第九百三話 立ち上がれ、妖魔!
俺が捨てられるまでの日。
それは絶望と悲しみの日々だった。
何も見えず、ただの厄介者。
部屋にただ一人で生きる苦しみ。
日々前世で読んだ本を思い返し、その思いでの頁を貪ることしか出来なかった。
本の記憶は繊細だった。
人より多くのことを記憶しないと読むのも困難だったからだ。
人間の体は不思議だと思う。
追い込まれれば追い込まれる程強くなれる。
そんな風に出来ている。
だが……心は時にして脆い。
それも……俺がよく記憶していることだ。
「……これは、あんまりじゃないのか……!」
しかし答えは帰って来ない。
俺は自然と言葉が付いて出た。
「なぁ、聞いてるんだろ、イネービュ! 何とか……何とかしてくれよ。神はいつまで俺
に酷い仕打ちをすれば気が済むんだよ。俺が何をしたっていうんだ。誰が、こんな……」
だが、答えは無い。
神はいつだって無情で無慈悲だ。
人が幾ら叫ぼうとも、解決するのは人でしかない。
それでも神にすがりたくなるのは、絶望を身近に感じるからこそだ。
何一つ不自由しない生物に生まれれば、神にすがるようなことは無いだろう。
あの日もそうだった。
叫んでも叫んでも無駄だと分かったこの世界の俺は、もう神など信じてはいなかった。
だけど……俺はメルザと出会ってしまった。
俺の中に芽生えた神とは、まさしくメルザだった。
まがいものの神なんかじゃない。
あの笑顔が、優しさが、俺を立ち直らせてくれた。
でも、あの子はいわゆる全知全能の神なんかじゃない。
か弱くて、直ぐに死んでしまいかねない存在だ。
神なんかが守ってくれるはずがない。
だからこそ俺が守れる男にならなければと。
……いや、それこそが俺の持つ罪なのかもしれない。
「これが、報いだっていうなら、乗り切るしかない……のか」
絶望の目をゆっくり開く。
ここは……独房のような場所だ。
何時の間にか着替えさせられていた。
今の恰好は囚人服一枚着ているだけ。
部屋には他に人は無く、小さな鳥が一羽いるだけだ。
この鳥は……ベリアルであり死竜トウマでもある。
幾千もの戦いを乗り越え、そして死に、転生して俺と一つとなった。
俺と分離し共に生きる唯一無二の存在。
その、成れの果ての姿がただの鳥だ……。
「ベリアル、お前を近くに感じない……凄く遠くに感じるよ」
「クルッピー、ピー、ピー」
「……何もかも、本当に失ってしまったのか?」
「クルッピー?」
「お前は、ベリアル……何だよな」
「クルッピッピー」
「……これから、俺はどうすればいいんだ……」
ベリアルからの返事は無かった。
両腕が酷く痛む。
目頭が熱い。
このまま何もかも忘れて、眠ってしまいたい気分だ。
だが、目を閉じると……俺の脳裏に浮かぶのは、多くの仲間の表情。
一人一人しっかり記憶している。
あらゆる情景が脳裏に浮かび、俺は……苦しくなった。
自分の記憶力の良さが、俺自身を苦しめる結果につながるんだ。
「何時からこんなに弱くなったんだ。ずっと一人だったんだ。最初からずっとこうだった
じゃないか。今更何を……いや、そうじゃない。俺をそんな目で見ないでくれ……俺は、俺は……」
「ふうん。思ったより元気そうだね」
その声を聴き、ハッとした。
紛れもなく聞き及んだ声。
「タナトス……俺をあざ笑いに来たのか?」
「そんなに暇じゃないんだよね、私って」
「だったら何しに来た……お前のせいで、こんな!」
「私のせい? それは違うんじゃないかな」
「何を……」
こいつにあたっても仕方が無い。
信用した俺がバカだっていうのは分かってる。
それに、腑に落ちない点も幾つかある。
だがそれでも、何かにぶつけないとおかしくなってしまいそうだった。
それを飲み込むだけで、血がにじむ程拳を握りしめていた。
「わずかな監視が無い今、一言だけ言っておこうと思って。私は先に、アトアクルークに
