いた。
ユウナは生まれつき不治の病を患っている。この地域では“秘の病”と呼ばれているもので、発症原因はわかっていない。起き上がれない、吐き気がするなど体調不良を引き起こすこともわかっているが、治療薬はなく、症状を抑える薬でごまかす程度しか対処法がない。
また、ごくまれに遺伝することがわかっている。そのため2人が結婚して子を授かったときにその子どもにも秘の病が遺伝する可能性があった。
ユウナ自身も時々体調を崩し寝込むこともあり、執務をこなすことに不安がある時もある。そういったところをアレンは懸念しているようだ。時々体調を崩して寝込むことがあっても、病を持っていない人が風邪を引いて寝込むのと同じ割合と考えていい。それでもこの病を皆が恐れるのは、突発的な発作が起きて死に至ることがあるというところだ。
ユウナの母方の祖母が秘の病を持っていた。母には遺伝しなかったため、ユウナが秘の病を持って生まれたとき、母は泣いたらしい。祖母もユウナが生まれてすぐに発作で亡くなったという。
「…隠していたことは謝ります。秘の病は治るものではないので、この先もついて回ることは確実です。だからといって、いきなり婚約破棄だなんて…。これまで2人でどんなことでもたくさんお話しして解決してきたじゃないですか。病気のことも…まず話し合いをしましょう? 子どもを産むことができないわけではないですし、その子どもに秘の病が遺伝するかどうかもわかりません。それとも私の体調がご不安で、もう話したくないということですか?」
先ほどまでは平静を装うことができたが、ユウナは少しずつ実感がわき、悲しみがあふれてきて、アレンに向かって一気にまくし立てた。涙もあふれる。
婚約してからも、ユウナの体調が悪くなることは多々あった。その時、アレンは優しくそばで支えてくれた。背中をさすってくれた。君の体調が優れないときは僕が頑張るからね、と力強く笑ってくれたこともあった。もしかしたら彼なら病気のことも受け入れてくれるかもしれない…そう思っていた。それはユウナの勝手な思い込みだったのか。
「…君はわかっていない。君が病気であることがどれだけ重大なことなのか。」
アレンは立ち上がり、扉の方へ向かって歩き出した。引き留めようと慌ててユウナも立ち上がる。しかし、アレンはそのまま部屋を出ていった。あふれる涙をぬぐいながら、ユウナは絶望した。
そして、その次の日、アレンが1人で旅に出たという話題がユウナの耳に入ってきた。