第八百四十二話 ヒュプノスの領域、温かい寝床
……何かとても暖かい……ふさふさの……猫に包まれたような寝床だ。
心地いい。パモじゃなさそうだけど。
そういえば昔、祖母の家で猫五匹に囲まれて、こんな風に昼寝したな……。
「っくしゅん! あれ、むずむずする……? 何処だここ」
「すぅ……すぅ……」
「……夢か。もう一度寝るか」
「すぅ……すぅ……」
「……いやどーみても夢じゃないだろこれ。何だ、このでかい羊みたいな生物」
俺は確か……そう、タナトスの領域にいたはずだ。
場所は同じようで、夕闇の世界が広がっている。
しかしどういうわけか、今いるのはでかい羊のような奴の隣だ。
そのでかい羊のような何かは羊じゃない。
両手両足がある。
しかしでかい羊のようでもある。
一体何なんだこいつは。
肝心のタナトスは何処にいったんだ?
アメーダとプリマは無事封印……出来たようだ。
あれ? 直ぐ近くに頭飾りの女性を放り込んだ檻があるな。
こいつ……起きてる! とっさに身構えるが……じっとこちらを見ているだけだ。
一体こいつは何なんだ?
そう言えば戦闘中、妖魔は連れて行くとか言っていたな。
「おい。お前は……えーと」
「ラシュイール。シュトリと呼んでいい。あなたは妖魔。連れて行かないと」
「何処へ連れて行くって?」
「塔。道はソロモンへ通ずる」
「は? ソロモン? そーいや昔ベリアルがソロモンがどうたら、こうたら言ってたな。
何なんだそれ」
「ソロモンはソロモン。ソロモンの王がソロモンの塔を立て、盟約を誓った。悲願を達成
し侵略者を打ち滅ぼし悪夢を払う。冥界を占拠し魂の作り替えを放棄し命を巡らせる。絶
対神による支配を終わらせ自由な世界を取り戻す。それがソロモンの誓い」
「……何だ、それは。お前は絶対神に戦争でも仕掛けるつもりなのか」
「戦いはもう始まっている。妖魔は地底で死に帰るべき」
「どういうことだ? ベリアルならきっとそんなことはしな……」
「さっきから盟約者の名前を軽々しく口にする。あなたは何者なの?」
「俺はベリアルと魂を分かつ片割れの一人だ。ベリアルとは……親友みたいなものだ」
「それが本当なら、ベリアルは妖魔として転生したの? 皮肉。でも彼が死んだのは地
底。それに準ずる魂として作り替えられてもおかしくはないけれど……でも、変。ベリ
アルは他にいる」
「……何? 今何て言った」
「あなたは嘘をついている。ベリアルはもういる。でも本物のベリアルではないかもし
れない。あなたは……」
「おっとそこまでにしてもらおう。死の催眠……」
「だ、れ……知り……」
「タナトスか。ここは何処だ。この人が話していたのはどういうことだ」
「順を追って話すよ。だから檻に入れて君に見せていたんだし」
「頼むよ。色々あり過ぎて正直困ってる」
「そうだろうね。私も同じ気持ちだ。まずここはヒュプノスの領域。貪欲の眠寧
という眠りに忠実な場所だ」
「肝心のヒュプノスってのがいないけど」
「何言ってるの。あそこにいるでしょ、弟のヒュプノスが」
「あれは羊人間だろ。どう見ても」
「おいおい。君は亜人なれしてると思ったけど」
「あれ、亜人って言うのか? 獣人……いやでかい獣型生物だろう。喋るのか? あれ」
「喋るけど、寝てるから。この領域は使えるからいいんだけどね」
「そうか……」
「はい、じゃあ次ね。彼女は騒乱者だ。ゲン神族側に造られた……そうだね、神兵と言えば
分かり易いかな」
「ゲン神族側の兵士!? そうか! なぜゲン神族側の魔族なんかがいるって言われて気付
かなかったんだ。神兵も種類があるのか」
「そう。神兵とは名乗らない。自らを騒乱者としている。突如多くの騒乱者が地底で騒ぎ
を起こしてね。狙いは当然……」
「タルタロスとネウスーフォか。いや、或いはスキアラか?」
「両方だ。ネウスーフォへ通ずる道は奈落にしか存在しない。スキアラへの道は海底の更に奥
地だが、そちらは後回し何だろうね」
「地底は……どうなってるんだ」
「フェルドランスの血を受け継ぎし者が守っているが、芳しくない状況だ。だが、ベオルブ
イーターの存在がある以上、騒乱者たちも迂闊には行動出来ない。そこで……ソロモンの復活
というわけだ」
「どういうことだ? ソロモンってのは何なんだ」
「ソロモンはその王が打ち立てた塔であり力だ。ソロモンの復活はゲン神族側の強い魔族たちの
復活を意味する。例えば……君の中に眠るベリアルのようにね」
「くそ、ここへきてまた頭がパンクしそうだ。ソロモンの復活で地底がおかしくなった? 騒乱
者は地底を攻めていて、妖魔を地底で殺して魂の還元を? 一体何のために」
「ゲン神族と絶対神側の戦いで、最もゲン神族側の者が命を落としたのが地底。彼らはアルカイ
オス幻魔と違い、地底で魂を作り替えられた。タルタロスの手によって。その魂を解放するつ
もりだろう。地底や地上で異様な能力者を見なかったか? 都市を浮かせたりとかね」
「っ! まさかベルータスですらそうだってのかよ。道理でふざけた力だったわけだ。あれはゲン
神族側の誰かの、魂が持つ力だったってのか」
「そうだろうね。まぁ妖魔として生み出させた根源はイネービュだから。彼女の趣味があるんだろ
うけど」
出来れば聞きたくない内容だった。
リルや先生が心配になってきてしまった。
「地底へ今向かって、俺がどうにか出来ると思うか?」
「無理だね。絶魔すら使いこなせないなら、神魔解放のみで戦うことになる。君はそれで
生きていける
程強くない」
「お前の言う夢の修行とやらを、直ぐに初めてくれないか」
「分かったよ。弟のところで横になってもらえる?」
俺は再びでかい羊のふさふさに身を委ねる。何て心地よさだ……吸い込まれる……。
「あの。近くで横になってって言っただけなのにそんなべったりくっつかなくても」
「はっ!? いや、あまりにもいい寝床だったんで」
「それはまぁ、否定しないけど。私も直ぐに向かうから、少し動かず待っててくれ」
「うん? あ、ああ。よく分からないけどわか……」
「死の催眠……二段階の睡眠を得て深淵の眠りへと誘われる」
タナトスとヒュプノスは実は双子だったらしいのです。
タナトスとタルタロスに関する事例も、神話をよくしる読者さんなら、タナトスの名前が
出た時点でピンときていたかもしれないですね!