いるから」
「アトア……クルークだと?」
「そこで君を待ってる。それじゃ。ぎりぎり言えるのはここまでだから」
「おい、待て! ……くそ。今の俺に何が出来るってんだ。あいつの目的は一体なんなんだ?」
腑に落ちない点。
それはあいつが……俺のモンスター封印能力を明確にフェルドナーガに伝えていない点。
そして俺の最大の宝はアーティファクトなんかじゃない。
確かにティソーナもコラーダも長年連れ添った武器だ。
だが、メルザや子供たちや仲間程では無いんだ。
フェルドナーガは俺の、意思疎通が図れないモンスターのみを取り出した。
つまり、パモは取り出されていないし、絶魔になれればきっと、あの衣に封じられた
ままだ。
おかしな点に気付いたのはフェルドナーガと話している最中だったが、あいつは
きっと俺を貶めるためにそうしただけではないと判断出来た。
けれど、何の説明もなく俺をここへ導いたのはタナトスだろう。
「まさかあいつ……これも絶魔の修行とかいうんじゃないだろうな……ははっ。俺は
とことんお人好しで、バカだよな、ベリアル」
「クルッピー!」
「お前も何か少し分かってるって感じだな。分かったよ。意地でも脱出してアトア
クルークに向かってやる。何せ俺は……妖魔のルイン・ラインバウトだ。今の俺に何
が出来るか、それを確かめるときなんだ」
改めて俺は決意した。
必ず無事にここから脱出する。
まずは状況把握と情報収集だ。
そう考えたとき、ふと懐かしい情景が俺の記憶から引き出された。
――――「シーザー師匠。この修行は何です?」
「おめえが仮に捕縛されたとき、どうするかって修行だ」
「捕縛されたらもう助かりませんよね?」
「ほう。つまりおめえは嬢ちゃんたちのことを諦めておっちぬってのが答えか」
「それは……嫌ですけど。でも、両手両足縛られて何も出来ないんですが」
「おめえ今、何もしてねえって自覚があって言ってるのか?」
「一応ジタバタしてます」
「そうじゃねえ。捕縛した俺と喋ってやがるだろうが」
「え? まぁ口は塞がれてないので」
「いいか小僧。口ってのは計り知れねえ程強ぇ武器だ」
「何か口の中に仕込むんですか?」
「そうじゃねえ。あらゆる武器を奪われ、敵陣真っただ中で捕虜になる。そういった場合
一番役に立つのが口だ」
「……つまり敵と対話しろと?」
「敵陣にあって敵を敵と見なすな。その場にあるときそいつらは敵じゃねえ」
「ええっ? 敵陣にあって敵が敵じゃなくなる? どういうことです?」
「つまり、味方につけていけばいい。敵中において味方をつくる。これを成せるのは武
じゃねえ。口だ」
「それはまぁ、なんとなく分かります。どれだけ武が強くても項羽のように孤立して四
面楚歌になれば命は無いですもんね」
「項羽ってのが誰かは知らねえが、そいつの話、面白そうだな」
「俺の前世では一部に有名なお話ですよ。三国志という物語の方が有名ですが、俺は項
羽と劉邦が好きです。それと、孫子の兵法書……なんて眉唾ものでした」
「ほう……まぁその話はいい。おめえがいざというときは武以外を扱うことを検討して
起きな」
「ええ、それは分かったのでそろそろ縄を解いてもらえませんか……食事の支度をしな
いといけないので。甘味もちゃんと作りますから!」
「はっはっは! 分かってるじゃねえか。それが口を使うってことだよ」
「え? 俺、笑われるようなこと言ったかな……」
……シーザー師匠。あなたはこの状況下の俺を笑ってくれますか。
あなたがいたからここにいるルインは、たくましく行動出来る。
たった一人でも俺は、状況を打破してみせますから。
「さぁ、立てよ妖魔ルイン。俺は……諦めない。あいつら全員、放っておけば敵陣に突撃
してくるぞ」
崩れても崩れても何度でも立ち上がる。
それでこそ元日本人の強さ!
一体どう挽回していくのでしょうか。




